著者
佐藤 岳詩
出版者
北海道大学大学院文学研究科応用倫理研究教育センター
雑誌
応用倫理 (ISSN:18830110)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.45-62, 2010-03

本稿では気分明朗剤(mood-brighteners)の服用の是非とそれを通して快楽主義的功利主義の是非 について論じる。快楽主義とは快や幸福のみが善であると主張する道徳的な立場であり、経験機械 の議論をはじめ様々な批判にさらされながらも一定の支持を集めてきた。しかし近年開発された気 分明朗剤という薬がもたらす倫理的問題は、快楽主義に対して新たな疑義を呈しうるように思われ る。気分明朗剤とは簡単に言えば不安を緩和し気分を明るくする薬物であり、服用者の快につなが るものである。そのため気分明朗剤の使用は快楽主義的に見て肯定されるものである。しかし一方 で我々の間にはこの薬物に対する否定的な感情、道徳的な直観がある。この直観が妥当なものであ るならば、気分明朗剤の服用は否定されるべきであり、また気分明朗剤の服用を肯定する快楽主義 もまた否定されるべきということになるだろう。そこで本稿では主に気分明朗剤の服用を批判する 言説を検討し、それが妥当であるか否かを検討する。筆者の考えるところでは、L. カスらが呈示す る偽物と本物の区別、適切な感情などに基づく批判は誤りであり、気分明朗剤および功利主義に対 する決定的な批判とはならない。しかし苦痛とその受容が持つ価値にかかわる議論は快楽主義にとっ て直接的な疑義を投げかけうる。
著者
佐藤 岳詩
出版者
北海道大学大学院文学研究科応用倫理研究教育センター
雑誌
応用倫理 (ISSN:18830110)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.45-62, 2010-03

本稿では気分明朗剤(mood-brighteners)の服用の是非とそれを通して快楽主義的功利主義の是非について論じる。快楽主義とは快や幸福のみが善であると主張する道徳的な立場であり、経験機械の議論をはじめ様々な批判にさらされながらも一定の支持を集めてきた。しかし近年開発された気分明朗剤という薬がもたらす倫理的問題は、快楽主義に対して新たな疑義を呈しうるように思われる。気分明朗剤とは簡単に言えば不安を緩和し気分を明るくする薬物であり、服用者の快につながるものである。そのため気分明朗剤の使用は快楽主義的に見て肯定されるものである。しかし一方で我々の間にはこの薬物に対する否定的な感情、道徳的な直観がある。この直観が妥当なものであるならば、気分明朗剤の服用は否定されるべきであり、また気分明朗剤の服用を肯定する快楽主義もまた否定されるべきということになるだろう。そこで本稿では主に気分明朗剤の服用を批判する言説を検討し、それが妥当であるか否かを検討する。筆者の考えるところでは、L. カスらが呈示する偽物と本物の区別、適切な感情などに基づく批判は誤りであり、気分明朗剤および功利主義に対する決定的な批判とはならない。しかし苦痛とその受容が持つ価値にかかわる議論は快楽主義にとって直接的な疑義を投げかけうる。
著者
佐藤 岳詩
出版者
日本イギリス哲学会
雑誌
イギリス哲学研究 (ISSN:03877450)
巻号頁・発行日
vol.32, pp.57-73, 2009-03-20 (Released:2018-03-30)
参考文献数
23

It is widely admitted that moral judgments are universalizable, but whether this universalizability is formal or subjective is still in controversy. In this paper, I will investigate R.M.Hare’s argument for the formality of the universalizability. It is often said that his attempt fails because he derives a subjective moral conclusion like utilitarianism from that principle. However, Hare does not derive the moral conclusion from universalizability alone. Rather, what attaches morality to Hare’s utilitarianism is the concept of prescriptivity and rationality, not universalizability. In conclusion, I will vindicate Hare’s theory, but at the same time point out a problem of the normativity of rationality that is included in his theory.
著者
藏田 伸雄 古田 徹也 久木田 水生 近藤 智彦 村山 達也 佐藤 岳詩 森岡 正博
出版者
北海道大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2016-04-01

本年度は北海道哲学会でシンポジウム「人生の意味」(研究代表者・藏田伸雄、研究分担者・森岡正博、研究協力者・山田健二)、日本倫理学会でワークショップ「「人生の意味」の哲学的・倫理学的議論の可能性」(研究代表者及び研究分担者・村山達也、研究協力者・文武吉沢、研究協力者・長門裕介)、科学哲学会でワークショップ「分析哲学/現代形而上学で「人生の意味」や「死」について「語る」ことはできるのか」(研究代表者及び研究分担者・久木田水生、研究協力者・鈴木生郎)を実施し、本研究の研究成果の一部を公開した。また研究代表者の藏田は日本生命倫理学会で「「人生の意味」というカテゴリーを生命倫理領域で用いる場合に注意しなければならないこと」と題する発表を行い、「人生の意味」に関する議論を終末期医療に関する生命倫理問題に接続することを試みた。また研究分担者と研究協力者による研究会も開催し、研究協力者の北村直彰氏によって死の形而上学について、また杉本俊介氏によって「人生の意味」とWhy be Moral問題についての検討を行った。また本研究課題に関連する問題についていくつかの論考を発表している研究分担者の山口尚氏の一連の論文を批判的に検討することを通じて、人生の意味と「決定論」や「自然主義」との関連について明らかにすることができた。特に、今年度は青土社の雑誌『現代思想』が分析哲学に関する別冊を発行したが、その中で研究分担者の森岡、村山、研究協力者の山口がこの研究班での研究の成果や、本研究と関わる内容について論文を掲載している。また本研究班での研究内容とは異なるが、研究分担者の近藤と古田は「道徳的な運」に関する研究成果を発表している。「道徳的な運」の問題は、本研究の直接的なテーマではないが、「人生の意味」に関する問題とも深く関わる。
著者
佐藤 岳詩
出版者
京都倫理学会
雑誌
実践哲学研究 (ISSN:02876582)
巻号頁・発行日
vol.35, pp.41-74, 2012-11