著者
加藤 雅信
出版者
日本法社会学会
雑誌
法社会学 (ISSN:04376161)
巻号頁・発行日
vol.2014, no.80, pp.49-85, 2014 (Released:2021-05-04)

What is property? How did a notion of ownership appear in the world? The traditional legal study does not give us any answers to the above questions. A notion of ownership had appeared before a written history began. Thus, a legal historical study does not give us any answers to the above questions. However, anthropological studies afford an excellent insight in to these questions. Imagine an ancient society where food was not sufficient. In order to promote food production, farming became important. People would become eager only when a fruit of their labor in farming could be certainly acquired. In such a community needed a notion of land ownership. The notion of land ownership protects an investor in farming at the first stage, and it contributes to an enlargement of food production in a community as a whole in the second stage. Thus, a notion of land ownership appeared in a farming society. This might occur in an ancient society. However, a similar phenomenon occurred in a modern society. In an industrial society, an invention is crucial in order to promote an industrial production. An invention or a new technology is a result of investment for research and development. If imitation of an invention or a new technology is possible, no one would make an investment for research and development. Thus a notion of an intellectual property became necessary in a modern industrial society. From ancient to modern days, a history repeats on the same logic. These are the social structure of a birth of ownership of capital goods. A social structure of a birth of ownership of consumption goods is different. Among consumption goods, food is most important. Social order concerning food had begun before a history of human being started. In primate societies, respect for possession of food by an individual is respected by the others. In case an infant possesses food, even a leader monkey cannot take it by force. In addition, distribution of food is not seldom in societies of chimpanzees and pygmy chimpanzees. This paper focuses and analyses these phenomena.
著者
青山 善充 紺谷 浩司 池田 辰夫 石井 紫郎 河野 正憲 瀬川 信久 加藤 雅信 松下 淳一 植田 信廣 三谷 忠之
出版者
東京大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
1994

本科研費による共同研究においては.10国立大学法学部(北大・東北大・東大・名大・阪大・香川大・岡山大・広島大・九大・熊本大)が.最高裁の方針により廃棄の運命にあった明治初年から昭和18年確定分までの民事判決原本を.各地の裁判所から暫定的に移管をうけたのを契機として.この貴重な史科群の保存利用に関し、多面的な検討を行った.具体的には.本研究会に4分科会を設け(外国法制研究、恒久計画測定.保存対策.プライヴァシ-.データベース).それぞれが核となって検討を重ねた結果、以下の知見を得た:1.民事判決原本に関する外国法制調査ヨーロッパ諸国(ドイツ・フランス・イギリス・イタリア・北欧).アメリカ合衆国.韓国.台湾.パナマといった諸国において.民事判決原本が如何なる機関において.如何なる期間保存され.どのように利用に供されているかを.現地調査やヒヤリングをも含めて調査した.この結果、国立の公文書館において.行政・立法の公文書とあわせて現用をおえた司法府の公文書を保存し.利用に供するのが一般的であること.そのシステムは.日本に比して発達した公文書館制度と表裏をなしていることが明確になった.2.日本における民事判決原本恒久保存施設の模索上記1に得た比較法的知見を踏まえて9民事判決原本の恒久的保存利用施設として如何なる機関が適切であるかを検討したところ.大学での保管はあくまで暫定的でイレギュラーな緊急〓措置であり.国立公文書館・国立国会図書館といった既存施設にもそれぞれ難点があるので.やはり.(名称はともあれ)司法資料を収容する国立の文書館を新設するのが筋であるという結論に達した.なお.このことと.民事判決原本を地域的に一箇所に集中するか地方分散とするかは.必ずしも必然的に結びつくものでないということが了解された.3.大学保管中の保存対策2の恒久保存施設に民事判決原本を移管するまで.3乃至4年間をめどに大学が保管の責務を負うのであるが.その間の保存対策について.史料保存学専門家の意見をきいて.協議し.空調・防虫対策・保安措置等について.各大学に助言を行うことができた.4.大学保管中の利用ガイドライン策定大学保管中に.大学は.可能な限り民事判決原本を学術利用に供することが移管に関する最高裁との協定からも望ましいが.これには.史料の性質上.プライヴァシ-保護を中心とする微妙な配慮を必要とする.これらの点を考慮しつつ.本研究会は.学術利用と事件当事者による閲覧との二類型を念頭においた詳細な利用ガイドラインとそれに応じた利用申請書式を策定し.それを.各保管大学で使用することとした.5.民事判決原本のデータベース化これまで民事判決原本へのアクセスを困難にしてきた最大の理由は.その検索の困難性にあった.この点は.民事判決原本に含まれるデータをデータベース化することによって大きく改善される.と同時に.原本自体を画像入力することによって.貴重な原本の損耗を防止できる.この見地から.フィージブルな民事判決原本データベースを模索した結果.明治23年までの判決原本を全文画像入力し.これに.最小限の項目データを付して検索の便を図ることが最善であるとの結論に達し.国際日本文化研究センターがこの作業を引き受けることとなった.
著者
加藤 雅信
出版者
名古屋学院大学総合研究所
雑誌
名古屋学院大学論集 社会科学篇 = THE NAGOYA GAKUIN DAIGAKU RONSHU; Journal of Nagoya Gakuin University; SOCIAL SCIENCES (ISSN:03850048)
巻号頁・発行日
vol.59, no.1, pp.63-80, 2022-07-31

本稿は,前号掲載論文の続編であり,占領下で,1947年5月の憲法施行に間に合わせるべく家族法改正を推進した日本政府や我妻らが草案をGHQに提出したにもかかわらず,なにゆえにGHQの承認が下りず,「応急措置法」での処理がなされたのか,当時の日本政府や我妻らが知らなかった“裏事情”に焦点を合わせた論稿である。 我妻らの家族法草案起草委員会には川島武宜も参加していたが,GHQ側の立法作業の責任者であったオプラーは,川島武宜と民法改正の全期間を通して何度となく日本側には秘密の非公式会合を重ねていた。この会合で,川島は日本側の最終草案には“家制度の残滓,女性に不利な点が存続している”旨を述べ,その4日後には,我妻が民法改正草案の民主性と女性平等性を説明したが,受け入れられずに,国会提出の延期が決定された。背景事情を知らなかった日本側の起草委員は,GHQには検討の時間的な余裕がないものと理解したのであった……。
著者
加藤 雅信
出版者
名古屋学院大学総合研究所
雑誌
名古屋学院大学論集 社会科学篇 = THE NAGOYA GAKUIN DAIGAKU RONSHU; Journal of Nagoya Gakuin University; SOCIAL SCIENCES (ISSN:03850048)
巻号頁・発行日
vol.58, no.4, pp.241-279, 2022-03-31

本稿は,日本民法が過去1世紀半にわたっていかなる国内政治と国際政治のなかで形成されてきたのかを考察する筆者の一連の研究の一部をなすもので,家族法に焦点をあてている。 かつて日本の家族法の中核をなしていた「家制度」は,民法典制定時に華族が反対し天皇制官僚も消極姿勢を示すなかで,「水戸学」以来の伝統を受け継ぐ「世論」のもとで形成された「創られた伝統」であった。戦後の家族法改正は,この家制度を廃絶した。我妻はこれが日本側「起草委員の独自の発案」であったことを強調するが,実はアメリカの初期占領政策―日本の軍事的弱体化・産業的弱体化・精神的弱体化―の一環であった。「日本を生糸・お茶・おもちゃ等の生産国」にするという産業力弱体化政策とともに,“天皇陛下,万歳!”と叫びながら兵士が死地におもむいた歴史を根絶させるべく,天皇を頂点とする「家族主義的国体」観を破壊する一環としての家族法改正だったのである。
著者
加藤 雅信 青木 清 太田 勝造 河合 幹雄 野口 裕之 藤本 亮 岡田 幸宏 菅原 郁夫 フット ダニエル
出版者
上智大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2004

多くの法科大学院院生は「進学決意時」の職業希望を法科大学院入学後、教育を受けながらも維持していることがあきらかになった。また、そうした理想は理想として、現実的に予想する際にも約3分の2の院生は理想と現実的予想が一致しており、その一致率は年度を追い、微増する傾向が観察された。本調査が執行された段階では、まだ「弁護士の就職難」といわれる現象はメディアがとりあげるような話題にはなっておらず、現在の院生にこのような調査をした場合にはまた異なった回答がなされるであろう。また、実際に司法修習修了後にどういった職種に就いているのか等の追跡調査が今後求められてくるであろう。抽象度の高い法のイメージについての法意識は短期間では大きく変化しないと考えられる。そのため、多くの項目では経年変化はみられなかった。しかし、二年の間をあけた調査問の比較では、より大きな差がいくつかの項目に観察された。このことは三年間のインテンシヴな法科大学院教育がこうした一般的な法意識、法態度にも影響を及ぼすことを示唆している。法科大学院は大学の枠を越えて多くの他大学出身の院生を受入れており、また、受験生も複数の大学院を受験することが通例である。入学前には受験生は全員が適性試験を受験することが義務づけられ、また大学院終了後も全員が司法試験を受験し、司法修習へと進む。したがって個別大学での調査ではなく、本研究のように大学横断的に法科大学院生のさまざまな状況について調査研究することは重要である。
著者
加藤 雅信
出版者
青山学院大学
雑誌
青山法学論集 (ISSN:05181208)
巻号頁・発行日
vol.39, no.3, pp.61-91, 1998-03
著者
加藤 雅信
出版者
日本法社会学会
雑誌
法社会学 (ISSN:04376161)
巻号頁・発行日
vol.1992, no.44, pp.142-147,336, 1992

This paper introduces the "Comprehensive Compensation Scheme" which was proposed by the author several years ago. The Comprehensive Compensation Scheme is a fund system composed of three branches of liability insurance, self-defense insurance and fund indemnity. Each branch is devided into several sections, such as automobile accidents, industrial accidents, atomic energy damages, etc. The auther's proposal was followed by Professor Tanase's critiques. This paper also points out that Professor Tanase's argument lacks historical view points.