著者
高尾 千津子 野村 真理 小森 宏美 中嶋 毅 原 暉之 鶴見 太郎 ウルフ デイビッド シュラトフ ヤロスラフ 宮沢 正典
出版者
東京医科歯科大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2012-04-01

本研究はロシア革命後ユーラシアの東西に離散した亡命ロシア人社会と、それに付随して世界に拡散したロシアの「ユダヤ人問題」と反ユダヤ主義の諸相を、満洲、極東に焦点を当てて考察した。特にシベリア出兵期に日本に伝播した反ユダヤ主義、日本統治下満洲における亡命ロシア人社会とロシア・ファシズムの発展、シベリアと満洲におけるシオニズム運動の展開、ホロコースト前夜のユダヤ難民問題における日ソ両国の役割を解明した。
著者
原 暉之
出版者
ロシア史研究会
雑誌
ロシア史研究 (ISSN:03869229)
巻号頁・発行日
no.91, pp.3-22, 2012-12-20

В последние годы в японской историографии Сахалина наметился пересмотр различных вопросов периода русско-японской войны. Одним из заметных достижений в данной связи явилось конкретное освещение ряда военно-политических аспектов, в том числе проблем эвакуации и вытеснения русского населения из прифронтовых и оккупированных японцами районов Сахалина. Многие из жителей острова эвакуировались самостоятельно, либо были вывезены японскими судами на материк. В результате занятия острова японскими войсками, сахалинцы - главным образом, ссылнопоселенцы и крестьяне из ссыльных - оседали в Приамурье, в Сибири и в европейской части России. Хотя термина ≪беженцы≫ в его нынешнем понимании до самото начала ХХ века в России не существовало, автор данной статьи предлагает применять по отношению к данным переселенцам выражение ≪сахалинские беженцы≫. Автор рассматривает в статье процесс появления беженцев на Сахалине и в районе Де-Кастри, процесс подачи процесс возмещении ущерба, понесенного ими во время и в результате войны, отношение к беженцам со стороны местных и центральных властей. Всовременной российской историографии политика царского правительства в отношении пострадавших во время русско-японской войны почти не изучена. Сам факт того, что 8 июня 1906 г. было учреждено ≪Осбое совещание для разрешения вызванных обстоятельствами русско-японской войны претензий к казне, не предусматриваемых действующим законодательством≫, малоизвестен. Тем не менее, в архиве МИД Японии хранятся сообщения японского посланника в России об образовании и деятельности Особого совещения. С другой стороны, в российских архивах автору удалось обнаружить материалы данного учреждения, в котором обсуждались вопросы о возмещения убытков сахалинцам, пострадавшим в результате русско-японской войны (РГИА, Ф. 121, РГА ВМФ, Ф. 1280). По поводу отношения Особого совещания к сахалинским беженцам, характерен следующий фрагмент из речи его председателя В. П. Череванского: ≪Значительная часть переселенцев с о. Сахалина, пользовавшаяся до войны известным благосостоянием, оказалась совершенно разоренною войною и последствиями, лишившись источников, обеспечивавших средства к жизни≫.
著者
原 暉之 有馬 学 中見 立夫 酒井 哲哉
出版者
北海道大学
雑誌
総合研究(A)
巻号頁・発行日
1994

黒木親慶(1883-1934)は宮崎県出身の陸軍軍人(陸士卒業第16期)で、第一次大戦中ロシア従軍武官を勤め、ロシア革命を現地で観察したのち、シベリア出兵に際して親日派・反革命派の軍人アタマン・セミョーノフの軍事顧間として活動するなど、ロシア通の参謀将校として活躍した。また、ロシア・シベリアで荒木貞夫(9期、のち睦相、文相)と行動をともにしたことから、1920年に帰国したのちも荒木との関係は密接であり、昭和期には荒本に連なる皇道派人脈の中で重きをなした。本研究は、これまで学術調査の対象となったことはなく、ほとんど手つかずのままに残されてきた黒木親慶文書(宮崎県立図書館所蔵)に対し、学際的・総合的なアプローチを研究する試みるとして企画されたが、現地調査を含む研究活動の結果、ロシア極東近現代史、日本近代政治史、東アジア国際政治史の各分野において多くの知見を得ることができた。とりわけ、ロシア極東近現代史の分野では、アタマン・セミョーノフの思想と行動の未解明部分が判ってきたし、日本近代政治史の分野では皇道派人脈について、また東アジア国際政治史の分野ではモンゴルをめぐる国際環境について、従来の研究とは異なる角度から光が当てられることになった。
著者
原 暉之 長谷川 毅 平井 友義 原 暉之
出版者
北海道大学
雑誌
一般研究(B)
巻号頁・発行日
1988

この研究の目的はロシア革命から第二次世界大戦にいたるまでのソ連の内政と外交に、軍事的要因がいかにかかわりあい、いかなる影響を与えたかを究明することにあり、具体的には、軍事的要因が、ロシア革命とボリシェヴィキ権力の樹立、内戦期における共産党独裁政権の確立、ネップ期の内政と外交、集団化と工業化によるスタ-リン体制の確立、反党派と軍の粛清、第二次世界大戦の開始にいたる歴史過程の中でいかなる重要性をもって具体的な政策過程に影響を与えたかを、軍事ドクトリンの変遷、軍事組織の変遷、党軍関係の進展という三つの視点から分析しようとするものであった。過去三年間にわたる共同研究は、これらの問題の解明にかなりの実績を挙げたといえる。まず第一に、この最終年度には、前年度に引続き、ソ連軍事関係の組織だった文献収集を継続した。また、「スタ-リン集団化と工業化の軍事的意義」「反党派と軍の粛清」について第一回の研究会を、「第二次世界大戦への準備」について第二回目の研究会を開き、現在、『軍事的要因からみたソ連社会主義の特質』と題する、今までの研究成果をまとめ、さらにこれまでパソコンに入力したソ連軍事関係の資料一覧を含んだ報告を刊行する準備が進められている。三年間にわたる研究の結果、内戦を通じて形成された赤軍は、「赤色司令官」と「軍事コミッサ-ル」という特色の制度を産み出し、それが、トロツキ-・フルンゼ論争を経て、常備軍の形成へと導かれ、主として軍事力の増強を第一優先順序においてなされた工業化を促すとともに、ソ連の社会主義の性格を、本質的には軍国化するに至った過程が明確にされた。即ち、軍事的要因は、ソ連の社会主義の性格になによりも増して決定的な役割を果たしたのであり、この結果をまとめた報告書は、この点で今後のソ連研究に大きな影響を与えることを信じている。
著者
長與 進 長縄 光夫 原 暉之 エルマコーワ リュドミーラ ミハイロバ ユリア 澤田 和彦
出版者
早稲田大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2001

4年間(平成13-16年)にわたった科学研究費補助金による研究課題「来日ロシア人の歴史と文化をめぐる総合的研究」は、研究代表者1名と研究分担者11名(研究開始時の分担者1名が途中で逝去されたため、平成15年より新たに1名を補充)を中心として遂行された。具体的な研究活動は、このメンバーを中心として組織された「来日ロシア人研究会」を母体として、上記年度内に合計して20回開かれた定例研究会(うち2回は函館と長崎における研究合宿)を軸として進行した。定期的な研究活動をもとにして、平成15年3月に『共同研究 ロシアと日本』第5集を、平成17年3月に『共同研究 ロシアと日本』第6集を刊行することができた(「研究成果報告書」その1とその2として提出)。その1には聞き書き2編、論文14編、資料1編が、その2には聞き書き2編、論文19編が収録されている。両論文集は国内のみならず、国外の関連大学・図書館・研究所などに広く配布された。さらに「来日ロシア人研究会」のニューズレターとして、『異郷』を合計11冊(11-21号)刊行した。具体的成果の積み重ねによって、本研究課題を開始した際の「研究目的」-来日ロシア人の社会活動と文化活動が、わが国の文化・思想・宗教・教育・芸術などの学術分野と、さらに日常生活の次元において、どのような形で残され、継承されているかを検証すること-は、かなりの程度果たされたと考えている。
著者
井村 哲郎 芳井 研一 原 暉之 SAVELIEV IGOR 古厩 忠夫
出版者
新潟大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2002

本研究は,これまで未公開であったロシア国立歴史文書館(RGIA,在サンクトペテルブルグ)が所蔵する中東鉄道文書中の近現代中国東北をめぐるロシア、中国,日本の関わりを記す文書をいかに利用するかを明らかにするために行なったものである。中東鉄道は,帝政ロシアのアジア進出のために19世紀末に中国東北を横断して建設された。日露戦争後、大連-長春間は日本に割譲されたが,1935年に満州国が買収するまで存続した。中東鉄道は,ロシアおよび革命後のソ連の対中国・対中国東北政策に重要な役割を果たした。中東鉄道文書には,鉄道経営に関わる文書だけではなく,19世紀末から1930年代までの中国および中国東北の政治・経済情勢,日本情報などが豊富に含まれている。中国東北近現代史研究および中国東北をめぐる日中関係史研究ではこれまで,ロシア語資料はほとんど利用されていない。これは,主に史資料がこれまで未公開であり,どこに所蔵されているかも明らかではなかったためであるが,こうした史資料状況の欠落を埋めるために,ロシア国立歴史文書館が所蔵する中東鉄道文書について書誌調査を行ない,とくに中国東北をめぐる日本,中国,ロシア3国に関わる文書群から,重要なジェーラを選択しロシア語の抄録とその日本語訳を行ない最終報告書として資料目録を編纂した。また,本プロジェクトの一環として、2004年度には中間報告書「ロシア国立歴史文書館所蔵『中東鉄道文書』にみる19世紀末-20世紀初頭中国東北の国際関係」を刊行した。また同年度には、サンクトペテル大学東洋学部において東洋学部と共催して国際ワークショップ「サンクトペテルブルグ所在史料に見るアジア」を開催し,その報告書を刊行した。本ワークショップによって研究代表者井村はプーチン・ロシア大統領から記念メダルを授与された。今回作成した報告書に含まれる中東鉄道文書のジェーラ数は、総ジェーラ数20,784のうちわずか236にすぎないが,それでも義和団事件に際しての中東鉄道警備,満鉄など日本側との関係など、貴重な内容を記す文書が発見される。今後の中東鉄道研究および中国東北研究に有用なツールとなろう。
著者
原 暉之 井竿 富雄 池田 裕子 井澗 裕 ウルフ ディビッド 神長 英輔 越野 剛 塩出 浩之 竹野 学 田村 将人 三木 理史
出版者
北海道大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2010-04-01

サハリン島近代史の全体像の叙述を最終目的とし、その第1段階として日露戦争前後の時期に焦点を当てた論文集『日露戦争とサハリン島』を刊行した。本書は、帝政期ロシア領時代のサハリン島史、日露戦争サハリン戦、国境変動後の住民生活を総合的に描いたはじめての業績である。また、国際シンポジウムをほぼ毎年開催することで、サハリン島史研究の国際的ネットワークを確立させ、日露間の相互歴史認識の進展にも大きく寄与した。さらに、サハリン島史研究のための資料基盤の共有をおこない、共同研究の基盤構築を進めた。