著者
小宮 京
出版者
日本政治学会
雑誌
年報政治学 (ISSN:05494192)
巻号頁・発行日
vol.64, no.1, pp.1_319-1_339, 2013 (Released:2016-07-01)

This article investigates the reform of Japanese Police System during 1945-55.   Most of the existing studies of Japanese Police System under the Allied Occupation rarely discuss local Police System. Our main focus in this article is the Osaka Metropolitan Police Department (OMPD) during 1949-1954.   In 1948, GHQ ordered the Tokyo Metropolitan Police Department (TMPD) to adopt a patrol system on the model of the American system. TMPD refused the directive. Next, GHQ carried out the same directive to Eiji Suzuki, the chief of the Osaka City Municipal Police. Suzuki founded OMPD which had an American type of the patrol system. After the Allied Occupation, OMPD was abolished because it was faithful to GHQ directives. Thus, OMPD was reorganized to the Osaka Prefectural Police Department.   Japanese Police System returned to a highly centralized system as a result that most of the Police System reform under the Allied Occupation were denied.
著者
小宮 京
出版者
吉川弘文館
雑誌
日本歴史 (ISSN:03869164)
巻号頁・発行日
no.817, pp.74-76, 2016-06
著者
小宮 京
出版者
日本政治学会
雑誌
年報政治学 (ISSN:05494192)
巻号頁・発行日
vol.64, no.1, pp.1_319-1_339, 2013

This article investigates the reform of Japanese Police System during 1945-55.   Most of the existing studies of Japanese Police System under the Allied Occupation rarely discuss local Police System. Our main focus in this article is the Osaka Metropolitan Police Department (OMPD) during 1949-1954.   In 1948, GHQ ordered the Tokyo Metropolitan Police Department (TMPD) to adopt a patrol system on the model of the American system. TMPD refused the directive. Next, GHQ carried out the same directive to Eiji Suzuki, the chief of the Osaka City Municipal Police. Suzuki founded OMPD which had an American type of the patrol system. After the Allied Occupation, OMPD was abolished because it was faithful to GHQ directives. Thus, OMPD was reorganized to the Osaka Prefectural Police Department.   Japanese Police System returned to a highly centralized system as a result that most of the Police System reform under the Allied Occupation were denied.
著者
小宮 京 小宮 京
出版者
桃山学院大学
雑誌
桃山法学 (ISSN:13481312)
巻号頁・発行日
no.19, pp.145-166, 2012-03-26
著者
池内 恵 御厨 貴 牧原 出 宮城 大蔵 鈴木 均 小宮 京
出版者
東京大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2014-04-01

中東における政治・経済・外交の非公式の人的ネットワークを現地の文献・文書資料の発掘と解読を通じて明らかにし、中東への日本の関与に関する官庁・企業の文書資料を発掘し、当事者へのオーラル・ヒストリー記録の採取を行なった。成果は「日本経済外交史プロジェクト・オーラル資料編: イラン革命と日系企業 第一冊 IJPC関係(2)」「日本経済外交史プロジェクト・オーラル資料編: イラン革命と日系企業 第一冊 IJPC関係(3): 永嶋達雄氏(元三井物産)」ケイワン・アブドリ編訳・解説(鈴木均監修)『抄訳 ハサン・ロウハーニー回顧録』、池内恵編『IJPC研究の現状と課題 資料の所在と公開状況』にまとめた。
著者
小宮 京
出版者
日本政治学会
雑誌
年報政治学 (ISSN:05494192)
巻号頁・発行日
vol.70, no.1, pp.1_271-1_292, 2019 (Released:2020-06-21)
参考文献数
30

第三次吉田茂内閣は衆議院では絶対多数を確保した。だが、参議院では民主自由党 (のち、自由党) は第二会派にすぎず、多数派を形成するためには第一会派の緑風会の協力が必要不可欠だった。本稿はこうした中央政界の状況が地方政界にいかなる影響を与えたかを考察した。とりわけ注目したのは静岡県の選挙である。吉田首相は1950年の参議院議員選挙や1952年の参議院議員補欠選挙で、緑風会に配慮せざるを得なかった。一方、1951年の県知事選挙では緑風会に配慮する必要がないため、党内の調整だけで良かった。この間、吉田首相と緑風会の交渉の窓口は河井弥八参議院議員であった。河井は静岡県地方区選出で、後に参議院議長を務める、緑風会の有力者であった。本稿は河井の日記を用い、第三次吉田内閣と緑風会の関係を、静岡県の知事選や参議院議員選挙などの各種選挙を通じて明らかにした。これにより従来の吉田内閣像の見直しを行うと同時に、中央の政治状況が地方に直接的に影響を与えたことを明らかにした。
著者
奈良岡 聰智 小林 和幸 笹部 剛史 萩原 淳 小宮 京 大石 眞 赤坂 幸一 村井 良太 大山 礼子 葦名 ふみ 内藤 一成 伊東 かおり 原口 大輔
出版者
京都大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2015-04-01

本研究は、衆参両院事務局などが所蔵する膨大な未公開資料群の本格的活用を通して、近現代日本の政治史を「議会政治」という観点から再検討した。具体的な成果は、以下の3点に要約される。①「議会政治」の展開過程、議会事務局・議会官僚の役割を多面的に検証した。②新出史料「河井弥八日記」を翻刻出版した。③イギリスの制度を参照しつつ、議会関係資料の保存・公開体制のあり方について検討を行った。
著者
小宮 京
出版者
東京大学
雑誌
本郷法政紀要
巻号頁・発行日
vol.11, pp.35-71, 2002-12
著者
小林 和幸 奈良岡 聰智 大石 眞 森山 優 小宮 京 原口 大輔
出版者
青山学院大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2018-04-01

本研究は、「河井弥八関係文書」を中心として帝国議会・国会関係者の資料を総合的に分析・検討しようとするものである。本年度は、下記の通り、研究を進めた。まず、「河井弥八関係文書」の調査分析ならびに河井日記の刊行であるが、本年度は、河井日記中の昭和30年から32年について、翻刻と内容分析を行い『河井弥八日記 戦後篇4』を刊行した。また、河井日記の内、未刊行の明治、大正期の河井が貴族院書記官を務めた時期の日記についても翻刻作業を行った。なお、河井日記の昭和16年分についても研究分担者の森山優にグループが中心となって静岡県立大学の「Working Paper Series」により翻刻公開を行った。次に、「河井弥八関係文書」をより総合的立体的に分析するため、議会官僚や政治家の個人資料の調査・分析を行った。これでは、河井の女婿で、戦前の内務官僚で戦後衆議院議員を務めた舘林三喜男の日記の一部について、舘林家所蔵史料を複製収集した。さらに帝国議会貴族院関係では、貴族院議員多額納税者関係資料について長野県選出の「山田荘左衛門関係文書」につき調査し、初期の貴族院の政治会派に関する研究を進めた。また研究分担者の原口大輔は、河井弥八日記を利用した貴族院議長に関する研究書を刊行した。そのほか、研究分担者・協力者は、議会史に関する研究を進めている。なお、研究分担者間での連携を深めるために、2018年9月青山学院大学において研究会を行い、貴族院事務局に勤務し初代の参議院事務総長を務めた小林次郎の史料に関して、研究協力者の今津敏晃からの報告を聴取し知見を深めるなどの研究活動を進めた。さらに年度末の2019年3月には、静岡県掛川市の河井弥八記念館にて公開講演会と意見交換会を行い、河井弥八研究の進展を図った。
著者
小宮 京
出版者
日本選挙学会
雑誌
選挙研究 (ISSN:09123512)
巻号頁・発行日
vol.26, no.1, pp.5-13, 2010 (Released:2017-05-08)
参考文献数
20

2009年9月,1955年の結成以来,ほぼ政権の座にあり続けた自由民主党の一党優位体制が崩壊し,民主党を中心とした鳩山由紀夫内閣が発足した。政治報道も変化した。とりわけ派閥という存在は,従来の自民党政権と,新しい民主党政権の断絶あるいは連続性を考える上で,興味深いテーマである。本稿は,この問題を考える前提作業として,自由民主党における非公式組織である派閥の機能について歴史的に検討する。その際,総裁選出過程における派閥の役割を,1920年代,1945-55年,1955年以降の三つの時代に分けて, 分析した。その結果,派閥のあり方を規定したのは,第一に,大日本帝国憲法や日本国憲法のもとでの運用,第二に,総裁選出方法との強い関連が明らかにされた。そして,派閥は,非公式の組織でありながら確固たる存在となったことが判明した。