- 著者
-
萩原 淳
- 出版者
- 日本政治学会
- 雑誌
- 年報政治学 (ISSN:05494192)
- 巻号頁・発行日
- vol.68, no.2, pp.2_270-2_294, 2017 (Released:2020-12-26)
- 参考文献数
- 39
本稿の目的は, 枢密院が自らの組織をどのように 「運用」 し, それらに内閣などがいかに対応してきたのかを, 明治期からの枢密院の憲法解釈と顧問官統制に着目して論じ, 昭和初期に枢密院が 「政治化」 した歴史的背景を考察することである。 本稿は第1に, 昭和初期, 二大政党が議会回避を試み, 枢密院と対立を深めた背景には, 緊急勅令の先例や憲法解釈の曖昧さと二大政党の枢密院に対する戦略の相違が存在したことを指摘した。第2に, 倉富議長・平沼副議長は枢密院の運用にあたり枢密院の権限及び厳格な法令審査を維持し, 職権, 先例を踏まえて意思決定を行ったが, 両者は顧問官統制の失敗により予想外の紛糾を招き, 両者による枢密院の運用が大きく動揺したことを指摘した。 結論として, 昭和初期, 枢密院と政党内閣が対立を深めた背景には, ①枢密院と二大政党の憲法解釈をめぐる攻防の顕在化, ②枢密院内部の統制難, という枢密院内外の問題が存在し, それらが絡み合っていたことを明らかにした。