著者
山田 富秋
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.65, no.4, pp.465-485, 2015 (Released:2016-03-31)
参考文献数
35

本稿では社会問題や差別問題の映像資料を質的に研究する時の問題点として, A. クラインマンの指摘する「映像の流用」 (Kleinman et al. eds. 1997=2011) という問題を取り上げた. この問題は, 私たちがグローバルな消費社会に生活するかぎり, ほとんど避けて通ることができない問題である. つまり, 社会問題や差別に苦しむ映像は, ある一定のプロットを備えた「被害者の物語」を伴う悲惨な映像に流用されてしまう. その結果私たちは, 手元の常識にもとづいて類型化され, ステレオタイプ化された映像の読み方に閉じ込められてしまうのである. 本稿では, 薬害エイズの医師=悪者表象はまさにそうやってできあがったステレオタイプであることを示した. しかしハンセン病問題の啓発映像においては, 当事者が最初からローカルな文脈の中で語っているので, 定形化を免れていることを示した.具体的な映像資料を細かく解読する作業によって, 脱文脈化され実体化されたステレオタイプを一度解体し, その後で, 「流用された映像」を現場の民族誌的・歴史的文脈に適切に位置づけ直す作業が必要である. さらに言えば, クラインマンが言うように, 映像資料の制作や流通過程自体に当事者自身の同意とコントロールも取り付ける努力が必要になるだろう. この手続きが, 当事者の語りを研究者の記述と同等に価値あるものとして位置づけ, それによって映像資料が当事者の「道徳的証人」になる道が開かれる.
著者
山田 富秋
出版者
日本保健医療社会学会
雑誌
保健医療社会学論集 (ISSN:13430203)
巻号頁・発行日
vol.27, no.2, pp.8-11, 2017-01-31 (Released:2018-07-31)
参考文献数
4

「問題経験のナラティヴをきく」をメインテーマとした今大会シンポジウムでは、薬害被害当事者の経験の語りとして、特にサリドマイド事件と薬害エイズ事件を取り上げた。本稿は花井十伍氏の教育講演「薬害エイズの教訓から考える」の提起した「人権の問題」の視点から、このシンポジウム全体の意義を捉え直した。薬害のナラティヴの共有と継承にとって重要なことは、メディアによって単純化された薬害被害者の語りを、適切な社会的・歴史的文脈に位置づけ直すことによって、個々の被害当事者の多様な経験を回復することにある。さらにまた、薬害被害者の語りが証言することは、人権という概念が発効する以前の、生存そのものが脅かされる過酷な事態である。問題経験のナラティヴをきくことを通して、被害当事者の語りを断片的にではなく、トータルな時間的流れとして理解できるようになり、それは人権の問題として薬害被害を捉える時に不可欠なものとなる。
著者
山田 富秋
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.65, no.4, pp.465-485, 2015

本稿では社会問題や差別問題の映像資料を質的に研究する時の問題点として, A. クラインマンの指摘する「映像の流用」 (Kleinman et al. eds. 1997=2011) という問題を取り上げた. この問題は, 私たちがグローバルな消費社会に生活するかぎり, ほとんど避けて通ることができない問題である. つまり, 社会問題や差別に苦しむ映像は, ある一定のプロットを備えた「被害者の物語」を伴う悲惨な映像に流用されてしまう. その結果私たちは, 手元の常識にもとづいて類型化され, ステレオタイプ化された映像の読み方に閉じ込められてしまうのである. 本稿では, 薬害エイズの医師=悪者表象はまさにそうやってできあがったステレオタイプであることを示した. しかしハンセン病問題の啓発映像においては, 当事者が最初からローカルな文脈の中で語っているので, 定形化を免れていることを示した.具体的な映像資料を細かく解読する作業によって, 脱文脈化され実体化されたステレオタイプを一度解体し, その後で, 「流用された映像」を現場の民族誌的・歴史的文脈に適切に位置づけ直す作業が必要である. さらに言えば, クラインマンが言うように, 映像資料の制作や流通過程自体に当事者自身の同意とコントロールも取り付ける努力が必要になるだろう. この手続きが, 当事者の語りを研究者の記述と同等に価値あるものとして位置づけ, それによって映像資料が当事者の「道徳的証人」になる道が開かれる.
著者
山田 富秋
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.65, no.4, pp.465-485, 2015

本稿では社会問題や差別問題の映像資料を質的に研究する時の問題点として, A. クラインマンの指摘する「映像の流用」 (Kleinman et al. eds. 1997=2011) という問題を取り上げた. この問題は, 私たちがグローバルな消費社会に生活するかぎり, ほとんど避けて通ることができない問題である. つまり, 社会問題や差別に苦しむ映像は, ある一定のプロットを備えた「被害者の物語」を伴う悲惨な映像に流用されてしまう. その結果私たちは, 手元の常識にもとづいて類型化され, ステレオタイプ化された映像の読み方に閉じ込められてしまうのである. 本稿では, 薬害エイズの医師=悪者表象はまさにそうやってできあがったステレオタイプであることを示した. しかしハンセン病問題の啓発映像においては, 当事者が最初からローカルな文脈の中で語っているので, 定形化を免れていることを示した.<br>具体的な映像資料を細かく解読する作業によって, 脱文脈化され実体化されたステレオタイプを一度解体し, その後で, 「流用された映像」を現場の民族誌的・歴史的文脈に適切に位置づけ直す作業が必要である. さらに言えば, クラインマンが言うように, 映像資料の制作や流通過程自体に当事者自身の同意とコントロールも取り付ける努力が必要になるだろう. この手続きが, 当事者の語りを研究者の記述と同等に価値あるものとして位置づけ, それによって映像資料が当事者の「道徳的証人」になる道が開かれる.
著者
江原 由美子 樫村 志郎 西阪 仰 藤村 正之 山崎 敬一 山田 富秋 椎野 信雄 坂本 佳鶴恵
出版者
東京都立大学
雑誌
総合研究(A)
巻号頁・発行日
1990

初年度においては文献研究と研究計画の決定のための研究活動をおこない、第二年度においてはその研究計画に基き調査を実施した。最終年度においては、それらをもとに、研究成果を論文化することを主要な課題とし、研究報告書の作成に着手した。本研究の性格上、収集したデータの分析は、今後も継続して行われると思われるが、報告書作成段階において得られた知見を以下に挙げる。第一に、対面的相互行存状況においては、状況内にある参与者の身体(視線、顔、身体の向き、参与者相互の身体配置等)が相互行存進行の上で非常に重要な意味をもっていること。第二に、特定の制度的文脈においては、特定の相互行存的特徴がみられること.第三に、特定の制度的文脈において発生する会話トピックには、一定の範域があり、その範域をコントロールしようとする参与者の実践がみられること。第四に、それらの特定の制度的な文脈における相互行存の特徴は、相互行存参与者の、「協働的達成」として成立していること。これらの知見は、社会秩序それじたいが、行存者の「協働的達成」として成立していることを明らかにしている。社会秩序の「協働的達成」のための身体技術に関しては、その一部を報告書において明らかにしたが、今後さらに詳細な研究が必要である。