著者
松原 彰子
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.62, no.2, pp.160-183, 1989-02-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
54
被引用文献数
8 8

本稿では,砂州地形をもつ海岸低地の完新世における発達過程を明らかにすることを目的とした.砂州地形の代表例がみられる駿河湾沿岸の5つの低地を対象とし,海成層中の有孔虫解析によって復元した内湾の堆積環境変化から,従来十分には把握されていなかった完新世前半の海面上昇期における低地の発達過程を復元した. その結果,海面上昇期に起源をもつ砂州地形の存在が確認されるとともに,有孔虫化石群集の変遷から,砂州地形による内湾の閉塞過程が明確になった.
著者
松田 時彦 由井 将雄 松島 義章 今永 勇 平田 大二 東郷 正美 鹿島 薫 松原 彰子 中井 信之 中村 俊夫 松岡 数充
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大学地震研究所彙報 (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.63, no.2, pp.145-182, 1988-11-11

伊勢原断層の両側で試錐調査を行い,試料中の火山灰,14C年代,貝・有孔虫・珪藻・渦鞭毛藻などを調査した.調査地域は,約6000年前頃,内湾性の海域から低湿な陸域に変わった.その海成層の上限の高さ(当時の海抜0m)は,現在標高およそO~-2mにあるが,断層の東側の方が1.6±0.6m高い.この高度差は伊勢原断層の変位によると考えられる.この変位が生じた年代は,地層の厚さの比較から,延暦・貞観年間のテフラ層堆積以後で,宝永スコリア堆積以前である.この"伊勢原地震"の規模は,その変位量などから考えて,M7.0~7.5程度である.また,約6000年前の海成層の上下変位量と約1100年前までのテフラ層の標高差との間に有意の差がないことから,伊勢原地震の再来間隔は約5000年以上である.このような伊勢原地震に最もよく適合する歴史地震は,元慶2年(878年)の相模・武蔵の地震(理科年表M7.4)である.
著者
松田 時彦 由井 将雄 松島 義章 今永 勇 平田 大二 東郷 正美 鹿島 薫 松原 彰子 中井 信之 中村 俊夫 松岡 数充
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大學地震研究所彙報 = Bulletin of the Earthquake Research Institute, University of Tokyo (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.63, no.2, pp.145-182, 1988-11-11

伊勢原断層の両側で試錐調査を行い,試料中の火山灰,14C年代,貝・有孔虫・珪藻・渦鞭毛藻などを調査した.調査地域は,約6000年前頃,内湾性の海域から低湿な陸域に変わった.その海成層の上限の高さ(当時の海抜0m)は,現在標高およそO~-2mにあるが,断層の東側の方が1.6±0.6m高い.この高度差は伊勢原断層の変位によると考えられる.この変位が生じた年代は,地層の厚さの比較から,延暦・貞観年間のテフラ層堆積以後で,宝永スコリア堆積以前である.この""伊勢原地震""の規模は,その変位量などから考えて,M7.0~7.5程度である.また,約6000年前の海成層の上下変位量と約1100年前までのテフラ層の標高差との間に有意の差がないことから,伊勢原地震の再来間隔は約5000年以上である.このような伊勢原地震に最もよく適合する歴史地震は,元慶2年(878年)の相模・武蔵の地震(理科年表M7.4)である.
著者
松原 彰子
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.3, no.2, pp.2_33-38, 2009 (Released:2010-06-02)
参考文献数
8

本稿では,筆者が慶應義塾大学の日吉キャンパスで行っている「地理学」の講義を例にして,大学の教養課程における自然地理学の授業の意義を論じた.地球環境や自然災害の多様な問題を正確に認識するためには,自然現象を空間的かつ時間的にとらえる自然地理学からのアプローチが有効である.したがって,このような立場から,教養課程において自然地理学の授業を展開することには意義があると考える.
著者
松原 彰子
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.31, no.4, pp.221-227, 1992
被引用文献数
1 3

静岡県浮島ヶ原は駿河湾奥部に面し, 3列の海岸砂礫州が海側へ発達することに伴って, その背後に形成された低湿地である. 内陸側の2列の砂礫州は, 本地域の沈降運動のために, 低地の地下に埋没している. 最も内陸側の埋没砂礫州は, 一部微高地として認定することができ, 雌鹿塚遺跡はその上に立地している.<br>雌鹿塚は, 縄文時代中期から古墳時代中期まで営まれた遺跡である. 今回, 沼津市教育委員会によって, 雌鹿塚遺跡の本格的な発掘調査が行われた. その際, 埋没砂礫州の微地形, ならびに周辺の地質層序, 年代測定値, テフラ等の資料を得ることができた. さらに, 雌鹿塚遺跡周辺における自然環境の変遷と人間活動との関係について考察した結果, 浮島ヶ原への人間の進出が砂礫州の発達過程と対応すること, 火山活動や地殻変動が雌鹿塚を放棄させる原因となった可能性が大きいことが推定された.
著者
松田 時彦 由井 将雄 松島 義章 今永 勇 平田 大二 東郷 正美 鹿島 薫 松原 彰子 中井 信之 中村 俊夫 松岡 数充
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大学地震研究所彙報 (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.63, no.2, pp.p145-182, 1988-11
被引用文献数
4

伊勢原断層の両側で試錐調査を行い,試料中の火山灰,14C年代,貝・有孔虫・珪藻・渦鞭毛藻などを調査した.調査地域は,約6000年前頃,内湾性の海域から低湿な陸域に変わった.その海成層の上限の高さ(当時の海抜0m)は,現在標高およそO~-2mにあるが,断層の東側の方が1.6±0.6m高い.この高度差は伊勢原断層の変位によると考えられる.この変位が生じた年代は,地層の厚さの比較から,延暦・貞観年間のテフラ層堆積以後で,宝永スコリア堆積以前である.この""伊勢原地震""の規模は,その変位量などから考えて,M7.0~7.5程度である.また,約6000年前の海成層の上下変位量と約1100年前までのテフラ層の標高差との間に有意の差がないことから,伊勢原地震の再来間隔は約5000年以上である.このような伊勢原地震に最もよく適合する歴史地震は,元慶2年(878年)の相模・武蔵の地震(理科年表M7.4)である.