著者
江原 絢子
出版者
東京家政学院大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2001

<目的・方法>日本の近世・近代における日常食と饗応食の構造的特徴を明らかにするため、各地域、各家において実施された具体的な家文書を収集し、これらを調査・分析することとした。各家に残されることの多い記録は、婚礼や仏事など儀礼食の記録である。それらを調査するとともに、日常の食の記録のある日記等にも目配りしつつそれらの献立を調査し、地域間の異質性共通性を明らかにすることを目的とした。各図書館・文書館の家文書の調査および未公開の家文書を調査し、その食事記録を収集して目録を作成し、具体的な献立のある史料については写真、複写をおこないその分析をおこなった。<結果・考察>古橋家文書(三河)、千秋家文書(美濃)、大前家文書(飛騨)には婚礼献立が多く残されておりこれら史料を中心としてその婚礼献立を調査し、その特徴の概要を明らかにした。これらの文書は、いずれも庄屋クラスの家であり、地域も隣接している。いずれの史料も婚礼の献立の流れは、酒の儀礼、膳部、酒宴に分けられ、特に江戸時代にはこれら三家とも同じ流れを示したが、膳部は本膳のみがほとんどでわずかに、二の膳付き献立もみられた。しかし、明治後期から大正期の史料には、酒の儀礼に続いて酒宴の酒肴が先に供された後、本膳のみの食事が出されるようになる様式の変化があり、この傾向は他の史料についても同様の傾向を示した。婚礼に料理屋が関わることにより、会席料理の形式が婚礼にも用いられるようになっていく様子がうかがえた。
著者
李 利 江原 絢子
出版者
一般社団法人 日本調理科学会
雑誌
日本調理科学会誌 (ISSN:13411535)
巻号頁・発行日
vol.40, no.3, pp.193-201, 2007-06-20 (Released:2013-04-26)
参考文献数
16

本研究は,中国明朝に李時珍によって編纂された『本草綱目』(1587年)と,この書を学び,日本の食生活にあわせて編纂した食物本草書『本朝食鑑』(人見必大著1697年刊)の分類上の比較を通して,両国の食文化の特徴を明らかにすることを目的としている。その結果『本草綱目』で取りあげられなかった食品が,『本朝食鑑』で多く取りあげられていたものは魚介類であり,逆に『本朝食鑑』で積極的な解説がなく,わずかな種類しか取りあげられなかったものは,獣類や虫類である。その取りあげ方を見るだけでも両国の食文化のちがいが明確になる。また,獣畜類に着目すると,『本朝食鑑』では,胆,皮などは薬として扱っているが,『本草綱目』のように,血,心臓など多くの内臓については紹介していないのも食文化のちがいを示す特徴の一つといえる。
著者
宇都宮 由佳 伊尾木 将之 瀬尾 弘子 江原 絢子 大久保 洋子
出版者
日本調理科学会
雑誌
日本調理科学会大会研究発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.29, 2017

【目的】日本人の食文化は年中行事と密接に関わって育まれてきた。2015年度農水省「「和食」の保護・継承推進検討会」が実施した「食生活に関するアンケート調査」(10,235人)データを分析した結果、「正月・大みそか」が最も実施され、行事食を食べていることが分かった。そこで本研究では、和食の保護・継承のため正月行事及びその食について、より詳細な現状を把握することを目的に、2017年の正月に関するアンケート調査を実施した。<br /><br />【方法】調査は2017年1-2月全国の和食文化国民会議のメンバーおよび本研究に賛同を得た大学教員・学生を対象に実施した。調査票2047件回収しデータクリーニングをしたのち統計分析を行った。世代別、性別、地域別、子の有無でクロス分析、相関分析等を行った。<br /><br />【結果】正月への準備は、大掃除が最も多く、次いで年越しそば、年賀状、雑煮、おせち料理であった。食関連では祝箸、鏡餅、お屠蘇が、年齢の高い世代ほど準備をしており有意な差がみられた。2017年正月、雑煮とおせち料理は8割以上の人が食べていたが、お屠蘇は全体で約2割、世代差があり50歳以上で4割弱、20歳未満は約1割であった。子の有無による違いをみると雑煮やおせちは、子有または子の年齢が若い方が喫食する率が高い傾向がみられた。雑煮の餅、調理法、調味料については地域差があり、特に餅の形状は東側(角餅)と西側(丸餅)で明確な違いが見られ、地域の食文化継承の様子が伺えた。一方、お屠蘇や祝箸は若年層で準備や実施率が低く、薄れつつある現状が明らかとなった。学校の授業では雑煮やおせちは取り上げることが多いが、今後は屠蘇や祝箸、鏡餅などについても意味等伝えていく必要があろう。
著者
増田 真祐美 江原 絢子
出版者
一般社団法人日本調理科学会
雑誌
日本調理科学会誌 (ISSN:13411535)
巻号頁・発行日
vol.38, no.4, pp.333-342, 2005-08-05

The traditional Japanese wedding banquet called "honzen" was codified in the Muromachi period (1336-1573), and spread to the rural areas in the Edo period. The typical wedding banquet began with a sake ceremony, before the honzen meal (typically rice, soup, and some side dishes presented on zen, individual tray-like tables) was served, this being followed by the shuen (drinking party). This original style seemed to change in the Meiji period (1868 onwards). We have clarified the time of this change and its impact on the style of the wedding banquet. Wedding menus preserved by several mainline rural families, like the Huruhashi, Chiaki and Omae, were used as the investigation materials. In total, 40 menus were reviewed for the period from 1729 to 1917. There were two distinct wedding banquet styles, the original comprising sake, honzen and shuen in that order. All menus created in the Edo period, bar one, follow this style. The other style became common in the Meiji period, especially after 1900, its particular characteristic being that shuen preceded honzen. Shuen thus became more central to the wedding banquet program, and honzen was simplified with fewer dishes and smaller scale.
著者
増田 真祐美 江原 絢子
出版者
日本調理科学会
雑誌
日本調理科学会誌 = Journal of cookery science of Japan (ISSN:13411535)
巻号頁・発行日
vol.38, no.4, pp.333-342, 2005-08-05
参考文献数
14

The traditional Japanese wedding banquet called "honzen" was codified in the Muromachi period (1336-1573), and spread to the rural areas in the Edo period. The typical wedding banquet began with a sake ceremony, before the honzen meal (typically rice, soup, and some side dishes presented on zen, individual tray-like tables) was served, this being followed by the shuen (drinking party). This original style seemed to change in the Meiji period (1868 onwards). We have clarified the time of this change and its impact on the style of the wedding banquet. Wedding menus preserved by several mainline rural families, like the Huruhashi, Chiaki and Omae, were used as the investigation materials. In total, 40 menus were reviewed for the period from 1729 to 1917. There were two distinct wedding banquet styles, the original comprising sake, honzen and shuen in that order. All menus created in the Edo period, bar one, follow this style. The other style became common in the Meiji period, especially after 1900, its particular characteristic being that shuen preceded honzen. Shuen thus became more central to the wedding banquet program, and honzen was simplified with fewer dishes and smaller scale.
著者
李 利 江原 絢子
出版者
一般社団法人日本調理科学会
雑誌
日本調理科学会誌 (ISSN:13411535)
巻号頁・発行日
vol.40, no.3, pp.193-201, 2007-06-20
被引用文献数
1

本研究は,中国明朝に李時珍によって編纂された『本草綱目』(1587年)と,この書を学び,日本の食生活にあわせて編纂した食物本草書『本朝食鑑』(人見必大著 1697年刊)の分類上の比較を通して,両国の食文化の特徴を明らかにすることを目的としている。その結果, 『本草綱目』で取り上げられなかった食品が, 『本朝食鑑』で多く取りあげられていたものは魚介類であり,逆に『本朝食鑑』で積極的な解説がなく,わずかな種類しか取りあげられなかったものは,獣類や虫類である。その取りあげ方を見るだけでも両国の食文化のちがいが明確になる。また,獣畜類に着目すると, 『本朝食鑑』では,胆,皮などは薬として扱っているが, 『本草綱目』のように,血,心臓など多くの内臓については紹介していないのも食文化のちがいを示す特徴の一つといえる。