著者
福田 道雄 成末 雅恵 加藤 七枝
出版者
日本鳥学会
雑誌
日本鳥学会誌 (ISSN:0913400X)
巻号頁・発行日
vol.51, no.1, pp.4-11, 2002 (Released:2007-09-28)
参考文献数
69
被引用文献数
25 24

日本におけるカワウの生息状況は,非常に劇的な変化を示した.1920年以前は北海道を除く全国各地で普通に見ることができた鳥であった.ところが,明治以降から戦前までの間は,無秩序な狩猟などによって急減したとみられる.戦後は水辺汚染や開発などによって減少したと考えられ, 1971年には全国3か所のコロニーに3,000羽以下が残るのみとなった.しかしながら,その後カワウは残存したコロニーで増加し始め,それらの近隣広がった.1980年代からは愛知,岐阜,三重の各県で始まった有害鳥獣駆除の捕獲圧による移動や分散で,各地に分布を拡大していったと考えら れる.増加の主な理由は,水辺の水質浄化が進み生息環境が改善したこと,人間によるカワウへの圧迫が減少して営巣地で追い払われることが少なくなったこと,そして姿を消した場所で食料資源である魚類が回復したことなどが考えられる.2000年末現在では,50,000~60,000羽が全国各地に生息するものと推定される.
著者
福田 道雄
出版者
公益財団法人 山階鳥類研究所
雑誌
山階鳥類学雑誌 (ISSN:13485032)
巻号頁・発行日
vol.52, no.2, pp.105-112, 2020-12-15 (Released:2020-12-16)
参考文献数
42

Asakusa Hanayashiki, an amusement facility in Tokyo, began to keep animals in earnest around the end of the Edo period (1603–1868). They actively collected popular foreign animals during the Taisho era (1912–1926). In 1915, they obtained the first living penguin in Japan. I found a postcard showing that two other penguins arrived between 1915 and 1921. The sketch drawn by the bird illustrator Shigekazu Kobayashi revealed that the penguins arrived between May and September 1919. The two individuals were identified as Humboldt Penguins Spheniscus humboldti, and at least one was a juvenile. The arrival of these penguins was not reported by newspaper; it seems that the value of newsworthiness of penguins had decreased at that time and that not all individuals could survive for long periods. Also, on two occasions when penguins arrived at Hanayashiki, lectures on the Shirase Exploration of Antarctica were presented and the penguins became widely known to public. At the lecture, Captain Shirase showed pictures of the magnificent sights of the Antarctic and the penguins. In comparison, the small penguin exhibited at Hanayashiki might have proven disappointing for customers. In addition, penguins were already kept at the nearby Ueno Zoo at the same time, which also may have drawn away potential customers.
著者
福田 道雄
出版者
特定非営利活動法人バードリサーチ
雑誌
Bird Research (ISSN:18801587)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.S7-S11, 2013 (Released:2013-05-27)
参考文献数
6

1996年 3月から2012年 6月までのあいだ,東京湾内の葛西臨海公園の人工なぎさで休息するカワウ Phalacrocorax carbo の羽数を調べた.カワウの羽数は2月から3月に急減し,6月から9月に急増していた.本調査地の周囲でのコロニーを利用しているカワウは冬期は内陸で採食するものが多く,夏期は海で採食するものが多いと考えられることから,休息地を利用する数にこのような季節変化が見られたものと考えられた.2004年7月以降羽数が次第に減少していたが,近隣コロニーの生息数は減少していなかった.これは,採食地や餌資源量が変化したことを示唆していた.朝,正午,夕方に行なった調査のうち,最多羽数が記録されたのは正午の調査であることが多かった.休息地の近隣のコロニーは立ち入り禁止地にあったので,攪乱はほとんどなく,帰還時間の制約がなかった.そのため,休息していたカワウは夕方をまたずににコロニー戻ることができるため,正午が多かったものと考えられた.
著者
福田 道雄
出版者
特定非営利活動法人バードリサーチ
雑誌
Bird Research (ISSN:18801587)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.S25-S28, 2014 (Released:2015-01-07)
参考文献数
12
被引用文献数
2

カワウ Phalacrocorax carbo の骨格標本の性別判定を行うため,頭骨の 7部位(上嘴長,眼窩間面最小幅,後眼窩突起幅,大脳隆起最大幅,頬骨突起幅,旁後頭突起幅,頭骨長)を計測して,判別関数式を作成した.計測したカワウは,福島県から兵庫県にかけての 1都12県から新鮮死体で収集した51個体で,剖検によってオス23個体とメス28個体と判明していた. 7部位の計測値はすべて有意にオスが長く,上嘴長と頭骨長では計測範囲が重複していなかった.判別関数式は上嘴長と頭骨長に残りの 1部位の計測値を加えた 3部位の計測値を用いた 5組の式と,上嘴長と頭骨長が計測できない場合で,残りの 5部位の計測値を用いた 1組の式を作成した.全ての判別関数式の判別的中率が 100.0%であった.これによって,破損などによって一部の部位の計測が困難な頭骨の骨格を含めて,性別判定ができるとわかった.
著者
福田 道雄
出版者
日本鳥学会
雑誌
日本鳥学会誌 (ISSN:0913400X)
巻号頁・発行日
vol.69, no.1, pp.91-95, 2020-04-23 (Released:2020-05-16)
参考文献数
32

日本では,現在非常に多数のペンギンが飼育されている.このような状態になった理由を解明するため,ペンギンの渡来史を調べた.『禽譜』によれば,ペンギンの全身と部分の皮が,江戸時代の享保年間(1716–1736)と1821年に渡来し,どちらの種もキングペンギンAptenodytes patagonicusであった.筆者は,貴志孫太夫が転写したと考えられる『鳥獣図』に描かれたフンボルトペンギンSpheniscus humboldtiの図を見つけた.そして,その原図で写生されたフンボルトペンギン標本の渡来時期は,貴志忠美が没した1857年以前と推定できた.
著者
福田 道雄
出版者
公益財団法人 山階鳥類研究所
雑誌
山階鳥類学雑誌 (ISSN:13485032)
巻号頁・発行日
vol.51, no.1, pp.53-61, 2019-06-30 (Released:2019-11-20)
参考文献数
28

The first importation of live penguins to Japan took place when two Humboldt Penguins (Spheniscus humboldti) arrived in 1915 from Chile. One of them was donated to the Tokyo Imperial Household Museum Zoo (which later became Ueno Zoological Gardens) on June 9, 1915 by Mr. Isokichi Ozawa, the chief engineer of a Japanese merchant ship with regular service to South America. After its death it was preserved as a stuffed specimen, and its record was found in the specimen database (Tensanbu Daicho) of the Tokyo Imperial Household Museum. After the passing of this penguin, the other individual was purchased by Hanayashiki, an amusement park in the Asakusa district in Tokyo. In 1951, Mr. Haruo Takashima discovered the record for a specimen of the Humboldt Penguin registered by the same specimen number in the Tensanbu Daicho at the National Museum of Nature and Science; he later reported that it was an immature bird (Takashima 1952a). It is now believed that the specimen of the immature Humboldt Penguin at the National Museum of Nature and Science, previously considered to be of unknown origin, was one of those first two living penguins imported into the country. In addition, I found that the penguin illustrated in a traditional Japanese hanging scroll was modeled after the individual kept at Hanayashiki and that it was also an immature bird. This has led this author to assume that immature penguins that were easy to keep, were chosen for shipment to Japan.
著者
福田 道雄
出版者
日本鳥学会
雑誌
日本鳥学会誌 (ISSN:0913400X)
巻号頁・発行日
vol.69, no.1, pp.91-95, 2020

<p>日本では,現在非常に多数のペンギンが飼育されている.このような状態になった理由を解明するため,ペンギンの渡来史を調べた.『禽譜』によれば,ペンギンの全身と部分の皮が,江戸時代の享保年間(1716–1736)と1821年に渡来し,どちらの種もキングペンギン<i>Aptenodytes patagonicus</i>であった.筆者は,貴志孫太夫が転写したと考えられる『鳥獣図』に描かれたフンボルトペンギン<i>Spheniscus humboldti</i>の図を見つけた.そして,その原図で写生されたフンボルトペンギン標本の渡来時期は,貴志忠美が没した1857年以前と推定できた.</p>
著者
福田 道雄
出版者
特定非営利活動法人バードリサーチ
雑誌
Bird Research (ISSN:18801587)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.S15-S18, 2012 (Released:2013-01-05)
参考文献数
10

1977~1984年と1990~1995年の5~8月に,東京都恩賜上野動物園の西園でスズメの巣内ヒナ数の調査を行なった.平均ヒナ数とその標準偏差は1977~84年が3.4±1.3羽(n=22),90~91年が2.9±1.3羽(n=17),92年が2.5±1.1羽(n=45),93年が2.1±0.9羽(n=46),94年が2.2±1.1羽(n=55),95年が2.3± 1.1羽(n=44)で,年による有意な差がみられた.また月による平均巣内ヒナ数にも有意な差が見られた.
著者
福田 道雄
出版者
公益財団法人 山階鳥類研究所
雑誌
山階鳥類学雑誌 (ISSN:13485032)
巻号頁・発行日
vol.51, no.1, pp.53-61, 2019

<p>The first importation of live penguins to Japan took place when two Humboldt Penguins (<i>Spheniscus humboldti</i>) arrived in 1915 from Chile. One of them was donated to the Tokyo Imperial Household Museum Zoo (which later became Ueno Zoological Gardens) on June 9, 1915 by Mr. Isokichi Ozawa, the chief engineer of a Japanese merchant ship with regular service to South America. After its death it was preserved as a stuffed specimen, and its record was found in the specimen database (<i>Tensanbu Daicho</i>) of the Tokyo Imperial Household Museum. After the passing of this penguin, the other individual was purchased by Hanayashiki, an amusement park in the Asakusa district in Tokyo. In 1951, Mr. Haruo Takashima discovered the record for a specimen of the Humboldt Penguin registered by the same specimen number in the <i>Tensanbu Daicho</i> at the National Museum of Nature and Science; he later reported that it was an immature bird (Takashima 1952a). It is now believed that the specimen of the immature Humboldt Penguin at the National Museum of Nature and Science, previously considered to be of unknown origin, was one of those first two living penguins imported into the country. In addition, I found that the penguin illustrated in a traditional Japanese hanging scroll was modeled after the individual kept at Hanayashiki and that it was also an immature bird. This has led this author to assume that immature penguins that were easy to keep, were chosen for shipment to Japan.</p>
著者
村川 雄規 戸崎 晃明 福田 道雄 太田 昭彦
出版者
日本繁殖生物学会
雑誌
日本繁殖生物学会 講演要旨集 第103回日本繁殖生物学会大会
巻号頁・発行日
pp.74, 2010 (Released:2010-08-25)

【目的】フンボルトペンギンの配偶システムは一夫一妻制(monogamy)とされるが、つがい外交尾を行うことが確認されており、その配偶システムはより複雑である可能性がある。本研究では、分子遺伝学的な手法による家系解析を用いて、飼育下でのこの種における配偶システムの詳細を解析した。【方法】新規に開発した親子鑑定のための15個のマイクロサテライトマーカー(総合父権否定確率 0.999998)を用い、葛西臨海水族園の飼育群のうち、行動学的に推定した48家族(両親のべ85羽、雛のべ123羽)の遺伝子型を比較検討し、家系解析を行った。【結果】雛123羽のうち122羽(99.2%)においてその遺伝子型において親子関係に矛盾が生じなかった。残る1羽(0.8%)No.328においては、推定された70♂と129♀の両親のうち、70♂との遺伝子型に矛盾が生じた。そこで、70♂以外の父親候補となりうる全ての雄個体との間で解析を行ったところ、No.328は180♂を父親とするつがい外受精の雛であることが強く示された。頻度自体は低いものの、つがい外受精が確認されたことから、飼育下におけるフンボルトペンギンは社会的monogamyではあるものの厳格な遺伝的monogamyとはいえないことが明らかとなった。また、フンボルトペンギンは絶滅危惧種の一種であり、ワシントン条約により国際商業取引が禁止されているため、今後飼育群に野生個体を加えることは極めて困難である。したがって、飼育施設では限られた個体数の中で、遺伝的多様性を維持しつつ継代・繁殖を続けていかねばならない。そのため個体間における血縁関係の正確な把握が重要となる。したがって、分子遺伝学的な手法を用いた家系解析は、配偶システムの解明のみならず、種の保全の観点から極めて有用であると考えられる。
著者
福田 道雄
出版者
日本鳥類標識協会
雑誌
日本鳥類標識協会誌 (ISSN:09144307)
巻号頁・発行日
vol.9, no.1, pp.5-10, 1994 (Released:2015-08-20)
参考文献数
14
被引用文献数
1 1

東京都上野公園不忍池のコロニーに住むカワウの,日常的な行動範囲はコロニーから30~40km以内とみられる。この範囲を越える50km以上離れた地点で,7羽のカラーリングを装着したカワウが観察確認または回収された。それらが出生コロニーから消失したのは2~11カ月齢であった。関東地域に生息するカワウは定住していたが,幼鳥がより遠方まで移動するという3種のウ類についての報告と同じ傾向を示していた。不忍池コロニーのカワウは,100km以内の移動は短期的な放浪で,出生コロニーに帰還することも多く,200km以上の移動は分散で,他のコロニーに住み着いてしまうことが多いと考えられる。これらのことには,不忍池の200km以内に,個体の行き来のあるコロニーが無いという立地条件が大きく影響していた。さらに,不忍池のように定住したカワウでも、生息地域内での羽数の増加やコロニーや塒が複数化することで,移動・分散しやすくなるとみられた。
著者
福田 道雄
出版者
The Japanese Bird Banding Association
雑誌
日本鳥類標識協会誌 (ISSN:09144307)
巻号頁・発行日
vol.11, no.1, pp.1-4, 1996

1996年11月7~16日に,フンボルトペンギンの生息地調査のためチリに行った.ペンギンのコロニー周辺,滞在した町や都市,また移動中などに各種の鳥類を目撃した.旅行中の前半は中部の温暖な地域で,後半は北部の乾燥した地域で活動した.短期間の滞在で,モノクロでスペイン語のフィールドガイドしか持っていなかったが,40種の鳥類を記録できた.
著者
福田 道雄
出版者
Japan Bird Research Association
雑誌
Bird Research (ISSN:18801587)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.S7-S11, 2013

1996年 3月から2012年 6月までのあいだ,東京湾内の葛西臨海公園の人工なぎさで休息するカワウ <i>Phalacrocorax carbo</i> の羽数を調べた.カワウの羽数は2月から3月に急減し,6月から9月に急増していた.本調査地の周囲でのコロニーを利用しているカワウは冬期は内陸で採食するものが多く,夏期は海で採食するものが多いと考えられることから,休息地を利用する数にこのような季節変化が見られたものと考えられた.2004年7月以降羽数が次第に減少していたが,近隣コロニーの生息数は減少していなかった.これは,採食地や餌資源量が変化したことを示唆していた.朝,正午,夕方に行なった調査のうち,最多羽数が記録されたのは正午の調査であることが多かった.休息地の近隣のコロニーは立ち入り禁止地にあったので,攪乱はほとんどなく,帰還時間の制約がなかった.そのため,休息していたカワウは夕方をまたずににコロニー戻ることができるため,正午が多かったものと考えられた.
著者
福田 道雄 成末 雅恵 加藤 七枝
出版者
日本鳥学会
雑誌
日本鳥学会誌 = Japanese journal of ornithology (ISSN:0913400X)
巻号頁・発行日
vol.51, no.1, pp.4-11, 2002-05-31
被引用文献数
16 24

日本におけるカワウの生息状況は,非常に劇的な変化を示した.1920年以前は北海道を除く全国各地で普通に見ることができた鳥であった.ところが,明治以降から戦前までの間は,無秩序な狩猟などによって急減したとみられる.戦後は水辺汚染や開発などによって減少したと考えられ, 1971年には全国3か所のコロニーに3,000羽以下が残るのみとなった.しかしながら,その後カワウは残存したコロニーで増加し始め,それらの近隣広がった.1980年代からは愛知,岐阜,三重の各県で始まった有害鳥獣駆除の捕獲圧による移動や分散で,各地に分布を拡大していったと考えら れる.増加の主な理由は,水辺の水質浄化が進み生息環境が改善したこと,人間によるカワウへの圧迫が減少して営巣地で追い払われることが少なくなったこと,そして姿を消した場所で食料資源である魚類が回復したことなどが考えられる.2000年末現在では,50,000~60,000羽が全国各地に生息するものと推定される.
著者
福田 道雄 木村 玄次郎
出版者
名古屋市立大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2005

近年、1)慢性腎臓病(CKD)は早期であっても心血管病の危険因子であり、2)腎機能が正常な時期から腎機能低下につれて心血管病の危険度が増加する事(=心-腎連関)が判明し、CKDを早期診断・治療して心血管病を予防する事が世界規模の健康問題となった。私達名古屋市立大学心臓・腎高血圧内科学の研究グループは、24時間に亘る適切な血圧管理のために24時間血圧測定を日常診療に取り入れた結果、腎機能が低下するにっれて夜間血圧が低下しなくなるnon-dipper型の血圧日内リズムを呈し、かつ日中に比し夜間の尿中ナトリウム排泄量が多くなることを発見した(Kidney Intemational. 2004 Feb ; 65 (2) : 621-625)。この現象を「腎機能が低下すると日中に十分なナトリウムを排泄しきれなくなり、本来夜間に低下(dipper)する血圧を高いまま維持することで圧-利尿を発揮し夜間にナトリウムを排泄する」と解釈し、この考えを「non-dipperの腎性機序」として提唱してきた。さらに日中の活動時にナトリウム排泄が低下してしまう病態では臥位から立位に体位変化をするとナトリウム排泄が低下してしまうとの仮説を立て、本研究を立案・実施した。平成17~18年度は「non-dipperの腎性機序」を支持する研究成果を積み重ね、平成19年度は立位負荷時の尿中ナトリウム排泄低下が、血圧や尿中ナトリウム排泄のnon-dipper型日内リズムを検知し得ることを明らかとした。non-dipperや食塩感受性の基本には共通した腎におけるナトリウム排泄障害が存在し、それを立位負荷時のナトリウム排泄低下で診断し得る可能性が示された。non-dipperも食塩感受性も心血管イベントリスクである事は確立しており、立位負荷による腎予備能低下の診断はCKD早期における心血管イベントリスクのスクリーニングに有用である可能性が示唆され興味深く、今後さらなる検討を要する。本研究を支えて頂きました日本学術振興会様、国民の皆様に深謝致します。