著者
松野 哲男 巽 好幸 島 伸和 鈴木 桂子 市原 寛 清杉 孝司 中岡 礼奈 清水 賢 佐野 守 井和丸 光 両角 春寿 杉岡 裕子 中東 和夫 山本 揚二朗 林 和輝 西村 公宏 古川 優和 堀内 美咲 仲田 大地 中村 崚登 廣瀬 時 瀬戸 康友 大重 厚博 滝沢 秀明 千葉 達朗 小平 秀一
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2018年大会
巻号頁・発行日
2018-03-14

We started integrated marine investigations of Kikai Caldera with T/S Fukae-maru of Kobe University on October, 2016. Aims of our investigations are to reveal the structure of the caldera, the existence of magma reservoir, and to understand the mechanism of catastrophic caldera-forming eruption at 7.3 ka and a potential for a future catastrophic eruption. We conducted multi-beam echo sounder mapping, multi-channel seismic reflection (MCS) surveys, remotely operated vehicle (ROV) observations, rock sampling by dredging and diving, geophysical sub-seafloor imaging with ocean bottom seismometers, electro-magnetometers (OBEMs), some of which equip absolute pressure gauge, ocean-bottom magnetometers, and surface geomagnetic surveys.The first finding of our investigations is lines of evidence for creation of a giant rhyolite lava dome (~32 km3) after the caldera collapse. This dome is still active as water column anomalies accompanied by bubbling from its surface are observed by the water column mapping. Chemical characteristics of dome-forming rhyolites akin to those of presently active small volcanic cones are different from those of supereruption. The voluminous post-caldera activity is thus not caused simply by squeezing the remnant of syn-caldera magma but may tap a magma system that has evolved both chemically and physically since the 7.3-ka supereruption.We have been conducting integrated analyses of our data set, and have planned the fourth research cruise with T/S Fukae-maru on March, 2018, consisting of MCS survey, ROV observation, OBEM with absolute pressure gauge observation, and bathymetric and surface geomagnetic survey. We will introduce results of the data analyses and the upcoming cruise in the presentation.
著者
西村 公宏
出版者
公益社団法人 日本造園学会
雑誌
ランドスケープ研究 (ISSN:13408984)
巻号頁・発行日
vol.60, no.5, pp.431-436, 1996-03-28 (Released:2011-07-19)
参考文献数
45
被引用文献数
1

明治期, 大正前期における東京帝国大学本郷キャンパスの外構については, 下記の2点が指摘できる。1. 明治前期においては, 既存庭園の改修が主体であり, 営繕掛西郷元善や内科教授ベルツ等が関係しているが, ケヤキ並木等, 複数の庭園を並木で結ぶ手法も見られる。2. 明治後期, 大正前期では, 外構の継承と拡充がなされているが, これらは, 浜尾新, 本多静六等により進められ, 学生が学業に親しめる環境がイメージされている。特にクスノキ並木 (1903) やイチョウ並木 (1906) は, 東京帝国大学における造園学の成立期に実現した造園事例としても位置付けられる。
著者
西村 公宏 飯淵 康一 永井 康雄
出版者
日本建築学会
雑誌
日本建築学会計画系論文集 (ISSN:13404210)
巻号頁・発行日
vol.69, no.578, pp.155-162, 2004-04-30 (Released:2017-02-09)
参考文献数
22
被引用文献数
1 1

By this study, We paid oou attention to an intention of the public presentation in the Marine Biological Station Aquarium attached to Tokyo Imperial University. And We examined what kind of influence proposal of IIJIMA in 1898 gave a design in 1909. As a result, the proposal in 1898 contained the open intention. And it was realized in the design in 1909. The aquarium consisted of a room for research, and a open room from the proposal of IIJIMA. And this proposal was influenced of Roscoff and Banyuls attached to Paris (Sorbonne) university. In addition, the design in 1909 was influenced of the exposition aquarium and Marine Biological Station of many foreign countries.
著者
西村 公宏
出版者
社団法人日本造園学会
雑誌
ランドスケープ研究 : 日本造園学会誌 : journal of the Japanese Institute of Landscape Architecture (ISSN:13408984)
巻号頁・発行日
vol.60, no.5, pp.431-436, 1997-03-28
被引用文献数
1 1

明治期,大正前期における東京帝国大学本郷キャンパスの外構については,下記の2点が指摘できる。1.明治前期においては,既存庭園の改修が主体であり,営繕掛西郷元善や内科教授ベルツ等が関係しているが,ケヤキ並木等,複数の庭園を並木で結ぶ手法も見られる。2.明治後期,大正前期では,外構の継承と拡充がなされているが,これらは,浜尾新,本多静六等により進められ,学生が学業に親しめる環境がイメーシされている。特にクスノキ並木(1903)やイチョウ並木(1906)は,東京帝国大学における造園学の成立期に実現した造園事例としても位置付けられる。
著者
林 葵 佐藤 大介 大角 誠一郎 辻 明紀子 西村 公宏 関根 理 森野 勝太郎 卯木 智 前川 聡
出版者
一般社団法人 日本糖尿病学会
雑誌
糖尿病 (ISSN:0021437X)
巻号頁・発行日
vol.63, no.3, pp.132-138, 2020-03-30 (Released:2020-03-30)
参考文献数
29

症例は27歳,女性.産後7日目から食思不振と全身倦怠感が出現し,産後25日目に意識障害を認めたため救急搬送され,糖尿病性ケトアシドーシス(以下DKAと略す)と高アンモニア血症のため緊急入院となった.DKAの改善後も見当識障害と高アンモニア血症は遷延した.先天性代謝異常の既往や家族歴はないが血中アミノ酸分画を測定したところ血中シトルリン低値であり,尿素サイクル異常症が示唆された.亜鉛欠乏(49 μg/dL)に対して亜鉛補充を開始したところ,高アンモニア血症と血中シトルリンは正常化し,見当識障害は改善した.以上の経過から,亜鉛欠乏による一過性のオルニチントランスカルバミラーゼ活性低下から高アンモニア血症を来したと推察された.本例のような長期の食思不振から低栄養状態が疑われる場合には,亜鉛欠乏に伴う一過性高アンモニア血症も鑑別に挙げる必要があると考えられる.
著者
西村 公宏
出版者
社団法人日本造園学会
雑誌
造園雑誌 (ISSN:03877248)
巻号頁・発行日
vol.57, no.5, pp.37-42, 1993
被引用文献数
1

千葉県立園芸専門学校では, 創立当初から「庭園実習」による校庭整備が進められると共に, 第3学年を対象に「庭園論」が講じられている。この「庭園論」を, 初代担当の鏡保之助は美学の立場から論じ, その後を受けた本郷高徳はさらに国土修飾の視点も加え充実させるが, いずれも (洋風) 庭園を近代化にふさわしい開放的な空間と捉えていた。<BR>実際の校庭整備は, 明治期の上流邸宅の庭園整備を手掛けた林修巳の経験に負うところが大きく, 実習見本園的性格を有していたが, 地方に対して開かれた「楽園」としても位置付けられており, その公園的性格の背景に「庭園論」を指摘することは可能であろう。
著者
西村 公宏
出版者
社団法人 日本造園学会
雑誌
造園雑誌 (ISSN:03877248)
巻号頁・発行日
vol.52, no.5, pp.19-24, 1988-03-31 (Released:2011-07-19)
参考文献数
22

大正後期から昭和初期にかけての, 中流階級を対象とした郊外住宅の競技設計に提出された住宅平面図には, 庭園が描かれてあるものがあり, その庭園は実用本位の庭園であった。この傾向はほぼ一貫しており, その根拠としては, 当初, 生活改善運動の一環として注目された実用庭園が, 不況から戦時下へと進む当時の日本の状況を許容するものであったことがあげられるであろう。
著者
西村 公宏
出版者
公益社団法人 日本造園学会
雑誌
ランドスケープ研究 (ISSN:13408984)
巻号頁・発行日
vol.78, no.5, pp.449-454, 2015 (Released:2015-12-22)
参考文献数
36
被引用文献数
3 4

The aim of this study is obtain the character of the rock garden of the Nikko botanical gardens attached to Tokyo Imperial University in the foundation period (1902-1911). Not just as the research facility of alpine plants, as the shelter, Nikko botanical gardens were founded at Hotokeiwa, near the Nikko Toshogu Shrine, in 1902 by Prof. Jinzo Matsumura. In the botanical gardens, the rock garden was gradually made. This rock garden featured some hill tastefully arranged with a cascade, running water and stones. The growth of the alpine plants in the rock garden was good. The botanical gardens were open to public from about 1906. The Nikko botanical gardens moved to Rengeishi because of small site (2,620 tsubo) and floods, but are important as a monumental birthplace of the real rock garden in the modern botanical gardens of Japan.
著者
西村 公宏
出版者
社団法人日本造園学会
雑誌
ランドスケープ研究 : 日本造園学会誌 : journal of the Japanese Institute of Landscape Architecture (ISSN:13408984)
巻号頁・発行日
vol.62, no.5, pp.429-434, 1999-03-30
被引用文献数
1 1

明治初期における開成学校(1868-1876)等のランドスケープデザインの特色について,図版(写真,図面),回想・記録等の史資料から考察を行った。その結果,老マツ等の既存植栽の一部は保存がなされたこと,擬洋風庭園については,開成所の時点で,すでに成立していたこと,大学南校でも,植栽の一部が保存された可能性が強いこと,開成学校においては,洋風のイメージに基づき前庭,側庭,後庭が整備され,特に前庭は,建物から独立した逍遙空間としても位置付けられていたこと,東京大学になってからは,建物との一体性が強められるが,大学の威信を表現する装置としても機能していたことを明らかにした。