著者
河村 光隆 角館 慶治 鈴木 俊夫
出版者
一般社団法人 資源・素材学会
雑誌
資源と素材 (ISSN:09161740)
巻号頁・発行日
vol.116, no.3, pp.161-166, 2000 (Released:2001-11-23)
参考文献数
15
被引用文献数
3 3

Chlorine flow in Japan in 1995 was surveyed from the viewpoint of industrial metabolism using a substance flow analysis method. About 3,543 kt / year of chlorine mainly manufactured by electrodialysis of imported salt is converted to various chlorinated substances and consumed. Finally they are emitted as chlorinated organics, salt, ionic solution or polymers into the environment. The industrial metabolism structure of chlorine shows dendritic flow representing mainly raw-product chain relation in chemical reaction. Recycling flows in the metabolism structure can be found in hydrochloric acid , solvent , flon and PVC. Especially the PVC flow diagram has been analized through the usage of PVC. It has been concluded 1,000 kt / year of PVC is accumulated in Japan.
著者
千葉 満郎 鈴木 俊夫 長沼 裕子 正宗 研
出版者
The Japan Society of Coloproctology
雑誌
日本大腸肛門病学会雑誌 (ISSN:00471801)
巻号頁・発行日
vol.44, no.2, pp.235-242, 1991

薬物や抗生物質を投与せず,total parenteral nutrition(TPN),elemental diet (ED), home elemental enteral hyperalimentation (HEEH)の一連の栄養療法が極めて有効であった小児の重症Crohn病の1例を報告した.症例は14歳,女性.1989年6月,下痢,発熱,口腔内aphtha出現,7月末当科入院.身長161cm,体重39kg,ESR 1゜65mm,CRP 6.1mg/dl, Hb 7.4g/dl, albumin 2.9g/d1, IOIBD score 5.大腸X線・内視鏡検査では,不連続性に,結節の集簇,aphthoid様びらん,潰瘍などがみられた.上部消化管,小腸は正常であった.大腸Crohn病と診断しTPN(2100kcal/日)開始,10目後に自覚症状は全く消失した.その後ED(2100kcal/日),ついでHEEH(夜間 ED l500kca1/日)へ移行し,9.月27日退院(IOIBD score 1).その後もHEEH療法を継続,経過良好で,退院3カ月後のX線,内視鏡検査でも著明な改善がみられている.
著者
岡部 恒治 三島 健稔 鈴木 俊夫 西村 和雄 西森 敏之
出版者
埼玉大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2004

本研究は、日本に伝わる和算・そろばんにある、イメージを利用し、直感的に理解させる思考法を用いて、数学が苦手な学生・生徒にわかりやすく理解させるための方策の研究である。この研究に基づいて、小学生向きの自学自習教科書を実際に作成した。その目覚しい成果は産経新聞、読売新聞、フジテレビなどでも紹介された。また、代表者の岡部は、この成果を用いてお台場のパナソニック・センターに18年8月に開設された「RiSuPia」の数学関連の展示コンテンツの監修をした。三島は教材の電子化に関して多大な貢献をした。このRiSuPiaは、数学に関しての本格的な体験的施設としては、現在本邦唯一のものである。このリスーピアも、NHKはじめ各テレビ局や新開でも大きく報道された。ここでは、和算・そろばんの果たした意義やその思考法を来場者自ら体験してもらうようにもなっている。
著者
鈴木 俊夫
出版者
日本大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2019-04-01

原子核のスピン応答を正確に記述し、崩壊線近傍までの殻進化を再現できる殻模型ハミルトニアンを用いて、高温、高圧の天体環境条件下での電子捕獲率、β崩壊率の精密な評価を、sd殻核、pf殻核から二主殻が関係するsd-pf殻、pf-gds殻の核領域に研究対象を拡張して行う。 また、19Fの合成に重要なニュートリノ-20Ne 核反応の再評価を行う。元素合成および核Urca過程による星の冷却の計算に必要な精密な核データの蓄積を系統的に範囲を拡げて提供することによって、原子核分野での不安定核の研究、核構造研究の精密化の成果を、天体での元素合成、星の進化の分野の研究に有効に反映させる。
著者
鈴木 俊夫
出版者
経営史学会
雑誌
経営史学 (ISSN:03869113)
巻号頁・発行日
vol.14, no.3, pp.34-69,iii, 1980-02-29 (Released:2010-11-18)

This paper presents a business history of the Western Bank of Scotland (hereafter, cited as the WBS) during the period 1832 to 1857. The paper also attempts to compare the management of the WBS with that of other Scottish banks.A.W. Kerr attributed the cause of the failure to the WBS's manager's mismanagement leaving the bank with a shortage of reserves, in his “History of Banking in Scotland.” On the contrary, R.H. Campbell favoured the directors and manager and ascribed the failure to the hostile behaviour of the Edinburgh banks.Five Edinburgh Chartered banks (The Bank of Scotland, The Royal Bank of Scotland, The British Linen Co., The National Bank of Scotland, The Commercial Bank of Scotland) played a great part in Scotland. These banks still had a large amount of Government Securities (Consol or Exchequer Bill) which accounted for 1/4 to 1/3 of the total assets of the bank. In consequence, the Edinburgh banks had a very stable constitution making them apt to hesitate to advance money into the industry field.However in Glasgow, one of the centre of Anglo-american trade, many merchants and manufactures desired to establish a bank, financed trades. Under such a circumstances, the WBS was set up in 1832.It is obvious that the comparatively high demand for money in Glasgow accelerated the promotion of the WBS. However the WBS made the mistake of adopting a lending policy which was too financed a considerable amount of the railway investment in U.S.A. by means of letters of credit through an agency in New York, James Lee & Co.
著者
鈴木 俊夫
出版者
中京大学
雑誌
中京経営研究 (ISSN:09199209)
巻号頁・発行日
vol.4, no.2, pp.75-89, 1995-03

「ヨーロッパのあらゆる岸辺からわれわれの心に打ち寄せてきたこの活気を与える波は、すばらしいものであった。しかし、われわれを幸福ならしめたものは、同時に、われわれがそれと気づかなかったが、危険でもあった。」(シュテファン・ツヴァイク〔原田義人訳〕『昨日の世界』より)
著者
横井 勝彦 奈倉 文二 小野塚 知二 西牟田 祐二 田縞 信雄 松永 友有 倉松 中 永岑 三千輝 千田 武志 鈴木 俊夫 安部 悦生 西川 純子 斎藤 叫 秋富 創 高橋 裕史
出版者
明治大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2008

本研究は、イギリス、ドイツ、オーストリア=ハンガリー帝国、アメリカ、日本の兵器産業と軍産関係ならびに武器移転の歴史に注目して、両大戦間期における軍縮破綻の構造を多角的・総合的な視点より解明することを目的としている。特に、武器移転の「送り手」と「受け手」の世界的な全体構造に焦点を当て、帝国史・国際関係史・経済史の総合化(共著刊行)による軍縮問題研究の再構築を試みた。
著者
横井 勝彦 奈倉 文二 阿倍 悦生 鈴木 俊夫 小野塚 知二 千田 武志
出版者
明治大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2002

平成17年度は、過去3年間の研究成果を踏まえて、国内外の研究ネットワークの拡大につとめた。これまで各研究分担者は「第二次大戦前における日英間の武器移転・技術移転」という共通テーマの下で、経済史の視点より多角的かつ実証的な研究を進めてきた。その一応の成果は、奈倉文二・横井勝彦・小野塚知二『日英兵器産業とジーメンス事件-武器移転の国際経済史-』(日本経済評論社、2003年)および奈倉・横井編『日英兵器産業史-武器移転の経済史的研究-』(日本経済評論社、2005年)に取りまとめることができた。そうした成果を踏まえて、平成17年10月には政治経済学・経済史学会の下に「兵器産業・武器移転フォーラム」を設置し、研究者ネットワークの拡充に着手した。それとは別に同年11月には第41回経営史学会全国大会(神戸大学)において、安部悦生が学会報告(自由論題「戦間期イギリス兵器企業の戦略と組織-ヴィッカーズとアームストロング」)を行い、これまでの研究成果の一部を紹介した。また、海外の研究者としては、マリーナ・カッタルッツァ(Marina Cattaruzza スイス、ベルン大学・教授)、エーリッヒ・パウアー(Erich Pauer ドイツ、マールブルグ・フィリップス大学・教授)、アンドリュー・ポーター(Andrew Porter イギリス、ロンドン大学・教授)、以上3氏との国際的な共同研究体制を確立することが出来た。「日英関係史における武器移転・技術移転」というこれまでのテーマを今後は「帝国史・国際関係史における武器移転の総合的研究」へと広げていく予定である。
著者
鈴木 俊夫 本間 道雄 吉田 敬
出版者
日本大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2010-04-01

原子核のガモフ・テラー遷移強度等のスピンモードの記述の著しい改善に成功した新しい殻模型ハミルトニアンを用いて、ニュートリノ-原子核反応の断面積、高密度・高温の天体条件下での原子核からの電子捕獲率、ベータ崩壊率等の弱過程のより正確な評価を行い、元素合成過程や星の進化に応用した。超新星爆発時でのr-過程による元素合成、コア崩壊過程における中性子過剰ニッケルアイソトープの合成や核URCA過程による星の冷却において精密な弱遷移率の評価の有効性と重要性を示した。
著者
鈴木 俊夫
出版者
慶應義塾大学
雑誌
三田商学研究 (ISSN:0544571X)
巻号頁・発行日
vol.43, no.6, pp.129-144, 2001-02-25

日本政府は,第一次世界大戦の勃発により膨大な貿易黒字を手にすることができた。当時の日本経済には,1913年以前のように貿易赤字を決済するために正貨を確保する必要性が,もはや存在しなかった。だが1923年に至ると,日本政府は関東大震災からの復興資金の調達のために,ロンドンやニューヨークにおいて外債発行活動を再開せざるをえない状況に追い込まれた。戦間期のロンドン金融市場は第一次世界大戦前の「自由な」市場とは著しく様相を異にしていた。本稿は,国際金融に君臨した第一次世界大戦前の時期と比較することにより,戦間期である1924年および1930年に発行された日本政府外債のバックグラウンドとなるロンドン金融市場-外債発行市場の特質を把握しようと意図するものである。