著者
高山 龍太郎
出版者
富山大学経済学部
雑誌
富大経済論集 (ISSN:02863642)
巻号頁・発行日
vol.48, no.2, pp.313-366, 2002-11

本稿ではシカゴ学派社会学の諸成果を素描し, 1920年代を中心にアメリカの社会状況との関連性を考えていきたい。
著者
高山 龍太郎
出版者
富山大学経済学部
雑誌
富山大学紀要.富大経済論集 (ISSN:02863642)
巻号頁・発行日
vol.52, no.3, pp.603-652, 2007-03

富山県の地域性は、しばしば東西に分けて語られる。県中央部にある呉羽丘陵を境に、県東部を「呉東」(ごとう)、県西部を「呉西」(ごせい)とする呼び方は、そうした人びとの認識の一例である。たとえば、富山県を全国の人びとに紹介するある本は、富山県の市町村を呉東と呉西に分けて紹介している(須山 1997)。また、国民的作家と呼ばれた司馬遼太郎も、『週刊朝日』の連載「街道をゆく」のなかで、呉東と呉西という言葉にふれ、「人文的な分水嶺を県内にもつというのは、他の府県にはない」(司馬 1978:116)と紹介している。今回の私たちの調査でも、回答者の95%の人が、富山県を呉東と呉西という呼び名で二分されることを知っており、75%の人が、呉東と呉西の間に全般的な違いがあると考えていた。このように、富山県を東西に分けて把握する認識は、かなり一般的である。しかし、こうした認識枠組みがある一方で、現実の富山県の東西の違いはなくなりつつある。自動車を中心とする交通手段の発展は、富山県をますます一体化させている。本稿の目的は、こうした問題意識にもとづき、富山市と高岡市でのサーベイ調査から、富山県の東西の違いが、実際にどのくらい存在するのかを、実体と人びとの意識の両面から具体的に明らかにすることである。調査の概要は、以下の通りである。富山県の東西をそれぞれ代表する都市として、富山市(東)と高岡市(西)を調査対象に選んだ、調査は、2005年12月から2006年1月にかけて、自記式郵送法による標本調査でおこなっている。実査の対象者は、富山市と高岡市から、500めいずつ合計1000名を選んだ。実査対象者の標本抽出には、選挙人名簿を台帳として二段階抽出法によっておこなった。回答者は446名(富山市213名、高岡市233名)で、回収率は全体で44.6%(富山市42.6%、高岡市46.6%)であった、
著者
高山 龍太郎
出版者
富山大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2002

富山県射水郡小杉町の「小杉町子どもの権利に関する条例」に伴い開設された「小杉町子どもの権利支援センター」(愛称:ほっとスマイル)を中心に調査を行った。この施設は、小杉町とNPO法人が公設民営の形態で共同して運営し、子どもの権利侵害に対する相談・救済活動と共に、不登校生徒児童の居場所づくりを行っている。このほっとスマイルの活動に加わって参与観察を行う一方で、ほっとスマイルに通う子どもたち、スタッフ、ボランティアへ聞き取り調査を行い、地域社会で不登校の居場所づくりに参加する当事者の視点から、その活動の意味を探った。ほっとスマイルでは、子どもの権利救済という観点から、不登校の子どもに対して「安心してほっとできる空間」の提供が目指されている。それにもとづいた活動の結果、ほっとスマイルの内部は、外とは異なる一種の保護的な空間であると、スタッフや子どもたちから認識されている。一方で、ほっとスマイルの内部と外部を結びつける必要性も、スタッフや子どもたちの間で、ある程度、共有されており、勉強を教えるなど外部につなげる活動も行われている。内部で完結した保護的な空間であることと、外部へ繋げる指導的な空間であることの両者は、不登校の居場所づくりで不可欠に思われるが、そのどちらが評価されるかは、ほっとスマイルに集う人びとの間でも、それぞれの置かれた立場や時期によって異なっていた。また、ほっとスマイルと同様に公設民営で運営されている他所の不登校の居場所で聞き取り調査を行い、小杉町の事例とどのように異なるのか考察を行った。
著者
高山 龍太郎
出版者
富山大学経済学部
雑誌
富山大学紀要.富大経済論集 (ISSN:02863642)
巻号頁・発行日
vol.46, no.1, pp.1-50, 2000-07

前稿,前々稿において,トマスとズナニエツキ著fヨーロッパとアメリカにおけるポーランド農民』の第一次集団論序論を詳しく見てきた。そこでは,家族を単位とする等質的・固定的な社会から,個人を単位とする異質的・流動的な社会へという変動過程が,様々な角度から検討されていた。家族に代表される伝統的な第一次集団は,相補的な援助に基づく「連帯」によって特徴づけられる。その成員は,見返りを求めずに互いに犠牲を払って助け合い,完全に集団の中に埋没していた。しかし,こうした伝統的な第一次集団は,移民による社会圏の拡大や産業経済などの景簿によって,次第に解体していく。その結果集団の統制に従わない自己本位的な個人が析出されていった。本稿では,以上のような第一次集団論序論の基本的枠組に従い,ポーランドの農民家族と,アメリカに渡った家族員との間で交わされた手紙の分析を見ていく。前々稿において『ポーランド農民』には「抽象度の高い形式主義的な方法論のレベル」「農民の近代化を扱ったより実質的な理論のレベル」「資料のレベル」という三つのレベルが想定できることを指摘しだ。本稿は,その「資料レベル」を扱うものである。そこには急激な社会変動期における農民たちの生活が,生き生きと表れている。
著者
高山 龍太郎
出版者
富山大学経済学部
雑誌
富山大学紀要.富大経済論集 (ISSN:02863642)
巻号頁・発行日
vol.45, no.2, pp.431-477, 1999-11

本稿では, 前稿に引き続き,トマスとズナニエツキ著『ヨーロッパとアメリカにおけるポーランド農民』の第一次集団組織論序論を詳細に検討していく。前稿では,その前半部分,「農民家族」「結婚」「ポーランド社会における階級システム」「社会環境」「経済生活」について紹介してきた。本稿では,後半部分にあたる「宗教的・呪術的態度」「理論的・審美的関心」を紹介し,最後に,『ポーランド農民』の第一次集団組織論序論の特質をまとめたい。
著者
高山 龍太郎
出版者
富山大学経済学部
雑誌
富大経済論集 (ISSN:02863642)
巻号頁・発行日
vol.46, no.1, pp.1-50, 2000-07

前稿,前々稿において,トマスとズナニエツキ著fヨーロッパとアメリカにおけるポーランド農民』の第一次集団論序論を詳しく見てきた。そこでは,家族を単位とする等質的・固定的な社会から,個人を単位とする異質的・流動的な社会へという変動過程が,様々な角度から検討されていた。家族に代表される伝統的な第一次集団は,相補的な援助に基づく「連帯」によって特徴づけられる。その成員は,見返りを求めずに互いに犠牲を払って助け合い,完全に集団の中に埋没していた。しかし,こうした伝統的な第一次集団は,移民による社会圏の拡大や産業経済などの景簿によって,次第に解体していく。その結果集団の統制に従わない自己本位的な個人が析出されていった。本稿では,以上のような第一次集団論序論の基本的枠組に従い,ポーランドの農民家族と,アメリカに渡った家族員との間で交わされた手紙の分析を見ていく。前々稿において『ポーランド農民』には「抽象度の高い形式主義的な方法論のレベル」「農民の近代化を扱ったより実質的な理論のレベル」「資料のレベル」という三つのレベルが想定できることを指摘しだ。本稿は,その「資料レベル」を扱うものである。そこには急激な社会変動期における農民たちの生活が,生き生きと表れている。
著者
高山 龍太郎
出版者
富山大学経済学部
雑誌
富山大学紀要.富大経済論集 (ISSN:02863642)
巻号頁・発行日
vol.48, no.2, pp.313-366, 2002-11

本稿ではシカゴ学派社会学の諸成果を素描し, 1920年代を中心にアメリカの社会状況との関連性を考えていきたい。
著者
中野 正大 宝月 誠 油井 清光 加藤 一巳 近藤 敏夫 藤澤 三佳 鎌田 大資 高山 龍太郎 大山 小夜
出版者
京都工芸繊維大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2002

本研究は、前回の科学研究費補助金による研究「シカゴ学派の総合的研究」(課題番号10410045)に引き続き、米国シカゴ学派社会学の諸成果に対する多角的な検討を通して、現代社会の諸問題を分析するためのより有効な社会学的土台の構築を目的とした。この目的を達成するために、初期シカゴ学派から戦後の第2次シカゴ学派まで幅広くシカゴ学派社会学の研究業績を検討した。研究成果は、およそ5つに分類できる。一つは、「シカゴ学派社会学総論」である。シカゴ学派社会学には、多様な理論的志向と方法論が混在する。その一枚岩ではないシカゴ学派社会学を統一的に理解しようと試みた。二つは、「シカゴ学派の方法論の応用可能性」である。芸術、専門職、非行など個別の研究領域におけるシカゴ学派社会学の応用可能性を明らかにした。また、近年注目されているナラティブや主観的データの研究上の取り扱いについて、その基本的発想をシカゴ学派社会学に見いだした。三つは、「シカゴ学派の理論的インプリケーション」である。シカゴ学派社会学の基底を構成している科学論や相互作用論などの抽象度の高い理論について整理をおこなった。四つは、「シカゴ学派のモノグラフ研究再考」である。コミュニティ、エスニシティ、逸脱というシカゴ学派社会学を代表する3つの研究領域のモノグラフについて詳細に検討を加え、その内実を明らかにした。五つは、「現代社会のエスノグラフィー」である、シカゴ学派社会学再考でもっとも言及されることの多いエスノグラフィーの方法を現代日本社会に応用した。以上の検討から、シカゴ学派社会学が、異質性と流動性が高まりつつある現代日本社会の研究に、十分に応用可能であることが確認された。
著者
高山 龍太郎
出版者
富山大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2008

シカゴ学派社会学の研究法を範例に、不登校の居場所づくりに関するフィールドワークをおこなった。その目的は、不登校の居場所で繰り広げられる具体的な社会生活を描き、スタッフの役割や居場所を規定する価値観などを明らかにすることである。居場所の活動は、(1)諦めと休息、(2)夢中になる、(3)目標との出会い、(4)仲間との共働、という4つの局面から構成され、子どもは局面(1)から局面(4)へ少しずつ活動の幅を広げていき、居場所の外とつながっていく。居場所のスタッフの役割は、それぞれの局面での活動を活性化させることであり、そのとき生じるトラブルを解決して安心・安全な場を維持することである。居場所を規定する価値観は、子どもの意思やペースの尊重、競争の排除などであり、学校とは対照的である。「学校的価値観と居場所的価値観の行き来」という観点からそれぞれの居場所が想定する子どもの成長の軌跡によって不登校の居場所を類型化すると、(1)補完型(小回り・大回り)、(2)対抗型、(3)代替型という3類型が導き出される。