著者
原 正一郎 太田 尚宏 小山 順子 黄 昱 恋田 知子 神作 研一 齋藤 真麻理 高科 真紀 有澤 知世
出版者
人間文化研究機構国文学研究資料館
雑誌
国文研ニューズ = NIJL News (ISSN:18831931)
巻号頁・発行日
no.51, pp.1-16, 2018-05-07

●メッセージ国文学研究資料館情報システムの今昔物語●研究ノート読書時間は森の中――尾張藩「殿山守」資料に見る山間村落のひとこま――現代における古典文学コミカライズの傾向について●トピックス平成29年度 連続講座「初めてのくずし字で読む『百人一首』」平成30年度 連続講座「多摩地域の歴史アーカイブズ(古文書)を読む」特別展示 「伊勢物語のかがやき――鉄心斎文庫の世界――」第15回日本古典籍講習会(平成29年度)国際研究ワークショップ「江戸の知と随想」2017冬パリフォーラム「東アジアにおける知の往還」第一回――書物と文化――日本古典籍セミナー国際研究交流集会「災害国におけるアーカイブズ保存のこれから――技術交流・危機管理から地方再生へ――」平成30年度 アーカイブズ・カレッジ(史料管理学研修会通算第64回)の開催閲覧室だより第4回日本語の歴史的典籍国際研究集会の開催「古典」オーロラハンター3LOD Challenge 2017の最優秀賞に当館の「日本古典籍データセット」が使用されました総合研究大学院大学日本文学研究専攻の近況●表紙絵資料紹介山東京伝書簡
著者
黄 昱 Yu HUANG フアン ユ
出版者
総研大文化科学研究
雑誌
総研大文化科学研究 (ISSN:1883096X)
巻号頁・発行日
no.10, pp.43-64, 2014-03

『徒然草』は中世に書かれた書物であるが、中世にはほとんど読まれた形跡はなかった。しかし、近世期に入ってから、『徒然草』の注釈書が盛んに刊行され、いわゆる一種の『徒然草』ブームが起こっていた。近世期における『徒然草』の受容は、こういった注釈書だけではなく、作者兼好法師の伝記、屏風・挿絵などの絵画作品といったさまざまなジャンルに及んでいる。中にも、和文脈の『徒然草』を漢訳する作品が作られていたことは興味深い。この問題について、川平敏文氏の「徒然草の漢訳」というご論考があるが、氏が考察した四つの作品のほか、『徒然草』を漢訳した作品はまだ色々な形で見られる。たとえば、中国の『蒙求』に倣って、日本人の手によって書かれた異種『蒙求』という作品群である。本稿は、日本の異種『蒙求』の主なもの十一種類を調査し、その中に『徒然草』本文内容と関連があるものを選出して、その特徴を分析する作業を行う。これらの異種『蒙求』は和文脈の『徒然草』を漢文脈の『蒙求』に取り入れる時、主に三つの特徴が見られる。『徒然草』原文を詳細にまたは忠実に訳し、表現上の独自性を目指すこと、原典からではなく、類書、史書、当代流行の人物伝記類の書物等から引用すること、先行する同じジャンルの異種『蒙求』から引用することである。本稿で取り扱った日本の異種『蒙求』のような当時の文人たちの学問の基礎になった書物に取り入れられたことは、『徒然草』の中の説話は既に人口に膾炙するようなものになっており、当時に『徒然草』が古典として成り立っていることを物語っている。Tsurezuregusa was written in the Middle Ages, but it was not until the Edo period that it became known to the general public. It has been a very popular book ever since, and many commentaries and annotated editions of it have been published. When the Tsurezuregusa boom began, some Japanese intellectuals translated it into Chinese. Mōgyū (Ch. Mengqiu) written in Tang-dynasty China, is an elementary textbook for teaching the Chinese tradition to beginners. Many versions of Mōgyū compiled by Japanese intellectuals also appeared in the Edo period. Some of these included stories taken from Tsurezuregusa. This essay is about the methods used in the later versions of Mōgyū when stories from Tsurezuregusa were translated into Chinese.
著者
渡部 泰明 西村 慎太郎 綿拔 豊昭 近本 謙介 後藤 博子 入口 敦志 神作 研一 劉 嘉瑢 黄 昱 加藤 聖文 齋藤 真麻理
出版者
人間文化研究機構国文学研究資料館
雑誌
国文研ニューズ = NIJL News (ISSN:18831931)
巻号頁・発行日
no.61, pp.1-16, 2022-06-20

●メッセージ創立50周年を迎えて●研究ノート【基幹研究】地方協創によるアーカイブズ保全・活用システム構築に関する研究国文学研究資料館所蔵木藤才蔵コレクションの基礎的研究について●エッセイ寺院調査と文学研究共同研究の場の豊かな学び●トピック100年へのエントランス―「法人第4期」の国文研スタート―国文学研究資料館創立50周年記念式典・講演会・展示大衆文化の今昔物語―日本古典籍セミナー北京2021―ないじぇる芸術共創ラボ アウトプットイベント4件2021年度のアーカイブズ・カレッジを顧みて総合研究大学院大学日本文学研究専攻の近況
著者
黄 昱 Yu HUANG ファン ユ
出版者
総合研究大学院大学文化科学研究科
雑誌
総研大文化科学研究 = Sokendai Review of Cultural and Social Studies (ISSN:1883096X)
巻号頁・発行日
no.12, pp.1-16,

『徒然草』が漢籍から受けた影響は、文章レベルに止まらず、その思想内容にまで及んでいることは今までの研究において議論されてきたことである。まず『徒然草』が広く読まれていた江戸時代には、本書と漢籍との関係が注目された。『徒然草』最初の注釈書である『徒然草寿命院抄』は、『徒然草』を儒釈道の三教を兼備する書物として捉え、和文でありながら、漢籍的な要素が強い書物とした。江戸中期頃から、『大東世語』『本朝遯史』といった人物伝記や、『明霞先生遺稿』『作文率』といった漢文作品集、さらに、異種『蒙求』といった幼学書に『徒然草』が漢訳されたのは、本書に内在する漢籍的な要素が然らしめたところと言えるだろう。一方、近代の中国では、民国時代から、周作人や郁達夫といった日本文化に心を寄せた文人たちが『徒然草』を中文に訳し、また、一九八〇年代以降、日本の古典文学作品が大陸で盛んに翻訳される中、『徒然草』も五種類の全訳本が刊行されるに至っている。本稿はこのような日中における『徒然草』の漢文訳と中文訳の状況の比較分析を目的とする。具体的には、主に周作人以降の『徒然草』の中文訳を中心に分析し、これらの翻訳にあたっての章段の取捨選択の意図と、訳文の文体・表現の特徴を考察した。一九二五年に周作人が『徒然草』の中から十四の章段を選んで翻訳し、彼が加えた小引(序)・附記(跋)と訳文を考察した。さらに、彼のほかの作品における『徒然草』についての言説を考えることによって、彼の翻訳手法と『徒然草』観を明らかにした。また、一九三六年に周作人と同じく日本文化に関心を持つ著名な小説家郁達夫も『徒然草』から七章段を選訳し、本書が「東方固有思想を代表するに値する哲学書」であると絶賛した。その後、一九八〇年代以降、五種類の『徒然草』中文訳も登場したが、本稿は周作人訳と郁達夫訳とこれら現代の中文訳とを比較し、『徒然草』が中文に翻訳される時の特徴と問題点を示した。最後に、江戸・明治期の漢文基礎教養書である異種『蒙求』に見られる『徒然草』の漢文訳とこれらの中文訳との比較に触れた。『徒然草』は日本と中国の文人の間で愛読され、翻訳されていたが、両者の訳述の異同を分析する作業を通して、日本と中国での本書に対する認識の差を確認し、『徒然草』の漢籍的な要素がさらに明確になったと言える。According to existing studies, the influence of Chinese classics on Tsurezuregusa is seen not only in expression, but also in its contents and philosophy. In the Edo period, when Tsurezuregusa began to be popular, it was first noted to contain ideas about Confucianism, Buddhism and Taoism. The claim was that this book had been strongly influenced by Chinese classical works. This might be one reason why Tsurezuregusa was translated into classical Chinese by Japanese intellectuals during the Edo period. On the other hand, famous Chinese writers, Zhou Zuoren and Yu Dafu, translated some chapters of Tsurezuregusa into Chinese in the 1920’s and 1930’s. After the 1980’s, when there was a boom in making Chinese translations of Japanese classics, five complete translations of Tsurezuregusa were published.This paper is concerned with the characteristics of and differences between the various translations into Chinese of Tsurezuregusa made by both Japanese and Chinese intellectuals. Through a comparative study of these translations, we can identify differences in understanding Tsurezuregusa between Japan and China, and reappraise elements of influence that Chinese classical works must have had on Tsurezuregusa.
著者
黄 昱 Yu HUANG ファン ユ
出版者
総合研究大学院大学文化科学研究科
雑誌
総研大文化科学研究 (ISSN:1883096X)
巻号頁・発行日
no.12, pp.1-16, 2016-03

『徒然草』が漢籍から受けた影響は、文章レベルに止まらず、その思想内容にまで及んでいることは今までの研究において議論されてきたことである。まず『徒然草』が広く読まれていた江戸時代には、本書と漢籍との関係が注目された。『徒然草』最初の注釈書である『徒然草寿命院抄』は、『徒然草』を儒釈道の三教を兼備する書物として捉え、和文でありながら、漢籍的な要素が強い書物とした。江戸中期頃から、『大東世語』『本朝遯史』といった人物伝記や、『明霞先生遺稿』『作文率』といった漢文作品集、さらに、異種『蒙求』といった幼学書に『徒然草』が漢訳されたのは、本書に内在する漢籍的な要素が然らしめたところと言えるだろう。一方、近代の中国では、民国時代から、周作人や郁達夫といった日本文化に心を寄せた文人たちが『徒然草』を中文に訳し、また、一九八〇年代以降、日本の古典文学作品が大陸で盛んに翻訳される中、『徒然草』も五種類の全訳本が刊行されるに至っている。本稿はこのような日中における『徒然草』の漢文訳と中文訳の状況の比較分析を目的とする。具体的には、主に周作人以降の『徒然草』の中文訳を中心に分析し、これらの翻訳にあたっての章段の取捨選択の意図と、訳文の文体・表現の特徴を考察した。一九二五年に周作人が『徒然草』の中から十四の章段を選んで翻訳し、彼が加えた小引(序)・附記(跋)と訳文を考察した。さらに、彼のほかの作品における『徒然草』についての言説を考えることによって、彼の翻訳手法と『徒然草』観を明らかにした。また、一九三六年に周作人と同じく日本文化に関心を持つ著名な小説家郁達夫も『徒然草』から七章段を選訳し、本書が「東方固有思想を代表するに値する哲学書」であると絶賛した。その後、一九八〇年代以降、五種類の『徒然草』中文訳も登場したが、本稿は周作人訳と郁達夫訳とこれら現代の中文訳とを比較し、『徒然草』が中文に翻訳される時の特徴と問題点を示した。最後に、江戸・明治期の漢文基礎教養書である異種『蒙求』に見られる『徒然草』の漢文訳とこれらの中文訳との比較に触れた。『徒然草』は日本と中国の文人の間で愛読され、翻訳されていたが、両者の訳述の異同を分析する作業を通して、日本と中国での本書に対する認識の差を確認し、『徒然草』の漢籍的な要素がさらに明確になったと言える。According to existing studies, the influence of Chinese classics on Tsurezuregusa is seen not only in expression, but also in its contents and philosophy. In the Edo period, when Tsurezuregusa began to be popular, it was first noted to contain ideas about Confucianism, Buddhism and Taoism. The claim was that this book had been strongly influenced by Chinese classical works. This might be one reason why Tsurezuregusa was translated into classical Chinese by Japanese intellectuals during the Edo period. On the other hand, famous Chinese writers, Zhou Zuoren and Yu Dafu, translated some chapters of Tsurezuregusa into Chinese in the 1920's and 1930's. After the 1980's, when there was a boom in making Chinese translations of Japanese classics, five complete translations of Tsurezuregusa were published.This paper is concerned with the characteristics of and differences between the various translations into Chinese of Tsurezuregusa made by both Japanese and Chinese intellectuals. Through a comparative study of these translations, we can identify differences in understanding Tsurezuregusa between Japan and China, and reappraise elements of influence that Chinese classical works must have had on Tsurezuregusa.