著者
浅野 秀剛 恋田 知子 相田 満 太田 尚宏 青木 睦 田中 大士 入口 敦志 大友 一雄
出版者
人間文化研究機構国文学研究資料館
雑誌
国文研ニューズ = NIJL News (ISSN:18831931)
巻号頁・発行日
no.40, pp.1-16, 2015-07-31

●メッセージ画像データベースへの期待●研究ノート室町の信仰と物語草子―骸骨の物語絵をめぐって―生き物供養と橋供養―随心院蔵『慶長五年多摩六郷橋供養願文』と関連して―多摩地域の資料保存利用機関との連携に向けて●トピックス度重なる災害を乗り越えて―被災地釜石市の市庁舎燃焼文書のレスキュー―連続講座「くずし字で読む『百人一首』」特別展示「韓国古版画博物館名品展」平成27年度国文学研究資料館「古典の日」講演会第39回国際日本文学研究集会『幕藩政アーカイブズの総合的研究』の刊行総合研究大学院大学日本文学研究専攻の近況
著者
原 正一郎 太田 尚宏 小山 順子 黄 昱 恋田 知子 神作 研一 齋藤 真麻理 高科 真紀 有澤 知世
出版者
人間文化研究機構国文学研究資料館
雑誌
国文研ニューズ = NIJL News (ISSN:18831931)
巻号頁・発行日
no.51, pp.1-16, 2018-05-07

●メッセージ国文学研究資料館情報システムの今昔物語●研究ノート読書時間は森の中――尾張藩「殿山守」資料に見る山間村落のひとこま――現代における古典文学コミカライズの傾向について●トピックス平成29年度 連続講座「初めてのくずし字で読む『百人一首』」平成30年度 連続講座「多摩地域の歴史アーカイブズ(古文書)を読む」特別展示 「伊勢物語のかがやき――鉄心斎文庫の世界――」第15回日本古典籍講習会(平成29年度)国際研究ワークショップ「江戸の知と随想」2017冬パリフォーラム「東アジアにおける知の往還」第一回――書物と文化――日本古典籍セミナー国際研究交流集会「災害国におけるアーカイブズ保存のこれから――技術交流・危機管理から地方再生へ――」平成30年度 アーカイブズ・カレッジ(史料管理学研修会通算第64回)の開催閲覧室だより第4回日本語の歴史的典籍国際研究集会の開催「古典」オーロラハンター3LOD Challenge 2017の最優秀賞に当館の「日本古典籍データセット」が使用されました総合研究大学院大学日本文学研究専攻の近況●表紙絵資料紹介山東京伝書簡
著者
今西 祐一郎 伊藤 鉄也 鈴木 淳 青田 寿美 呉 格 太田 尚宏 寺島 恒世 谷川 惠一
出版者
人間文化研究機構国文学研究資料館
雑誌
国文研ニューズ = NIJL News (ISSN:18831931)
巻号頁・発行日
no.31, pp.1-16, 2013-05-10

●メッセージ国文学研究資料館41年●研究ノート『和泉式部日記jの本文異同への新視点一傍記混入から見えてくるもの-合羽摺り絵本『彩色画選』とカラリスト松寿堂「蔵書印データベース」にできること-つながるデータ、可視化する書脈『中国古籍総目』の編纂について●トピックス平成24年度日本古典籍講習会人間文化研究機織連携展示「記憶をつなぐ一津波災害と文化遺産一」国文学研究資料館常設展示「和書のさまざま」百人一首たまてばこ平成25年度アーカイブズカレッジ(史料管理学研修会通算第59回)の開催新収資料紹介総合研究大学院大学日本文学研究専攻の近況.
著者
髙岸 輝 岡田 貴憲 ディディエ ダヴァン 海野 圭介 山下 則子 滝澤 みか 中嶋 英介 入口 敦志 恋田 知子 太田 尚宏
出版者
人間文化研究機構国文学研究資料館
雑誌
国文研ニューズ = NIJL News (ISSN:18831931)
巻号頁・発行日
no.52, pp.1-16, 2018-08-01

●メッセージ絵巻研究とデジタル画像の活用●研究ノート「硯に向かひて」考――『源氏物語』手習巻の表現探究――国際共同研究 中近世日本における知の交通の総合研究国際共同研究 UCバークレー校所蔵古典籍資料のインスタレーション・キュレーション国際共同研究 古典芸能における身体――ことばと絵画から立ち上がるもの――●書評ブックレット〈書物をひらく〉6 高津孝著『江戸の博物学 島津重豪と西南諸島の本草学』●エッセイ共同研究(若手) 「山鹿素行関連文献の基礎的研究」を終えてAAS2018 ANNUAL CONFERENCE 見聞記●トピックス特別展示「祈りと救いの中世」のご案内平成30年度国文学研究資料館「古典の日」講演会〈国文学研究資料館展示室より〉特設コーナーのご案内ホームページのリニューアルについて連続講座「多摩地域の歴史アーカイブズ(古文書)を読む」を終えて表紙裏反古ワークショップ第42回国際日本文学研究集会告知総合研究大学院大学日本文学研究専攻の近況●表紙絵資料紹介『解体新書』
著者
坂本 信道 西村 慎太郎 三ツ松 誠 鈴木 喬 柏原 康人 小山 順子 中川 博夫 小林 健二 三野 行徳 有澤 知世 恋田 知子 荒木 優也 太田 尚宏
出版者
人間文化研究機構国文学研究資料館
雑誌
国文研ニューズ = NIJL News (ISSN:18831931)
巻号頁・発行日
no.50, pp.1-16, 2018-01-24

●メッセージ平安時代人の散歩――国際化と辞書――●研究ノート明治27年の長塚村大字渋川の人びと――原発事故帰還困難区域の歴史資料を読む――平田国学と和歌●書評ブックレット〈書物をひらく〉2入口敦志著『漢字・カタカナ・ひらがな 表記の思想』ブックレット〈書物をひらく〉5恋田知子著『異界へいざなう女 絵巻・奈良絵本をひもとく』●トピックス「ないじぇる芸術共創ラボ NIJL Arts Initiative」について第10回日本古典文学学術賞受賞者発表第10回日本古典文学学術賞選考講評バチカン図書館所蔵マリオ・マレガ収集文書群の調査と活用 ローマでのくずし字講座と講演会の開催について大学共同利用機関シンポジウム2017 「研究者に会いに行こう!――大学共同利用機関博覧会――」平成29年度「古典の日」講演会第41回国際日本文学研究集会総合研究大学院大学日本文学研究専攻の近況●表紙絵資料紹介武蔵国多摩郡連光寺村富沢家文書「諸用扣(留)」
著者
ロバート キャンベル 谷川 恵一 木越 俊介 湯上 良 小山 順子 神作 研一 斎藤 真麻理 太田 尚宏 青田 寿美 西村 慎太郎
出版者
人間文化研究機構国文学研究資料館
雑誌
国文研ニューズ = NIJL News (ISSN:18831931)
巻号頁・発行日
no.47, pp.1-16, 2017-05-08

●メッセージ新館長の挨拶●研究ノート兆民の推敲――『三酔人経綸問答』稿本――『新斎夜語』第八話と源氏注釈書統制と文書保護から「マレガ文書」の基層を探る●トピックス連続講座「くずし字で読む『百人一首』」2つの海外「日本古典籍ワークショップ2017」――ホノルル&バークレー――ハワイ大学マノア校と協定書を締結基幹研究成果論集『社会変容と民間アーカイブズ ――地域の持続へ向けて――』平成28年度日本古典籍講習会シンポジウム「松代藩真田家の歴史とアーカイブズII」平成29年度アーカイブズ・カレッジ(史料管理学研修会通算第63回)の開催「新日本古典籍総合データベース」の公開第3回日本語の歴史的典籍国際研究集会の開催「古典」オーロラハンター2総合研究大学院大学日本文学研究専攻の近況
著者
加藤 洋介 尾山 佳永子 村杉 桂子 奥田 俊之 太田 尚宏 原 拓央
出版者
日本腹部救急医学会
雑誌
日本腹部救急医学会雑誌 = Journal of abdominal emergency medicine (ISSN:13402242)
巻号頁・発行日
vol.33, no.5, pp.923-926, 2013-07-31
参考文献数
13

要旨:右胃大網動脈を用いた冠状動脈バイパス術既往歴がある急性胆嚢炎を2例経験した。症例1は70歳男性。無石胆嚢炎穿孔による胆汁性腹膜炎と診断。造影CT検査でグラフト血管の走行を確認し,緊急開腹手術を施行した。症例2は72歳男性。急性胆嚢炎(中等症)と診断し,保存療法を行った。血管再構成3D-CT検査でグラフト血管の走行を確認し,待機的に腹腔鏡手術を施行した。いずれも術中にグラフト血管を損傷なく確認し,合併症なく退院した。開腹,腹腔鏡下いずれの術式においても胆嚢摘出術を施行可能であったが,低侵襲性と,安全にグラフト血管を確認し得る点から,腹腔鏡手術の利点は大きいと思われた。右胃大網動脈によるバイパス術既往歴がある急性胆嚢炎に対しては,でき得る限り緊急手術を避け,十分な術前計画のもとに手術を施行することで,より安全性が担保されるものと思われた。
著者
吉田 周平 奥田 俊之 出村 嘉隆 加藤 洋介 太田 尚宏 原 拓央
出版者
日本臨床外科学会
雑誌
日本臨床外科学会雑誌 (ISSN:13452843)
巻号頁・発行日
vol.74, no.8, pp.2321-2324, 2013 (Released:2014-02-25)
参考文献数
11

Müller管遺残症候群とは,Müller管抑制因子の欠損・作用障害によりMüller管由来組織である卵管,子宮,腟上部が遺残する稀な症候群である.患者は68歳男性,CT検査にて左鼠径ヘルニアを指摘された.自覚症状は鼠径部の膨隆のみ.30歳台に右鼠径ヘルニア手術の既往あり.鼠径管を開放すると腹腔内より子宮に酷似した腫瘤が脱出していた.腫瘤を剥離挙上すると,近接した精管・精巣動静脈に牽引されて陰嚢内より精巣が脱出した.ヘルニア門は小さく腫瘤は還納不能であった.精管,精巣動静脈は温存可能で腫瘤切除の方針とした.子宮頸部~腟上部に相当する部分は膀胱背側に連続していた.切除後は通常通り後壁を補強した.切除標本は筋腫を伴う双角様腫瘤であり,卵管様構造も伴っていた.組織学的に子宮および卵管と診断された.
著者
太田 尚宏
出版者
国文学研究資料館
雑誌
国文学研究資料館紀要. アーカイブズ研究篇 (ISSN:18802249)
巻号頁・発行日
no.10, pp.1-33, 2014-03

本稿では、国文学研究資料館所蔵の真田家文書のうち、「家老日記」として分類される日記類(特に松代に関する日記)を分析対象として、そこに含まれる日記の種類と性格について論じた。まず、日記の外見的考察により、文政期までの日記の表紙に記されている「松代」「御国」といった記載の多くが後筆であることを確認し、これらの追記や朱字の番号で示されている管理の痕跡が、松代藩や真田家ではなく、家老の望月氏によるものであると推定した。さらに、これらの日記の中には、家老日記とは性格が異なる「御国日記」の原本(あるいは全体の転写本)が混入していること、望月氏自身が御国日記の転写を進めていたことなどを明らかにした。続いて、望月行広という人物の動向に着目し、家老日記の性格について検討した。その結果、①松代藩における公式の家老日記は、「置附日記」という家老御用部屋に設置された日記であり、真田家文書に残る家老日記は、御用番を担当した家老が「置附日記」の下日記として記したもので、「置附日記」への転記にあたり記事の取捨選択が行われていたこと、②18世紀半ばには、家老の執務内容のうち定例化・慣習化された事項について日記には記述しないと規定されていたこと、③望月行広が「勝手懸り」を担当してからは、職務上の需要に応じて、自らが御用番のとき以外の日記も詳細に転写するようになり、勝手懸り関係の記述も加わって、1年間を通じた記事を御用番・勝手懸りの2本立てで記す「御在所日記」の形式を完成させたこと、などの点を明らかにした。This paper discusses the descriptions and characteristics of "KaroNikki"(Diary of chief retainer), the Sanada family's documents of National Institute of Japanese literature. From the contents written on the cover of this diary until Bunsei era, it was confirmed that some descriptions such as "Matsushiro"and "Okuni" were written later. It is presumed that postscripts and running number were written by Mochizuki chief retainer. It was also confirmed that "Okuni Nikki" (Okuni Diary), which was different with "Karo Nikki'', was included and Mochizuki chief retainer was carrying out the transcription of "OkuniNikki". .Subsequently, we focused on the activity of Mochizuki Yukihiro and studied the characteristics of "KaroNikki''. As a result of this study, it was clarified that an official diary of the Matsushiro domain was "Okitsuke Diary" and a diary preserved by Mochizuki family had a function of a rough draft. Originally, "Karo Nikki" was created based on a work shift on monthly bases, but it was also clarified that a file type of diary (Gozaisho Diary) had been begun to create throughout the year in stated of a monthly work shift diary since the middle of 18th century due to the volume of work was increased, the contents were written in more details and the descriptions regarding the financial affairs were added.
著者
太田 尚宏
出版者
国文学研究資料館
雑誌
国文学研究資料館紀要. アーカイブズ研究篇 (ISSN:18802249)
巻号頁・発行日
no.10, pp.1-33, 2014-03

本稿では、国文学研究資料館所蔵の真田家文書のうち、「家老日記」として分類される日記類(特に松代に関する日記)を分析対象として、そこに含まれる日記の種類と性格について論じた。まず、日記の外見的考察により、文政期までの日記の表紙に記されている「松代」「御国」といった記載の多くが後筆であることを確認し、これらの追記や朱字の番号で示されている管理の痕跡が、松代藩や真田家ではなく、家老の望月氏によるものであると推定した。さらに、これらの日記の中には、家老日記とは性格が異なる「御国日記」の原本(あるいは全体の転写本)が混入していること、望月氏自身が御国日記の転写を進めていたことなどを明らかにした。続いて、望月行広という人物の動向に着目し、家老日記の性格について検討した。その結果、①松代藩における公式の家老日記は、「置附日記」という家老御用部屋に設置された日記であり、真田家文書に残る家老日記は、御用番を担当した家老が「置附日記」の下日記として記したもので、「置附日記」への転記にあたり記事の取捨選択が行われていたこと、②18世紀半ばには、家老の執務内容のうち定例化・慣習化された事項について日記には記述しないと規定されていたこと、③望月行広が「勝手懸り」を担当してからは、職務上の需要に応じて、自らが御用番のとき以外の日記も詳細に転写するようになり、勝手懸り関係の記述も加わって、1年間を通じた記事を御用番・勝手懸りの2本立てで記す「御在所日記」の形式を完成させたこと、などの点を明らかにした。This paper discusses the descriptions and characteristics of "KaroNikki"(Diary of chief retainer), the Sanada family's documents of National Institute of Japanese literature. From the contents written on the cover of this diary until Bunsei era, it was confirmed that some descriptions such as "Matsushiro"and "Okuni" were written later. It is presumed that postscripts and running number were written by Mochizuki chief retainer. It was also confirmed that "Okuni Nikki" (Okuni Diary), which was different with "Karo Nikki'', was included and Mochizuki chief retainer was carrying out the transcription of "OkuniNikki". .Subsequently, we focused on the activity of Mochizuki Yukihiro and studied the characteristics of "KaroNikki''. As a result of this study, it was clarified that an official diary of the Matsushiro domain was "Okitsuke Diary" and a diary preserved by Mochizuki family had a function of a rough draft. Originally, "Karo Nikki" was created based on a work shift on monthly bases, but it was also clarified that a file type of diary (Gozaisho Diary) had been begun to create throughout the year in stated of a monthly work shift diary since the middle of 18th century due to the volume of work was increased, the contents were written in more details and the descriptions regarding the financial affairs were added.