著者
江角 悟 佐藤 智昭 黒田 智 河崎 陽一 名倉 弘哲 北村 佳久 千堂 年昭
出版者
一般社団法人日本医薬品情報学会
雑誌
医薬品情報学 (ISSN:13451464)
巻号頁・発行日
vol.18, no.2, pp.72-80, 2016 (Released:2016-09-27)
参考文献数
15

Objective: In drug treatment for pregnant and lactating women, pharmacists need to contribute to adequate drug treatment by collecting much information from various sources.  However, it takes much time to collect information using plural sources.  In this study, we tried to develop a database system which enables expeditiously collecting the domestic and foreign drug use criteria information in order to streamline collecting information for pregnant and lactating women.  In addition, we assessed the utility of the database by comparing the time to collect information using the database to that using each information source and the usability by questionnaires.Methods: We developed a database system that integrates drug information from the FDA Pregnancy Category, Australian categories for prescribing medicines in pregnancy, “Drugs in Pregnancy & Lactation,” and Japanese package inserts.  For assessment of the usability of the database, we assessed the time required to collect information and subjective evaluation using the five-method questionnaires.Results: The database significantly reduced the time needed for collecting criteria information and made it possible to compile the information simultaneously from various sources.  The questionnaire survey showed that over 80% of pharmacists and students were satisfied with the database.Conclusion: It is suggested that our database system is useful to efficiently collect drug use criteria information for pregnant and lactating women.
著者
黒田 智
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.109, pp.127-151, 2004-03-01

勝軍地蔵とは、日本中世における神仏の戦争が生み出した軍神(イクサガミ)であった。その信仰は、観音霊場を舞台に諸権門間の対立・内紛といった戦争を契機として誕生した。そして征夷大将軍達の物語とともに、その軍神(イクサガミ)的性格を色濃くしていった。多武峯談山神社所蔵「日輪御影」は、いわば勝軍地蔵誕生の記念碑的絵画であった。「日輪御影」は、応長・正和年間(一三一一〜一二)に、興福寺との合戦に際して戦場となった多武峯冬野における日輪出現と、その周辺の観音勝地で起こった三神影向伝説を絵画化したものである。画面下方に描かれた束帯に甲冑を着した三眼の異人は、良助法親王と推測され、彼が喧伝した勝軍地蔵を想起させる。画面上方の円光中に描かれた藤原鎌足像は、三眼の異人と対をなして勝軍地蔵の化身として配置されている。また画面上部に描かれた三つの円光は太陽・月・星であり、山王三聖信仰を背景とする三光地蔵の表象である。「日輪御影」に表された勝軍地蔵信仰の世界観は、三光の多様な言説を背景として、鎌倉中期から南北朝期にかけて浮上する太陽・日輪の文化の急速な波及と密接に関わっている。太陽・日輪イメージは、勝軍地蔵信仰と結びつくことで、戦う神仏のイデオロギー・武威のシンボルへと収斂していたのである。こうした太陽・日輪イメージは、天空における太陽の月・星に対する優位性が日本という国家・国土の優越性に準えられた思想であった。それは、日本の神仏の優位性を主張し、日本という国土を神聖化し、日本を仏教的コスモロジーの中心に位置付けようとする運動であった。勝軍地蔵信仰は、同時代の中世的国家・国土観念と不可分な結びつきをもちながら、後代に少なからぬ影響を及ぼしていったのである。
著者
小西 洋子 木越 隆三 黒田 智 室山 孝 吉田 航志 Konishi Yoko KIGOSHI Ryuzo Kuroda Satoshi MUROYAMA Takashi YOSHIDA Kazushi
出版者
金沢大学大学院人間社会環境研究科
雑誌
人間社会環境研究 = Human and socio-environmental studies (ISSN:24360627)
巻号頁・発行日
no.42, pp.227-243, 2021-09-30

小松称名寺所蔵『烏兎記』は、小松勝光寺十一代住職周好による、明和六年(一七六九)一年分の日記である。特に「小松寺庵騒動」に関する史料として知られている。また、周好が日々伝え聞いた話が書き留められており、小松町周辺のみならず、大聖寺・越前の出来事など、その内容は多岐にわたる。 本史料の従来の翻刻は誤脱もあるため、改めて全文を翻刻し、紹介する。翻刻により、多くの研究者の利用に資したい。本稿は六回目であり、今回をもって完結となる。
著者
川崎 博已 黒田 智 三牧 祐一
出版者
公益社団法人 日本薬理学会
雑誌
日本薬理学雑誌 (ISSN:00155691)
巻号頁・発行日
vol.115, no.5, pp.287-294, 2000 (Released:2007-01-30)
参考文献数
43
被引用文献数
3 5

インスリンは,糖代謝ばかりでなく内因性血管作動物質として循環調節に関与している可能性が示唆されている.インスリンの血管作用は複雑で,血管収縮性に働いて血圧上昇を起こす作用と血管拡張性に作用して降圧を生じる相反する作用が知られている.インスリンの慢性効果として腎Na+の再吸収促進による体液量増加,中枢神経を介した交感神経活動増加による血中ノルアドレナリン,アドレナリン上昇,血管平滑筋細胞の増殖促進によって間接的に血管抵抗を増して血圧上昇を起こす.一方,インスリンの急性効果として血管に対する直接作用である血管拡張作用があり,その機序としてNa+,K+-ATPase活性充進に基づく血管平滑筋膜の過分極,Ca2+-ATPase活性増加による細胞外へのCa2+流出と細胞内Ca2+濃度の低下,βアドレナリン受容体を介する細胞内cyclicAMP濃度上昇の促進,血管内皮細胞における一酸化窒素の合成促進と遊離による血管弛緩が考えられている.抵抗血管ではカルシトニン遺伝子関連ペプチド受容体を介した内皮非依存性の血管弛緩作用の機序もある.本態性高血圧ではインスリン抵抗性とともに高インスリン血症がみられる.インスリン抵抗性状態では,主に血管内皮細胞機能の低下とインスリンの血管弛緩作用の減弱が起こり,血管収縮系の充進が加わって血圧上昇に寄与し,高血圧の進展に関与している可能性が示唆されている.
著者
升田 隆雄 坂口 啓二 竹内 光治 鈴木 啓仁 山田 博史 黒田 智枝 野口 紀子 小菅 邦義
出版者
一般社団法人 国立医療学会
雑誌
医療 (ISSN:00211699)
巻号頁・発行日
vol.48, no.4, pp.263-268, 1994-04-20 (Released:2011-10-19)
参考文献数
18

当院の医師92名, 看護婦380名, 看護助手24名, 看護学生30名を対象としてMRSAの鼻腔内保菌の調査を行った. 陽性率は各4.4%, 11.6%, 8.3%, 3.3%であった. 看護婦の保菌は救命センター(37.0%), 脳外科神経内科病棟(30.4%)で高率であり, 病棟でのMRSA検出患者数と平行していた. 除菌処置としてポビドンヨードゲルを1日2回1週間鼻腔内塗布し61%が陰性化した. 除菌困難例にはバシトラシン・フラジオマイシン軟膏を使用し54%が陰性化した. 耐性の誘導を考慮するとこれら抗生剤の局所使用は合理的であると考えられる.同一病棟同一時期での職員由来株と患者由来株のコアグラーゼ型は一致傾向はみられなかった. また除菌処置の励行により職員のMRSA保菌は激減したが, その後もMRSA検出患者は増加している. これらから職員の鼻腔内MRSA保菌に起因する患者への伝播の可能性は低いと推測される.
著者
黒田 智
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.109, pp.127-152, 2004-03

勝軍地蔵とは、日本中世における神仏の戦争が生み出した軍神(イクサガミ)であった。その信仰は、観音霊場を舞台に諸権門間の対立・内紛といった戦争を契機として誕生した。そして征夷大将軍達の物語とともに、その軍神(イクサガミ)的性格を色濃くしていった。多武峯談山神社所蔵「日輪御影」は、いわば勝軍地蔵誕生の記念碑的絵画であった。「日輪御影」は、応長・正和年間(一三一一〜一二)に、興福寺との合戦に際して戦場となった多武峯冬野における日輪出現と、その周辺の観音勝地で起こった三神影向伝説を絵画化したものである。画面下方に描かれた束帯に甲冑を着した三眼の異人は、良助法親王と推測され、彼が喧伝した勝軍地蔵を想起させる。画面上方の円光中に描かれた藤原鎌足像は、三眼の異人と対をなして勝軍地蔵の化身として配置されている。また画面上部に描かれた三つの円光は太陽・月・星であり、山王三聖信仰を背景とする三光地蔵の表象である。「日輪御影」に表された勝軍地蔵信仰の世界観は、三光の多様な言説を背景として、鎌倉中期から南北朝期にかけて浮上する太陽・日輪の文化の急速な波及と密接に関わっている。太陽・日輪イメージは、勝軍地蔵信仰と結びつくことで、戦う神仏のイデオロギー・武威のシンボルへと収斂していたのである。こうした太陽・日輪イメージは、天空における太陽の月・星に対する優位性が日本という国家・国土の優越性に準えられた思想であった。それは、日本の神仏の優位性を主張し、日本という国土を神聖化し、日本を仏教的コスモロジーの中心に位置付けようとする運動であった。勝軍地蔵信仰は、同時代の中世的国家・国土観念と不可分な結びつきをもちながら、後代に少なからぬ影響を及ぼしていったのである。Shogun jizo is an ikusa-gami (military deity) that was created as a consequence of the war among gods during the Middle Ages. The belief in this deity came into being on the occasion of battles that were confrontations and internal disputes between various men of influence in sacred sites of the Kannon (Goddess of Mercy). Together with the tales of the Seii-taishogun (military general), the character of the shogun jizo took on stronger character of a military deity."Nichirin-no-Miei" is held at Tonomine-Tanzan Jinja Shrine, and is symbolizing the birth of the shogun jizo."Nichirin-no-Miei" is a depiction of the appearance of nichirin (sun) at Tonomine Fuyuno, which was the battleground of the war that took place against Kofuku-ji Temple during the Ocho and Showa periods (1311-1312). It also depicts the legend of Sanshin Yogo (appearance of three gods), that took place near sacred sites of the Kannon. The strange three-eyed figure depicted at the bottom of the drawing wearing armor over full court dress is assumed to be Ryojo Hosshinno (Imperial Prince Priest Ryojo, son of Emperor Kameyama), who is somewhat reminiscent of the shogun jizo. The figure of Fujiwara-no-Kamatari, who is an incarnation of the shogun jizo, drawn in the upper part of the drawing inside an aureole is forming a counterpart to the three-eyed creature. The three aureoles drawn in the upper part of the picture are the sun, moon and Venus, and symbolize the Sanko jizo, which are linked to the Sanno Sansho religious belief.The world view of the shogun jizo belief represented in "Nichirin-no-Miei" has a close relationship with the rapid spread of the sun culture, which constitutes the Sanko belief together with the moon and Venus, that emerged from the middle of the Kamakura Period (1185-1333) through to the Period of the Northern and Southern Courts (1336-1392). By linking with the belief in the shogun jizo, the sun image came to narrow down to a symbol of the ideology and military power of warring gods.This image of the sun representing the superiority of the sun over the moon and Venus in the heavens was a belief that was modeled on the superiority of the state and territory that constituted Japan. It was a movement that advocated the superiority of Japanese gods, sanctified the territory of Japan and sought to position Japan in the center of the Buddhist cosmology. At the same time as being inextricably linked to the concept of the medieval state and territory of that period, the belief in the shogun jizo came to have a considerable influence over later periods.