著者
襌野 美帆
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.59, no.3, pp.193-220, 1994-12-30

メキシコ,オアハカ州,ミシュテカ高地に位置するサン・マルティン・ウアメルルパン村からは,村が都市社会や国民経済に組み込まれていくなかで,1930年代半ばより,多くの人びとが首都をはじめとする都市部へと移住した。本稿では,サン・マルティンに在住する者と同村から都市部へと移住した者の双方の動態的な諸関係について,とくに社会組織の側面に焦点を当てて論述する。具体的には,サン・マルティンから首都への移住者を成員として取り込むかたちで近年創設された新しい組織である「公共施設整備委員会」と,同村の伝統的な組織である「テキオ」および「カルゴ」を記述の対象としてとりあげる。さらに,この都市に拡がる新しい組織と村の従来の組織の関係性について考察する。この考察を通して,サン・マルティンの人びとが,都市社会との関わりを必然の前提とする現代を生き抜くために,いかに「伝統」を資源としているかが明らかになるであろう。
著者
井上 雅道
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.68, no.4, pp.534-554, 2004-03-31

本稿は、名護市辺野古を中心に筆者が行なってきたフィールドワークを基に、社会運動・抵抗研究の今日的な理論的枠組み-とりわけ「流用」(appropriation)論-を批判的に展開することを通じて、1995年秋の水兵による少女暴行事件後、大きな盛り上がりを見せた沖縄の基地反対運動がなぜ退潮を余儀無くされたのかを考察する。流用の概念は、社会的弱者が他者(特に権力)の文化要素を自らの文脈において別の意味で用いる過程の記述を可能にし、彼らの微細な抵抗やしたたかな主体性の分析に貢献してきた。だがその反面、流用論は、多様で異質な運動・抵抗を当事者(我々)と権力(あなた)の間の脱構築や転倒の「ゲーム」に還元し、閉域化・均質化された二者空間で「我々」の主体性や抵抗実践のみならず、「あなた」の自己増殖を助けてしまう危うさも併せ持つ。本稿では名護・辺野古の基地誘致派の運動を取り上げて、このような流用論の問題点を考える。同時に、本稿は「第三の人間」としての沖縄市民の視点を導入し、彼らが復帰後沖縄の豊かさを流用しながら基地問題に対する様々なパースペクティブが交渉・衝突する公共空間を構築する-そしてそれを最終的には瓦解させる-過程を明らかにする。一言で言えば、流用論を「我々とあなたの物語」を超えた次元にまで昇華させ、当事者の共同体、権力、市民の公共空間の間の複雑な三者関係の政治学を考察することが本稿の主題である。結論部では公共空間再構築のためのラディカルな流用の可能性も検討する。
著者
揚 海英
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.55, no.4, pp.455-468, 1991-03-30
被引用文献数
2
著者
藤田 真理子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.53, no.1, pp.58-85, 1988-06-30

本論は、1979-80年に行った、米国カリフォルニア州サンフランシスコ近郊に住む65歳以上の白人高齢者で、特に、高齢者向けの活動に積極的に参加している人々を対象とした調査を元に、老後の適応について象徴人類学の立場から考察した。ギァーツが提唱するように人間を「意味付ける動物」と定義し、高齢者がどのように、意味と象徴の体系を使って、彼らのとりまく世界、老後の活動を解釈するかということを中心に分析した。高齢者の日常会話を分析すると、workとmiddle classが、彼らの行動を意味付けるキー・シンボルとして浮かび上がる。この2つのシンボルに反映されているのは、独立性、主体性、勤労精神、ボランティア精神といったようなアメリカ文化の中核とされているものである。この2つのシンボルは、密接に絡まり合って高齢者の老後の生活を意義あるものとしていくと同時に、ディレンマも形成していく。このことは、無償奉仕活動に従事することの意味に的確に表れている。無償奉仕活動は、高齢者社会で社会的ステータスを築くと共に、人生の成功者という評価をもたらす。しかし、このことは、高齢者の労力に対する金銭的報酬を犠牲にするものである。2つのシンボルは、また、高齢者と他の年齢層との関係、及び、高齢者間の関係も規定する。
著者
山本 祐弘
出版者
日本文化人類学会
雑誌
季刊民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.14, no.1, pp.36-50, 1949
被引用文献数
1

The author, formerly Director of the Saghalien Museum in Toyohara, after collecting folk-tales among the Saghalien aborigines, comes to the conclusion that the belief in shamanism is the only aspect of their culture which has not been changed by Japanese influence. In the present paper he gives a detailed description of the ceremonies performed by Orokko and Gilyak shamans in January, 1945, in the Otasu reservation near Sisuka, South Saghalien.
著者
額田 巖
出版者
日本文化人類学会
雑誌
季刊民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.19, no.3, pp.179-211, 1956-03-25

1. Introduction : It is said that "knotting" is the first constructive technique that human beings acquired. By knotting, we can tie things, transport them and construct buildings. Knotting has also played an important part in the development of ancient designs, hieroglyphs and religious symbolism. It means posssssion, preservation, sealing, enclosing and connection. Expanding this idea, the technique of gate-bar, button, nail, hinge etc. were developed. The author believs that Japanese have acquired these techniques during the past several thousand years. 2. Classification of knotting by districts and professions. In order to clarify the binds of knotting and frequency of usage among our common people, the author has made a complete investigation throughout the country, by districts and by professions. The result indicates that the most popular knotting are the "man knot", "right knot", "weaver's knot" and "clove hitch" (heaving line bend or builder knot). And the following knots have special significance in their relation to ceratin professions, respectively: "english tie"-fisherman; "bowline knot"-fisherman; "weaver's knot'-farmer; "slide knot" (ship knot or running knot)-farmer; and "twisting-into knot"-farmer and carpenter. It would be noted that there are different names for the same knot in different districts. For example, the "man knot" has eight different names in a certain district, and has twenty-four different names in the whole country. It was found that the "man knot" and "twisting-into knot seem to have originated in our country. The author believes that these kinds of knotting were developed by using only moderately soft material such as straw. 3. Left-twisting rope and right-twisting rope: In ancient days, the miscauthus, miscauthus sinensis and tree bark seem to have been used as materials for rope. The twisting technique of rope material was invented by necessity in order to lengthen the short material. There are two kinds of twisting technique ; namely, "left-twisting" and "right-twisting". Through the investigation of the variation and distribution of these twisting techniques, the following three reasons for development were found, (a) For utillitarian purposes, (2) for religious or traditional reasons, and (c) through customs of old courtesy and manners. Especially it must be mentioned that the left twisting rope is frequently used in religious celebration in eastern Japan. 4. The method used in the solution of criminal offences : It is said that murders by using knots (strangulation) have rapidly increased after the War. The ease of obtaining knotting materials such as rope, string, cord, tape, band, strip, thong or ribbon etc., as compared with other instruments, seems to have encouraged this tendency. Investigation into the kinds of material and the knotting methods employed shows that there is a significant relation between the kind of knotting and the profession of the offender. In fact, many of famous criminal offences after the War in our country have been solved by the analysis of material of rope, characteristics of knotting method and the colors of the rope used.
著者
金関 丈夫
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.30, no.4, pp.274-276, 1966-03
著者
谷 泰
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.64, no.1, pp.96-113, 1999-06-30

ヤギ・ヒツジ群への人の管理的介入をやめて放置すると, 家畜としての行動特徴を失い, 野生種としての行動特徴を示すようになる。このことは, 家畜としての特徴が, 牧夫による日々, 季節ごと, 世代を通じて繰り返される技法介入によって再生産されており, 家畜を家畜たらしめた初期的介入も, 牧夫の介入のレパートリーの中に潜在的に隠されていることを暗示している。このような考えのもと, 筆者はかって, ヤギ・ヒツジの家畜としての行動特徴, 考古学的証拠, そして家畜として固有の行動特徴の獲得に関連すると考えられる技法的介入を相互参照することで, 中近東での家畜化の初期過程を再構成することを試みた。本論考では, この先行仮説において, 家畜化の初期過程ですでに適用されたと見なした二つの介入技法をとりあげ, 新たに知りえた家畜飼養に関する考古学的遺構事実を参照することで, その成立時期を確定し, その意味を論ずる。その技法とは, 1)キャンプ地での雌の密集状況下, 実母に接近できない新生子を抱えて母雌の脇腹に押し込む哺乳介助技法-個体レベルでの人との親和性の成立をもたらすだけでなく, 搾乳技法の開発にとっても基本的前提条件をなすもの。2)同じく雌の密集状況下で夜間成雌に踏みつぶされないため, 新生子を夜間, 小囲いに隔離する技法-同世代集団の共同保育によって, 野生段階で顕著な母子凝集傾向に対して, 水平的でアモルファスな群形成を強化するものである。ちなみに, これら中近東での介助技法についての事実は, 独自に搾乳技法を開発しないばかりか, 家畜化開始以来幼児死亡率がきわめて高いといわれるアンデスの牧畜民を考えるさいにも, ひとつの対比的参照項としても意味をもつはずである。
著者
加藤 剛
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.67, no.4, pp.424-449, 2003-03-30

開発の語られ方を、革命の語られ方との対比で検討する。舞台はインドネシアであるが、革命と開発は、第2次世界大戦後50年間のインドネシア現代史を二分するキーワードである。二つの社会的出来事についての語りを、リアウ州のコトダラム村(仮名)における過去20年ほどの定点継続調査の結果と、政府関係文書の記述などから比較・検討する。インドネシアにおける革命は、1945年8月17日の独立宣言から始まり、49年12月末の主権移譲まで、再植民地化を図ったオランダにたいする戦争、すなわち独立戦争を意味している。インドネシア初代大統領スカルノは、「指導される民主主義」時代(1959-65年)に、オランダが依然として支配していた西イリアンの奪回と、インドネシア式社会主義社会の建設を唱え、革命の復活・継続を叫んだ。しかし、1962年から63年にかけて西イリアン解放が実現すると、革命の説得力は色褪せ、経済の破綻や軍の画策もあって、政権は崩壊した。スカルノに代わって大統領となったスハルトは、32年間に渡って開発主義的政策を推し進めた。第1次から第6次まで立案・実施した5カ年開発計画のように、自己の権力も繰り返し更新可能と考えたのであろうが、長期政権下で汚職、癒着、縁故主義が蔓延し、1997年のアジア通貨危機の1年後、政権の座から滑り落ちている。革命と開発を比較するとき、前者は動員、参加・犠牲、体制打倒、記憶、再生(リプレー)と結びつき、開発は選挙、充足・消費、体制維持、計画、更新と結びつく傾向にある。革命は潜在的に危険であるがゆえに、一般に現存政権にとっては記憶されるべき過去であり続けることが望ましい。他方、開発は過去を振り向かない。プロジェクトの立案、すなわち、完成後いずれは自己陳腐化する非日常性を企画する開発には、自己更新の内的性向が組み込まれている。そして、開発プロジェクトとともに、予算、支出、充足、投票、さらにはしばしば汚職も同時に計画されるがゆえに、開発は権力と同じく内部から腐敗しやすい、といえよう。
著者
土佐 桂子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.61, no.2, pp.215-242, 1996-09-30

従来のビルマの宗教研究は仏教と精霊信仰など民間信仰との共存をいかに理解するかを主に議論してきたが,そのなかでウェイザー信仰は断片的に触れられるに留まってきた。ウェイザーとは錬金術や呪薬などの術(ローキー・ピンニャー)や仏教的修行を通じて超能力を獲得した存在であると信じられている。本稿はウェイザーになることを目的に結成されたガインの調査をもとに,内部の師弟関係や世界観,儀礼などを記述する。更にウェイザーの理解や伝授されている術はガインによって異なることを導きだし,ガインの人々が自らを語る際にローキーとローコゥタラという一対の概念を用いることに着目する。それぞれのガインが自ら特徴をいかに強調するかを分析することで,それぞれの主観に基づく「仏教」のあり方がローコゥタラという尺度を通じて複数生成している状況を指摘し,多様なガインの展開を静態的なモデルに収斂させることなく把握する試みを行う。
著者
吉野 裕子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.45, no.2, pp.134-159, 1980-09-30

In the serialized reports the writer gave in this journal's previous issues entitled "Studies on Ise Shrine, Part I-III, the contention is that what we conceive of as typically Japanese festivities observed and conducted in the Shrine were actually very much influenced by the old Chinese philosophical thinking of "Cosmic Dual Forces and Five Natural Elements' as envisioned in the enshrining of AMATERASU, the Imperial ancestral goddess in the Ise Shrine. She was the incarnation of the Chinese cosmic god of Tai-Yi, the mythical identification of the North Star and to the Geku goddess, the outer Shrine, the enshrining of the Big Dipper. While festivals observed at Ise Shrine are Imperial Household rituals, the thought of Cosmic Dual Forces and Five Natural Elements was also widely and forcefully applied and practiced in the public domain such as in the festivities, seasonal change customs and in conjurations to avoid ill omens and calamities. The present report is a study of such phenomena. According to ancient Chinese philosphy. CHAOS was the one and only absolute being in the primordial age. Out of this CHAOS, the light, clear and clean Yang (陽) atmosphere rose to form the Heavens while the dark, heavy and murky Yin (陰) atmosphere descended to form the land. Since the two poles of Yin (陰) and Yang (陽) are the spinoff from the same maternal substance, the CHAOS, their roots are identical and therefore, they would attract one another, mingle and react, and as a result, would produce the five natural elements of Wood, Fire, Earth, Metal and Water. Every phenomenon was categorized into one of these five natural elements. The colours, directions, seasons, times, virtues, sounds and the kinds of living creatures to such natural phenomena as thunder, wind and so forth were all conformed into one of these five natural elements. To illustrate, the wood spirit symbolizes the Spring of the seasons, blue is its colour, East is its direction, and Morning in time, while the Fire spirit symbolizes Summer, Red, South and Noon, and Metal, Autumn, White, West and Evening respectively. There was another thought regarding these five Natural Elements which was reactionary in its function:one was continuity and amity, while the other was conflict and struggle. Continuity and amity will bear Fire from the Wood while Fire will bear Earth and the Earth, the Metal and the Metal bears Water while Water bears Wood. This is the plus or positive factor relation. The conflict and struggle are negative or minus relation in which the Wood overcomes Earth, and Earth the Water and Water the Fire and Fire the Metal, with Metal overcoming the Wood. These two opposing and reactionary functions serve to guarantee the perpetuation of all living matter. What the Chinese emphasized most was the smooth transition of the four seasons. They believed that people should actively participate and assist the natural transition of seasons and to this end the ancient Chinese emperors wore blue clothes and blue jewels to meet the Wood spirit on the first day of Spring (calendar date) and walked out to the East suburb to personally welcome the Spring. By the same token. in summer they wore red clothes and red jewels and walked out to the South suburb. Thus, by personally greeting the four seasons, they encouraged the natural transition of the seasons. For the Japanese, a race dependent on rice crops, they too would seek a regulated transition of the four seasons and the principle practiced in China would be utilized and practiced.

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著者
島田 正郎
出版者
日本文化人類学会
雑誌
季刊民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.15, no.1, pp.35-40, 1950-08-15

Among the ceremonial institutions of Liao, there was one called Se-se-i, in which a ceremony of shooting willow-trees was held for the prupose of praying for rain. In the Liao-shih pen-chi we find also a record of praying for rain by shooting willows. Dr. M. Takikawa has argued, on the basis of the association of the willow with water, that the custom derived from the Chinese, and as it had become a mere sport (as it also did later during the Chin dynasty) its original meaning was forgotten. The present author, on the contrary, sees the origin of this ceremony as a shooting contest only, lacking any conceptual association of willow and water. As the time of the ceremony coincided with the dry season, the magical power of bow and arrow, which had been typical of the Ch'i-tan mind, came to be combined with the idea of preventing willow-leaves from withering, and consequently with that of praying for rain. The willow-shooting ceremony continued to be held even when no special intention was attached to it, until it became mere entertainment both in the Chi-shan-i and Se-se-i. This type of ceremony developed ultimately into the "Willow-shooting and polo sports" during the Chin dynasty.
著者
池谷 和信
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.64, no.2, pp.199-222, 1999-09-30
被引用文献数
1

毛皮は, かつて"柔らかい宝石"と呼ばれ, 西ヨーロッパや中国において上流階級のステータス・シンボルを示した。本稿では, 世界システム論の視点から, 世界の毛皮をめぐる中核と周辺の変化の動態を把握する枠組を提示したあとに, カラハリ砂漠における毛皮交易の盛衰を通して狩猟民の社会変化を把握することを目的とする。16世紀以降の毛皮交易史をみていくと, 世界には西ヨーロッパ, 中国, 日本, アメリカという4つの中核が存在してきたこと, 北アメリカ, シベリア, 中国東北部に加えて南部アフリカも毛皮交易の発達がみられた地域であること, 1930年頃にはサン, ピグミー, イヌイット, オロチョンなどの世界の周辺に暮らしていた人々が, 共通に世界経済システムの周辺に組み込まれていたことが明らかになった。また, カラハリ砂漠において毛皮交易の盛衰をみていくと, サンのなかには毛皮の運搬や猟法の変化などのように直接的影響を受けていた人々とカラハリとの毛皮の交換を通して無意識のうちに世界システムに巻き込まれていった人々という2つの対応がみられた。とりわけ1930年代には, サンがカラハリに従属する関係がみられたが, 毛皮税の支払いがなくなると, サンの自立性が高まっていった。しかし, この地域での毛皮交易の永続性は短く, 1950年代におけるサンによる農場への労働力移動という側面が, 社会変容に大きな影響を与えていた。以上をふまえて, 人類学における世界システム論の視点を用いた研究では, 世界的に毛皮の流通が世界の周辺にまで浸透していた点や現存している人々から聞き取り調査の可能な点から, 1930年代の毛皮交易による社会変化の復元に焦点を置くことで新しい成果が生まれると考えられる。
著者
佐々木 重洋
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.61, no.1, pp.1-27, 1996-06-30

「クロス・リヴァー地方」のエジャガム社会では,死に「善悪」判断がくだされ,それに応じて異なる埋葬がおこなわれる。その際,特定の身体的症状を呈する死およびブッシュや川などの特定の空間における死が「悪い死」と判断され,遺体は舌を切られたうえ,集落の外に設けられた「邪悪な森(悪いブッシュ)」にうつぶせに埋葬される。本稿は,この慣行内容に関する記述をおこない,「悪い死」を決定する判断基準およびその論理を分析するとともに,このような慣行が社会において果たす役割について考察する。また,死の「善悪」判断とそれに応じた埋葬慣行が操作的になされていることを認めた上で,そのような意図を必要とさせる社会的背景にも注目する。とくに,個人の極端な成功や突出をめぐる相矛盾した価値観が併存するエジャガム社会において,「悪い死」概念を支える論理,いわば災因関する知の体系が自己抑制を社会的に達成していることを指摘する。