著者
波平 恵美子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.42, no.4, pp.334-355, 1978-03-31

This article discusses symbolic meanings of the belief in which a drowned body becomes deified as Ebisu-gami. Japanese fishermen usually are under a prohibition or a taboo that they should not take pollution caused by death into the sea, because they belive the sea is a sacred place and pollution, especially concerning death, might cause dangers to them. Nevertheless, they pick up a drowned body whenever they find it on the sea and deify it as Ebisugami, a luck-bringing deity. In Japanese folk belief Ebisu-gami is worshipped as a luck-bringing deity by fishermen, farmers or merchant and is also a guardian deity of roads and voyages. A remarkable attribute of Ebisu is its deformity. The deity is believed to be one-eyed, deaf, lame or hermaphrodical. It is also believed to be very ugly. People sometimes say that it is too ugly to attend an annual meeting of all gods which is held in Izumo, Simane Prefecture. In Japanese symbolic system deformity and ugliness are classified Into Kegare (pollution) category as I have represented in my articles (NAMIHIRA, E. : 1974 ; 1976). Some manners in Ebisu rituals tell that Ebisu is a polluted or polluting deity, e. g., an offering to the deity is set in the manner like that of a funeral ceremony, and after a ritual the offering should not be eaten by promising young men. Cross-culturally deformity, ugliness or pollution is an indication of symbolic liminality'. In this sense. Ebisu has characteristics of liminality at several levels (1) between two kinds of spaces : A drowned body has been floating on the sea and will be brought to the land and then be deified there. In Japanese culture, the land is recognized 'this world' and the sea is 'the other world'. A drowned body comes to 'this world' from 'the other world'. (2) between one social group and another social group ; In the belief of Japanese fishermen only the drowned persons who had not belonged to their own social group, i. e., only dead strangers could be deified as Ebisu. The drowned person had belonged to one group but now belongs to another group and is worshipped by the members ; (3) between life and death : Japanese people do not perform a funeral ceremony unless they find a dead body. Therefore, a person who drowned and is floating on the sea is not dead in the full sense. That is, the person is between life and death. The liminality of Ebisu-gami is liable to relate to other deities whose attributes are also 'liminal'. Yama-no-kami (mountain deity) or Ta-no-kami (deity of rice fields) and Doso-shin(guardian deity of road) are sometimes regarded in connection with Ebisu. Japanese folk religion is a polytheistic and complex one. Then, it is significant to study such Ebisu-gami that are interrelational among gods and have high variety in different contexts in the Japanese belief system.
著者
星野 晋
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.66, no.4, pp.460-481, 2002-03-30
被引用文献数
1

本研究は、エホバの証人の輸血拒否を、新しい医療技術の開発によって医療現場で生じた文化摩擦であると位置づけ、この問題をめぐる日本の医療環境の変化の過程を見ていくことにより、医療と技術と文化の関係を検討することを目的とする。エホバの証人(法人名、ものみの塔聖書冊子協会)は、19世紀末にアメリカで誕生したキリスト教系の宗教団体であり、血を食べてはならないという聖書の記述を根拠に医療現場で輸血を拒否することが、さまざまな国で社会問題になった。日本では、1985年交通事故に遭った小学生の輸血を両親が拒否し死に至ったことがマスコミで報道され、エホバの証人、信者である両親、輸血を強行しなかった医師等が非難の的となった。1990年前後から、輸血拒否問題をめぐる状況は大きく変わり始める。患者の自己決定権、インフォームド・コンセントといった概念が社会的に認知されるようになってきたが、これらの考え方はエホバの証人の輸血を拒否し「無輸血治療」を選択するという主張と合致するものであった。一方、薬害エイズ問題等で輸血や血液製剤の危険性が改めて注目されるところとなり、その回避にもつながる新しい薬剤や技術が開発されはじめる。その結果、輸血は人の生死を分ける唯一の選択肢ではなくなった。また協会はそのころ、新しい技術や無輸血治療に理解を示す医師等についての情報を信者に提供するなどして信者と医療の架け橋の役割を果たす、医療機関連絡委員会等の部門を設置する。結局、医療側とエホバの証人は、それぞれがいだく信念の直接衝突を避け、インフォームド・コンセントの枠組みを最大限に利用し、その場面でなされる利用可能な技術の選択という一般的なテーマに輸血拒否の問題を解消させる。その結果この文化摩擦は解決する方向に向かっているといえる。
著者
森 雅雄
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.62, no.1, pp.66-85, 1997-06-30
被引用文献数
1

本稿は, 近代において日本人がどのように「他者」を認識したのか, そして日本の民族学がその歴史の中にどのように位置づけられるのかを検討しようとするものである。幕末と明治期における日本人, 特に武士や士族は東アジアにおける共通語である漢文によって「他者」と意志疎通することができた。1850年代のペリー来航の時も, 日本は鎖国政策を採っていたけれども, 通常考えられている以上に効果的に彼らと交渉することができた。これは彼らの漢文能力によるものと考えられる。日本の武士は漢文を通じて「他者」を知ることができたのである。明治時代初期においても, 日本人はなお漢文による論理の儒学の教えが身についていた。このことは日本人が国際法のような西洋の規範を採用する基盤となったと思われる。日本における人類学の創設者坪井正五郎は武士の子弟であり, 西洋の人類学を取り入れ, 日本人を外来種と見ることに躊躇しなかった。大正時代は「他者」の認識が希薄になる時代である。日本人から武士の精神が失われるとともに「自己」に対峙する「他者」の認識は失われていった。それ故, 台湾や朝鮮のような日本の植民地は, 主権国家によって支配される地域ではなく, 日本の同質の一部として見られる様になるのである。これ以降, 日本はこれに対峙する「他者」のないままに拡大してゆくことになる。人類学者も日本人を古来より存在している単一民族として見るようになる。民俗学者柳田国男も日本民俗学を外国を必要としない一国民俗学として成立させる。日本民族学はこの日本民俗学から生まれた。しかも日本民俗学が持っていた方法や観点の一貫性さえ失ってしまったのである。即ち何かを一貫したものとして見るために要請される「他者」というものを。そしてそれは第2次大戦後の民族学者の変わり身の早さや石田英一郎の色々な方法に対して示した抱擁力に見ることができるのである。
著者
太田 好信
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族学研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.57, no.4, pp.p383-410, 1993-03
被引用文献数
4

本論は、文化の担い手が自己の文化を操作の対象として客体化し,その客体化のプロセスにより生産された文化をとおして自己のアイデンティティを形成する過程についての分析である。現代社会において,文化やアイデンティティについて語ることは,きわめて政治的にならざるをえない。したがって,この客体化の過程も,その対象や方法,またその権利などをめぐる闘争に満ちている。文化の客体化を促す社会的要因の一つは観光である。観光は「純粋な文化」の形骸化した姿を見せ物にするという批判もあるが,ここでは,観光を担う「ホスト」側の人々が,観光という力関係の編目を利用しながら,自己の文化ならびにアイデンティティを創造していることを確認する。つまり「ホスト」側の主体性に立脚した視点から観光を捉え直す。国内からの三事例を分析し,「真正さ(authenticity)」や「純粋な文化」という諸概念の政治性を再考する。
著者
橋本 裕之
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.62, no.4, pp.537-562, 1998-03
被引用文献数
2

近年, 人文科学および社会科学の諸領域において文化の政治性や歴史性に対する関心が急速に高まった結果として, 博物館についても展示を巨大な言説の空間に見立てた上でテクストとしての展示, もしくは表象としての展示に埋めこまれたイデオロギー的な意味を解読した成果が数多く見られる。だが, 展示をとりあげることによって表象の政治学を展開する試みは, 理論的にも実践的にも限界を内在しているように思われる。そこで決定的に欠落している要素は, 来館者が構築する意味に対する視座であろう。展示がどう読めるものであったとしても, 来館者が展示された物をどう解釈しているのかという問題は, 必ずしも十分に検討されていないといわざるを得ないのである。本稿は以上の視座に依拠しながら, 博物館において現実に生起している出来事, つまり来館者のパフォーマンスを視野に収めることによって, 博物館における物を介したコミュニケーションの構造について検討するものであり, 同時に展示のエスノグラフィーのための諸前提を提出しておきたい。実際は欧米で急成長しているミュージアム・スタディーズの成果を批判的に継承しつつも, 私が国立歴史民俗博物館に勤務している間に知ることができた内外の若干のデータを演劇のメタファーによって理解するという方法を採用する。じじつ博物館は演劇における屈折したコミュニケーションにきわめて近似した構造を持っており, そもそも物を介したインターラクティヴ・ミスコミュニケーションに根ざした物質文化の劇場として存在しているということができる。こうした事態を理解することは民族学・文化人類学における博物館の場所を再考するためにも有益であると思われる。
著者
阿部 年晴
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.62, no.3, pp.342-359, 1997-12-30

文化人類学で用いられる呪術概念は, 近代ヨーロッパの形成過程において, 宗教(キリスト教)や科学や近代的な社会制度から排除され否定的な価値を付与された残余カテゴリーであった。この残余カテゴリーの指し示すところにしたがって始められた呪術研究においては, 連想の原理の誤用, 心理的言語技術, 融即, 象徴的表現, 物語生成装置, 構成規則にしたがう技術, ゼロ記号などさまざまなとらえ方が提出された。その過程で, 非合理的でマイナーな慣習と見なされていたものの研究が, 文化的存在としての人間生を根底で支えているものでありながら近代的な諸科学が気づかなかった行為の諸側面や, 文化的秩序の基本的な再生産装置に光を当てるという逆説的な事態が生じている。しかもそのような行為の諸側面や文化装置の弱体化は, 現代文明が草の根において遭遇しつつある危機とかかわりをもっていると思われる。このような観点から呪術研究をさらに展開するために必要なことの一つは, 日常的文脈における呪術世界の研究を基盤として, レヴィ=ストロースのマナ論にみられるような理論的考察と民族誌学的な記述分析と内在的記述とを結び付ける作業である。
著者
煎本 孝
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.66, no.3, pp.320-343, 2001-12-30
被引用文献数
2

北海道阿寒湖畔において50年間続けられてきたまりも祭りは、アイヌの伝統的送り儀礼の形式を取り入れて創られた新しい祭りである。当初、この創られた伝統は、アイヌ本来の祭りではない、あるいはアイヌ文化を観光に利用しているという批判を受けることになった。しかし、祭りを主催するアイヌの人々は、この祭りは大自然への感謝祭であると語る。本稿では、まりも祭りの創造と変化の過程、それをめぐる語り、阿寒アイヌコタンと観光経済の関係、さらに現在行われているまりも祭りの分析から、アイヌの帰属性と民族的共生の過程を明らかにする。その結果、(1)アイヌの民族性の最も深い部分にある精神性の演出により、新しいアイヌ文化の創造が行われていること、(2)この祭りの創造と実行を通して民族的な共生関係が形成され、それが維持されていること、(3)そこでは、アイヌとしての民族的帰属性が、アイヌと和人とを含むより広い集団への帰属性に移行していること、が明らかになった。さらに、最後に、民族的共生関係の形成を可能にするのは、経済的理由や語りの技術によるだけではなく、異なる集団を越えて、それらを結び付ける人物の役割と人間性が重要であることを指摘した。
著者
村崎 恭子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
季刊民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.27, no.4, pp.657-661, 1963
著者
松園 典子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.47, no.3, pp.297-304, 1982-12-30
被引用文献数
1
著者
三尾 稔
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.58, no.4, pp.334-355, 1994-03-30

南アジア各地で祝われるドゥルガー女神の例大祭は,ヒンドゥ王権の儀礼的な側面はほとんど見いだされない。隣接地域の過去の民族誌の検討により,事例間の差異の理由は文化的多様性ではなく歴史的変化に求められることが明らかとなる。インド独立以後の急速な社会変容は,超歴史的とされてきたヒンドゥ的王権を基盤とする村落社会構造を根底から揺るがし祭礼の過程をも変化させたと解釈できるのである。本論では,女神の祭礼の変容の様相を祭礼の行われる農村の社会変化と対応させながら具体的に記述し,最後に今日も依然として盛大に祝われるこの祭礼の今日的な意義を検討する。
著者
杉本 良男
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.68, no.2, pp.242-261, 2003-09-30

人類学において「比較」の方法は時代おくれのものとみなされ、また現地調査そのものも批判の対象になっている。そのような批判に過剰反応して、人類学の一部は、調査、民族誌記述比較など、従来の学問の中心的な営みとされてきた部分をそぎおとし、自己・主体に閉塞する私小説的な相貌を帯びてきている。ラドクリフ=ブラウンやマードックらによる科学主義的な比較研究は、みずからか神の視点に立つ普遍主義的前提にもとづいていたが、レヴィ=ストロース、デュモンらによる遠隔の比較には、西欧中心主義を相対化する視点が含まれていた。デュモンのいう宿命としての比較に対して、非西欧世界の人類学者にはさらに、比較の前提となる単一性、普遍性が外から与えられてきたという点で、大きく異なっている。人類の普遍性、人間の単一性とはキリスト教世界が浸透させてきた神話の意味があるが、このような普遍神話、単一神話は、非西欧世界のエリートによって受容され、定着させられてきた歴史もある。このような限界を意識した、いわば物象化された普遍性を前提とした比較の試みは、西欧中心主義を批判するとともに、人類学のあたらしい可能性をも示唆している。
著者
中西 定雄
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.40, no.3, pp.265-266, 1975-12-31
著者
清水 芳見
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.54, no.2, pp.166-185, 1989-09-30

本稿では, ヨルダンの北部のクフル・ユーバーという村の邪視信仰について, 記述, 考察する。この村では, 邪視は妬みと不可分に結びついており, 妬みが生じるような状況下では, どんな人間でも邪視を放つ可能性があるとされている。邪視除けの方法として, この村でもっともよく行なわれるのは, 邪視にやられると思われたときに特定の文句を唱えることであり, 邪視にやられて病気になったときの治療法としては, sha' ir al-mawlidと呼ばれる植物などを焚きながら特別な祈念をしたり, クルアーンの章句を唱えたりすることがよく行なわれる。この村では, 邪視を放った者を公に告発するようなことは行なわれないが, この告発ということに関連して, 邪視を放ったという疑いをかけられないようにするための方策がよく巡らされる。最後に, この村では, 邪視がつねにイスラームというコンテクストのなかで理解されているということが, 本稿全体を通して明らかになった。
著者
近藤 英俊
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.67, no.3, pp.269-288, 2002-12-30

西欧医療の近代化は、強力な医師会の設立と国家への介入、国家による医療規制と資格化、そして他の医療の排除と市場の独占、すなわち専門職化(professionalization)という職業集団の戦略に負うところが大きい。ところが現在世界各地では伝統医療従事者による専門職化が進められている。このことは伝統医療が西欧医療と同じような近代化を経験しつつあることを意味するのだろうか。本稿はナイジェリア・カドゥナ市における伝統医療の専門職化に焦点を当て、その動向を吟味する。カドゥナの伝統医療の専門職化は1970年代末にナイジェリアのメトロポリスであるラゴスの伝統医師会の指導のもとに始まり、当初はリーダーのカリスマ性も手伝って順調に組織化が行われた。しかしその後伝統医師会はリーダーシップを狙う野心的な伝統医によって派閥化、さらに会員認定証をめぐる不正行為のせいで事実上機能を停止する。すなわち伝統医師会の歴史は伝統医のあいだの不信感、グループの離散集合、そして組織の暫定性に彩られている。また確かに伝統医は会員認定証を所持し、「伝統医」や「ハーバリスト」といった呼称を使うようになっているが、彼らはそれらを政治的経済的関心にもとづいて様々に流用している。つまり医療知識の基準化や、アイデンティティーの統合・単一化が起こっているわけではない。この専門職化に見られる諸特徴はカドゥナ伝統医療の全般的な変化の一端を示している。その変化とは治療者が自らを規定する社会条件を再帰的に変革していくような近代化の過程ではなく、むしろそれとは対極的な変化、治療者がその実践・活動を複数化、断片化、流動化していく過程である。いいかえればここでは伝統医が反省的な専門家(expert)ではなく、状況に応じて複数の文化を渡り歩く起業家(entrepreneur)となりつつあるように思われる。