- 著者
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高宮 広土
- 出版者
- 日本文化人類学会
- 雑誌
- 民族學研究 (ISSN:00215023)
- 巻号頁・発行日
- vol.63, no.3, pp.283-301, 1998-12-30
日本列島における稲作に関するテーマのなかで, 最も関心を持たれているテーマのひとつは「水稲稲作のルート」であろう。今日, 日本列島への水稲稲作のルートとして, 大別して, 北方説, 江南説, および南方説の三仮説が提唱されている。現時点において, 江南説が最有力視されているが, 他の二仮説も100%否定はされていない。本論では, そのうち, 「海上の道」説としても知られている南方説の検証を試みる。柳田国男による「海上の道」説提唱以後, この説は多くの研究者を惹きつけてきた。その大きな要因は, おそらく柳田国男という民俗学者が提唱したことおよびこの説が研究者に大きなロマンを抱かせるからであろう。本論では, まず, 柳田説を含む南方説の可能性を考古学的および民族・民俗学的・植物学的資料等をもとに概観した。その結果, 考古学的資料からは「海上の道」説を強く支持するという資料は得られなかったが, ここ十数年ほどで蓄積した他の分野による資料は南方からイネが本土へ導入された可能性を示唆するものであった。次に, 沖縄先史時代における植物遺体分析をもとに柳田の「海上の道」説を検討した。弥生∿平安並行期前半の遺跡である高知口原貝塚(弥生期)および同期後半の遺跡である那崎原遺跡(8∿10世紀)においてフローテーションを実施し, 回収された炭化植物遺体の同定を試みた。結果は, 考古学的資料と同様に「海上の道」説を否定するものであった。