3 0 0 0 OA 家と祖先崇拝

著者
櫻井 義秀
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.39, no.2, pp.119-136,227, 1988-09-30 (Released:2009-11-11)
参考文献数
34

祖先崇拝は直系家族における家長-跡取りの権威主義的な互恵関係を正当化する「孝」を儀礼化したものであり、家父長的家族結合を維持・強化する機能を果す。本稿の目的は、フォーテスらにより提唱されたこの理論を以下の二点に関して考察することにある。 (一) 家長-跡取りの世代間の構造的結合を死者供養の儀礼の中に確認すること、 (二) 祖先崇拝と家の構造連関を測定すること、である。この問題を農業村落である山形県村山郡黒澤のムカサリ絵馬習俗と祖先崇拝の実態調査から分析し、次の結論を得た。(一) 婚姻の絵馬習俗に認められた家長-長子のダイアッドは、祖先崇拝における世代間関係の主・客を逆転させたものである。未婚の死者が先祖になれないというのは、家を創設、又は継承させるための前提条件である子孫を残さなかったからである。婚姻が、家格維持・嫡子獲得の制度であった地域において、天逝者に対する婚姻儀礼は、家の象徴的実体である祖霊に彼らを加えることを意味した。家長は、とりわけ長子に対しこの儀礼を行った。(二) 祖先崇拝の祭儀の実施は、生業形態・家族類型・家格・家父長的父子関係・世代深度の、家の構造を示す諸変数と関連を持つ。黒澤のような農村部で行なわれる現在の祖先崇拝は家と密接な関係を維持していると考えられる。
著者
副田 義也
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.59, no.1, pp.238-241, 2008-06-30 (Released:2010-04-01)
著者
岡本 智周 笹野 悦子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.52, no.1, pp.16-32, 2001-06-30
被引用文献数
1 2

本稿は, 戦後の新聞紙上で「サラリーマン」の表象がいかに変化してきたのかを分析する.近年しばしば「サラリーマンと主婦に子ども」という家族構成が家族の「55年体制」と称されている.その「55年体制的サラリーマン」が戦後の全国紙において生成し, 消失していく過程を具体的に提示することが, 本稿の意義である.<BR>分析の対象は, 1945年から1999年の『朝日新聞』における, 見出しに「サラリーマン」という語が入った全1034件の記事である.我々はまずこれらの記事を量的に検討し, それらを内容の面から8つのカテゴリーに分け, さらにカテゴリーごとに「55年体制的サラリーマン」を自明視する記事の割合の増減を検討した.この作業によって戦後を5つの時期に区分することができた.<BR>次に我々は, 内容分析によって各時期の「サラリーマン」の特徴を提示した.「55年体制的サラリーマン」に関して明らかになったことは, その自明性が高度経済成長期の初期に初めて成立し, 「サラリーマン」に対して1960年代後半においては「納税」が, ポストオイルショック期においては「性別役割分業に基づいた家族への回帰」が期待されていたことである.また, その自明性がバブル経済期半ば以降に問い直され始め, 1990年代において「サラリーマン」にはリスクを伴う個人化傾向・周縁化傾向が促されつつあるということも, 本研究によって確認された.
著者
三具 淳子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.58, no.3, pp.305-325, 2007-12-31
被引用文献数
2

第1子出産は女性の労働者としての地位を大きく変える分岐点である.「妻の就業」は本人の経済的自立の基盤であり,夫婦の平等志向を実現させる重要な要因であるとともに,夫婦の内と外のジェンダー・アレンジメントの結節点でもある.<br>この点をふまえ,本稿は,第1子誕生を間近に控えた夫婦へのインタビューをもとに,出産後の妻の就業継続等の行動を決定する過程を分析した.その際,Komterによる3つの権力概念の適用を試みた.その結果,夫婦の個別的相互関係においては「顕在的権力」の作用は認められず,確認されたのは,マクロなレベルに規定要因をもつ「潜在的権力」と「目に見えない権力」の作用であった.<br>「目に見えない権力」の背景には,ジェンダー・イデオロギーとともに合理主義的判断の優位性がみられ,こうした複合的な規定要因が補強しあって作用するため,妻の多くが不満をもたずに労働市場から「スムーズ」に退出していく態様がとらえられた.<br>これらの分析結果は,Komterの権力概念の再考を迫るものとなった.1つ目は,「潜在的権力」が社会構造的レベルにも規定要因をもつという点,2つ目は,「目に見えない権力」はジェンダー・イデオロギーのみによって規定されているわけではく,複合的な要因を考慮する必要があるという点である.
著者
榊原 賢二郎
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.64, no.3, pp.474-491, 2013 (Released:2014-12-31)
参考文献数
40
被引用文献数
1

社会的包摂は身体的条件, たとえば障害として言及されるものといかなる関係にあるのか. 1つの見方は, 包摂を身体の不顧慮, すなわち身体的条件によらない処遇に結びつける. しかしこの身体の不顧慮は, たとえば障害者への介助などの支援に結びつかず, かえって包摂への機会を制約する. むしろ包摂は, 身体の顧慮 (身体に応じた処遇) も取り込んだ, 身体の不顧慮の近似と考えたほうがよい. その近似の具体的な方途を, 1970年代以降の日本の障害児教育における投棄 (ダンピング) 問題に即して検討する. 障害児の統合教育の批判者は, 統合教育は投棄, すなわち適切な支援を欠いた偽りの包摂であると主張した. しかしこれら場の統合と支援の提供の両立可能性の低さは, 学級における生徒の身体的均質性を前提するような教育制度や財政配分を前提にしている. その前提条件が部分的にでも変更され, 統合された場で個別の支援が可能となるならば, 場の統合と支援の提供の両立可能性は高まり, 障害児は, 「トラッキング」 (生徒のある種の分割を通じた各学級の均質化) からの実質的自由を得る. 一方で場の統合と支援の提供のあいだには非親和性もあり, 障害児と健常児の相互理解の促進などのさらなる対策の余地が残る. こうして包摂は, 身体の顧慮と不顧慮を逆説的なかたちで組み合わせつつ, 身体の不顧慮を絶えず近似する過程として捉えられうる.
著者
田靡 裕祐 宮田 尚子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.66, no.1, pp.57-72, 2015 (Released:2016-06-30)
参考文献数
23
被引用文献数
1

本稿ではNHK放送文化研究所の「日本人の意識」調査データの2次分析を行い, 日本社会における仕事の価値の布置と, その長期的な変化の趨勢について検討した. R. Inglehartの価値変動の理論に依拠すれば, 社会が豊かであるほど, また豊かな時代に育った世代であるほど, 仕事におけるイニシアチブや責任といった内的価値への志向が高まるという仮説が導かれ, その妥当性はいくつかの先行研究によって確かめられている. しかしながら, 長期不況や労働市場の流動化による社会・経済的格差の拡大を背景として, とくに若い世代においてそのような志向が保持され続けているのかについては, 新たな検証が必要である.1973年から2008年までの社会調査データを用いた2次分析の結果, 高度経済成長の恩恵を受けた新しい世代ほど, 外的価値よりも内的価値を志向する傾向があることが確かめられた. しかしその一方で, 90年代のバブル経済崩壊の後, 若い世代において内的価値への志向が抑制され, 外的価値への志向が高まっていることも同時に明らかとなった. このような知見は, 雇用制度や労働環境の変化に伴って, 仕事の価値の揺らぎ――外的価値への「回帰」や「多様化」が生じ始めている可能性を示唆するものである.
著者
小林 大祐
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.66, no.1, pp.19-38, 2015 (Released:2016-06-30)
参考文献数
30
被引用文献数
1

階層帰属意識の分布は, 自記式に比べ他記式の調査でより高くなることが報告されているが, その要因については, これまで厳密に検証されてきたわけではなかった. この理由としては, モード間の傾向差のなかに混在するさまざまな要因を弁別できるようなデータセットがなかったことが大きい. 本稿は, 個別面接法と郵送法という異なる調査モードで実施されているが, 同じ階層帰属意識項目をもち, 同一年に実施された2つの調査データを比較することで, 調査モードが階層帰属意識にどのような影響を与えているか検証するものである. 分析の結果, 回答者の属性をコントロールしても, 個別面接法において階層帰属意識を高く回答する傾向が見られ, 調査モードの違いが, 何らかの測定誤差を生み出していることが示唆された. 続いて, 確認された傾向差が, 調査員の存在に由来するものかどうか, そうであれば階層帰属意識を答える際に働くバイアスとはどのようなものなのかを検討した. その結果, 男性サンプルでは中位に, 女性サンプルではより高く偏る傾向が観察された. これらの結果は, どのような階層的位置が「社会的に望ましい」, もしくは調査員に対して抵抗なく回答できるのかという, 価値規範の側面が, 所属階層を測定する際に無視できないことを示すものである.
著者
山田 富秋
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.65, no.4, pp.465-485, 2015 (Released:2016-03-31)
参考文献数
35

本稿では社会問題や差別問題の映像資料を質的に研究する時の問題点として, A. クラインマンの指摘する「映像の流用」 (Kleinman et al. eds. 1997=2011) という問題を取り上げた. この問題は, 私たちがグローバルな消費社会に生活するかぎり, ほとんど避けて通ることができない問題である. つまり, 社会問題や差別に苦しむ映像は, ある一定のプロットを備えた「被害者の物語」を伴う悲惨な映像に流用されてしまう. その結果私たちは, 手元の常識にもとづいて類型化され, ステレオタイプ化された映像の読み方に閉じ込められてしまうのである. 本稿では, 薬害エイズの医師=悪者表象はまさにそうやってできあがったステレオタイプであることを示した. しかしハンセン病問題の啓発映像においては, 当事者が最初からローカルな文脈の中で語っているので, 定形化を免れていることを示した.具体的な映像資料を細かく解読する作業によって, 脱文脈化され実体化されたステレオタイプを一度解体し, その後で, 「流用された映像」を現場の民族誌的・歴史的文脈に適切に位置づけ直す作業が必要である. さらに言えば, クラインマンが言うように, 映像資料の制作や流通過程自体に当事者自身の同意とコントロールも取り付ける努力が必要になるだろう. この手続きが, 当事者の語りを研究者の記述と同等に価値あるものとして位置づけ, それによって映像資料が当事者の「道徳的証人」になる道が開かれる.