著者
藤間 公太
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.67, no.2, pp.148-165, 2016 (Released:2017-09-30)
参考文献数
34
被引用文献数
1

近年, 子どもの権利への関心が高まるなか, 社会的養護における支援の個別性の保障が課題となっている. とりわけ強調されるのが「施設の家庭化」である. 本稿の目的は, 児童自立支援施設での質的調査データにもとづき, 施設の家庭化論を検討するとともに, 今後に向けた示唆を得ることにある.まず, 施設の家庭化を訴える議論と, それを批判した家族社会学研究を概観したうえで, 個別性を2つの位相に分節化する戦略を採用する(第2節). 次に, 対象と方法について説明し (第3節), 児童自立支援施設Zでの調査から得た知見を示す. 分析からは, 確かに施設における集団生活は個別性保障を妨げる部分があるものの, 集団生活だからこそ実現される個別性保障も存在することが明らかにされる (第4節, 第5節). 以上の結果を踏まえ, (1) 家庭でケアラーが直面する困難を隠蔽すること, (2) 子どもの格差是正を妨げること, (3) 少数の大人が少数の子どもをケアする以外の可能性をみえなくすることという3つの陥穽が施設の家庭化論にあることを示す. そのうえで, 職員充足によって家庭を超えるケアを実現する可能性があること, 家庭という理念を相対化して議論をすることが必要であることを論じる (第6節).
著者
片上 平二郎
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.66, no.2, pp.313-330, 2015 (Released:2016-09-30)
参考文献数
25

本稿の目的は, ヴァルター・ベンヤミンとテオドール・W. アドルノの思想の関係を「弁証法」に関する両者の議論から考えることにある. 両者の「弁証法」は両極にあるものを並列させるという方法論において共通する点をもつが, アドルノがベンヤミンの「弁証法」における「媒介」の欠如を強く指摘するように, 無視できない相違点をもつものでもある. 本稿では, このような「弁証法」に対する態度の違いに着目することで, 両者の「近代的時間」に対するとらえ方の差異について考察していきたい.ベンヤミンは時間の中から「因果」論的要素を削ぎ, 瞬間的な「イメージ」の中に新たな「弁証法」の可能性を見ようとしていた. ベンヤミンは多様なものが同時に存在できるという「イメージ」の包括的性格を「救済」と結びつけようとする. それに対して, アドルノの「弁証法」観は, 従来の「弁証法」理解がもつ目的論的な構図に対して批判的態度を保ちながら, その乗り越えのために「因果」論的な意味での時間的動態性を重視している. この動態性を呼び起こすものとして, 個的なものがもつ「否定」性の契機が重要視される.ベンヤミンは「救済」という方向に向けて, アドルノは「批判」という方向に向けて, 「弁証法」という哲学的方法を刷新することを考えた. 本稿ではこのような両者の思想の違いから生まれる思想的布置こそを「弁証法」的なものとしてとらえている.
著者
岡崎 宏樹
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.61, no.3, pp.257-276, 2010-12-31 (Released:2012-03-01)
参考文献数
44
被引用文献数
1

本稿は,日本の中等教育を社会学の観点から考察するものである.第1節では,「中等教育の中の社会学」という主題を考察する意義について検討し,国際的視野からみた中等教育における社会学教育の重要性,社会学の教育法や教材の開発を促進する可能性,中等教育の発展に対する貢献の3点を指摘する.第2節では,日本の中等教育において社会学的知識が周辺的な位置に置かれていることを,高校「現代社会」と中学「社会(公民的分野)」の学習指導要領をもとに確認し,その要因として,社会学の学問的性格,教育行政への制度的関与の不足,社会科教育と社会学教育との連携の欠如の3点を指摘する.第3節では,「総合的学習の時間」と社会学の関係を考察し,この科目が重視する問題解決的・体験的な学習に,社会学教育が貢献しうる部分が大きいことを確認する.また,サービスラーニングを導入した社会学教育に関する諸研究を参照し,中等教育や社会学の導入期教育に効果のある体験的な社会学教育について考察する.最後に,社会科教育における社会認識を,市民性教育や現代社会の構造変化との関連で考察するとともに,社会科以外の領域でも共同性や社会性に関わる多様な学習(「生命性の学び」「他者性の学び」)がありうることを論ずる.以上によって,中等教育に関する社会学教育の研究や実践,制度的な取り組みを進めることが,日本の社会学の未来にとって重要な意味をもつことを提言する.
著者
中澤 渉
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.61, no.2, pp.112-129, 2010-09-30 (Released:2012-03-01)
参考文献数
48
被引用文献数
2 1

本稿の目的は,潜在クラス分析により,両親と本人の世代間学歴移動のパターンの変化を,教育拡大と関連づけて明らかにすることにある.教育は社会階層の研究において最も重要な変数の1つであるが,両親の学歴が高いほど本人も学歴が高いという関係以外には,質的な関係はそれほど詳らかになっているわけではない.専門学校や短大が教育拡大の中でどこに位置づけられてきたのかの評価も,定説は存在していない.そこで父・母・本人の3者の教育変数のクロス表から潜在クラスを導き出し,コーホートごとに多く観察される学歴関係のパターンを見出すことにした.データは2005年SSM調査を用い,導かれた潜在クラスが特定の職業階層や文化的背景のもとに見られるかを確認するため,多項ロジット潜在クラス分析を推定した.その結果,男女,いずれのコーホートでも3つの潜在クラスが導き出せた.潜在クラス分析の結果は,教育の拡大は格差を維持したまま進行すること,教育の優位度分布は一定で,進学率の上昇は進学のしやすさの閾値構造の変化で示されるという先行研究を概ね支持するものであった.その上,それぞれの潜在クラスは,父職や文化的資産によって異なる傾向をもっていた.専門学校進学者は男女とも高卒層の多いクラスに多く,女性の短大層は当初は4年制大学の多いクラスに所属していたが,徐々に異なるクラスへと分岐していったことが明らかになった.
著者
盛山 和夫
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.50, no.2, pp.143-163, 1999-09-30 (Released:2009-10-19)
参考文献数
61
被引用文献数
2 1

今日の階級・階層研究で「階級の死」が最大の理論的争点になっている。これは冷戦の終結を契機にしている。そもそものはじめから, 近代の「階級」は歴史的政治的な「主体」として想念されてきた。しかし, 階級がもしも「市場において出会う異なる種類の経済主体」として概念化されるならば, 彼らの経済的利害は本来的には対立的ではなく, 互酬的である。なぜなら, 市場において異なる人々は利益をめざしてのみ取引を行うからである。従来, 「階級対立」とみなされてきたものは, まず身分制に根ざしている。前近代の身分制社会は経済が政治に従属していた。近代社会は (漸進的に) 身分制を排除したが, 貧困が消滅したわけではない。貧困の継続こそが, 「階級闘争」とみえた諸運動の基盤であった。1970年代の終わりまでに先進産業社会は貧困を基本的に撲滅させ, したがって「階級」の存立基盤は基本的に失われた。しかし, 階層が消滅したわけではない。ただし, 基礎財の全般的普及のもとでそれは多元化し個人化している。それが, 後期近代社会の階層状況である。
著者
浦野 茂
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.49, no.1, pp.60-76, 1998-06-30 (Released:2009-10-19)
参考文献数
20
被引用文献数
1

物語を語ることは何よりもまずひとつのおこないである。すなわち, 物語を語ることは, それによって多様な道徳的含意をともなった具体的なおこないを相互行為の場面のなかでなすことなのである。ゆえに, 現実の代理=表象という観点に結びついた問いとは独立にそしてそれに先行して, まずそれが相互行為の場面のなかでなしているおこないに即して, 物語は理解される必要がある。物語についての相互行為分析はこの点に照準をあてるものである。本稿は, この認識を出発点にして, 新潟県佐渡島の人々によって語り継がれてきた「トンチボ」についての物語を例としてとりあげ, それが社会的に共有された「口承の伝統」として実際の相互行為のなかで成し遂げられていくそのしかた, およびそれが相互行為の経過に対してはたらきかけてゆくそのしかた, これらを記述してゆく。この作業をとおして, 口承の伝統というものが私たちの生活のなかでしめている脈絡のひとつを具体的に示す。
著者
盛山 和夫
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.66, no.2, pp.172-187, 2015 (Released:2016-09-30)
参考文献数
42
被引用文献数
2

少子高齢化の中で社会保障制度はさまざまな見直しを迫られており, 社会保障改革を主張する声は多い. しかしそのほとんどは主流派経済学に依拠した「社会保障の削減」にすぎない. そこでは「社会保障費の増大」は「国民経済への負担を増大させる」とのまことしやかな (実際にはまったくの虚偽でしかない) 論理に基づいて, 財政難を理由に公費支出水準の削減と受益者負担の増大とが叫ばれるばかりで, 「福祉社会の理念」は完全に欠落している. 本来, 社会保障制度をどう改革するかの議論は, 「あるべき福祉社会像」に基づいて展開されるべきであり, それは社会学が取り組むべき重要な課題である, ところが, 今日の社会学には, 財政難の論理を適切に反駁したうえで社会保障制度の改革構想を具体的に展開するという学問的営為が見られない. せいぜいのところ「社会的包摂」や「連帯」や「脱生産主義」などの抽象的理念が語られるだけである. これには (1) 社会学がこれまで経済学の論理と直接対峙することを回避し, マクロ国民経済的な視点の鍛錬を怠ってきたこと, (2) 「理念を語る際には, その実現条件は無視してよい」という空想的理念主義が知的鍛錬を避ける免罪符としてあったこと, そして (3) それらの根底に, 新旧の経験主義的な社会学自己像がある. 本稿は, そうした社会学の現状を批判的に考察し, 社会学がどのような道筋で社会保障改革の問題に取り組むべきかを明らかにする.
著者
立石 裕二
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.66, no.3, pp.412-428, 2015 (Released:2017-03-08)
参考文献数
38

今日, 環境問題の政策決定において不確実性に言及することは不可避になっている. 福島第一原子力発電所事故後の放射線被曝問題においても, 政府批判をする側だけでなく政府側に立つ論者も, 科学研究に不確実性があることは認めている. しかし, 彼らの論じ方は「一般論」的であり, 個別・具体的な不確実性に向き合っておらず, そのことが異なる立場間の意味のある議論を阻んでいるのではないか. こうした問題関心から出発して, 政府が設置した2つのワーキンググループ (WG) の議事録を分析した. その結果, 不確実性の論じ方に量・質の両面で大きな違いが見られた. 放射線・原子力の専門家からなる低線量被ばくWGでは, 原子放射線の影響に関する国連科学委員会 (UNSCEAR) や国際放射線防護委員会 (ICRP) といった「国際的合意」の解釈が多くを占め, その限界に対する批判的吟味を欠いていた. それに対して, 放射線以外のリスク研究者が加わった食品安全委員会WGは, 個別の論文やその不確実性へと自覚的に立ち入った議論をしていた. 自らが依拠する研究成果も含めて, 不確実性について系統的に検討する「負の自己言及」は, 政策決定に至るプロセスを外部に開いてみせるとともに, 各メンバーの立場・価値観の違いを可視化することにもつながっていた. また, 負の自己言及を伴う議論は, 非専門家が参加した場では成立しにくい可能性があることが示唆された.
著者
今枝 法之
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.42, no.2, pp.126-139,221, 1991-09-30 (Released:2010-05-07)
参考文献数
33

ポストモダニズムは、それが相対主義や非合理主義あるいは政治的ニヒリズムを導くとして批判されている。とりわけ、歴史的にファシズム体制を経験しているだけでなく、年功序列的権威主義や集団主義を温存している、日本社会の文脈においては、西欧から輸入されたポストモダニズムの安易な受け入れは極めて危険であると論じられている。同じく、ファシズムを経験したドイツにおいても、ハーバーマスが、ポストモダニズムを厳しく批判している。しかし、民主主義の伝統の根強い英米の論者の間では、ポストモダニズムの肯定的意味合いが認識されている。彼らはポストモダニズムに抑圧的な階層秩序を超克する契機があると考えている。つまり、ポストモダニズムは両義的であり、反動的・保守的な側面と解放的・民主的な側面を有するとされるのである。本稿では、こうした評価をふまえつつ、ポストモダニズムの可能性について検討を行うが、その際、建築におけるポストモダニズムと、ポストモダニズムの政治的転回を試みているポストマルクス主義を参照する。この作業をつうじて、社会理論におけるポストモダニズムの可能性を開示するためには、その概念の新たな定式化が必要であることが示される。
著者
土場 学
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.58, no.2, pp.221-230, 2007-09-30 (Released:2010-04-01)
参考文献数
20
被引用文献数
1 1
著者
伊奈 正人
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.49, no.1, pp.77-96, 1998-06-30

この小論は, 「サブカルチャーとしての地域文化」を論じた井上俊 1984, 「地域文化と若者文化」を論じた中野収1990ほか先行する「地域文化論」, および筆者自身が行った映画上映運動についての岡山調査などを手がかりとして, 「地域文化としてのサブカルチャー」について論じようとするものである。まず第一に, 「東京文化」としてのサブカルチャー, それを育む, -村社会や, 地方都市にはない-東京という街の持つ特徴について論じる。第二に, 日本の近代化が行った地域の再編が, 地域ごとの「生のフォルム」を形成しえない中心盲信の「上京文化」「洋行文化」を生み出したことを確認する。 そして, 安直に「地方の時代」を賞揚せず, 根底にある「中心一周縁」の問題を隠蔽することなく視野におさめ, かつ「周縁」の可能性を開示する視点, スタイルの可能性を確認する。そして, 第三に, H・アーヴィン1970, B・シャンクス1988, W・ストロー1991などによりながら, それを可能にする視点として「文化シーン」という概念を導入する。それは, ヴァナキュラーで固定的で伝統的な「地方文化」の「コミュニティ」とは区別されるグローバルで可変的な「もう一つの地域文化」 (伊奈1995) の実体を表現するものである。そして, この視点により「地域文化」の可能性を仮説的論点として提起する。第四に, 一つの例解として, 岡山調査の結果を紹介する。 そして, 地域文化がかかえる困難と, そしてそれがゆえの洗練を明らかにする。
著者
鳶島 修治
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.65, no.3, pp.374-389, 2014

本稿の目的は, 学業面の主観的能力を表す「学力に関する自己認知」 (以下, 学力自己認知) という媒介変数の役割に着目した検討をとおして, 現代日本における教育達成の男女間格差・階層間格差の因果的メカニズムの解明に貢献することである. この目的を達するため, 学力自己認知の指標として学業的自己概念と学業的自己効力感を使用し, 「高校生の教育期待に対する性別と出身階層の影響を学力自己認知が媒介する」という仮説の検証を行った. PISA2003の日本調査データを用いて固定効果モデルによる分析を行った結果, (1) 男子は女子よりも教育期待が高く, 出身階層が高いほど教育期待は高いこと, (2) 数学の学力を統制したうえでも男子は女子に比べて数学の自己概念・自己効力感が高いこと, (3) 出身階層が高いほど数学自己効力感は高いこと, (4) 数学自己効力感は教育期待に対して数学の学力とは独立した正の効果をもつことが示された. (5) また, Sobel testによる間接効果の検定を行ったところ, 数学自己効力感を媒介した性別と出身階層の間接効果はいずれも有意であり, 「教育期待に対する性別と出身階層の影響を学力自己認知が媒介する」という仮説は数学自己効力感に関して支持された. 現代日本における教育達成の男女間格差・階層間格差の生成メカニズムを考えるうえでは, 学力自己認知 (特に学業的自己効力感) という媒介変数の役割に注目する必要がある.
著者
鈴木 謙介
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.55, no.4, pp.499-513, 2005-03-31 (Released:2009-10-19)
参考文献数
22
被引用文献数
2 2

「セキュリティの強化」と「監視」を巡る問題が近年になって特に注目されるようになった.ここでいうセキュリティの強化とは, 単なる監視カメラの設置による監視の氾濫を指すのではなく, 予防的措置の極大化によって, あるシステムにとってふさわしくない人間をあらかじめ排除するという動きの全体を指している.こうした監視の強化と排除に対して批判を加えることは一見容易に見えるが実はそうではない.その理由は, 監視を批判しようとすることが監視によって実現される価値への批判へとすり替えられていくからである.例えば監視による排除が階層格差を前提にしている場合, それは格差批判にはなっても監視そのものを批判することはできないのだ.本稿ではこうした監視批判の困難を乗り越えるために, どのようなシステム作動によってセキュリティの強化が行われているのかを分析した.その結果明らかになったのは, 監視を行うことそれ自体がマシンによるデータ管理の自動化によって監視対象を外部から不可視化する作用を持つこと, そして, そのような外部に対する不可視化がさらに内部に対して過剰な可視化を呼び出し, 内部のロジックが一種の道徳律として機能するということだ.監視批判が困難なのは, この2方向の力の作動が存在するからだと考えられる.
著者
小藪 明生 山田 真茂留
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.63, no.4, pp.536-551, 2013-03-31 (Released:2014-03-31)
参考文献数
23
被引用文献数
1 3

本稿の目的は, ハイ・カルチャーとの関係性のもとで, ポピュラー・カルチャーの意味をあらためて問い直すことにある. ポピュラー・カルチャーがその内部で制度化や多様化を遂げると, そこから大衆的・対抗的な意味が剥落し, その結果, かつてのハイ・カルチャーのような様相を呈しがちになる. その一方, ハイ・カルチャーが制度的・市場的な力に乗って社会に浸透していくと, それは大衆受けするようになり, ポピュラー・カルチャー寄りの存在と化していく. こうして今日, この2つの間の境界はきわめて曖昧なものとなった.そしてそのハイ=ポピュラー間の分節の稀薄化は, 文化生産ならびに消費の現場では文化的雑食として立ち現れることになる. 本稿では, ミネソタ管弦楽団アーカイヴズの諸資料を用いて, オーケストラ芸術におけるクラシックとポピュラーの関係性を文化生産論的に抉り出すとともに, 社会生活基本調査 (総務省) のデータに直接当たり, 人々の文化的嗜好の現実に迫る作業を行った. これによりあらためて確認されたのは, 文化の生産の場でも消費の場でも雑食性が広く浸透しているという実態にほかならない. ただし文化的雑食と言っても, それは一枚岩的な現象ではけっしてない. 本稿最後では, ポピュラー・カルチャー研究の今後の課題の1つとして, 文化的雑食性の多彩な様相を比較社会学的に見極めていくことの重要性が示唆される.
著者
高橋 徹
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.49, no.4, pp.620-634, 1999-03-30 (Released:2010-11-19)
参考文献数
35
被引用文献数
1

本稿では, 近代西欧の歴史的な社会変動に対するニクラス・ルーマンの分析視角を明らかにしたい。ルーマンは, 社会の成層的分化から機能的分化への移行を近代社会変動の中心的なメルクマールと考えており, とりわけそこにおいて生じた複合性の増大がコミュニケーションを方向づける歴史的一文化的形成物 (ゼマンティク) の変化を刺激したことが, 近代におけるコミュニケーション的変動の媒介条件をなしているという仮説を構築している。この仮説は, 彼独自の社会システム理論の枠組みを基礎としている。「ゼマンティク」というタームには, ドイツにおいて蓄積されている歴史的意味論の研究との批判的接続を保持することが含意されており, 本稿では, この歴史的意味論の研究の文脈をも視野に入れつつ, ルーマンの「ゼマンティク」的変動の分析枠組みを彼の所説から再構成して明示化し, 歴史的な知識社会学的研究の枠組みとしての特質を明らかにしたい。
著者
梶田 孝道
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.32, no.3, pp.70-87, 1981-12-31 (Released:2009-10-19)
参考文献数
15
被引用文献数
3 1

多くの近代化論者たちは、業績主義が現実化してゆくにつれて属性主義は次第に消滅するか、たかだか例外的な形で残存するにすぎないと考えた。しかし、業績主義が社会の主要な配分原理となりほとんどのメンバーが業績主義者と化した現在、純粋な意味での業績主義はむしろ例外的な存在であり、かえって属性主義に起因する社会問題群が新たに生み出されてきたという事実に気づく。一方ではアチーヴド・アスクリプション (業績主義の属性化) が、他方ではアスクライブド・アチーヴメント (属性に支えられた業績主義) が発生している。本稿では、業績主義・属性主義についてのリントンの定義およびパーソンズの定義の問に存在する微妙なズレに固執することによって、上記の二つの問題領域を社会学的にクローズアップさせ、あわせて両領域に属する問題群の整理とそれへの対策の検討を試みる。