著者
西村 智恵子 高野 久美子 Chieko NISHIMURA Kumiko TAKANO
出版者
創価大学教育学部・教職大学院
雑誌
教育学論集 (ISSN:03855031)
巻号頁・発行日
no.72, pp.163-177, 2020-03-31

The processes experienced by mothers of young children with Autism Spectrum Disorders(ASD) when dealing with difficulties were examined. Interviews were conducted withmothers (N= 8 ) of young children with ASD, and the results were qualitatively analyzedusing the Modified Grounded Theory Approach, which indicated the following process of theirexperience. ( 1 ) Mothers gradually come to understand their children by dealing withdifferent difficulties in child-rearing specific to children with ASD.( 2 ) Mothers experiencepsychological and behavioral changes, including feelings about the characteristics andbehavioral problems of their children, and measures to deal with these behavioral problems.( 3 ) Mothers expect support from specialists as an environmental factor that facilitating theabove process. Moreover, the results suggested that emotional support from surroundingpeople such as spouses, relatives, friends, parents’ association members, and someone to talkto, among others, was considered useful for the mothers.
著者
山内 俊久 加藤 康紀 Toshihisa YAMAUCHI Yasunori KATO
出版者
創価大学教育学部・教職大学院
雑誌
教育学論集 (ISSN:03855031)
巻号頁・発行日
no.69, pp.207-224, 2017-09-30

青鳥特別支援学校は、わが国の「養護学校」制度がスタートする以前の1947 年に創立された知的障害教育の実験学校であり、今日までの特別支援教育における中等教育を担う中心的学校である。 本研究では、戦後から1974 年の養護学校義務制実施にいたるまでの法整備等の動きを整理し、青鳥特別支援学校の前身である青鳥中学校、青鳥養護学校における希望者全入の歴史を振り返り、その理念と教育方法の変遷について考察を加えた。その結果、戦後のわが国の知的障害教育の流れには、その法的整備等も含めインクルーシブ教育への底流があったことは間違いない。 筆者は、これからの特別支援教育の先に、生涯教育化の理念が重要であると捉える。「特別支援教育は特別でない」との言葉もあるが、これからの特別支援教育は、「障害」「障害者」「支援」等というキーワードではなく、「人間」「人権」「連続性」「幸福」等を念頭においた人間教育の視点から考えることが必要であると考える。その趣旨から、創価教育学体系の著者でもあり、本学の理念の礎である牧口常三郎の考えを通して、これからの特別支援教育の考察を試みた。Seicho Special Support School is an experimental school of education for the intellectually disabled established in 1947 before the system of "Yogo school" (school for handicapped children) started in Japan. Since its foundation, it has been a central school in charge of secondary education in the special needs education. In this article, we outline the major trends in the legislation from the end of WWII to the implementation of compulsory system of Yogo schools in 1974. Then we look back on the history of the open admission of all applicants at Seicho Middle School and Seicho Yogo School, the predecessors of Seicho Special School, and examine the transition of its philosophy and teaching methods. As a result, we feel certain that the tide toward inclusive education as well as its legislation has always lain beneath the education for the intellectually disabled in Japan after WWII. The authors consider that the idea of making special education into lifelong education is important beyond the special needs education in the future. As implied by the words "Special needs education is not special", we think it necessary to see the special needs education in the future from the viewpoint of human education bearing in mind the words like "human", "human rights", "continuity", "happiness" and so on, not the keywords like "disability", "disabled person", "support" and so forth. To that effect, we make an attempt to look at special needs education through the thought of Tsunesaburo Makiguchi, the author of "The Theory of Value-Creating Pedagogy" and the founder of the philosophy of Soka University.
著者
鈴木 将史 Masashi SUZUKI
出版者
創価大学教育学部・教職大学院
雑誌
教育学論集 (ISSN:03855031)
巻号頁・発行日
no.73, pp.171-187, 2021-03-31

筆者は2018年4 月から3 年間の計画で、「江戸期の和算における教育課程の探究を通した算数・数学教育刷新の提案」とのテーマのもと科学研究費補助金を受けて研究を続けてきた。そもそもの発想は、「江戸時代には和算と呼ばれる数学が大変発達し、日本全国で算術教育を行う塾が盛んであったことはよく知られているが、そこではどのような教育課程に従って算術が指導されていたのであろうか?」という疑問であった。教育である以上、流派や地域によって異なるとはいえども何らかのカリキュラムがあり、ある種の指針に従って算術教育が行われていたに違いないであろうと考えたのである。その上で筆者は、日本の津々浦々、農村部に至るまで、多くの人々が楽しく数学を学んでいたという江戸時代の教育のあり方が、「数学離れ」を克服できない日本の数学教育において、新たな風を呼び起こすヒントになるのではないかとも考えた。 コロナ禍で移動が大幅に制限されたこともあり、全国の算術塾の調査が進んだとは言えなかったが、2019年に訪れた長野県で見聞した江戸時代の数学研究の様子や、それ以前に知った至誠賛化流と呼ばれる和算の流派の活動状況等から、江戸時代にはある種の「常識」として、数学が広く、しかも自発的・積極的に研鑽されていたことを知ることができた。 そのような研究の一環として、筆者は昨年発表した論考「和算流による算数・数学教育改革の試み」において、和算の醍醐味が算術塾における問題作りにあったこと、そして同様な作題活動を取り入れることが算数・数学教育を活性化させること、またそれが「創造的なアクティブラーニング活動」につながり、文部科学省の目指す「主体的・対話的で深い学び」にも通じることを主張した。ただ、そこで提案した作題は、あくまでも「学習を活性化させる方法・手段としての作題」であり、紹介した例も、既存の問題をつなぎ合わせる方法のみであった。 本稿ではその考えをさらに進め、もっとたくさんの「作題」を取り入れる方法について述べるとともに、和算のレベルを飛躍的に向上させた「遺題継承」と呼ばれる方式にならい、算数・数学をより「深い学び」へと導く方策について考察したい。
著者
アニーシャ ニシャート 鈎 治雄 Aneesah NISHAAT Haruo MAGARI
出版者
創価大学教育学部・教職大学院
雑誌
教育学論集 (ISSN:03855031)
巻号頁・発行日
no.72, pp.179-193, 2020-03-31

Concept of happiness has been pursued since the 4 th- 5 th century BC in Greek philosophyand is still widely discussed to the date. Many studies have shown that there were culturaldifferences in the concept of well-being, and the results of those studies have providedinteresting suggestions. Seligman (1991) argued that the use of the concept of happiness in a monistic way, inpositive psychology is problematic. He suggested that using the term “well-being” is moreappropriate. Diener (1984), on the other hand, conducted research on human well-being usingthe concept of subjective well-being, and considered that subjective well-being is a conceptsynonymous with well-being. So this paper examined happiness using the concept of wellbeing,and discussed future research subjects. This paper explores well-being from the viewpoint that people in any country are the samehuman beings. Certainly, there are differences in this world, such as race, religion, culture,income and living environment, and it cannot be denied that these differences createdifferences in the individualʼs view of happiness. On the other hand, every person sharessomething in common while living such as learning, working, and living in a relationship withfamily, friends and others in this world. They encounter common suffering and difficulties suchas illness, economic problems and relationships at home and in the workplace. At the end oflife, they face the common and more fundamental problems of human beings, such as agingand death. If these events are common and universal in their life, the common and universal goals forhuman beings across the borders can be considered happiness and well-being and the ways toachieve them. Considering these points, this paper will focus on well-being from apsychological perspective.
著者
園田 雅代 Masayo SONODA
出版者
創価大学教育学会
雑誌
教育学部論集 (ISSN:03855031)
巻号頁・発行日
no.52, pp.79-90, 2002-03-01
著者
堀舘 秀一 清水 由朗 Hidekazu HORITATE Yoshiro SHIMIZU
出版者
創価大学教育学部・教職大学院
雑誌
教育学論集 (ISSN:03855031)
巻号頁・発行日
no.73, pp.207-216, 2021-03-31

( 1 )図工科教育におけるICT活用とデジタルメディア表現 文部科学省では各教科におけるICTを活用した授業実践を様々な形で推奨しており(文部科学省 2020)、我が国の教育政策として各学校への普及は必然となった。ICT活用と聞いて誤解しやすいのは、教員が情報機器の操作をこなす義務ととらえがちであることである。しかし、デジタルであれ、アナログであれ、ICTの考え方に基づいていることが重要であり、学びの本質に向かうための仕組みのひとつとして捉えるべきと考える。 現在、小学生から大学生に至る世代は、すでにデジタルの仮想空間に慣れ親しんできた世代であるといえる。この世代は、一概には言えないが、自然材や人工材など、図工・美術表現の材料に直接働きかけて、つくり、つくりかえるという体験の不足が推察される。小学校における図画工作科、保育における造形表現という美術関連の学びの領域で考える場合、この世代の弱点として「つくる」体験の不足があるのではないだろうか。一方、これまで自然材や人工材などの材料による表現を指導、研究の対象としてきた教員、研究者は、デジタルメディアによる表現の方法・内容に対して、相応の研究力・指導力が求められることになるであろう。 その意味で教員養成大学における図画工作科の教育法等の授業においては、手づくりによる表現と、デジタル技術を活用した表現・鑑賞を組み合わせた授業実践を試みることにより、教員、学生双方が、新しい表現方法に挑戦していくという学びの意義が創出されると考える。 そもそも美術には表現ジャンルとして、「メディア・アート」が存在する。1960年代から韓国生まれの現代アート作家、ナム・ジュン・パイクがビデオ・アートの流行の先駆となり、そのアシスタントとしてスタートした、ビル・ヴィオラが1995年の第46回ヴェネツィア・ビエンナーレのアメリカ代表に選出されるなど、大きな話題となったが、現在ではメディア・アートの分野で活躍するアーティストは多数に上り、プロジェクションマッピングを含めると、誰でもその表現者になることができ、標準的な表現の一分野となっている。東京藝術大学大学院映像研究科教授の布山タルトは、メディア・アートの特徴として、メディアに対する「メタ認知」と「領域横断性」の二つに集約されると述べている。この特徴をICT活用の図画工作科の授業に生かした場合、より主体的・対話的で深い学びへとつなげることが可能になるであろう。( 2 )コマ撮りアニメーション制作のためのKOMA KOMA デジタル表現に慣れ親しんでいるか否か、また機器の操作の得手、不得手にかかわらず、新しい表現方法に挑戦していくという学びの意義を考慮したとき、活用できるツールとして、KOMA KOMA(KOMA KOMA LAB)(図1 )というアニメーション制作のためのアプリケーションが適していると考えた。KOMA KOMAは撮影後すぐにその画像を確認可能で、振り返り学習が容易な設計となっている。撮影した画像はトレーシングペーパ-を重ねたような透過するイメージでその形状が残像化されるので次の撮影位置を決めやすい。また、サムネイルとして画像を随時仮保存できるため、過去の作品や現在制作中の作品を比較して新たな気づきを得ることができる。 図画工作科においては、実際に自分の手や体全体の感覚を総動員させて表現に向かわせたい、というのが授業を担当する大学教員の願いであるが、加えてICTを表現・鑑賞のためのツールとして活用する場合、この仕組みを指導者自身が使いこなせるかどうかが課題となる。道具に指導者が「使われている」状況の中では、学生一人ひとりが自分なりの想像を広げ、つくり、つくりかえる試行錯誤の中で新たな発想や構想を脹らませるという学びの本質を見失うことも考えられる。 その点、KOMA KOMAは、シンプルかつ扱いやすい設計であり、デジタル機器に慣れていない人でも表現ツールとして活用できる可能性が高い。 図画工作科のICT活用については、『教育の情報化に関する手引』(文部科学省2020)において、①感じたことや想像したことなどを造形的に表す場面、②作品などからそのよさや美しさを感じ取ったり考えたりし、自分の見方や感じ方を深める場面、での活用を例示している。KOMA KOMAはこの点からも、効果的な表現ツールであるといえるだろう。( 3 )授業実践の先行事例 2020年9 月5 日に開催された判断力科研第7 回研究会において、2020年4 〜 8 月に実施されたプロジェクト活動の経過報告と、山梨学院小学校全児童による作品発表が行われた。その中で、松嶋・川瀨・ケネス(2020)は、この連続授業の試みにおいて、制作した街を舞台にKOMA KOMAを使用したキャラクターが動くアニメーションを、子どもたちがチームになって撮影し、動画作品として制作したことを発表している。また、KOMA KOMAの利点として、同一の画面で、撮影と再生が可能であること、そのため、何度でもやり直して質を高められること、手仕事とデジタルを融合できることを述べている。 その後、松嶋は、2020年10月~11月に同小学校にて、クレイアニメーション(粘土を用いた動画づくり)のプロジェクト活動として、下記のような取り組みを行っている。 <対象学年/クラス> 1 ~ 6 年生5 名の3 チーム、合計15名 前半:時数22時間、計画・キャラクターづくり・セットづくり 後半:時数22時間、KOMAKOMAによる撮影 なお、効果音はインターネット上のフリー素材を活用し、セリフはICレコーダーで録音し、最後に編集し加えている。この取り組みにより完成した作品は、「宇宙探検 宇宙飛行士VS隕石」( 1 分36秒)、「恐竜時代 草食VS肉食」( 2 分38秒)、「日本昔話 村人VS巨人」( 1 分43秒)の短編3 作品となっている。いずれも子どもたちが、粘土を主な材料として、段ボールや石、木片、アクリル絵の具を用いた手仕事により、各チーム内での話し合いを通して制作する時間が全体の半分を占め、残りの半分を撮影・編集時間にあてており、バランスの取れた授業設計であるといえる。
著者
ニシャート アニーシャ 鈎 治雄 Aneesah NISHAAT Haruo MAGARI
出版者
創価大学教育学部・教職大学院
雑誌
教育学論集 (ISSN:03855031)
巻号頁・発行日
no.73, pp.261-274, 2021-03-31

本研究では、インドと日本の主観的well-beingの考え方の相違点について検討した。まず、両国双方の主観的well-beingの概念について分析した。次に、宗教、社会経済状況などの要因が、どのように両国の主観的well-being に影響を与えているかについて明らかにした。その結果,両国は、人種、宗教など様々な側面で異なる特色を持っており、そのことが両国の主観的well-beingの考え方にも影響を及ぼしていることが示唆された。先行研究では、インド人に宗教的な信仰心が強いことが示されており,「人生の意義」という要因がインド人のwell-beingに大きな影響を与えていることが考えられる。また、日本人のwell-beingにおいては、「調和性」、「人並性」などの要因が大きな影響を与えていることが先行研究からも確認された。
著者
ニシャート アニーシャ 鈎 治雄 Aneesah NISHAAT Haruo MAGARI
出版者
創価大学教育学部・教職大学院
雑誌
教育学論集 (ISSN:03855031)
巻号頁・発行日
no.73, pp.261-274, 2021-03-31

本研究では、インドと日本の主観的well-beingの考え方の相違点について検討した。まず、両国双方の主観的well-beingの概念について分析した。次に、宗教、社会経済状況などの要因が、どのように両国の主観的well-being に影響を与えているかについて明らかにした。その結果,両国は、人種、宗教など様々な側面で異なる特色を持っており、そのことが両国の主観的well-beingの考え方にも影響を及ぼしていることが示唆された。先行研究では、インド人に宗教的な信仰心が強いことが示されており,「人生の意義」という要因がインド人のwell-beingに大きな影響を与えていることが考えられる。また、日本人のwell-beingにおいては、「調和性」、「人並性」などの要因が大きな影響を与えていることが先行研究からも確認された。
著者
吉川 成司 Seiji YOSHIKAWA
出版者
創価大学教育学会
雑誌
教育学部論集 (ISSN:03855031)
巻号頁・発行日
no.58, pp.27-44, 2007-01-01

This paper considers the independence in life-span human development by contrasting with the isolation through elaborating the attachment theory, child abuse and its effects. The paper is organized in the following way: Section 1 details independence and
著者
ジョディ マクブライエン McBRIEN Jody L.
出版者
創価大学教育学部・教職大学院
雑誌
教育学論集 (ISSN:03855031)
巻号頁・発行日
no.70, pp.393-407, 2018-03-31

This paper explores the problems of standardised testing and the kind of educationresulting from high stakes tests. The author utilises action research by examining herown teaching practices and student responses to the inclusion of critical pedagogy andart-infused assignments to increase perspectives of social justice in education.
著者
鈴木 詞雄 Norio Suzuki
出版者
創価大学教育学部・教職大学院
雑誌
教育学論集 (ISSN:03855031)
巻号頁・発行日
no.68, pp.19-27, 2017-03-31

One of the main principles presented in the new government curriculum guideline coming into effect in 2020 is “self-directed, interactive, and deep learning,” which also is illustrated in the report submitted by the Central Education Council. The author, by receiving support from elementary school teachers, conceptualized an instructional strategy which enables “self-directed, interactive, and deep learning” in elementary mathematics. The author proposed total nine strategic points for pupils’ achieving “self-directed, interactive, and deep learning.” In addition, the author exemplified a six grade class math lesson plan dealing with speed.
著者
桐山 信一 Nobukazu KIRIYAMA
出版者
創価大学教育学部・教職大学院
雑誌
教育学論集 (ISSN:03855031)
巻号頁・発行日
no.60, pp.17-35, 2009-01-31

高校物理を履修して波の学習を行えば,たいていの波動現象は理解できるようになる。しかし,最近の理工系大学生も物理を履修しない者が増えてきた。ドップラー効果を理解するには,波長や振動数を含む波動概念が形成されていなければならない。模擬授業を行って,中学生が理解可能な波の学習内容を探ったところ,波源の振動が媒質を伝わり波形が移動することは十分に理解できるのではないかという実感が得られた。ドップラー効果を含む多様な自然現象を理解するために,中学校理科の「音と光」の単元で波の基本的な学習が行われるのが望ましい。高校物理では音波のドップラー効果を扱うが,教科書には適切な実験が見あたらない。そこで,水波ドップラー効果の簡単な観察方法,定量的な側面まで理解可能な指導方法の可能性を探った。水面上に水滴を落下させて生じる波(波長λ0)で,水滴滴下部を移動させると水波ドップラー効果が観察される。デジタルカメラで撮った画像から前方波長λ1と後方波長λ2を実測し,λ0と比較するという方法を検討した。さらに,生徒や学生が容易に実施できる方法として,彼らが持っている携帯電話のムービー機能を用いて水波の動画測定を行い,コマ送り再生をして波長変化を測定するという方法を検討した。ドップラー効果では,波長変化Δλ(=λ0-λ1)が波源の移動速度v に比例する。v を変化させて比Δλ/λ0との関係を調べれば,ドップラー効果を検証できる。この方法では,画像上でのΔλ とλ0の実測は必要なく,画面上での相対的測定によって比Δλ/λ0を求めればよいという簡易さがある。したがって,携帯電話を用いた水波ドップラー効果の検証は,高校物理の探究活動や課題研究の内容としてふさわしいと考えられる。
著者
アニーシャ ニシャート 鈎 治雄 Aneesah HISHAAT Haruo MAGARI
出版者
創価大学教育学部・教職大学院
雑誌
教育学論集 (ISSN:03855031)
巻号頁・発行日
no.70, pp.201-213, 2018-03-31

The concept of optimism has been researched by various scholars such as Martin Seligman,Shelley E. Taylor, Shepperd et al, and Carver. They have proposed different types of optimism.Though they have shown that optimism confer positive effect on people’s life, they havealso indicated some risk when people utilize it. This research has named these concepts as“conventional optimism”.On the other hand, Magari Haruo has proposed a different concept of optimism in whichhe has included new factors that are 1. Flexibility, 2. Will power and courage, and 3. Futureorientation and hope. This concept has not yet been covered by conventional optimism. Thisresearch has named this concept as “realistic optimism”.This research paper has focused on and made a comparative study between two conceptsthat are conventional optimism and realistic optimism. This paper will focus on the importanceof realistic optimism which will be useful for people’s well-being.
著者
桐山 信一 Nobukazu KIRIYAMA
出版者
創価大学教育学部・教職大学院
雑誌
教育学論集 (ISSN:03855031)
巻号頁・発行日
no.65, pp.73-82, 2014-02

北半球では放射性核種の降下量は太平洋側では春に増大するが,放射性セシウム137の場合,現在は福島では1~2月に極大となり,7~10月にかけて極小になっている。1980年3月からのデータでは,東京と福島の間には同位相傾向(両地域とも放射性核種の降下量が春に高い)が見られた。2011年3月以降になると,このような同位相傾向が見えにくくなることがわかった。福島で生じた1~2月の極大は原発事故以前にはみられなかったものであり,原発事故による2011年3月中旬から放射能の大放出後気象的な自然現象のピーク(極大や極小の月)が変化したと考えられる。降下物中の放射性物質の経時変化の分析は,空間線量率の継続的測定などと組み合わせれば,原子力と人間の関わりの考察にもつながり,科目「理科課題研究」における自然環境の調査として十分な教材になると思われる。In the Northern Hemisphere, the quantity of descent of the radionuclide increases on the Pacific side in spring. In Fukushima, the quantity of descent of ^<137>Cs becomes maximum from January to February and becomes minimum from July to October. By the data after March, 1980, same phase tendency was seen between Tokyo and Fukushima (Quantity of descent of the radionuclide is both high in spring). After March, 2011, it became hard to show this same phase tendency. Maximum from January to February in Fukushima was not seen before the nuclear plant accident. It is thought that the peak of the weather-like natural phenomenon (maximum and minimum moon) changed after great release of the radioactivity from the middle of March by the nuclear plant accident. The analysis of descent of the radionuclide can investigate the natural environments in the high school subject "science study". It leads to consideration of relation between human and atomic energy if combined with the continuous measurement of the space dose rate. And it becomes enough teaching materials.
著者
石丸 憲一 Kenichi Ishimaru
出版者
創価大学教育学部・教職大学院
雑誌
教育学論集 (ISSN:03855031)
巻号頁・発行日
no.61, pp.19-32, 2010-01

Teachers aim to draw forth the pupils' active and various responses in reading literature materials. However, in reality, the intention of the author and the teachers' own emphasis on the meaning of the text prevent it from happening. This article attempts to clarify the text structure by first analyzing how differently the grown-ups and the children read the literature materials, for an example, "Chii-chan & Kageokuri." Next, a verification result on whether the teachesr give the lesson based on the material structure will be presented in the article from the actual class cases. And the importance of putting together a class lesson in the manner where the teachers grasp the text structure from readers' responses will be described.
著者
栗本 賢一 石丸 憲一 Kenichi KURIMOTO Kenichi ISHIMARU
出版者
創価大学教育学部・教職大学院
雑誌
教育学論集 (ISSN:03855031)
巻号頁・発行日
no.70, pp.25-42, 2018-03-31

Nowadays the need for education to enhance moral sense has increased, and it affects theschool curriculum in Japan.In fact moral education will be fully implemented as an officialsubject in elementary schools in 2018 and also in junior high schools in 2019. In this time, it isan impotant agenda for schools and teachers to improve the quality of the moral lessons.In this article, we first clarify the reasons why moral education will become an officalsubject and reaffirm the intention for this change. Then,we investigate teachers’ reaction onthis change by providing questionairs.In order to improve the quality of the moral lessons,we give students opportunities to think about and discuss issues on their own by devising aquestion, “What would you do?”, based on self involvement to the characters in the story, andexamine its effectiveness through the lessons at elementary and junior high school. Then, weconsider the possibilty for the change to the future moral lessons where students think anddiscuss.
著者
五味淵 高志 鈎 治雄 Takashi GOMIBUCHI Haruo MAGARI
出版者
創価大学教育学部・教職大学院
雑誌
教育学論集 (ISSN:03855031)
巻号頁・発行日
no.69, pp.129-142, 2017-09-30

本稿では、夏目漱石の「夢十夜」の第三夜を分析心理学の手法によって解釈した。その結果、物語の多くの要素は両義的に解釈することが出来、従来原罪的不安が主題であるとされた物語は、それのみではなく、「大文字の自己」に象徴される葛藤の統合という創造的側面を含むことが明らかに示された。 「自己」とは定義の困難な動的なコンプレックスであり、あらゆる葛藤を生み出し、統合の原因ともなる。この複雑な過程を、分析心理学では「個性化」と名付けた。「明暗」に認められる他者の受容へとつながるある種の人格の成熟は、「自己」の影響下に生起する「個性化の過程」にごく似たものである。病跡学的には三度の病勢憎悪期を認め、幻覚妄想を含む症状が生涯続いている。仮にそれが統合失調症であるとするならば、これは、ある種の人格の成熟を示したまれな症例と言うことが出来る。統合失調症とは、通常意識することのできない根源的な葛藤に不可避的にさらされた者の心の反応なのではないかと言う、新たな視点を提供していると言うことが出来るのではないか。"The Third Night" was interpreted using the methods of analytic psychology. The results show that many elements of this story can be interpreted in two ways. Although the theme of this story has been considered to be anxiety derived from original sin, it is clearly shown here that it also has a creative aspect, that is, the integration of conflicts which is symbolized as Self. Self is dynamic complex, which is hard to define and creates many conflicts, but it can be the motive for integration as well. In analytic psychology, this complicated process is called individuation. In "The Light and The Dark", the last novel by Natume, we can see a certain maturing of personality that can lead to acceptance of others, which is very close to process of individuation that happens under the influence of Self. Natume went through three periods of serious mental illness, and suffered from various symptoms including hallucination and delusion throughout his life. If his symptoms can be diagnosed as schizophrenia, he may have been a rare case who achieved a certain kind of maturity of personality. His case (or novels) Offers us a new perspective to understand schizophrenia as a mental reaction of those who are inevitably expose to fundamental conflicts that ordinary cannot be noticed.