著者
猪股 ときわ
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.43, no.6, pp.19-28, 1994

『琴歌譜』は古代の歌が「いかに歌われたか」の「実態」を知る資料として注目されてきた。だが琴歌の技術の当事者にとって、「書く」ことは、身体を駆使する琴歌の技と同様に音楽の技術の範疇にある。本書は、「書く身体」と「歌う身体」の相関のうちに「いかに歌うべきか」という当事者にとってのものでしかない理想を作り出し、そのことによって「歌う歌」や「歌う身体」の始原的なありようから、決定的な飛躍をしてしまったのである。
著者
中山 弘明
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.55, no.8, pp.76-79, 2006-08-10
著者
山口 幸祐
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.41, no.9, pp.29-42, 1992

《暗夜行路・前篇第一》に関しては、従来、作者志賀直哉と親友里見[トン]の生活史に即して読まれることが多かったが、《阪口の小説》を中心にした謙作と阪口の関係は作品固有の論理に支えられた意味と機能を担っていることを冒頭文の《下らない人物》と《清々しい気持》に注目することによって考え、また、それに関連して、「暗夜行路」成立の重要な契機になったと作者自ら言う《不義の児》設定には、青春の性の罪に対する処罰の意味があることを論じた。
著者
近藤 潤一
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.37, no.2, pp.110-114, 1988-02-10
著者
須貝 千里
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.64, no.4, pp.21-36, 2015-04-10 (Released:2020-05-26)

① 本報告は、田中実氏とともに立ち上げ、おおよそ二五年余り取り組んできた「文学研究と国語教育研究(実践)の相互乗り入れ」という〈事業〉の一環としてなされる。② 問題を本大会・文学研究の部のテーマである「教科書と文学」に焦点化するならば、このテーマは「国語・教科書と文学・作品」というように把握し直されなければならない。このことによって、与えられたテーマの「問題提起」を掘り起こすことができるからである。とすると、包含する課題は次のようになる。「国語」と「文学」、「教科書」と「作品」、「国語」と「教科書」、「文学」と「作品」、「国語」と「日本語」、「教える本」と「学ぶ本」、「物語」と「小説」、「作品」と「テクスト」などなど、「古文」と「漢文」、「古文・漢文」と「現代文」、「散文」と「韻文」もあるか。さらに課題は細分化できるが、本報告ではそれらを網羅的に論ずる時間は与えられていない。大森荘蔵は「生活上の真偽の分類」を「世界観上の真偽の分類」としてとらえ直し、世界観の転換という課題を提起したが、私はここから浮上してくる問題との関わりで、「国語・教科書と文学・作品」について、総括的に問題提起したい。この提起は、「歴史教科書問題」よりも「国語教科書問題」の方がより根源的問題であることを明らかにしていくはずである。③ 本報告は、「国語科」の壊し方について、文学作品の教材価値とともに論ずる。そのことによって、「国語科」からの文学作品の排除、あるいは戦略的撤退論に対して、「国語科」に文学作品が居座り続けることの居心地の悪さ、この立場に立って「国語科」の壊し方とそのための諸課題を提起することになる。この提起は、ポストモダン思想の台頭によって解体されてしまった「読むこと」の根拠の再構築を〈原文〉の〈影〉の働きに着目することによって図り、〈近代の物語文学〉と〈近代小説〉の違いを明らかにし、〈主体〉の構築という課題に挑むことによって、文学研究と国語教育研究(実践)の新たな地平を切りひらくことを目指しているのである。なお、「文学研究と国語教育研究(実践)の相互乗り入れ」という〈事業〉自体が居座り続けることの居心地の悪さを前提にしている。
著者
足立 悦男
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.36, no.7, pp.32-39, 1987-07-10 (Released:2017-08-01)

これまで書かれてきた多くの短歌教材論は、現実ありのままの情景や心情をそのままに表現したものが短歌である、という考え方にもとづいていたようである。わたしはそこに、かねてから考えていた虚構論(表現行為は現実をこえるという立場からの……)を導入してみた。そのことで短歌教材に対する考え方がだいぶ変わっていくのではないか、という展望のもとに。一つの問題提起として書かせていただいた。
著者
高橋 広満
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.47, no.1, pp.47-57, 1998-01-10

「橋づくし」と、数字パズル・沖縄の祭・古典などの作品の<外>との関連を再検証し、異論を提出した。その上で、個々の典拠との関係を越えたイメージ群を想定する作者の思考の可能性や、この作品のパロディとしての構造とその真意などに触れた。続いて、小説の総体の類似物が作品内に存在するといういわゆる象徴の問題を、作品生成上からは模倣の運動を前提とするものとみて、<内>なるその模倣物(ミニチュア)の位置と及ぶ範囲をはかった。
著者
中村 三春
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.36, no.11, pp.1-11, 1987

太宰治初期の代表作「道化の華」は、心中未遂を犯し自分だけ助かった主人公大庭葉蔵の物語であるが、同時に、その物語を語る語り手が、自分自身の語る物語の内容や構成に関する注釈を縦横に加える構造になっている。これは、小説創造と小説創造に関する陳述の同居という、いわゆるメタフィクションの定義に完璧に合致する典型的テクストである。本稿ではメタフィクションの一般理論に照らして、この作品に再検討を加えてみた。
著者
佐々木 孝二
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.32, no.9, pp.11-21, 1983-09-10 (Released:2017-08-01)

I discussed the relationships of the transmitted stories and the historical facts, besides the purposes and the elements of transmission, based on "kataribe" (a family of professional narrators) and the transmittedstories in Tsugaru-Soto-Sangunshi. The Ando Family, who were natures of Tosaminato in Mutsu, tried to justi- fy their right to rule over the region called Tsugaru. So they made transmitted stories of their own family based on history books, old documents and the family stories which were handed down generation to generation, giving them other interpretations, adding something different and even inventing new stories. They took a group of "kataribe" under their influences so as to supervise them with certain financial aids and have them transmit the story of the Ando. I analyzed these facts and the circulation process of the basic culture and its deformation after the Tsugaru fashion.
著者
葛綿 正一
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.52, no.5, pp.32-39, 2003-05-10

大陸の文明を模倣しつつ列島に庭園が作られる。それは王のシンボルともなるわけだが、漢詩文や和歌、管絃や芸能は庭園と不可分の関係を保ってきたといえる。本稿は平安朝の仮名散文を中心に庭園の諸相を考察したものである。うつほ物語は三奇人を排除しつつ、庭園を通して秘琴の卓越性を提示していた。それに対して、枕草子や源氏物語はそれぞれ機知と情動において庭園をめぐる新たな詩学を実践していたと考えられる。
著者
飯塚 恵理人
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.56, no.7, pp.44-52, 2007-07-10 (Released:2017-08-01)

能は「幽玄の風体」で「言葉優しき」ことを最上とし、恐ろしいはずの「修羅道」や「地獄」を恐ろしい感じを持たせないよう工夫した。例えば、「地獄」の記述では肉体的な苦痛の表現を最小限に留めた。また、修羅道は仏教では修羅王の眷属として帝釈天と戦う場所だが、現世での敵同士が戦い続ける場所として描いた。このような「来世」観は仏教書の説くところとは異なるが、「劇」の「方法」として、能に共通する「来世」の描き方となった。
著者
鹿目 俊彦
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.27, no.2, pp.71-75, 1978-02-10
著者
高橋 秀樹
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.52, no.7, pp.23-33, 2003-07-10

和歌を詠んだ者が皆「和歌の家」を形成したわけではないように、音楽をたしなんだ人々がすべて楽人で、「音楽の家」を形成していたわけではない。では楽人の条件とは何か、地下楽人にとって「音楽の家」を伝えるというのは具体的に何を指すのかを、鎌倉時代の音楽説話集『文机談』や藤原孝道の楽書の記述から検討して、「音楽の家」の実像に迫るとともに、地下楽人の家と王権・貴族社会とのかかわりについて論及する。