著者
西山 克
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.45, no.7, pp.46-56, 1996

禅僧大極の日記『碧山日録』応仁二年一一月一九日条には、釜鳴りを鎮める作法-釜鳴法-が書き記されている。なかで興味深いのは、異性装によるトランス・ジェンダーにより釡鳴りが鎮まるとする法である。なぜ、異性装により釜鳴りが鎮まるのか。またこの釜鳴法が、現代日本の下位文化において語られるオカマという隠語と、どのように関わるのか。日本中世の女装者である持者の存在をも視野におさめながら、聖なるオカマを論じ、インドの両性具有者ヒジュラを遠望してみたい。

7 0 0 0 OA 何を読むのか

著者
竹村 信治
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.63, no.1, pp.2-17, 2014-01-10 (Released:2019-01-26)

「学習指導要領」への準拠が求められる教科書だが、実際の教科書編集にはこれへの「参与」と「補完」が認められる。「学習指導要領」は、今後はともかく、現在はM・マクルーハンのいわゆる「クールなメディア」としてあると見なし、教科書の古典「文学」をめぐる「参与」と「補完」の可能性について考察した。この度の改訂で小中高校「国語」に新設された〔伝統的な言語文化と国語の特質に関する事項〕だが、小学校「国語科」教科書は「伝統的な言語文化」を「言語文化」とあえて読み替えたごとくで、拡張された「言語文化」概念のなかに古典「文学」を位置づけなおして教材の拡充を果たしている。これが二七年度版でどう改訂されるかは不明だが、この新設事項へ「参与」「補完」は教科書の可能性を開いたものとして相応の評価に値する。そうした小学校教科書の達成を承けて中等学校においてはいかなる「参与」「補完」を構想するのか。教科書およびそれを扱う教員の構想力、展開力が問われるところである。本稿では四つの対処法を示した。その要所は、「言語文化」事象としてある古典「文学」テキストの一つ一つを「知のアーカイブズ」と捉え返し、それぞれの「知の営み」を読み解き「評価」「批評」すること。それこそが「ホット」に進行しつつある現況に「クール」に立ち向かう途だろうとした。
著者
岩佐 壯四郎
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.45, no.11, pp.47-59, 1996

いわゆる<雅号>は、志賀直哉・谷崎潤一郎など<本名>を署名する文学者の登場した一九一〇年代以降次第に姿を消していった。<雅号>は、いずれは近代における文学という制度の負の領域に追いやられるべき運命にあったといっていいかもしれない。だがそれを、近代文学史の一つのエピソードとして片付けてしまっていいのだろうか。それは逆に、近代文学という制度の性格を照らしだしていはしないだろうか。

7 0 0 0 OA 創刊のことば

出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.1, no.1, 1952-11-01
著者
千田 洋幸
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.50, no.12, pp.52-53, 2001-12-10
著者
プレモセリ ジョルジョ
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.67, no.9, pp.13-24, 2018-09-10 (Released:2023-09-28)

これまで、陰陽道研究の進展によって、古記録・都状のなかの泰山府君の神格について明らかにされてきた。しかし、泰山府君は「説話」と「物語」にも登場するのである。本稿は、『今昔物語集』に収録される「晴明説話」と『今鏡』に収録される「有国説話」における泰山府君祭を見ることによって、これまでの研究で指摘されてきた泰山府君とは異なる「泰山府君」に接近し、説話としての固有な「泰山府君」を読み解く試みである。
著者
増尾 伸一郎
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.47, no.7, pp.33-44, 1998

九州を中心とする西南日本の盲僧が琵琶を弾奏しながら語った『地神経』は、朝鮮の盲覡(読経師、経巫)が読誦した『地心経』と、ほぼ同一の疑偽経典である。日本では土佐のいざなぎ流や奥三河の大土公祭文をはじめ、各地の土公神祭文や五行神楽の詞章にみられるように、その釈文は<五郎王子譚>として広く流布した。本稿では、天文暦数や陰陽五行説、中国の盤古説話などを包摂しながら、重層的な展開をみた、語り物としての軌跡を、中世社会のなかに位置づけることを試みた。
著者
松澤 俊二
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.65, no.5, pp.73-86, 2016

<p>一九〇〇年前後の「和歌革新」以降を「近代短歌」=「新派」和歌の時代とする見方は、近年の研究により補正されつつある。すなわち「革新」以降も「旧派」は勢力を温存して、二派が〈両立〉していたというのである。本論は、以上の観点を引き継いで「新」・「旧」〈両立〉の具体的な姿を大正期に即して考察した。特に当時の入門書を資料とすることで先鋭的な歌人の言説ばかりでなく、同時代の初学者のニーズまでを視野に入れて多面的な把握を試みている。</p>
著者
酒井 浩介
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.58, no.12, pp.47-58, 2009

一九二〇年代の新潮合評会の佐藤春夫と久米正雄の会話の記録の不備を手掛りとして座談会と速記の関係に着目し、帝国議会議事速記録(一八九〇)から小林秀雄までを射程に座談会の批評的な意義を考察する。座談会とは会話を活字として現前させようという欲望によって生み出された言説のトラブルなのであり、それは書き言葉の無意識として現れ、言文一致という形で整除された近代文学にひびを入れることで批評性を獲得するのである。
著者
國部 友弘
出版者
日本文学協会 ; 1952-
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.69, no.6, pp.23-34, 2020-06
著者
木村 朗子
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.60, no.4, pp.16-27, 2011 (Released:2016-12-09)

本発表では、中世社会の信仰がどのようなイマジネーションに支えられ、どのようなものを幻視させるのかについて考えてみたい。ジュリア・クリステヴァは近著、Cet incroyable besoin de croire (Bayard, 2007) [This Incredible Need to Believe, 2009] で、信じること、信仰することについて論じ、信じるということは、それを真実と捉えるという意味だと述べている。多くの場合、宗教的な信仰は、とても信じ難いエピソードの集積の上に成り立っている。さらに、その真実性を補強するために経験譚や目撃譚などがあらわれる。信憑性への希求が結果としてますます信じられそうもないエピソードを上重ねしていくことになる。とくに信憑性をめぐるエピソード群は、一般に正典化されたものにたいして、外典的なものを派生させていく。正典は、外典を排除しようとするが、かえって外典的なものがさらに強い信仰に支えられて生き延びさせてしまう。本発表では、外典的エピソードのなかから、それらの体験という想像における見ることとしてのヴィジョナリーをめぐってうみだされた物語の視覚的イメージと語りとの関係について考える。
著者
相馬 庸郎
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.43, no.9, pp.45-54, 1994-09-10

「楢山節考」にはじまり、戦後文学の近代主義的性格の虚を衝く作品を発表しつづけて、特異な位相を持つ深沢七郎の現実の政治的姿勢を検証してみた。彼は共産党→全学連→赤軍派→連合赤軍→日本赤軍と支持をつづけたが、それは理論的にも党派的にも矛盾する心情的なラディカリズムで、結局彼の求めたのは、彼の深部にある一種の「千年王国」とでも言うべきものであった。そこに深沢的反逆の特質があった、と私は考える。
著者
西原 志保
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.57, no.12, pp.11-23, 2008-12-10 (Released:2017-08-01)

女三宮は、研究史の中でその存在が六条院世界や物語のありようを変容させたものの、内面を語らないといわれる。しかし、女三宮の心内語や心情に添った描写、会話文など、女三宮のことばは少なくない。それゆえ、源氏や紫の上の述懐がどのような点で「内面」と見られ、女三宮のことばが見られなかったのかを、近代的な内面観や研究史との関わりから押さえた上で、女三宮のことばのありようについて論じる。特に女三宮のことばが短く断片的であること、時間感覚に着目する。
著者
小島 明子
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.55, no.7, pp.12-21, 2006

『我身にたどる姫君」は、女帝の統治・今上帝の善政描写に特徴がある。それは机上の空論と見るべきではなく、鎌倉初期の九条兼実が実際に取り組んだ政策に一致する点が多いことが指摘できる。院近臣を排除し、天皇家を中心にその外戚たる藤氏摂関家がそれを補佐するという、兼実・慈円兄弟が理想とした御代を物語は実現しているのである。そこには、保元の乱以降、天皇家も摂関家も武家勢力によって分断された「危機の時代」を生きる物語作者の切なる執筆動機が読み取れる。
著者
米田 利昭
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.28, no.3, pp.60-74, 1979-03-10
著者
川村 裕子
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.55, no.1, pp.2-11, 2006-01-10 (Released:2017-08-01)

古典文学普及のための<加工>としては、「取捨選択」という演出が必要である。『蜻蛉日記』におけるその演出方法について述べた。一つ目は道綱母の「本朝三美人」説話について『蜻蛉日記』のイメージ戦略と同時に、他の二人の名前を残すために伝承そのものを捨てなかった道筋(「取」)を書いた。二つ目は、「現代語訳」について、注釈者の意図を反映させるために、通説の一部を切り取った経緯(「捨」)について述べた。