著者
津田 博幸
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.48, no.5, pp.11-20, 1999

六国史に歴史叙述の一環として描かれたシャーマニックな出来事と、歴史叙述の担い手たる古代の史官たちの知の世界との関わりについての考察。具体的には、前兆と結果を記述しつつ展開する歴史叙述の方法を取り上げて分析する。前兆を知り結果を予期することはシャーマニックな知に属するが、その知を史官たちの知と分断してとらえず、両者を地続きのものと考え、そこから歴史叙述が生成するダイナミズムを描くことを目指した。
著者
内田 順子
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.48, no.5, pp.21-31, 1999

憑依によって発せられた不完全な神託が、次第に固定化・様式化されたものが共同体で伝承される神歌である、という文芸史観がある。そのために、神歌前史として「憑依の神託」が常に想定され、現在伝承されている神歌の諸表現は、いにしえの憑依表現の残存としてとらえられることになる。しかしわれわれが前提とできるのは、演唱されることによってのみ現存する神歌だけである。憑依はそれに先駆けては現存しない。われわれはここから出発し、神歌と憑依との関係を根底から探求しなおすことを試みる。
著者
角谷 有一
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.53, no.3, pp.1-12, 2004-03-10 (Released:2017-08-01)

作品のことばに撃たれ、その「ことばの仕組み」が、自分のとらわれている世界を揺さぶり、瓦解させていくような文学作品の「読み」を教室の一斉授業の中でつくり出すことができないか。今回、村上春樹の『七番目の男』を取り上げて、その<語り>の構造を読むことを通じて目指したのも、そういうことだった。授業として決してうまくいったとは言えない今回の実践から、作品の深みへ誘う「読み」の授業づくりのヒントをつかもうとしたのが、今回の報告である。
著者
増田 修
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.29, no.4, pp.29-38, 1980

It has been said that "A Lemon" is a difficult work for teaching in class, because there are some students who never have the same sensibility as author's and they cannot understand the story. But this view depends upon the author's sensibility too much. We should analyze the structure and words of the story in detail. The fist words "a mysterious and ominous soul" have an important meaning, and the whole structure of the story is related to the relevancy between those words and a daydream of a bomb in Maruzen. This point of view is significant for both comprehention of the story and teaching in class.
著者
久富木原 玲
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.42, no.5, pp.13-21, 1993

光源氏はなぜか斎宮との恋におちることはない。しかし斎宮の物語は単なる挿話ではなく、背後に伊勢神宮の磁力を巡らしつつ、源氏の王権物語をダイナミックに展開させていく。そしてその要の役割を果たすのが、斎宮の母としての六条御息所である。御息所を斎宮の母という観点から捉え、これを斎宮や巫女の歴史の中に位置付けてみると、源氏物語は、律令制からやらわれたかつてのヒメの自己回復の物語としての相貌を帯びてくる。
著者
吉岡 亮
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.52, no.9, pp.29-40, 2003

明治二〇年前後において、同時代の歴史改良論と連動しながら〈小説〉性を戦略的に利用した伝記『経世偉勲』や、小説改良論と呼応しながら〈歴史〉を独自の形で移入した政治小説『雪中梅』といった、歴史-伝記-小説を混質化する実践が相次いで登場した。坪内逍遥は、こうした試みに対して、事実/真理や題材の選択性といった基準に基づいた、歴史伝記/小説というジャンル区分を対置し、小説に関する言説を再編していった。
著者
春日 美穂
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.58, no.2, pp.26-34, 2009

本論は、「澪標」巻、退位後の朱雀院が管絃の遊びを楽しむ場面を始発とし、それが、理想の上皇像を追い求めようとする朱雀院の意志であったことを、歴史資料等をふまえながら明らかにしたものである。朱雀院は、本来あるべきはずの「遊び」の記述が二例しか見られず、他の『源氏物語』の帝たちと明確な差があるが、だからこそ、帝として、そして宇多上皇を規範とする当時の上皇の理想像に近づくために、退位後に「遊び」を自ら選び取っていたのである。
著者
寺島 恒世
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.40, no.7, pp.1-9, 1991-07-10 (Released:2017-08-01)

『中務内侍日記』が描く風景の特徴は、京極派和歌のそれに通じる所が大きく、春宮(天皇)の好尚を前提とした周到な作意が認められる。基調に哀愁を漂わせるのも叙景のための一手段であった。風景描写は、京極派和歌の出発に立ち会った作者がその歌風の生成過程を書き留めようとする意図に発していた。そこに、公事記録を主とする後半の記述とは形を変えながら、それに通底する対天皇(春宮)の姿勢を認めることが出来るのである。
著者
山元 隆春
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.56, no.8, pp.53-62, 2007-08-10 (Released:2017-08-01)

なぜか。「テクストと読者との相互作用過程」において読者のうちに「作品」がどのように生み出されるかということが文学教育においては重要である。それらの半分は書き手の差し出したものに、そして半分は読者の抱いているものに左右される。わたくしたちは書き手の残した記述をもとにして、そこに描かれている<表徴>を捉え、自らの読みをつくりあげる。読者であるわたくしたちが、幾たびも読み返すことによって、その捉え方は変わっていく。それはある意味でテクストの送り手を「裏切る」過程なのかもしれない。そうやってテクストの送り手を「裏切る」ことが、わたくしたちの「作品」を生み出し、読みをつくっていく営みでもある。「テクスト」はわたくしの「失いつづけたすべてのもの」を指示対象とする。そして、わたくしがわたくしのなかに構成したそれを読むということが、わたくしたちの「行くべきところ」を探る営みとなるのである。それが、須貝千里の言う、「あらゆる言葉」が「対象そのもの」との「隔絶に晒されている」事態を生き延びる道であり、一筋の「希望」であると考える。
著者
中川 成美
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.60, no.4, pp.2-15, 2011

<p>真に文学的な想像力とはどのようなものなのだろうか。文学は言語を媒介とする表現様式と認知されているが、読書行為の推移のなかで見出される非言語的なイマージュの躍動に対して、文学研究においてはこれまで「表象」化という概念に貼りつかせて、言語的行為と捉えてきた。しかし、G・ドゥルーズが指摘するように、言語を超えてイマージュそのものを身体的に感知する「精神的自動機械(automate spirituel)によって見出す「外の思考」をここで考えていくならば、非言語としての図象的想像力とは、あらゆる思考の生産のなかに発動の契機を持つであろう。そしてその中で文学によってしか存立しない想像力、「文学的想像力」としか名付け得ない領域が開かれているのではないかと考えている。</p><p>本発表ではその立場から、想像力が言語、非言語に関わらず喚起されていく経緯を現代文学作品から考察し、特に視覚性(Visuality)という身体の経験との往還によって見出される想像力が、文学のなかに基層的に封じ込められていることに言及したい。</p>