著者
小林 保治
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.20, no.2, pp.49-58, 1971-02-01

A number of No dramas fall into the category of Shuramono, No of fighting scene, and most of them, if not all, are based on some stories from Heikemonogatari. All the major Shuramono pieces are now recognized as the works of No dramatist Zeami's authorship. Among them is one called Tsunemasa with Tairano Tsunemasa as its Shite or a hero, to which special attention must be paid as it is a one-act (single-type) No, while other Shuramono usually consists of two acts (double-type). Normal two-act type Shuramono shows in its second act a scene adapted from Heikemonogaiari, in which a hero dies on the battlefield. This death scene is necessitated by the author's dramaturgical intention to present an tormenting scene of a hero just about to depart this world by way of a symbolical spectacle of fight fought eternally between a hero soldier who is driven mad by wrath and therefore doomed to be defeated and Taishakuten, a guardian diety of Buddhism, in Shurado (one of Hades in Buddhism) where every soldier who has bleached his bones on the bettleground must go after his death. In the description of a hero's last momet in the later act of double-type Shuramono, the author usually goes into minute detail. However, it is not the same with one-act Tsunemasa with only a few lines depicting his end. It is that Zeami wrote it in quite a different way from two-act plays - Zeami, making effective use of those phrases in the Sutras which describe the agony of everlasting toward the end of that drama, makes armed Tsunemasa suffer from the same agony as expressed in the Sutras with the result that there are double images overlapping each other on the stage : one image of Tsunemasa on the brink of death on this side of Heaven and the other of agony-ridden Tsunemasa in the nether regions, who can never escape from eternal fighting. One night, a Buddhist mass is held for the repose of Tsunemasa at Nimnaji Temple where he once served as a page. Tsunemasa's spirit is lead to the mass attracted by the melody of the biwa as he himself was very good at playing the instrument. Tsunemasa's ghost joins the players and enjoys himself for a while. In the course of merriment, his excitement goes beyond his control until at last he comes to betray the violent anger from which no one fallen into Shurado is free. Carried away by wrath, the ghost starts a fierce battle. During the battle he suffers from scorching hell are, which overlaps the burning light at the memorial service. In this scene, the burning light is of much importance as it is supposed to illuminate Tusnemasa's face twisted with agony. When Tsunemasa finally becomes aware that his unsightly figure as a ghost from the hell of Shurado is watched by all the people present at the service, he hurries back to Shurado blowing out the light. It is also to be noticed that there are scattered all over the text of Tsunemasa many verses cited from Wakanroeishu.
著者
博 砂川
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.37, no.8, pp.59-70, 1988-08-10

東京大学付属図書館所蔵の『幸若』が、数多い『清水冠者物語』の中で、特異なテキストであることはよく知られている。従来、この物語の成立に関与した者として、一遍智真の系譜に繋る時衆が想定されて来た。しかし、詳細な内部徴証の検討の結果、筆者は、下野の豪族宇都宮氏の保護下にあった一向俊聖の系譜に繋る時衆が、この物語の成立に関与したと想定する。
著者
須田 千里
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.59, no.8, pp.35-46, 2010-08-10

森鴎外『山椒大夫』で、安寿が弟厨子王を逃がし入水する行為について、安寿は厨子王の運命を好転させるために守本尊と一体化しようとし、そのためあえて一緒に逃げず、入水を選んだことを論じた。彼女の「自己犠牲」「献身」は、従来説のように厳しい現実ゆえではなく、仏教信仰に基づく積極的な行為なのである。併せて、鴎外が依拠した説経が元禄版『さんせう太夫』以外にもあること、実録系の山椒太夫関係の本や版本・写本の「粟の段」、また『増訂 国史大辞典』にも依拠することを推定した。
著者
丹藤 博文
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.47, no.3, pp.10-22, 1998-03-10

最近の「教育改革」なるものの本質は、一部のエリート養成に主眼を置き弱者を切り捨てようとする点にある。定時制高校のように、システムの末端に位置する学校は容易につぶされようとしているのである。しかも、所謂「新自由主義教育論」の言説は、「自由」や「個性」あるいはまた「生きる力」などといった美名のもとに、教育の商品化・複線化・階層化を断行しようとしている点に特徴があるといってよい。授業では、メロスの愛と友情と信実の物語として流通する「走れメロス」をパロディ化し変形することによって、読みを二重化し、そこから深層の意味に迫ることを試みた。
著者
西野 由紀
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.60, no.2, pp.21-33, 2011-02-10

『東海道名所図会』には、比叡山四明嶽の遠望に見えるはずのない富士山を描く挿図が収載されている。富士山が描かれた理由を、江戸に対する京の、文化的優位性や伝統を誇示するという出版意図にもとめた。富士山は東海道を、ひいては江戸を象徴する景物であり、それを京の文化で上書きしようとしたこと、さらに、宮中儀式の再興・復古によって朝廷の権威を強化しようとした時代背景が反映されていることを明らかにした。江戸への対抗心こそが、都を象徴する比叡山から富士が見える挿図を生みだしたのである。
著者
尾形 国治
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.28, no.5, pp.63-71, 1979-05-10
著者
植木 朝子
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.44, no.12, pp.1-10, 1995-12-10

『梁塵秘抄』に「海にをかしき歌枕」を歌う物尽くし歌謡があり、「磯辺の松原琴を弾き……沖の波は磯に来て鼓打てば」の一節を含んでいる。松風と琴、波と鼓。この二種の聞きなしについて、実際の和歌の用例との比較から今様としての新しさが、松の擬人化と、鼓を琴と対等に取り上げる点とにあったことを考察した。その過程で、琴と鼓の楽器としての性格の違いが、文学への取り上げられ方の違いに反映していることも合わせ論じた。
著者
伊藤 聡
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.44, no.7, pp.67-77, 1995

第六天魔王と天照大神との契約説を語る最初期のテキストである『中臣祓訓解』は、同説が神宮の仏教忌避の由来を中心的主題とするのではなく、寧ろ魔王より大日=大神への国譲りが主題となっていることを浮き彫りにする。そしてその魔王たる伊舎那天は仏教の障碍神としてばかりではなく、伊弉諾尊と習合し、更には日本が大日の本国であることの根拠ともなる。この魔王の複雑な性格は神国思想と末代辺土観とに引き裂かれた中世の自国意識の反映であり、第六天魔王説とはこの両者を止揚する契機として構想された創世神話であると考えられる。
著者
巽 孝之
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.43, no.11, pp.66-77, 1994-11-10

笙野頼子は夢について語りつづける。もちろんこれまで「夢」といったら、伝統的なリアリズム文学が忌避し、伝統的なシュールレアリスム芸術のみが特権化してきた手法であった。けれども、初期短・中編群から、昨今の中・長編群へ至る過程で、笙野頼子はむしろ、従来の二分法ではおさまりきらない日本的無意識特有の「夢」を紡ぎ出す。それは、読者の認識論的準拠枠とともにジャンル論的準拠枠をもゆさぶってやまない。
著者
佐藤 かつら
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.56, no.10, pp.36-44, 2007-10-10

明治八年九月大阪・角の芝居で上演された勝諺蔵作「早教訓開化節用」は、錦絵新聞が典拠であることを考察した。またその内容は、当時の事件を「白浪五人男」と「縮屋新助」という既存の黙阿弥作品にあてはめたものであることを見た。主人公の一人である錦織熊吉という巡査、新しい時代における新しい職務を担った人物が抱えた苦悩を、既存の物語によってあらわし、観客に新時代の人物を理解させる価値をもった内容であると考えた。
著者
池田 廣司
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.16, no.11, pp.764-772, 1967-11-01
著者
高村 圭子
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.54, no.6, pp.21-28, 2005-06-10

延慶本『平家物語』の末尾にある建礼門院譚には、女性としての「業障」や、驕りによって国を傾けた平家一門としての「悪業」が繰り返し強調されており、また女院が後白河法皇を「善知識」と呼ぶという特色もある。ここには進んで過去を語り懺悔することによって煩悩から救われるという、謡曲におけるシテとワキのような構造が現れていると考えられる。このような特殊な女院像について、近年注目されるようになった小野小町造型との比較をも視野に入れつつ、作中における役割やその造型を考えていきたい。
著者
坪井 秀人
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.52, no.11, pp.30-39, 2003-11-10

一九四五年八月一五日、天皇の玉音放送によってアジア太平洋戦争は敗戦を迎えたが、終戦の詔勅の意味を理解した聴き手は稀であり、雑音の中、天皇の声もうまく聞きとれなかった。このような空虚さのゆえにその声はアウラを身にまとい、国体護持を図る大きな歴史の中に敗戦の個別の経験を回収すべく機能した。本稿は高村光太郎の戦争詩における戦時と敗戦に対する姿勢を検討することで、このような〈経験の歴史化〉の機構を相対化しようと試みたものである。
著者
村上 學
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.45, no.7, pp.1-9, 1996-07-10

親鸞の訃報を知らせてきた娘覚信尼に、恵信尼は夫の往生を自らも確信すべく「殿」親鸞が観音の化身との夢想を得ていたことを記して送る。それは俗世の言葉で語り明かすことが夢想の聖性を無化してしまうとの惧れから親鸞の生前には語り得なかったほどのことであった。だがこの書簡は覚如に利用され、聖なる化身親鸞は血脈相承を正統化する証左と化す。蓮如はそのカリスマ性を捨象して聖性の意味を転換し教義統制の基軸として据えた。
著者
伊豆 利彦 益田 勝実
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.3, no.6, pp.52-53, 1954-06
著者
竹内 瑞穂
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.56, no.9, pp.53-64, 2007-09

大正期文壇人たちは、「変態」概念を同時期に流行していた天才論と接続させるかたちで消費してゆく。そうした解釈により、「変態」概念は「芸術家」の特権性を絶対化し、彼らの社会・文化的ヘゲモニーを強化する<装飾具>へと再構築されていった。文壇人を取り巻く「民衆」の台頭という時代潮流と併せて考えれば、彼らの「変態」概念消費とは、そこで揺らぐ「芸術家」の象徴的地位を巡る闘争の一端を担っていたと考えられよう。