著者
天野 郁夫
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.76, no.2, pp.172-184, 2009-06-30 (Released:2017-11-28)

高等教育システムはいま、世界的な変動期を迎えている。日本もその例外ではない。そのシステム変動の基本的な構造と方向性を分析する上で、最も説得的な理論とされているのは、アメリカの社会学者マーチン・トロウの「歴史・構造理論」である。「エリートからマス、ユニバーサルへ」の段階移行で知られるこの理論は、ヨーロッパ、それにアメリカ高等教育の発展の歴史的な経験をもとに、一般化されたものである。本論文の目的は、日本の経験を事例に、その比較高等教育システム論としてのトロウ理論の妥当性を検証することにある。日本を、ヨーロッパ・アメリカと対比させた本論文での分析は、この移行理論の基本的な妥当性を裏付けるものである。しかし同時に、その移行過程の分析は、「エリートからマス、そしてユニバーサルへ」の段階移行に、単一の道を想定することの妥当性に疑問を提示するものである。移行の過程について、アメリカ、ヨーロッパ、そして日本に代表される東アジアという、3つの道を想定することによって、この理論はさらに説得性を増し、実り多いものになるはずである。
著者
中坪 史典
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.81, no.4, pp.436-447, 2014 (Released:2015-06-25)
参考文献数
31

本研究の目的は、具体的な保育実践場面を対象に、保育者の感情の表出と抑制に注目し、小学校以降の教師の知見と比較することで、両者の共通点や相違点を探り出すとともに、その実践的意義を検討することである。本研究が示した、「子どもの内面に働きかける」「子どもの主体性を引き出す」ための保育者・教師の感情の表出と抑制に関する知見をもとに、保育学と教育学の間に関して、今後どのような議論が可能であるのかを論じる。
著者
伊東 順真
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.88, no.3, pp.394-405, 2021-09-30 (Released:2021-12-04)

本稿は大正新教育の旗手として活躍後、1932年頃を境に全体主義者へと変節した下中弥三郎の生命言説を検討したものである。下中は大正デモクラシー期から昭和ファシズム期にかけて一貫して「生命」という言葉を多用し、生命主義者さえを自認していたが、このことはあまり知られていない。子どもの生命を教育の根幹に据えていた下中が国家的生命の扶翼と拡大を唱えるに至った歴史的契機を明らかにし、その生命主義教育論の陥穽について論じる。
著者
貞広 斎子
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.85, no.2, pp.162-174, 2018-06-30 (Released:2018-10-17)
参考文献数
32
被引用文献数
1

本稿では、「教育主体の多様化」に対する政府財政支出の公共性をどの様に確保していくべきかについて、主に財政制度と質保証の観点から、今後の制度設計の可能性を検討した。公財政制度の在り方は、質保証(認証・監査/評価)の制度と強く結びつき、連動しており、統制のための資源配分を行うのか、教員や学校の自由とアカウンタビリティーを調整した制度を想定するかによって、公教育のフィールドが構想され、公財政配分システムも再編されていくことを示した。
著者
岩崎 正吾
出版者
Japanese Educational Research Association
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.69, no.2, pp.215-226,317_2, 2002

ペレストロイカ以降、教育分野へのグラースノスチの進展とともに、従来閉鎖されてきた多くの情報が開示されるようになった。マカーレンコについても、これまで知られなかった情報が明らかにされつつあり、活発な議論が展開されている。当論文は、これまで日本において、マカーレンコの教育実践を映画化したものとして紹介されてきた『人生案内』と『教育詩』及びマカーレンコとの関係について、最近明らかになってきた諸資料に基づき解明することを課題としている。これまで映画『人生案内』は、ア・エス・マカーレンコの教育実践、とりわけ、彼の著『教育詩』をモデルとして撮影されたものと見なされてきた。映画『人生案内』は、1931年にソビエト最初のトーキー映画として制作され、第1回ベネチア国際映画祭の監督賞を受賞した。この映画は、興行的にも成功し、1932年には日本でも上映された。この映画は、1920年代の法律違反児童や浮浪児の再教育をテーマとしていたこと、また、エフ・ジェルジンスキーを記念して制作されたことから、ア・エス・マカーレンコの教育実践と同一視された。映画では、法律違反児童や浮浪児がコムーナでの労働教育を通して再生されていく過程が生き生きと描かれており、この点でも、ア・エス・マカーレンコの『教育詩』における教育実践と二重写しとなった。この映画が、ア・エス・マカーレンコの教育実践と同一視された別の理由は、『教育詩』が英語やドイツ語で『人生案内』と翻訳されて出版されたことにあった。とりわけ、イギリスでは、『教育詩』の販売部数を増やすために、興行的に成功した映画『人生案内』の表題をつけて『教育詩』が出版された。また、ヘルマン・ノールをはじめとするドイツのマカーレンコ研究者達も、『人生案内』を『教育詩』と同一視していた。ソビエトだけでなく、ドイツを経由してマカーレンコ情報を入手していた日本では、これらの理由が重なり、『人生案内』と『教育詩』とが同一視された。『人生案内』と『教育詩』とが同一視されたもう一つの重要な理由は、映画のモデルとされたこのコムーナの創設者達が、スターリン体制下で粛清され、このコムーナについての情報が隠蔽されたことにあった。このコムーナの創設には、ゲ・ゲ・ヤゴーダとエム・ア・ポグレビンスキーが重要な役割を果たした。このコムーナはゲ・ゲ・ヤゴーダを記念してつくられたものであり、彼の下でエム・ア・ポグレビンスキーが総括責任者となり、エフ・ゲ・メリホフが所長となって、このコムーナが設置され、運営された。コムーナの正式名称は、「内務人民委員部付設ゲ・ゲ・ヤゴーダ記念ボルシェフ労働コムーナ」である。ボルシェフ・コムーナは、ポグレビンスキーの書いた2つの本、即ち『合同国家政治安部労働コムーナ』(1928年)と『人々の工場』(1929年)により、世間に知られるようになる。また、このコムーナをいっそう有名にしたは、エム・ゴーリキー編集のルポタージュ集『ボルシェフ人』(1936年)であった。彼はこのルポタージュ集の中で、このコムーナの活動と指導者としてのポグレビンスキーを高く評価した。しかしながら、スターリン体制の下で、1937年4月3日、ヤゴーダはゴーリキー等の毒殺嫌疑で逮捕され、1938年3月に銃殺さた。かっての上司が逮捕されたことを聞いたポグレビンスキーは、1937年4月4日に自殺する。このような一連の事件の後、雑誌『赤い処女地』(1937年7月、第7号)に、編集部による『ボルシェフ人』の書評が掲載された。この書評は、ボルシェフ・コムーナに関わるヤゴーダの事業とその活動を厳しく弾劾するものであった。これ以後、『ボルシェフ人』だけでなく、ポグレビンスキーの本も書店や図書館から撤収された。マカーレンコも、それらについて言及することを用心した。また、マカーレンコがかつてそれらについて発言した書評や記事は、彼の死後、編集者達によって削除され、出版された。こうして、マカーレンコとボルシェフ・コムーナの関わりは、後生のマカーレンコ研究家達の眼から隠された。隠された書評や記事から判ることは、マカーレンコがボルシェフ・コムーナについて、大きな関心を抱いていたことである。彼は、書物からだけでなく、実際にこのコムーナを訪問して、その活動の意義や長所について学ぶとともに、その短所や自分の教育方法との相違についても研究していた。マカーレンコのゴーリキー・コローニヤやジェルジンスキー・コムーナの教育実践には、子どもへの信頼、労働教育を通した人格形成、集団の組織方法など、少なからずその影響を認めることができる。1932年に上映された映画『人生案内』は、1970年代にもリバイバル上映された。当時の浮浪児の状況や彼らの労働を通しての再教育の過程が見事に形象化されており、多くの聴衆に大きな感動を与えた。