著者
加藤 美帆
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.85, no.2, pp.175-185, 2018-06-30 (Released:2018-10-17)
参考文献数
20

子どもの社会的生きにくさの顕在化や、時代に対応した能力形成など、公教育が多くの課題に直面するなかフリースクールには公教育の補完的な役割も期待され、かつての対抗的な関係から変化がおこってきている。しかし学校教育とは依然不均衡な関係にあるフリースクールに公教育の課題の受け皿としての役割を押し付ける危険性には留意する必要がある。教育機会確保法が公教育の「文化的・象徴的な変革」につながり得るかが今後問われていくことになる。
著者
元濱 奈穂子
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.88, no.3, pp.445-454, 2021-09-30 (Released:2021-12-04)
参考文献数
57

本稿は、政策を主な対象とした大学教育改革研究の傾向を批判的に再考するため、欧州質保証研究の動向を検討した。欧州質保証研究では、政策設計に焦点化した研究への偏重が、政策の野心と実態の乖離や、グローバリゼーション言説の強化と多様性の軽視を招いてきたという反省が為され、ローカルな文脈から質保証を再定義しようとする試みが始まっている。欧州の動向は、日本の研究者の立場性の再考を促すものとしても受け止めることができる。
著者
唐木 清志
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.84, no.2, pp.155-167, 2017-06-30 (Released:2018-04-27)
参考文献数
32

本研究の目的は、社会科(地理歴史科・公民科)授業における政策に関する学習の理論と方法を明らかにすることである。学校教育で主権者教育を実質的に機能させるには、社会科の役割が重要である。政治問題を巡る対立状況、その原因となる政治的価値観の相違、これらを教材化して、社会科授業で児童生徒に政治的論議を経験させることは、社会科教師の使命とも言える。そして、その際に注目すべき学習論が、政策に関する学習である。
著者
河合 務
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.75, no.3, pp.276-288, 2008-09-30 (Released:2017-11-28)

近年、フランスは「ベビーブーム」を迎えている国として注目され、家族手当など手厚い経済的支援がしばしば言及されるが、出生率低下問題に長く取り組む過程で、子ども・若者の家族形成意識への教育的働きかけが行われてきた同国の歴史的経験に関しては、これまで詳しく紹介されてきたわけではない。本稿は、家族形成に関する「意識改革」が強調されつつある日本の現状を照射する観点から、フランス第三共和政期(1870-1940年)の出産奨励運動と教育との関わりについて、1896年に統計学者J.ベルティヨン(1851-1922)によって設立され、現在も活動を続ける運動団体「フランス人口増加連合」の教育活動を中心に考察している。政治家・行政官・教員・ジャーナリストらが会員として名を連ねた同団体が、公教育行政の後押しをも受けながら多子家族形成に向けた学校教育の実現を目指した活動を展開していく模様を検討し、そのイデオロギー性を指摘している。
著者
北村 三子
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.66, no.3, pp.268-277,366, 1999-09-30 (Released:2007-12-27)

教養主義とは、明治の末(ほぼ1910年代)に日本の知識人たちの間に成立した、人間性の発達に関する信条(あるいは「主義」)である。ドイツの教養(ビルドゥンク)概念の影響の下に、若いエリートたちは、人類の文化、ことに、西洋の哲学、芸術、科学などを継承することを通して人格者になりたいと思った。彼らはそれらの偉大な作品に触れることによって強められた理性と意志が人間の行動を制御すると期待した。彼らはある程度それに成功したが、同時に、大地や他者から切り離されてしまったと感じ、不安に悩まされるようになった。 教養主義は主に旧制高校生や大学生の間に普及したが、かれら若きエリートたちは、深層意識では、自分を高等教育には手が届かない若者たちと区別したかったのだ。その意味で、教養主義はかなりスノビッシュなものである。 この教養主義の欠点は、第二次大戦後、日本の教育関係者たちによって批判された。批判者の一人で、新時代のリーダーの一人であった勝田守一は、新しい教養の概念を提案した。それは、高く評価された人類の労働を基盤にしたものであった。勝田によれば、労働は人間の諸感覚、思考能力、コミュニケーション能力を発達させてきた。その中でも、近代に著しく発達した科学的思考法は、私たちにとって最も大切なものなのである。そこで勝田は、教養のある人間は、人類が発達させてきた諸能力を偏ることなしに身に付けていなければならならず、そうすることによって、教養人は社会を進歩させるであろうと主張した。人類の能力は無限に発達すると勝田は信じた。なぜなら、近代科学技術の発展には限界がないように見えたからである。 私たちはもはやこのような楽観的な見解には同意できない。なぜなら、近代の科学技術が自然に対して攻撃的であり、地球の生態系に重大なダメージを与えうることを、私たちは知ってしまったからだ。勝田の教養概念や教養主義をこの観点からもう一度振り返るならば、それらには、思考方法において共通の欠陥があることに気が付く。それは、近代思想一般に見られる欠点と同じものである。 近代的知性は生産的である。それは物を作り出すだけではなく、表象や概念や推論を用いて事物のリアリティを生み出すのだ。その思考法は、利用という観点からだけ事物と関わるものであり、人間中心的で、事物に耳を傾け対話することはない。鮮明に意識に表象されない事物は、意味がないとみなされ、無視される。あの若き教養主義者たちの心の葛藤も、おそらく、この近代の知性の産物である。 教養が再構築されねばならないとしたら、それは、これまでとは異なる思考やコミュニケーションの方法を基盤とするものでなければならないだろう。また、近代的な労働や社会の中でおそらくは失われてきた諸感覚や能力を回復できるものでなければならない。
著者
山田 浩之
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.80, no.4, pp.453-465, 2013-12-30

教員政策や教員養成制度の改革は教員に対する不信と批判、とくに「教員の資質低下」を前提に実施されてきた。しかし「教員の資質低下」は恣意的に用いられ、客観的資料によって十分に検証されていない。本稿では教員の不祥事の統計などにより資質低下の根拠が希薄であることを指摘する。さらに教員による養成制度や職場環境の評価を明らかにし、教育政策が教員の魅力を低下させ、それが資質の低下をもたらす可能性を検討する。
著者
山下 絢
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.80, no.3, pp.322-332, 2013-09-30

本研究は、相対的年齢効果が生み出されるメカニズムに着目し、子どもの生まれ月と親の階層(社会経済的地位)や教育へのかかわり方との関係を、国内の全国規模データに基づき、定量的に明らかにするものである。分析の結果、母親が教育費の支出に積極的な場合に、その子どもが早生まれではない傾向が確認された。さらに通塾率に基づく地域区分から見た場合、通塾率が平均よりも高い地域において、同様の傾向が確認された。
著者
仲松 辰美
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.81, no.1, pp.37-47, 2014 (Released:2015-06-16)

本稿は、戦後教育改革期における CIEの PTA構想に関する研究で、従来の研究を検証し、先行研究が見落としてきた文部省による CIE文書の誤訳の可能性を指摘した。そのなかで、 CIEの PTA構想は、学校教育の責任主体として学校(教師)を位置づけ、 PTAを通じた親の内的事項への関与が、決定権を持たないものの、 PTAの権利であり義務として予定されていたことを明らかにした。さらに、このような構想は一貫したものであったと考えられた。
著者
生澤 繁樹
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.82, no.4, pp.543-557, 2015 (Released:2016-05-18)
参考文献数
46

政治や教育における「代表」や「表象」という意味での “representation” の機能と作用について考察する。とくにこれまでのカリキュラムの公共性をめぐるポリティクスを中心的に取り上げながら、この問題を考えることが現代社会における代表制デモクラシーのあり方にとどまらず、参加政治の意味それ自体を根本的に問いなおし、そこに暗に設定されたコンピテンシーという教育上の問題を再び浮き彫りにするということを試論的に示していく。
著者
広田 照幸 武石 典史
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.76, no.4, pp.400-411, 2009

本稿は、90年代以降の教育政策の決定過程を取り巻く諸動向を、マクロな政治構造の変容の中に位置づけるという作業を通して、政治変動によって直面するであろう、教育政策をめぐる新たな対立的事態の一つの捉え方を提示する。すなわち、自明性を失いつつある単純な「大きな政府/小さな政府」的把握を超えた、各アクターがどういう社会モデルのもとで教育政策案を形成しているのかという認識枠組みが有効性を持ちうると考えられる。
著者
飯吉 弘子
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.76, no.4, pp.438-451, 2009

日本の大学における学士課程教育の全専攻分野共通の学習成果である「学士力」の議論を深めるためには、21世紀型の「教養ある人間」像と、彼らが持つべき「教養」とは何か、大学はその育成をどのように担うべきかという問題を考える必要がある。(1)「教養ある人間」像の普遍性とその時代変化に伴う差異の考察、(2)米国AAC&U(やOECD)と日本の21世紀認識や教養教育の方向性の確認、(3)産業社会的・職業的文脈と教養教育の変化と両者の関係の分析を行い、それらから(4)21世紀の教養教育のあり方を考察し、今後の教育実践への仮説的提案を行った。
著者
石戸 教嗣
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.77, no.4, pp.346-357, 2010-12-27

本稿は、多様に並立している教育諸原理を格差社会の文脈と関連づけることによって「教育」概念の再検討を行う。教育原理の並立は、労働の分化に対応する教育システムの自己調整活動としてとらえ直すことができる。格差=排除の現状は、単にアンダークラスを教育の対象層としているだけでなく、労働力の余剰の結果として、すべての市民の再教育の可能性を潜在的に示している。同時に、機能分化社会は、一般的な価値を志向するこれまでの「共通教育」を、「うまくいっていない」社会的事象について学ぶ「接合の教育」に転換することを求めている。
著者
木村 浩則
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.64, no.2, pp.171-179, 1997-06-30

This paper sets out to clarify how educational relationships are understood in Niklas Luhmann's system theory. In this connection, special attention has to be paid to how Luhmann modified his theory. In his early works, Luhmann set up a thesis saying that "the educator is not the teacher as an individual but the interactive process called a lesson". In other words, education is not a matter of individual teachers but of educational relationships themselves. The teacher's approach is therefore understood not as a one-sided "intervention" directed at the student but as "interpenetration" between the education system and the personal system. However, if we conceive of education as "interpenetration", it became impossible to distinguish between socialization and intentional education. In this situation, following the introduction of the concept of "autopoiesis" in the 1980s, it became possible to distinguish between interpenetration as socialization and education as a communication system. Then, understanding in a lesson signifies understanding mediated by understanding of the communication system. That is to say, the student's understanding is made possible not by understanding the educator as an individual but by understanding the communication system constructed by the student and the educator. According to Luhmann's theory, the mechanism of education is uncertain simply because of the involvement of a psychic system as an autopoiesis system. However, education becomes possible at the point when a psychic system participates actively in the education system. That said, the education system will always be a problematical system. Because it cannot depend on the inner aspect or personality of an individual, it becomes routinized and differentiates people according to whether it grasps them or not. Or it may cause an unintended educational effect as a "hidden curriculum".
著者
福田 誠治
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.75, no.2, pp.192-203, 2008-06

教育政策は、国を越えた活動主体によって規定される時代に入った。生涯学習は、個人の自立を目指し、国民形成から個人の能力育成へと教育目的を変えるように促すが、同時にまた、グローバルな教育産業の活動領域を整備し、教育界を能力争奪の経済的・政治的な舞台に変えることも意味している。今日すでに、高等教育は、このように国家利益を越える段階に入っている。あるいはまた、国際的な教育指標の確定、とりわけ国際学力調査は、競技場(アリーナ)を国際化するので、国の教育政策に少なからぬ影響を及ぼすようになってきている。技術革新や世界的な産業構造の変化は、伝統的・固定的な職業専門性の育成という教育システムを崩しつつあり、知識量や技能の正確さ・スピードという学力規定は考える力や学び続ける力へと重心を移さざるを得なくなっている。多文化・多民族・多言語の共存・協調へと向かうEUは、OECDを舞台にして教育制度・教育理念を組み替えつつあり、日本もこれと無縁ではない。