著者
佐藤 全
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.65, no.4, pp.334-342, 420-421, 1998-12-30

Article VIII, Clause I of the Fundamental Law of Education states that the political knowledge necessary for intelligent citizenship shall be valued in education. Clause 2 states that schools, prescribed by law, shall refrain from political education or other political activities for or against any specific political party. The aim of this paper is to investigate the effect of Article VIII of the Fundamental Law of Education upon legislation and educational administration about political education by reviewing related controversies and cases that arouse after the enactment of that Law. The Constitution of Japan and the Fundamental Law of Education were influenced by America's legislative history. Accordingly, court cases concerning free speech rights of teachers in America are examined to discuss the Article VIII in international perspective. The effect of Article VIII may be briefly summarized in the following outline. cause I was not effective in fostering the political education necessary to cultivate in students the political moral and critical sense essential for citizenship in democracy. The merits and demerits of Clause 2 are balanced, because it brought legislation and ruling to limit the political activities of teachers and students, as a result largely of such legislation or ruling, the legislative intention of Clause 1 has been poorly carried out, while on the other hand such legislation and ruling are as valid as American cases to keep the political education neutral and to protect the classroom from substantial disruption. Clause 2 has exerted well balanced influence with both merits and demerits). For Clause 2 caused enectment and notifications for restriction of teachers' and students' political activities, which as a result the legislative intention of Clause I has become far from being realized(failed to be realized). On the other hand the legilation and notifications pertinent to Clause I are valid and effective, as seen in cases(counter parts in judicial causes)in America, to preserve neutrality of the plitical education and to protect classrooms from substantial disruption.
著者
松田 武雄
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.74, no.4, pp.518-529[含 英語文要旨], 2007-12

本稿は、国家的価値の浸出を抑制、制御することを睨みながら、社会教育概念の再解釈を通して社会教育におけるコミュニティ的価値の再検討を行うことを目的としている。最初に、近年注目されている社会関係資本論と社会教育を関連づけ、社会教育におけるコミュニティ的価値を再検討することの現代的意義について考察している。次に、社会関係資本と関連づけて社会教育概念の歴史的な再解釈を行うとともに、社会教育におけるコミュニティ的価値をめぐる議論を歴史的に跡づけ、問題の所在を明らかにしている。最後に、国家的価値に抗する社会教育におけるコミュニティ的価値について、社会教育概念の歴史的再解釈を踏まえて考察している。この際に、コミュニティの「共通善」や個人の善をめぐる英語圏の政治哲学の議論を、社会教育におけるコミュニティ的価値を考察するための概念装置として援用し、コミュニティ的価値の創出(相互学習)をめぐる理論的な枠組みについて検討した。
著者
広川 由子
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.81, no.3, pp.297-309, 2014

本稿は、占領期日本における英語教育構想を新制中学校の外国語科の成立過程に焦点を当てながら明らかにすることを目的とする。占領初期の米国国務省案は、民主的な教育制度の確立要件として英語教育とその大衆化を掲げた。これがSFEの勧告となり、それをCIが具体化したことによって新制中学校に外国語科が導入された。一方、文部省は導入に消極的な姿勢を示しており、導入を決定づけた英語教育構想は、米国政府から提出されたものだったと指摘できる。
著者
小川 正人
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.80, no.3, pp.309-321, 2013

本論文は、1875年に北海道に強制的に移住させられた樺太アイヌの児童を対象として設置された小学校「対雁学校」の歴史を検討したものである。先ず同校の設立・維持に関する行政の施策をあとづけ、学校設置当初のごく一時期を除けば、行政は樺太アイヌの教育に積極的ではなかったことを明らかにした。また、児童の就学状況を捉え直すことを通して、樺太アイヌは、それまでの生活基盤から切り離された暮らしを強いられた中での余儀の無い選択として、子どもに教育を受けさせることを強く求めていたと考えられることを指摘した。樺太アイヌは、自分たちの暮らしを築くこと、そのための子どもの教育の機会と場を求めたのであり、行政がそれに応えなかったのである。
著者
金子 勉
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.76, no.2, pp.208-219, 2009-06-30

日本の大学関係者の大学観に影響したと考えられるドイツの大学理念について検討する。ヴィルヘルム・フォン・フンボルトの「ベルリン高等学問施設の内的ならびに外的組織の理念」と題する文書は、大学論の原点である。研究と教育を重視することがドイツ的な大学観であると認識されてきたが、そのような大学理念はフンボルトあるいはベルリン大学から生じた形跡がないとする異論がある。そこで、高根義人、福田徳三、ヘルマン・ロエスレル等の大学論、ベルリン大学及びベルリン科学アカデミーの歴史、大学関係法令を手がかりとして、ゼミナール、インスティトゥート等諸施設の性質を考察した。科学アカデミーに所属する研究施設を分離独立して、これらを新設大学が教育上の目的に利用することが、ベルリン大学創立時の構想の核心にある。実際に、ベルリン大学令が大学と研究施設の関係を規定し、その規定が他大学に継承されたのである。
著者
白水 浩信
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.65, no.2, pp.131-140, 1998-06-30

本稿は18世紀フランスにおけるポリスと教育に関する歴史研究である。アンシャン・レジーム期のポリスは、今日とは異なり、周縁的問題-不道徳、不衛生、貧困等-のすべてを扱っていた。M.フーコーはしばしばその重要性を強調していたが、教育史研究においてポリスはまったく無視されてきた。たとえ教育をポリスとして扱ったとしても、往々にしてそれは、充分な史料もないままに規律と誤解されてきたのである。本稿は、J.-J.ルソー、モンテスキュー、N.ドラマールらのポリスについての著名なテクストを検討することで、ポリスを具体的に明らかにしていくものである。 まずポリスの概念を、18世紀フランスのルソーや、モンテスキューの政治論に求めていくことにする。ルソーがポリスという語をしばしば用いたことや、モンテスキューが『法の精神』の一章をポリスに充てていたことは、面白いことに、伝統的歴史家にもフーコーにも知られていない。例えばルソーは、ポリスが子供の教育のようなものだと言っており、あるいはモンテスキューによれば、ポリスに関する事柄は取るに足らないことすべてとされ、しかもそれらは法ではなく規制によって迅速に処理されねばならないものとされていた。これらはポリスに関する重要な証言である。 加えて、ドラマールの著作を用いながら、ポリス行政の実態を検討することにする。ニコラ・ドラマール(1639-1725)はポリスに携わる専門的役人であった。その『ポリス概論』(1705-1719)はポリスの実像を知る上で最も興味深い史料である。ドラマールは、ポリスが人々をその人生において最も幸福にするすべての些事を目標とするものだと主張する。そしてそのために多くの事柄をポリスの対象として定めていった-宗教、習俗、健康、食糧、治安、道路、学問、商業、工場、家政そして貧民。ポリスのこうしたカテゴリーには教育もまた含まれた。コレージュ、慈善学校、乳幼児管理、封印令状。これらすべてはポリスの対象であったのである。 コレージュはあまりに危険な状態にあったので、ポリスは騒動防止のためにコレージュを監視した。慈善学校もまた、生徒たちばかりでなくその親たちによって多くの障害が生じていた。教師たちは、しばしば授業中に、親たちに侮辱され、脅迫され、襲撃されたわけであり、ポリス令は彼らに重い罰金を科していった。そして乳幼児の管理はポリスにとって最も重要な問題であった。パリでは孤児と乳母不足が社会問題となっており、ポリス総代官は、1769年、乳母のための公的機関を設立した。さらに封印令状を処理することもまたポリス総代官職の任務であった。多くの家族がこの令状によって自らを厄介者から保護してもらえるよう、ポリスに嘆願していたのである。 教育がポリスの対象であったことは強調されなければならない。ポリスの下におかれた教育行政は、救貧や公衆衛生、犯罪予防といったさまざまな局面から配慮されていたのである。ポリスは教育を、社会福祉を増進するトータルな統治の一部として考えていたわけである。その上、この歴史のなかで、家族は教育による社会防衛の主要な活動の舞台となっていった。いかに些細な混乱といえども家族から除去されねばならない。なぜなら社会的混乱は家族からはじまるのだから。家族の至福こそ、個人生活のみならず社会生活にとって本質的なものである。ポリスとしての教育は、社会的周縁性に対抗すべく家族に戦略を集中した。つまり家族は、ポリスにとよって、道徳や健康、富で満たされなければならなかったのである。
著者
山名 淳
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.78, no.4, pp.336-347, 2011-12-29

本稿では、ドイツの「新教育」に関して20世紀末に生じた論争に注目し、そこで提起された「新教育」を相対化する具体的な方法およびそのバリエーションを概観すると同時に、「新教育」の虚構性をめぐる争点を明らかにする。そのことをとおして、教育学的な〈カノン〉(=教育学において標準とみなされてきた知識やテキスト)を相対化するための方法およびその課題について検討を試みる。
著者
小島 弘道
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.71, no.1, 2004-03-30

現代の学校経営改革は戦後第3の改革と位置づけることができる.1956年に制定された地方教育行政法とそれに基づいて展開された各種の施策や指導によって形成された学校経営の秩序(「56年体制」)を変容ないしは転換したものとの認識である.そう言える根拠を見い出し,それを理論的に深める必要がある.他方,56年体制の変容どころか完成だとする理解もある.いずれにしても,学校経営の経営主体とマネジメントをめぐって展開されている議論である.さらに新しいタイプの公立学校の導入のための法的措置を平成15年中に行うことが閣議決定されている.この改革提言は学校経営改革がマネジメントの問題である以上にガバナンスの問題として定式化されてきていることを端的に示すものである.学校経営をガバナンスの問題として定式化することは,マネジメントの問題として定式化されてきた学校経営理論の文脈にどのようなインパクトもつものとなるのか.この問題は現在進行中の教育改革の意義を把握するうえで欠かすことの出来ないものであろう.我々は以上のことを学校のガバナンスとマネジメント問題としてとらえ,ガバナンスとマネジメントが56年体制と現代の改革ではどういうかたちをとっているか,またそれらのかたちの間の連続,非連続のかたちをどう描くかをテーマとしていきたいと考える.そのことを通して21世紀の学校ガバナンスとマネジメントの在り方をさぐっていきたい.
著者
黒田 恭史
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.75, no.2, pp.169-179, 2008-06-30
被引用文献数
2

全国学力・学習状況調査「算数・数学」 (2007年4月実施)は、この間、日本で実施されてきた学力調査の内容に加え、PISA等に見られる数学的リテラシーに関する内容が含まれるものであった。こうした変更は、学力テストの従来の枠組みを越えた取り組みとして一定の評価ができるものであるが、その一方で情報通信社会・国際社会を主体的に生きていくために必要となる能力は何であり、算数・数学教育で扱う内容はどうあるべきかということ自体の議論が欠落しているといえる。本稿では、今回の全国学力・学習状況調査を行為動詞の観点からその特徴を分析し、今後の算数・数学教育の再構築に向けては、内容と方法の両面の再検討が重要となることについて言及する。
著者
坂元 昂
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.57, no.3, pp.229-241, 1990-09-30 (Released:2009-01-13)
参考文献数
34
著者
桐村 豪文
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.90, no.1, pp.25-37, 2023 (Released:2023-06-20)
参考文献数
42

フィリップスは、エビデンスに基づく政策と実践の推進をめぐって対立する立場の全体像を、「硬い心」の立場と「軟らかい心」の立場を両極にもつ連続体として捉えている。本稿が着目するのは、その連続体の中間に位置する「より柔軟」な立場である。その立場は、昨今の科学哲学の知見を踏まえ、因果関係の概念をINUS条件として捉え、ローカルな文脈を重視するアプローチを展開する。しかしそのアプローチも不確実性の問題に直面し、価値判断の必要性に回帰する。
著者
知念 渉
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.89, no.4, pp.552-564, 2022 (Released:2023-04-25)
参考文献数
23

大学ランクや学部学科の専攻における男女差を分析した従来の研究は、大学ランクと専攻を別々に分析してきた。しかし、大学ランクや専攻、浪人という選択などの多様な変数を同時に考慮しなければ、大学進学とジェンダーの関係性はみえてこないのではないか。そこで本稿では多重対応分析を用いて、それらの変数間の「関係の網」を再構築する。その結果、人々の「合理的な選択」を促してジェンダー不平等を持続させる制度的文脈が明らかになる。