著者
小野 恭靖
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要. 第Ⅰ部門, 人文科学 = Memoirs of Osaka Kyoiku University (ISSN:03893448)
巻号頁・発行日
vol.62, no.2, pp.81-86, 2014-02

江戸時代から明治時代にかけて"三段なぞ"にかかわる出版物が多く刊行された。一方、江戸時代末期から明治時代初期を中心に"おもちゃ絵"と呼ばれる子ども向けの錦絵版画が多く摺られた。そして、三段なぞがおもちゃ絵として出版された資料もあった。すなわち、同時代を彩った三段なぞとおもちゃ絵という両者が出合った記念すべき資料ということになる。それら三段なぞのおもちゃ絵資料は日本の伝統文化のひとつでありながら、今日では忘れ去られていると言っても過言でない。本稿では"∧や"という版元から出版された三段なぞのおもちゃ絵資料である『新作なぞなぞ合』『新撰なぞなぞ尽』の二種を翻刻紹介し、その意義を明らかにする。Many published matters about riddles were printed between the Edo era and the Meiji era, while many colored prints called Omochae appeared in the same period. Some prints are combination of riddles and Omochae. Today they are forgotten although they are one of Japanese traditional culture. "Sinsaku Nazonazo Awase(新作なぞなぞ合)"and "Sinsen Nazonazo Zukusi(新撰なぞなぞ尽)" are prints of Omochae with riddles, which were published with ∧ya(∧や). These prints are introduced in this report.
著者
小野 恭靖
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要 1 人文科学 (ISSN:03893448)
巻号頁・発行日
vol.54, no.2, pp.31-38, 2006-02

短歌形式の文学のひとつに道歌(どうか)と呼ばれるものがある。道歌は宗教的または道徳的な教訓を読み込んだ和歌であるが、むしろ狂歌に近い性格を持つ場合も多いと言える。筆者は道歌に関心を持ち、既に『道歌心(こころ)の策(むち)』や『道歌百人一首麓枝折(ふもとのしおり)』についての論考を発表したが、本稿では一休和尚に仮託された道歌集のひとつで従来顧みられることのなかった『一休和尚いろは歌』を紹介し、位置付けることを目的とする。Ikkyu was a Zen priest who lived in Kyoto at the Muromachi era. Irohauta was a instructive song for the common people. There are a lot of unknown materials about instructive songs. "Ikkyu-osyou Irohauta(一休和尚いろは歌)" is one of this. This report is the basic research of "Ikkyu-osyou Irohauta(一休和尚いろは歌)."
著者
小野 恭靖
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要. 1, 人文科学 (ISSN:03893448)
巻号頁・発行日
vol.61, no.2, pp.111-114, 2013-02

『梁塵秘抄』巻二(天理図書館蔵)は江戸期の転写本であるが、その原本は室町時代の連歌師正韵の筆写本であった。正韵をめぐってはその事績を以前に紹介したことがある。その折、正韵の書写活動として「詠百首和哥(宗仲・重誠)」、武田本『伊勢物語』、並びに古筆切二種について言及しておいた。このうち二種の古筆切はいずれも正韵を伝称筆者とする『源氏物語』切と『後撰和歌集』(秋部中巻)切である。ところで、このほど正韵を伝称筆者とする新たな古筆切二種の存在を確認した。それは本稿で紹介する新出の『後撰和歌集』(慶賀・哀傷部)切と『千載和歌集』切である。Syoin(正韵) transcribed "Ryojin Hisyo"Vol.II(『梁塵秘抄』巻2) in the Muromachi era. I introduced Syoin in another report before, in which I referrd to his transcripts, such as "Ei Hyakusyu Waka"by Soucyu and Jyusei(『詠百首和哥(宗仲・重誠)』), "Ise Monogatari"possessed by the House of Takeda(武田本『伊勢物語』), and two kinds of the kohitsugire (pieces of the old books). In this report I newly introduce two kinds of another kohitsugire which are a piece of "Gosen Wakasyu"(『後撰和歌集』)and a piece of "Senzai Wakasyu"(『千載和歌集』).
著者
小野 恭靖
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要. I, 人文科学 (ISSN:03893448)
巻号頁・発行日
vol.40, no.1, pp.44-52, 1991-09

国立国会図書館蔵『けんもつさうし』は江戸初期の殉死事件を題材とした物語である。この事件は慶長十二年三月五日,尾張清須城主松平忠吉が江戸芝にて病死(関ケ原の合戦で負った疵がもととされる)したことを発端とし,その家臣で男色の相手でもあった小笠原監物がその折居住していた奥州松島から上京して,殉死を遂げるに至る。これは近世の殉死の嚆矢とされ,大きな社会的反響を呼んだのである。この間の経違を軸に,忠吉の事績を付加し,全体をドラマチックに脚色した作品がここに翻刻紹介する『けんもつさうし』である。This report is a reprint of"Kenmotsu Soshi"in the possession of the National Diet Library and a commentary on it. "Kenmotsu Soshi"is a story which theme is Ogasawara Kenmotsu Tadashighe's killing himself on the death of his lord in the early years of the Edo Dre.Soon after Matsudaira Tadayoshi,who was the feudal lord of Kiyosu in Owari,died in Shiba,Edo on March 5th in 1607,Ogasawara Tadashige,who was his retainer,come to Edo from Matsushima,and killed himself.As it was the first social event after the civil war era,it created a great sensation."Kenmotsu Soshi"is a dramatization of this event.
著者
吾妻 修
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要. I, 人文科学 (ISSN:03893448)
巻号頁・発行日
vol.52, no.2, pp.169-184, 2004-02

「サヴォワの助任司祭の信仰告白」第二部において、ルソーはキリスト教の不合理とカトリック教会の在り方に対する批判を展開している。批判の論議は主に奇蹟と啓示を巡って行われている。奇蹟と啓示の基本的な理解を踏まえながら、ルソーの批判がどのような意味を持つのかを探ってみる。"La profession de foi du vicaire savoyard" de l'Emile se compose de deux parties: la première décrit le vicaire qui, au bout des doutes sur la vie, tombe dans un désespoir et après des tentatives difficiles retrouve sa foi; c'es ce que nous avons déjà examiné;la deuxième présente le vicaire comme un personnage qui critique sévèrement le christianisme et l'église catholique. Nous espérons ici éclaicir les points essentiels de sa critique. Les thèmes qu'on a choises sont en générale les miracles et la révélation. Au début nous avons indiqué que la manière de critiquor dont Rousseau se sert est très particulière; Il donne toute la puissance à la raison,en supprimant le sentiment immédiat ou le bon sens, il repousse sans réserve l'ambigu et l'incompréhensible. D'ailleurs c'est sa mesure volontaire. En y faisant toujours attention, nous avons mis en œuvre une perspective toute contraire; nous avons eu recours à l'instinct, aux connaissances quotidiennes pour examiner des arguments de Rousseau; par cela nous avons cru pouvoir mettre en relief le vrai sens de ses travaux. Quant aux miracles, ce que Rousseau reproche c'est que des prodiges transmis sont écrits dans les livres et que pour les connaître il faut beaucoup de témoignages, même invérifiables, des gens inconnus. Il revendique le dialogue immédiat de Dieu et de l'homme. De notre côté nous avons indiqué que la croyance religieuse se fonde sur un artre niveau que la réalité de l'événement st dépasse le problème du vrai et du faux. En matière de révélation, Rousseau parle d'abord de l'existence des religions similaires dans le monde, à côté du chiristianisme. Or il n'y a pas moyen de discerner d'entre elles une seule vraie. Il nie ainsi la suprématie du christianisme. Puis il cite une autre difficulté: admettons que le christianisme soit une seule vraie religion; alors que doit-on penser d'un homme qui est mort sans avoir entendu des paroles de Jesus-Christ? En apparence les protestations de Rousseau sont de pure spéculation. Mais nous avons remarqué que ses idées suggerént l'existence de la vérité qui dépasse en même temps l'absolu et le relatif, et qu'elles nous donnent l'occasion de mettre en cause notre idée banele du temps. Pour conclure, nous avons su que Rousseau pratique la critique pour faire connaître des bornes de la raison, et à travers de son échec prépare une nouvelle approche du christianisme.
著者
小野 恭靖
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要. 1, 人文科学 (ISSN:03893448)
巻号頁・発行日
vol.61, no.1, pp.41-50, 2012-09

「隆達節歌謡」は一般に「隆達節」「隆達小歌」などと称される歌謡で、堺の顕本寺に住し、後に還俗した高三隆達(大永七年〈一五二七〉~慶長一六年〈一六一一〉)が歌い出して、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての巷間を彩った一大流行歌謡である。「隆達節歌謡」には胡麻譜のあるもの、ないものを含めて多くの歌謡の書き留めが残されている。筆者は諸方に埋もれている「隆達節歌謡」の文献資料を捜索し続け、これまでに五二一首の歌謡を集成した。また、新たに管見に入った未紹介資料や伝本に関する知見の紹介も続けてきた。本稿はそれらに続く一連の拙稿の一編に相当する。### 本稿では 新出の「文禄三年九月百五十首本」の他、「年代不詳三十七首本」(青山歴史村所蔵)、「年代不詳三首断簡(『京都古書組合総合目録』第23号掲載)」、「年代不詳下絵入り二首断簡(田中登氏蔵)」を紹介するとともに、近時明らかになった数種の伝本に関する知見を覚え書きとして記す。"Ryutatsubushi-kayo"are songs which were sung by Takasabu Ryutatsu who lived in Sakai. They had become very popular starting the Azuchimomoyama era and on the early years of the Edo era. There are a lot of unknown materials about them.### This report is one of the series in which these materials are introduced.### The song books introduced here are "Bunroku sannen kugatsu hyakugossyubon (文禄三年九月百五十首本)" ,"Nendaihusyo Sanjyushitisyubon(年代不詳三十七首本)","Nendaihusyo sansyudankan(年代不詳三首断簡)" "Nendaihusyo nisyudankan(年代不詳二首断簡)" .### The notes from different angles about Ryutatsu and "Ryutatsubushi-kayo"are added at the end of this report.
著者
橋本 淳 吉野 秀幸
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要. I, 人文科学 (ISSN:03893448)
巻号頁・発行日
vol.53, no.2, pp.15-39, 2005-02-21

J.S.バッハは敬虔なキリスト教信者であり,特に彼のオルガン作品は教会のための音楽が大部分を占める。彼はそのような楽曲に,ある感情や情念を象徴的に表す方法や言語的ともとれる特徴的な表現方法を用いている。本研究の目的は第1に,バッハのオルガン作品を作品が生まれた時代,文化,慣習など様々な文脈から捉え,特に作品の中の言語的な表現に注目しその具体的表現手法について明らかにすることである。第2に,それらが実際の演奏にどう生かせるかについて検討することを通し,現代におけるバッハ演奏はどうあるべきか,また筆者自身バッハの演奏にどう取り組んだらよいのかについて発展的に考察することである。バッハの言語的表現について本研究は,バッハの著名な研究家であるA.シュヴァイツァーの解釈を拠り所とする。彼はバッハの形象的表現や象徴的表現また言語的表現を「痛みのモチーフ」「喜びのモチーフ」といった「モチーフ(動機)」として抽出している。シュヴァイツァーによるこのような解釈に基づいて本研究では,諸々のモチーフによってバッハのオルガン曲がどのような内容を表現しているかを独自の視点を交えながら分析,考察し,その成果を実際の演奏法に応用してみたい。また,過去に創作された作品と演奏者との現代における相互の関わり方,およびバッハの演奏を現代においてどう響かせるかについて考察することも本研究の主要な課題となる。
著者
吉野 秀幸
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要. I, 人文科学 (ISSN:03893448)
巻号頁・発行日
vol.53, no.2, pp.1-14, 2005-02-21

以前筆者は, N.Goodmanの音楽記号論には「スコアの例示」に関して彼が規定し損なっているシンボルが存在すると指摘したことがある。(S1)と名づけたこのシンボルについて,当時はその考察範囲がLanguages of Artに限られ,またそれが現実の演奏の中でどのように機能するかについては未解決のままであった。本研究の目的は,Languages of Art以外にも射程範囲を拡大し,(S1)に音楽のシンボルとしての明確な地位を与えることにある。このようなところに目的を定めたのも,Languages of Art以降の文脈に(S1)が位置づけられると考える根拠があるからにほかならない。とりわけ本研究は,GoodmanがLanguages of Artとそれ以降とにおいて「作品」概念に変更を加えている点に注目する。この点が(S1)の問題と実によく符合すると思われるからである。したがって,今回の主な仕事は,Goodmanによる作品概念の変更と(S1)のシンボル上の地位との接点を見出すことにある。それによってGoodmanの音楽記号論を再検討し,新しい作品概念と(S1)とを組み入れた形で音楽の例示システムを改めて提示することを試みたい。
著者
川久保 輝興
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要. I, 人文科学 (ISSN:03893448)
巻号頁・発行日
vol.39, no.1, pp.59-73, 1990-09

本論は,さきに当紀要に発表した(1988年12月)同名の論考の続きをなすものである。論考全体の目的は,15世紀末から大躍進をみせたヨーロッパの爆発的な,地球的規模の展開が,アジア,とりわけ日本や中国とどのように係わり,これらに対しどのような変革を迫ったか,またこのこと自体ヨーロッパにいかなる反作用を及ぼしたかを,歴史的・文化的次元で論ずるにあるが,本論は,前回のポルトガル及びスペインの発展の記述のあとをうけ,イギリスとオランダのアジア進出のありさまをたどり,東西の交渉を俯瞰する。Ce present essai fait suite a l'article que nous avons publie sous le meme sujet en 1988.Nous avons pour objet cette fois de decrire les faits historiques et culturels qu'ont traces au 17^e siecle les deux puissances europeennes,les Anglais et les Hollandais dans plusieures regions asiatiques.De ce travavail,nous essayons notamment de decouper des episodes signifiants des echanges culturels entre l'Europe et le Japon.
著者
佐藤 虎男
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要 (0xF9C1)人文科学 (ISSN:03893448)
巻号頁・発行日
no.23, pp.p1-28, 1975-01

私は、いま、「現象」(かたち)への強い興味をおぼえている。興味では足りない。現象至上の思いといったものをである。かたちこそが、内実の脈動を真正直に伝えてくれるすべてだからである。語はなんらかの音節連続体である。「アタマ」は3音節から成るが、そもそもこの3音節を結合して語とする作用はなにか。それは、意義とアクセント(この場合,語アクセント)である。語アクセントは、意義を意義たらしめるべく(意義を定着せしめるべく)音節を使って語を形成する作用である。この作用は、通常、組織的な傾向を示す。いわゆるアクセントは、この作用の外形ないしは作用上の強い傾向,型をさすことが多い。アクセントを,形態の名とする以前に、まずは作用と解することが有益なのではなかろうか。語の形の決定にあたって、語アクセントがこのように働くのと同様、文の形の決定にあたっては、文アクセントが働く。文アクセントは、文の形を最後的に定着せしめる作用であり、傾向である。この、文アクセントと語アクセントとは,いちおう別段の秩序のもとにありながら、もちろん不可分の密な交渉関係にある。すなわち、文アクセントは語アクセントを駆使し統御する。その統御のしかたには、またそれなりの一定傾向,類型がみとめられる。個人差を越えた、社会的習慣としての傾向がである。方言生活における表現の具体的単位が文である以上、アクセント観察に、文アクセントを先んずべきこと,逸すべきでないことは、自明のことのように思うのである。前稿(「伊勢大淀方言の特殊な文アクセント」大阪教育大学紀要、第22巻、第1部門、55頁)で私は、大淀の方言のナチュラルな文の抑揚を観察し、そこにみとめられる文アクセント諸傾向について述べた。どこの方言についても、なんらかの文アクセント傾向が帰納できると思われるが、大淀の方言の文アクセント傾向のうちのあるものは、当地に比較的近い土地の方言のそれに比して、いちじるしく異態を示している。とくに、話部中の一音節が卓立する傾向が強く、その卓立が,近在方言文アクセントには見られないような位置に現われるのである。その結果、〓に代表されるような特異なアクセント波が把握された。これが、文中のどの話部かに現われると、(文中くりかえし現われればなおのこと)その文アクセントは、特異波に色どられることとなる。ところで、大淀方言の文アクセントが、このように特色の明らかなものでありながら、別に調査した当地の語アクセント状況は、おおむね近畿一般の語アクセント状況に近く、言うところの特異な文アクセントに対応するような語アクセントは、わずかにみとめられるにすぎなかったのである。なぜこうなのであろうか。本稿はそれを承けて、当方言の語アクセントおよびその文アクセントとの関係について考察しようとするものである。具体的な文において、文アクセントは、語アクセントとどのようにかかわっているであろうか。また、語アクセント観察は、文アクセント観察とどのように関連づけられるのであろうか。山野に降り積もった雪の起状は、雪面下の地表の起伏に支えられている。それが淡雪であれば、ほとんど地表の凸凹そのままに雪面をつくるけれども、雪国の深雪は、地表の起伏を蔽いつくして大きくうねる。雪面と地表の相関にお国ぶりがあろう。文アクセント下の語アクセントを見て、よく文アクセントの形象の「自然」を理解することができると思われる。起伏に富んだ雪面の美と真を見るのと、雪面下の状況を認識するのとは、両立させるべきものであろう。従来のアクセント研究界では、結果として語アクセントあるいは文節アクセントに主眼が置かれてきて、文の抑揚、文アクセントについてこれを真正面からとりあげることは、盛んでなかった。少なかった。寺川喜四男博士が「アクセントの基底としての『話調』の研究」(『国語アクセント論叢』昭和26年)に、諸説のいきとどいた紹介整理をしておられるが、そこに見られるような、諸先学のすぐれた指摘、方向づけにもかかわらず、その後今日まで、どれだけ具体的な記述的研究を展開させてきたか、不明にして私は多くを知らない。その中で藤原与一博士と、山口幸洋氏のお二人の、それぞれ独自の、一貫した研究には、教わる所が多い。藤原博士のもっとも近いご発表、,『昭和日本語方言の記述』(三弥井書店,昭和48年)であるが、そこで博士は、櫛生方言の文アクセント傾向と語アクセント傾向とを対比考察していられる。これをさきの比喩をもって言えば、ある地域の雪の起伏に一定の傾向がみとめられるならば、地表の凸凹にも、なんらかの(ほぼ相即対応する)傾向がみとめられるはずである。この、傾向と傾向との対比的把握が、具体文アクセントの基本的理解を可能ならしめるということであろうと思う。大淀方言文アクセントを、このような対比の方法でみた場合には、前稿に述べたように、特色ある文アクセント傾向を説明しうる語アクセントの傾向は、明確にはみとめられなかったのである。もしいま、この事態をこのまま受けとめて解釈しようとすれば、文アクセント上のあの特色ある波立ちは、一種のあだ波のようなもので、傾向というにあたいせぬ微弱なもの、アクセントの基質をなすほどのものでない、ということになるのであろうか。つまり、当地の汎近畿的語アクセントは、当地の汎近畿的文アクセントの優勢に由来するものであって、問題の特異な文アクセントは、いわば偶発的をものにすぎないとすべきものなのであろうか。私の調査によれば、前稿に報告したような文アクセント傾向が、当方言の文アクセントの一特質傾向たりえているのは、明らかな事実と言わざるをえないのである。その後の調査によって知りえたところをここに補えば、大淀のと同似の文アクセント傾向は、南隣の村松(伊勢市村松町)にも見られ、いまのところ、ほぼこの二集落が、問題の文アクセントを特立させているようなのである。志摩は答志島の、鳥羽市桃取の文アクセントもまた、一種独得の文アクセントであることを、ここに思いあわせるならば、大淀方言における特異な文アクセントを、一特質傾向と認めてその存立事情を追求することは、意味あることとされようか。意外に根の深いものかもしれないのである。村松と桃取の文アクセントについては、いくつかの文アクセント例を本稿末尾に(補注)として掲げるにとどめ、くわしくは別の機会にゆする。In the last number, I reported some peculiar intonation patterns in Ise-Oizu dialect. Then, in this paper, I describe the definite patterns of pitch-accent are found in the same dialect.
著者
瀧 一郎
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要 1 人文科学 (ISSN:03893448)
巻号頁・発行日
vol.57, no.2, pp.39-51, 2009-02

ベルクソン美学を霊性主義(スピリチュアリズム)の観点から「直観の美学」として捉へようとするとき,注目すべきは「類比(アナロジー)」である。「類比(アナロゴス)」といふ経験をその論理(ロゴス)とするベルクソン的直観は,認識論的には「類比の理」である<自即他>の「共感」として,存在論的には「還帰」即「発出」といふ垂直的な<一即多>の二重運動として,論理学的にはロゴスを包越してレンマへと展開すべき「超知性的」な論理として性格づけられる。この霊的直観に基づく美学は,西洋的な「存在の類比(アナロギア・エンティス)」と東洋的な「無の類比(アナロギア・ニヒリス)」との中間に位置する「形像の類比(アナロギア・イマギニス)」によつて,<存在の創造>ではなく<イマージュの生成>を解明する。Jusqu'à maintenant, l'esthétique bergsonienne a été, le plus souvent, considérée comme 《esthétique de la perception pure》d'un point de vue matérialiste, mais nous essayons ici de la prendre pour《esthétique de l'intuition》sous l'aspect spirituel. Nous mettons surtout en avant le thème bergsonien de l'analogie, qui est décisif dans la méthodologie de Bergson, mais qui n'a pas reçu le traitement qu'il aurait mérité de recevoir. L'intuition bergsonienne est d'abord caractérisée en épistémologie comme《sympathie》, c'est à dire《raisonnement par analogie》, qui unit le sujet avec l'objet sans les confondre. Elle est ensuite regardée ontologiquement comme conversion (epistrophê) qua procession (proodos), où la voie ascendante de l'homme à Dieu ne fait qu'un avec la voie descendante de Dieu à l'homme. Si l'intuition bergsonienne nous semble ainsi illogique, elle a néanmoins son propre logos, analogos, qui, en dépassant la logique formelle, consiste à associer l'unité et la diversité, le même et l'autre pour viser le milieu entre l'un et le multiple. Une telle analogie, en tant que logique qua expérience, annule la dichotomie de la transcendance et de l'immanence ainsi que l'alternative de l'analogia proportionalitatis et de l'analogia attributionis. On peut trouver, dans les ouvrages de Bergson, de nombreuses analogies, dont l'une des plus importantes est l'analogie entre《la fonction fabulatrice》et《l'émotion créatrice》; la première, infra-intellectuelle, imagine et fabrique l'art statique, alors que la dernière, supra-intellectuelle, crée l'art dynamique et présente une analogie finale avec le《sublime amour》qui est l'essence même de Dieu. Au lieu de concevoir la création de l'être en termes d'espace, Bergson perçoit, en appelant à l'analogia imaginis, le devenir de l'image sub specie durationis. Entre l'apparition des images en《extension》et leur disparition en《tension》, l'intuition bergsonienne se meut, et ce mouvement est l'esthétique implicite de l'analogie.