著者
中井 治郎
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.69-81, 2013-05-18 (Released:2017-09-22)

2004年(平成16年)、その「文化的景観」が評価された「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産リストに登録された。これにより熊野三山をつなぐ参詣道も、「熊野古道」として多くの人々を引き寄せる観光スポットとして現代に蘇ることになった。しかし、2011年(平成23年)9月初旬、西日本を襲った台風12号は紀伊半島に特に甚大な被害をもたらし、我が国において平成以降最悪の水害となった。もちろん世界遺産を構成する各遺産の被害も深刻であり、なお復旧作業は継続中である。しかし、その復旧の現場では文化遺産をめぐる制度に対する様々な疑義や相対化の語りが聞かれる。本稿は、熊野の各文化遺産の復旧をめぐるこれらの語りを分析し、そこに災害前とどのような変容があるか、またその変容が何を意味しているのかを分析するものである。本稿では、モノが文化遺産化される際に、あらたな文脈に配置されることでそのモノの意味や価値が変容していくという文化遺産をめぐる再文脈化の視点からこれらの語りの分析を行う。そして平時にはグローバルな文脈である世界遺産制度やナショナルな文脈である国の文化財制度によって後景化しているローカルな文脈の価値や意味の、災害を契機とした再浮上を考察するものである。
著者
伊藤 理史
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.15-28, 2017 (Released:2018-06-13)
参考文献数
39

本稿の目的は、政治的疎外意識の長期的変化とその規定要因を、コーホート分析によって明らかにすることである。「政治的有効性感覚の低い状態」と定義される政治的疎外意識は、政治参加の減退をもたらす主要な要因として、様々な実証研究が蓄積されてきた。しかし日本における政治的疎外意識の長期的変化とその規定要因については、ほとんど研究されていない。そこで本稿では、「日本人の意識調査,1973~2008」の個票データの二次分析によって、政治的疎外意識の長期的変化の実態、規定要因としての世代効果と時代効果の大きさ、高齢世代と比較した若齢世代の政治的疎外意識の特徴を、明らかにする。線形要因分解と重回帰分析の結果、次の3点が明らかになった。(1)政治的疎外意識は、1973年から1998年にかけて上昇したが、1998年から2008年にかけて低下・停滞する。またその変化の傾向は、世代間で共通する。(2)1973年から1998年までの政治的疎外意識の上昇は、正の世代効果と正の時代効果から生じていたが、1998年から2008年までの政治的疎外意識の低下・停滞は、負の時代効果が正の世代効果を上回ることで生じていた。(3)団塊世代と比べて若齢世代では、政治的に疎外されていると感じやすい。以上の結果を踏まえた上で、世代効果は戦争・民主化体験の有無、時代効果は55年体制崩壊による政権交代可能性の上昇として解釈した。
著者
直野 章子
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.13-30, 2009-05-23 (Released:2017-09-22)

本稿では、<被爆者>という主体位置が医科学・法言説によって産出され、それら言説の発話テクノロジーが<被爆体験>の語りを規定した様相を描く。さらに、<被爆者>が「平和の証言者」として主体化されるなか、どのような語りが後景へと消えていったのかについて、言説分析的な手法をとりながら考察する。法的主体である<被爆者>となるには、「どこで被爆したのか」と「いつ被爆地に入ったのか」という空間・時間的な基準をもとにした「放射線被害の蓋然性」が決定的な要素となる。爆心地からの時空間的な距離は、国家に承認されるときのみならず、誰がより真正な<被爆者>であり<被爆体験>を語る資格を有するのかという序列化の力としても強力に作用していく。さらに、<被爆体験>の語り手は、同心円のイメージに規定された<被爆者>としてだけでなく、「平和の証言者」としても主体化されていく。それらの主体位置を占めずして語ることは、「被爆証言」としては聞きとられないことになるということを、占領下に執筆され、後に正典として読まれ継がれていく『原爆体験記』と『原爆の子』から読み解いていく。
著者
宇城 輝人
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.54-63, 2015-06-25 (Released:2017-09-22)

本稿は、反レイシズムのありようが第2次大戦後に大きく変化したことをふまえ、その戦後反レイシズムの特質を理解するために、歴史的起源にさかのぼって、その政治的・理論的な含意を考察する。ふたつの対象の検討を試みる。第1に、戦後反レイシズムの強い動機となったナチズムに対抗する3つの対抗運動の試みを紹介し、その特質を考察する。(1)イグナツ・ゾルシャンの反レイシズム・ネットワークとシオニズム。(2)フランツ・ボアズが主導した「科学者たちの宣言」をきっかけに広がったアメリカの大学人世界と学会による公式見解を表明する運動。(3)左派の遺伝学者たちが優生学の立場からナチズムを批判した「遺伝学者たちの宣言」。第2に、戦後まもなくユネスコが開始した反レイシズム・キャンペーンの出発点であるふたつの声明(1950年、1951年)について考察する。そこには、人種の概念の大きな転換と、それに連動して人間集団にかかわる差異についての考えかたの変化があり、それが戦後反レイシズムの核をなしていることが理解される。戦後反レイシズムは、「人間と人間集団の差異を肯定するための普遍性」を支えるメタ政治的な制度として特徴づけることができる。そのような差異を肯定する普遍的なメタ政治への懐疑あるいは挑戦、その制度化されたメタ政治の綻びという視点から、現代のレイシズムを捉えることができるのではないか。
著者
杉本 厚夫
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.69-76, 2006-05-27 (Released:2017-09-22)

阪神タイガースは兵庫県に本拠地(甲子園球場)を置きながらも、大阪という地域アイデンティティを強く持っている不思議なチームである。また、2004年は4位であったにも拘らず、甲子園球場には延べ350万人もの観客動員数があったという。そこで、本稿は阪神タイガースファンの応援行動から、その背景にある大阪文化を逆照射してみたい。ジェット風船を飛ばしたり、メガホンを打ち鳴らしたり、応援のパフォーマンスを持った観客は、観ることから参加することへと変容した。この「ノリ」のよさは、大阪の「いちびり」文化を基盤としている。タイガースファンにとっては勝ち負けより、興奮できるゲームだったかが大切である。つまり、見る値打ちがあるかどうかで判断し、面白い試合だったら「もと」が取れたと言う。興奮するという「感情」を「勘定」に読み替える大阪商人の文化が息づいている。法被を着ることで、応援グッズを持つことで、仲間であることを表明した途端に一体感が生まれる。相手と一体化する「じぶん」の大阪文化を、甲子園球場という祝祭空間で体感することで、人々は都市の孤立感から救われる。六甲おろし(タイガースの応援歌)やそれぞれの選手の応援歌は、ただ単に観客を煽るだけではなく、同時に観客を鎮める働きを持っている。そこには、「つかみ」と「おち」の上方のお笑い文化が潜んでいる。
著者
好井 裕明
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.73-80, 2022 (Released:2023-06-08)
参考文献数
9

社会学部や社会学科、社会学専攻に入学する新入生や高校生に対して、社会学をどのようにしたら魅力的に伝え得ることができるだろうか。彼らの多くは、学校生活、部活、家庭生活など“半径数メートル”の世界で生きてきている。私は、抽象的でどこにあるのか実感できない社会ではなく、彼らが実感できる社会として日常生活世界のありようを語り、そこで他者理解や他者理解の困難さを考える学が社会学だと伝えている。さらに私は、他者を考える重要なフィールドが日常生活世界であり、日常を考えるうえで重要な契機として「自明性」「日常性」「現在性」「他者性」を考え、それぞれをテーマとして社会学の新書を執筆してきた。なぜ教科書ではなく新書なのだろうか。いくつか理由はあるが、もっとも重要な理由は、「教科書」的構成や「教科書」的文体から解放され、自由に社会学の魅力を語ることができるからだ。インターネットを通しての社会学的知の発信。思わず手に取って読んでしまうような魅力あふれる社会学冊子の刊行。高校での授業に役立つ社会学テキストや副読本の開発。悩める社会学者を主人公としたコミック、等々。社会学を高校生に広める工夫は考えられるだろう。ただ前提として社会学者が本気で考えるべき問いがある。“半径数メートル”の世界から彼ら自身が旅立つのに必要な知やセンスをどのようにわかりやすく、魅力あふれる言葉で伝えることができるのだろうか。この問いだ。
著者
桶川 泰
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
no.6, pp.93-104, 2007-05-26

恋愛を礼賛する声は明治初期において芽生え、大正期においてより一層勢いを持ち、花が開くようになった。ただよく知られているように、大正期では個人の自由な配偶者選択すら認められていない現実が存在していた。それでは、当時の社会において恋愛は如何にして既存の秩序に訓化させられていたのだろうか。本稿では、恋愛が礼賛されると同時に、既存の秩序との調和を取るのに適した恋愛観・結婚観が大正期、もしくはその次の時代の昭和初期に如何なる形で存在していたのかを分析することでそれらの「問い」を解き明かそうとした。分析の結果、恋愛の情熱的な側面を盲目的なものとして批判し、危険視していく「情熱=衝動的恋愛観」言説を中心にして、恋愛が既存の秩序に訓化させられていた。そうした恋愛観は、まず恋愛には理性が必要であることを強調し、そしてその理性的判断のためには両親の意見や承認が必要であるという論理を生み出していった。またその一方で、そうした恋愛観は一時的な情緒的満足や快楽によって成り立つ恋愛を否定し、恋愛は子孫、民族のために費やさなければならないという論理を生み出すことで「優生結婚」とも結びつきを見せるようになった。
著者
村上 彩佳
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.63-77, 2018 (Released:2019-05-11)
参考文献数
30

ジェンダー平等推進政策上で用いられる男女平等理念が社会に普及する過程で、市民によって独自の解釈が加えられる例はしばしばある。例えば、男女平等理念が男女の友好的関係や異性愛主義の理念として解釈される。こうした解釈がもたらす危険性に警戒を促す研究が蓄積されてきた一方で、実際に市民の男女平等理念の認識・解釈を検討した研究は少ない。本稿はフランスの男女平等理念であり50%クオータ制の名称でもある「パリテ」を事例に、①パリテを推進する女性団体Elles aussiと、②同性婚反対運動を行う市民団体Manif pour tousに着目し、市民がパリテの理念をどのように認識・解釈しているのかを検討する。①の女性たちはパリテを男女の友好的協働関係として解釈した。こうした「穏健な」解釈は、保守派を含めた幅広い女性からのパリテ支持を生んだ。一方②のデモでは、異性婚の正統性を主張するために、パリテが「結婚のパリテ」といった形で用いられた。既にクオータ制として法制化されていたパリテは、十分な社会的コンセンサスを得ていたため、②のデモがパリテの理念を損ないはしなかった。しかし男女平等理念が異性愛主義と結びつき、ジェンダー平等推進にとって反動的に利用される危険性が示唆された。日本の「男女共同参画」もこうした危険性と無縁ではなく、クオータ制の導入と男女共同参画の理念に対する社会的コンセンサスの形成が急務である。
著者
有本 尚央
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.59-71, 2017 (Released:2018-06-13)
参考文献数
17

本稿は、大阪府南部・岸和田市で行われる岸和田だんじり祭を事例に、都市祭礼の近代化の歴史を「暴力の抑制」という観点から分析することを通して、現代日本社会における祭りの変化について考察する。現在の岸和田だんじり祭は、地車(だんじり)と呼ばれる山車が事故を起こすほどの激しい曳行をする点に特徴があり、「やりまわし」と称される過激な地車の曳行が祭りの代名詞となっている。岸和田だんじり祭におけるけんかや事故などの過激で暴力的な特徴は、世間の耳目を集めると同時に、警察による規制の対象としても取り沙汰されてきた。こうした状況のなか、特に近年の岸和田だんじり祭ではやりまわしの高速化が指摘され、地車の曳行はますます過激なものへと変化する傾向にある。本稿では、現代社会においてなぜこのような祭りの変化が生じたのかという問いについて、祭礼組織と警察が暴力の規制をめぐって展開してきた過程に注目することで明らかにする。いわば、それぞれの時代における警察との関係のなかで、祭りの挙行に関してなにが問題とされたのか―祭りの渉外の焦点はどこにあったのかをたどることによって、祭りがどのようにかたちづくられてきたのかを分析する。その結果、現代社会における祭りが「スポーツ化」(Elias & Dunning 1986=1995)していることを明らかにする。
著者
日合 あかね
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
no.4, pp.96-107, 2005-05-28

本稿の目的は、女性の性的自立の可能性について探究を行うことにある。そのために、通常は女性の性的自立と対立するものとされるマゾヒズムを取り上げ、女性のマゾヒズムが性的自立に導きうる可能性を検討する。女性の積極的なマゾヒズムの実践が現状の権力構造を脱構築する可能性を検討し、あわせて、マゾヒズムのより深い理解へ至るよう努める。ジェンダーの文化的偏向によって、男性のそれとは異なり、女性のマゾヒズムは自然本性的なものとされてきた。自然に依拠したこの種の議論は、当然のことながら再吟味されねばならない。しかしまたこのことは、必ずしも女性の性的なマゾヒズムが日常の権力関係を単純に反映していることを意味しない。サドマゾヒズムが権力関係を利用するというように考えると、パット・カリフィアのように、サドマゾヒズムは「権力関係のパロディ」と定義することもできよう。そこで本稿では、パット・カリフィアのこの考え方を、女性のマゾヒズムの十全な理解と現在のジェンダー構造を脱構築する手立てとして取り上げ、そこから女性の性的自立を再定義する方向性を提示することを試みた。これと関連して、ジュディス・バトラーの「ジェンダー・トラブル」の概念や、男性のマゾヒズムを近代的主体の派生形態を捉えるジョン・K・ノイズの議論をも検討した。
著者
鈴木 彩加
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.29-42, 2017

<p>1990年代以降に草の根レベルで展開されるようになった保守運動に人びとが参加する理由は、「癒し」や「不安」といった言葉で論じられてきた。しかし、冷戦体制の崩壊やグローバル化の進展などの社会変化に由来する「不安」がナショナリズムへと接続することで解消されるという説は、「不安」が運動を通してどのように「癒される」のかという点について明らかではない。さらに、国内や海外の先行研究では、女性参加者らが運動内で性差別に遭遇していることが示されており、「癒し」と「不安」という説明は女性参加者にも適用できるのか、ジェンダーの観点から慎重に検討する必要がある。本稿では女性の動きが活発だと言われている「行動する保守」を対象に、女性団体A会の非-示威行動で実施した調査から、保守運動の参加者同士の相互行為をジェンダーの観点から考察することを目的とした。</p><p>A会の非-示威行動の場で参加者たちは様々なジョークを話していることから、本稿ではジョークの持つ機能に着目した。「嫌韓」や「愛国心」といった政治意識上「右」に位置するジョークは、参加者たちが共有する知識や価値観をもとに成立しており、参加者同士の交流を円滑にする機能を有していた。しかしながら、「慰安婦」問題に関しては高齢男性の性差別的ジョークに女性参加者たちが「沈黙」する場面が見られ、ジェンダーに関するトピックは参加者間の相違を顕在化させることが明らかとなった。</p>
著者
鎌田 大資
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.114-125, 2008

初期シカゴ学派の社会学者たちは19世紀から20世紀の変わり目に、世界ではじめて大学での社会学の制度化を勝ちとった。彼らの営みを画期としてその前後で社会学における実証主義的な知の生産と蓄積、すなわち社会調査に向かう体制の変遷が認められる。19世紀中盤の社会学の発祥以来、総合哲学の頂点に冠せられる社会学という位置づけが生まれ、1892年開設のシカゴ大学に社会学が設置されてしばらくは同じ形での模索がつづく。そしてパークとバージェスが協同した学生指導により、また『科学としての社会学入門』(1921)での移民周期説、『都市』(1925)での同心円理論、自然地域概念などから枠組みを得て、1925年ごろには一定の基準のもとに都市シカゴに関する社会調査の知見を蓄積する調査研究体制が整備される。だがやがて初期シカゴ学派の凋落に伴い、量的社会心理学のサーベイ調査を主流にすえながら傍流として質的社会調査も継続される、量的、質的という二極分化をともなった現行の調査研究体制の祖形が成立した。本稿では、シカゴにおける都市社会学の形成に大きく貢献しながら、主流派の量的社会心理学への移行にも努力したバージェスの活動を取りあげ、今後、質的、量的調査の設計や知見について考察するためのインプリケーションを探る。
著者
平本 毅
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
no.13, pp.18-31, 2014-05-31

近年、サードセクターに属する市民団体への社会的な期待が高まるにつれ、NPOの数が増加している。NPO/非NPOの境界は曖昧だが、本稿ではこれを研究者にとっての定義上の問題と考えるのではなく、当事者にとっての実際的な問題として捉える。このことを考える際に、「志縁」組織として特徴づけられるNPOの、活動の現場における「志」をめぐる組織成員の相互交渉のあり方が注目されるが、これまでのNPO研究は組織活動の現場での、組織成員自身にとっての「志」のあり方を、少なくとも正面からは取り上げてこなかった。そのため本稿では小規模なNPO法人Yの事務局会議および理事会の録画データを使った会話分析から、組織成員が「志」として理解可能な事柄が相互行為の中で可視化され、それにより組織のNPOとしての性質が焦点化される「やり方」を記述する。調査の結果、次の事柄が明らかになった。1)「志」は、ランダムにあらわれるわけではない。2)「志」は、議論へのガバナンスの視点の導入を経由して可視化される。3)そのガバナンス上の意見を「正当化」するものとして「志」が使われる。4)意思決定上の具体的な意見に乗せられ、反論-再反論といった意見交換の中で示しあわれることによって、「志」は組織成員間で交渉される。これらの結果は、組織を特徴づけるものとしての「志」の性質にNPOの組織成員が志向していることを示す。
著者
近森 高明
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.108-120, 2005-05-28 (Released:2017-09-22)

ベンヤミンの「遊歩者(flâneur)」は、近年の都市研究に欠かせない人物形象となっているが、当初より、男性的「まなざし」の具現化ではないかとのフェミニズム的批判が寄せられていた。遊歩者の特別な対象として「娼婦」が呈示される点に、その批判はとくに集中する。だがベンヤミンは娼婦に出会う遊歩者を、特権的視線をもつ観察者ではなく、むしろ主体性が解体する一種の陶酔者と描いており、娼婦のほうも、経験的実存というよりアレゴリー的現象と考えている。それゆえ問われるべきは、娼婦の形象が喚起する主体の壊乱的作用に、いかなる理論的意義が見いだせるかという点である。こうした問題意識から本稿は、以下の三つの側面を含む論証により、ベンヤミンの娼婦論および遊歩者論のあらたな読解をめざす。第一に、娼婦のモティーフと「人形」の形象との重なりという、従来の解釈では見逃されてきた論点を中心に、「死を意味する生」というアレゴリーの謎をめぐるベンヤミンの潜在的な思考ラインを再構成する。第二に、性倒錯としてのフェティシズムやサディズムをめぐるベンヤミンの思考に焦点をあて、マルクス主義的な疎外論や物象化論による読解とは異なる、商品的存在の「死」の位相を照らしだす。第三に、従来では観察者としての面が強調されていた遊歩者について、娼婦の形象が露呈する「死」との関連より、主体の権能が失われた陶酔者としての側面を浮かびあがらせる。
著者
金 瑛
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.3-14, 2012-05-26 (Released:2017-09-22)

本稿の目的は、アルヴァックスの集合的記憶概念を再考することにある。そこでまず行なったのが、アルヴァックスによる記憶(mémoire)と想い出(souvenir)の区別、集合的記憶と歴史の区別を検討することで、集合的記憶を定義し直すことである。集合的記憶は、時間的な連続性の流れとして定義され、言語活動・時間・空間という「枠組み」によって構成される。本稿では、従来あまり注目されてこなかった「環境(milieu)」という概念に着目することで、時間の「枠組み」を支える空間性について論じた。そしてそこでは、ノラの「記憶の場」という概念やモースの贈与論を参照軸に、「環境」と「場」の関係、「場」の変化による忘却の問題を論じた。また「環境」という観点から、個人的記憶と集合的記憶の関係、集合的記憶における忘却と想起についても論じた。本稿の論点は、「環境」が集合的記憶に対してもつ意義を説くことである。
著者
入江 由規
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.58-70, 2014-05-31 (Released:2017-09-22)

本稿の目的は、なぜ、アニメやゲーム、コミックの舞台を訪れる「聖地巡礼者」が、これまで「変わり者」と見なされることの多かった、アニメやゲーム、コミックを愛好するオタクであるにもかかわらず、それらに必ずしも関心のある訳ではない、作品の舞台となった町の住民や商店主らにとっての「ゲスト」へと変貌を遂げたかを分析することにある。オタクの対人関係は、これまで、趣味や価値観を共有する人とだけ交流する、閉鎖的な人間関係を築くものと捉えられることが多かった。だが、聖地巡礼者は、アニメやゲーム、コミックを愛好するオタクであるにもかかわらず、作品の舞台となった町に住む住民や商店主と交流を図り、時に作品を活かした町おこしを模索する企業人や研究者とも、共同でイベントを開催する関係を築いている。このことは、これまでのオタク研究では捨象されてきた、オタクの新たなコミュニケーションの実態を表していた。上記の目的に基づき、本稿では、アニメ作品の舞台を旅する「アニメ聖地巡礼者」に聞き取り調査を行った。その結果、彼らは、住民への挨拶といった礼儀を大切にし、商店主や企業人、研究者からの依頼を、物質的な見返りを求めることなく、自分たちが好きな作品で町おこしが行われるからという理由で最後までやり遂げることで、住民や商店主、企業人や研究者から信頼を得て、「ゲスト」へと変貌を遂げたことが分かった。
著者
池本 淳一
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.75-87, 2010-05-29 (Released:2017-09-22)

武術学校とはスポーツ化した中国武術である「競技武術」の専門課程をもつ私立体育学校である。その特徴として、その多くが都市にあるにもかかわらず、生徒の多くが小学校時代に農村の公立校から転入学してきている点があげられる。本論の目的は、この都市における武術文化と農民層との結びつきを明らかにすることで、中国における「スポーツと社会階層」の結びつきの一例を示すとともに、この結びつきを生み出した中国の社会構造を浮き彫りにすることである。具体的には以下の内容を明らかにした。第1に、武術学校はスポーツを通じた中等学歴の取得を可能にする場となっていた。第2に、武術学校は衛生的で安全な寄宿舎が完備されていた。この寄宿舎は、農村から子どもを連れて都市へ出稼ぎにきたものの、低賃金・長時間の労働に従事しているために、安全で清潔な住環境や子どもの世話を見る時間を確保できない農民工家庭の児童にとって、都市の「滞在先」として利用されていた。第3に、武術学校は農村の小学校や都市の民営校である民工子弟学校と比べて、充実した教育環境にあった。それゆえ都市に連れ出したものの、制度的・経済的・学力的な理由により都市の公立学校に転校できなかった児童にとって、そこは最適な都市の「転校先」の1つとなっていた。最後に、これらの結びつきを生み出した中国の社会構造と、その構造を生み出した戸籍制度について指摘した。