著者
上野 淳子 松並 知子 青野 篤子
出版者
四天王寺大学
雑誌
四天王寺大学紀要 (ISSN:18833497)
巻号頁・発行日
no.66, pp.91-104, 2018-09-25

従来のデートDV 研究は,暴力行為を受けた経験のみを被害と見なしてきた。本研究では,デートDV 被害を暴力行為とそれがもたらした影響(恋人による被支配感の高まり,自尊感情の低下)から成るものとして捉え,デートDV 被害の実態と男女差を検討した。大学生を対象とした質問紙調査の結果,恋人からの暴力行為のうち“精神的暴力:束縛”,“精神的暴力:軽侮”,“身体的暴力・脅迫”は男性の方が女性より多く受けており,“性的暴力”のみ男女で受ける割合に差がなかった。しかし,恋人による被支配感は男女差がなく,自尊感情は“身体的暴力・脅迫”を受けた女性が低かったことから,男性は暴力行為を受けても心理的にネガティブな影響は受けにくいことが示唆された。多母集団同時分析の結果,男女とも“精神的暴力:軽侮”および“性的暴力”を受けることで恋人による被支配感が高まり,恋人による被支配感は自尊感情を低下させていた。しかし同時に,暴力行為の影響には男女で異なる点もあった。暴力行為だけでなく恋人による被支配感も含めて暴力被害を捉える重要性が示された。
著者
福田 順
出版者
四天王寺大学
雑誌
四天王寺大学紀要 (ISSN:18833497)
巻号頁・発行日
no.70, pp.159-182, 2022-03-25

「現代貨幣理論(MMT)」の政策提言は多岐にわたるが、最も特徴的なものは、非自発的失業者には無条件で政府が仕事を提供する「就業保証プログラム(JGP)」である。景気が悪化した時にはJGP の利用者が増え、景気が回復した時にはJGP の利用者が減るので、マクロ経済的安定が自動的に達成されると考える。重要なことはJGP で取り組む事業は環境、地域社会、人間に対する広い意味でのケア労働であるということであり、持続可能な開発目標(SDGs)の実現に大いに貢献しうるという点である。一方で、JGP に対してはMMT を支持する論者からも疑問が投げかけられている。本稿ではJGP に対する批判を検討し、さらにベーシックインカム( BI )、ワークフェア政策、雇用調整助成金との比較を行い、さらに、先行研究が提唱した「グリーン・リカバリー戦略(GR 戦略)」の経済効果の再推計を行った。検討の結果、先行研究が指摘するように、JGP が扱う仕事内容はあいまいな部分が多いものの、一方でJGP は他の政策と比べると、非自発的失業者の「就労権」を強調した政策であることが明瞭になった。またGR 戦略の再推計では、第2 次間接効果を含めた総合効果においては、先行研究と同程度の雇用創出効果が得られることが分かった。
著者
土取 俊輝
出版者
四天王寺大学
雑誌
四天王寺大学紀要 (ISSN:18833497)
巻号頁・発行日
no.68, pp.353-367, 2019-09-25

本稿は北海道大学文学部人骨事件を事例とし、先住民をはじめとする遺骨返還問題で何が問題とされているのかについて論じるものである。北海道大学文学部人骨事件とは、1995 年に北海道大学文学部の古河講堂内の一室から、人間の頭骨6 体が入ったダンボール箱が発見された事件である。発見された遺骨のうち返還されたものは、韓国東学党のものとされる頭骨1 体と、北方先住民のウィルタのものとされる頭骨3 体である。あとの2 体は返還先を探す事が出来ず、現在は寺院に仮安置されている。これらの人骨が北海道大学に保管されていた背景には、北海道大学が植民地主義やダーウィニズムに基づいた北方先住民の人骨の収集、研究の拠点でったことが関係している。 北海道大学文学部人骨事件を事例として遺骨返還問題を見てみると、研究機関と植民地主義との密接な関係が浮き彫りとなった。また、その植民地主義の負の遺産であるところの遺骨問題に対して、研究機関が真剣に向き合って対応していないことも、先住民の側から問題として焦点化されている。人権意識の高まった現代において、研究機関や我々研究者は、学術研究と植民地主義との関係という過去に向き合った上で、遺骨返還問題に対して取り組んでいくことが求められている。
著者
南谷 美保
出版者
四天王寺大学
雑誌
四天王寺大学紀要 (ISSN:18833497)
巻号頁・発行日
no.68, pp.61-85, 2019-09-25

四天王寺に現存する江戸期以前の童舞舞楽装束はさほど多くはないが、「四天王寺舞楽之記」をはじめとする関連史料によれば、江戸時代の四天王寺における舞楽法会では頻繁に童舞が演じられていたことがわかる。したがって、現在の四天王寺に伝来する江戸期以前の童舞舞楽装束の現状と、江戸時代の舞楽上演状況とは合致していないといえる。この矛盾を踏まえ、本稿では、江戸時代の四天王寺の舞楽法会における童舞上演の実態を、常楽会と聖霊会を中心に分析し、童舞で演じられた舞の実態を明らかにする。さらに、童舞を担当する楽家の子弟の年齢分布について考察し、走舞の舞童が同時に平舞を大人の舞人とともに舞っている事例があることを踏まえ、童舞かそうではないかの区別に関しては、走舞についてのみ厳密にこれがなされ、その区別をする基準は、童舞装束を着用するかどうかよりも、面を着用するかどうかであったことではないかとの推論を立てた過程について述べるものとする。これらの考察を踏まえ、四天王寺に伝来する童舞舞楽装束の実態と、江戸時代における童舞の演奏実態との間の矛盾はどのように理解すべきなのかについて考察する。
著者
李 美子
出版者
四天王寺大学
雑誌
四天王寺大学紀要 (ISSN:18833497)
巻号頁・発行日
no.69, pp.219-226, 2021-03-25

和歌山県の名物、径山寺味噌(または金山寺味噌)は今現在も日本全国各地で製造・販売されている人気の発酵食品であり、その商品名には「径山寺味噌」と「金山寺味噌」がある。それぞれ中国浙江省の杭州市にある径山寺、あるいは江蘇省鎮江市の金山寺から伝わったとされている。この伝来説にはいくつかの問題もあるが、その考証を行った先行研究はほとんど存在しない。 本研究では、まず、径山寺味噌と金山寺味噌の伝来説について整理・分析した上で、「金山寺味噌」の伝来に関する記述の問題点を指摘した。次に、『和漢三才図会』に見る「経山寺未醤」の記述と中国の『居家必用事類』に見る「金山寺豆豉」及び金山寺の僧侶によってつくられた「金山鹹豉」の記録を考察・検討し、「金山寺味噌」の伝来について詳細を明らかにした。そして「径山寺味噌」の伝来説は『和漢三才圖會』に見る「経山寺未醤」の記述と法燈国師覚心の「径山寺」での修行の歴史事実によって創作されたものであろうと推察した。
著者
平川 茂
出版者
四天王寺大学
雑誌
四天王寺大学紀要 (ISSN:18833497)
巻号頁・発行日
no.66, pp.29-46, 2018-09-25

1964 年公民権法施行によって黒人の機会は拡大したにもかかわらず、その社会・経済的状態に改善が見られないのはなぜか?これが「ポスト公民権法問題」である。この「問題」をめぐってリベラル派と保守派の研究者の間で活発な議論が戦わされた。リベラル派は黒人の停滞の原因を黒人差別の厳しさに求め、それゆえ黒人の停滞の打破には差別をなくす必要があると考えた。そして、そのためにアファーマティヴ・アクション・プログラムを通して黒人に対する雇用・教育面での優遇措置を実施することが重要であるとみなした。リベラル派のなかで、こうした見解に異論を唱えたのがWilson と Steele であった。両者にとってまず、差別は黒人の停滞とほとんど関係ないと考えられた。そのうえでWilson は黒人の停滞の原因を探るために「文化特性」レベルの分析を行って、黒人貧困層の「自己効力感のなさ」にその原因を求めるに至った。他方Steele は黒人の「心理の領域」の分析を行って、黒人総体の「人種的脆弱性」(「人種的不安」と「人種的懐疑」)が黒人の停滞を招いていることを明らかにした。そして黒人がこの「人種的脆弱性」を克服するには黒人にとって批判的な声に耳を傾ける必要があると述べた。こうしたSteele の主張は、黒人が白人と向き合うことを可能とする点で差別理論の今後の展開にとってきわめて重要な貢献をなすものである。
著者
藤谷 厚生
出版者
四天王寺大学
雑誌
四天王寺大学紀要 (ISSN:18833497)
巻号頁・発行日
no.68, pp.49-59, 2019-09-25

聖徳太子信仰の萌芽は、すでに奈良時代に見ることができ、『上宮太子菩薩伝』や平安時代に成立する『聖徳太子伝暦』などの伝記資料が、その先駆と位置づけられているということは周知の話である。しかし、実際的な太子信仰の進展は平安時代中期以降に見られ、それは主に念仏聖たちによる一信仰形態として、日本仏教の展開の中では極めて重要な意味を持つと考える。本稿は、特に聖徳太子信仰の拠点である二上山の東に存在する叡福寺の太子廟、浄土信仰のメッカでもあった當麻寺(当麻寺)、さらに極楽の東門として位置づけされた四天王寺を結ぶ大阪から二上山を巡る竹内街道に焦点をあてながら、古代から中世に見られる思想的、信仰的変遷の特徴に論及しようとする一研究考察である。
著者
吉田 祐一郎
出版者
四天王寺大学
雑誌
四天王寺大学紀要 = SHITENNOJI UNIVERSITY BULLETIN (ISSN:18833497)
巻号頁・発行日
vol.62, pp.355-368, 2016-09-25

本研究は、日本各地に広がりをみせる子ども食堂について、地域における子どもを主体とした居場所づくりとしての機能の充実を果たすべく、子ども食堂に求められるものは何かといった骨格を示すことをねらいとしている。本稿はその初期研究として、先行文献等を用いて子ども食堂が必要とされる貧困をはじめとする社会的背景や、それに対して国が進める施策についての整理を試みるとともに、子ども食堂の開始以前から存在していたセツルメントをはじめとする類似の民間活動との比較や、子ども食堂として展開される実践事例について考察した。結論として、子ども食堂に見られる3 つの機能(「食を通した支援」「居場所」「情緒的交流」)を提示するとともに、子ども食堂に参加する子どもにとって地域社会や地域住民をつなぐ「空間」と「支援者」が必要であるという仮説の設定を行い、その検証に向けた研究課題について整理した。
著者
加藤 彰彦
出版者
四天王寺大学
雑誌
四天王寺大学紀要 (ISSN:18833497)
巻号頁・発行日
no.70, pp.109-140, 2022-03-25

アンドレ・ブルトンにおいてシュルレアリスムの言語とは何かという観点から考察を始めた。ブルトンは現実の否定ということからシュルレアリスムを立ち上げている以上、現実をただ単に描写するだけでは意味がなく、そこで出てきたのがシュルレアリスムのイメージ論である。ただこれは詩のようなものであれば有効なのだが、散文詩であれ少し長いものになると問題が生じる。特に物語のようなものになると、それを支えるものは通常の言語を成立させている相互主観性ではなく、主体の持つ欲望であり、それを可能にするのがラカンの言う浮遊するシニフィアンであるということを明らかにした。
著者
奥羽 充規
出版者
四天王寺大学
雑誌
四天王寺大学紀要 (ISSN:18833497)
巻号頁・発行日
no.66, pp.105-117, 2018-09-25
著者
津崎 克彦
出版者
四天王寺大学
雑誌
四天王寺大学紀要 (ISSN:18833497)
巻号頁・発行日
no.63, pp.89-103, 2016

"本稿では2000年代以降、日本で広がった「ブラック企業」問題に焦点をあて、「ブラック企業とは何か」という問題について、既存の調査から概念整理を行った。 特に本稿ではブラック企業で行われているマネジメントに注目し、ブラック企業の背後にあるマネジメント原理を仕事のマニュアル性と人間関係の競争性に特徴づけられる「統制・独裁型」マネジメントと名付け、そうしたマネジメントが、標準化された消費市場のニーズや労働市場における供給過剰状態、そして「仕事=手段」と呼びうる仕事観に依拠しつつ、賃金が低くなった場合に特に「ブラック企業」と評価されるのではないかという点を仮説的に指摘した。加えて、本稿では、そうしたマネジメントに依拠しない「自由・民主型」モデルというものを提示しつつ、マネジメントの型と賃金との関連から、①体育会系組織、②狭義のブラック企業、③狭義のホワイト企業、④自己実現系組織という4 つの理念型を提示した。 歴史的に見れば、今日における「統制・独裁型」マネジメントの出現は、科学的管理法のサービス産業への応用とも解釈でき、また、ブラック企業問題の広がりは、国際化や情報化といった要因に加え、「仕事=手段」から「仕事=目的」という労働者意識の変化と仮説的に対応付けられるかもしれない。今後は課題として、一方では本稿で検討した「ブラック企業」モデルとその存立条件を実証的に検証していく必要性に加え、国際比較や従来の日本的経営論の再解釈等を通した歴史的検討をしていきたい。"
著者
和田 謙一郎
出版者
四天王寺大学
雑誌
四天王寺大学紀要 (ISSN:18833497)
巻号頁・発行日
no.66, pp.75-89, 2018-09-25

本稿は、主に視覚障害者が65 歳に達した場合に介護保険制度・障害者総合支援制度がどのように適用されるのかを念頭に、高齢・障害双方の在宅サービスを担う「共生型サービス」の位置づけと、高齢障害者がそれをいかに適切に利用可能としていくのか、それらを検討するものである。65 歳問題と共生型サービスは、普遍化されたニーズとそれに応えるサービスに更に特化したサービスを加えるものとはいえない。長年、難病等の疾病や各種障害、そして高齢について個別に制度運用と適用されてきたものが、地域共生の名の下で、在宅サービスに限り社会保障費抑制策としてサービスを普遍化するものと言っても過言ではない。その普遍化とは、市場原理と所得再分配機能が混在するものになる。運営する側の自治体も、サービスの担い手となる事業者も、そしてサービス利用者も、この混乱ぶりを重く感じているのである。
著者
隅田 孝
出版者
四天王寺大学
雑誌
四天王寺大学紀要 (ISSN:18833497)
巻号頁・発行日
no.68, pp.301-313, 2019-09-25

日本社会が成熟社会へと変化する中、日本の消費者は物質的な豊かさを享受することができた一方で、果たして精神的な豊かさを享受することができたのだろうか。このような疑問が1980年代及び1990 年代のポストモダンのあり方を模索する日本の成熟社会論において問われた。 日本の成熟社会において消費の意味は変化し、多様化している。そして消費者はモノの有用性に見いだされる価値だけでなく、消費のプロセスをも消費対象としている。インターネットの出現によって情報化社会がより一層加速され、消費者は一方的に提供されるだけの側から、消費のプロセスを消費する存在へと変貌を遂げている。 日本の消費者もまた消費のプロセスを消費する消費者へと変化を遂げ、いわゆるブランド・コミュニティを形成する消費者行動が定着してきている。ブランド・コミュニティはモノと消費者の関係、消費者同士の関係を新たに創造する。このブランド・コミュニティによる消費が消費のプロセスを顕在化させ、モノの消費だけでなく消費のプロセスを消費することを可能にしている。日本の成熟社会における消費者行動は、これまでのように消費対象としてのモノを消費することにとどまるのではなく消費者同士が醸成する消費に至るプロセスを消費するための行動となってきていることを明示する。
著者
加藤 彰彦
出版者
四天王寺大学
雑誌
四天王寺大学紀要 (ISSN:18833497)
巻号頁・発行日
no.68, pp.123-154, 2019-09-25

ジル・ドゥルーズの『シネマ』において示されている映画に対する姿勢とは、何かの理論によってそれを解釈・分析するのではなく、それをそのまま鑑賞するというものであるが、対象に向かうあり方が果たしてそれで可能かをアンドレ・ブルトンのシュルレアリスムの研究のあり方において検証したのが本論考である。我々の基本的態度は、何ものにも依らずに分析・解釈できるとするとそこに俗流心理学が入り込んでくることをロラン・バルトによって示した上で、ジャック・ラカンの精神分析によりシュルレアリスムの分析・解釈が可能となると考えることにある。まず第一部においてドゥルーズとラカンを対比させ、シュルレアリスム的手法、シュルレアリスム的時間、シュルレアリスム的存在、シュルレアリスム的精神の一点、シュルレアリスムの非順応主義、シュルレアリスムが目指すところ、シュルレアリスムの小説について検討し、ドゥルーズの有効性を認めつつも、最後にどうしても残ってしまう欲望の問題をラカンの精神分析によって捉えていくしかないことを明らかにした。次に第二部において、ラカンのみを取り上げ、シュルレアリスムにおける自由、ブルトンの自己同一性、シュルレアリスム的倫理、シュルレアリスム的言語、芸術としてのシュルレアリスムについて検討し、現実変革というブルトンの欲望を維持し続けるものはラカンの言う対象a であると考えられることから、シュルレアリスムの分析・解釈手段としてのラカンの精神分析の有効性を示した。
著者
隅田 孝
出版者
四天王寺大学
雑誌
四天王寺大学紀要 (ISSN:18833497)
巻号頁・発行日
no.64, pp.179-194, 2017

本稿では、少子高齢化の影響を受けた子供市場において、近年いわゆる豪華一点主義といわれる現象がみられ、そのような子供市場についてマーケティング論的分析を行った。豪華一点主義といった社会的背景を受け、近年関心の高まりをみせ注目を集めている子供や若者といった若年層をターゲットにしたマーケティングのあり方を、食品産業、とりわけ玩具菓子及び外食産業を例にあげて分析を行った。 玩具菓子市場では大人と子供のボーダーレス化現象がみられ、大ヒット商品を誕生させた要因の1 つであると考えられる。従来、大人が好んで購入する商品とみなされていたモノが子供の嗜好を刺激するモノであるといったように潜在的なニーズの発掘に成功した。その逆の成功事例も数多く存在する。たとえば、子供の玩具から大人のコレクションへというように、玩具菓子が市場で新たな価値を帯びていくプロセスをチョコエッグやプロ野球カードを事例に、そのメカニズムを明らかにした。また、今後の食品産業における子供市場のあり方として、子供というカテゴリーにとらわれることなく、子供と大人が共有できる価値をもつ製品の開発が求められることを述べた。
著者
南谷 美保
出版者
四天王寺大学
雑誌
四天王寺大学紀要 (ISSN:18833497)
巻号頁・発行日
no.66, pp.47-73, 2018-09-25

三方楽所楽人は、禁裏と江戸幕府関係の儀式およびこれらに関連する社寺における神事、法会などの奏楽を担当し、さらには、三方楽所以外のたとえば日光楽人のような楽の演奏を職務とする人々の指導を行っただけではない。すでに、多くの考察が明らかにしているように、江戸時代後半になると楽の演奏を職務とする専門職以外の「素人」弟子への楽の指導が広く行われるようになっていた。つまり、三方楽所の楽人は、雅楽のお師匠さんとして、雅楽の演奏を職務としない「素人」集団への指導も行っていたのである。ところで、そうした「素人」集団を対象とする楽の指導の場においては、指導者である楽人から稽古者に対して、一方的に楽に関する知識や技術が伝達されるだけであったのだろうか。本稿においては、そうした楽の稽古の場に集う「素人」とされた楽の稽古者集団がどのような人々によって形成され、そこではどのような「文化」が共有され、それがどのように楽の専門家である楽人に関わっていたのかということについて考えてみたい。以下では、東儀文均の日記である『楽所日記』のうち、弘化・嘉永年間のものを対象として、文均と京都における弟子たちとの交流を考察するものとする。