著者
あしやま ひろこ
出版者
総務省情報通信政策研究所
雑誌
情報通信政策研究 (ISSN:24336254)
巻号頁・発行日
vol.6, no.1, pp.111-132, 2022-12-22 (Released:2022-12-28)
参考文献数
24

現実社会と同じような活動ができる仮想空間としての「メタバース」では、ユーザーは3Dデータ等を自己の「アバター」、すなわち実質的な身体として用いながら生活することとなる。現行のメタバースの中でも自由度が高くユーザーも多いとされるソーシャルVRサービスである「VRChat」では、日本語ユーザーへの既存の調査から、多くのユーザーはアバター用のデータを他者から購入し、加工するかそのままの形で自己のアバターとして用いることが示される。また、ユーザーから人気のある市販アバターの利用規約を分析したところ、殆どで「政治活動」および「宗教活動」が禁止されていることがわかった。この制限は私的自治に関する判例や著作権法、実社会における一般的な契約等に照らしても合理性があると考えられるため、アバターの流通を市場経済だけに任せた場合、多くのユーザーはアバターを購入して利用する場合に、参政権や信教の自由に関連した行為がメタバース上で制約を受けることとなる。しかしこの問題を解消するために、数多く存在する売り手(クリエイター)の意に反して、当該制限を無効とさせるように国家が強制することは解決方法として適切とは言いがたい。精神的自由は国家権力の介入を許さないことが本質であり、公共の福祉による制約は反道徳的・反社会的な結果を生ずる場合にその防止に最小限度において認められる性質のもので、アバターは原理的には誰もが制作可能である以上は利用者の参政権や信教の自由は完全にまでは否定されているわけではなく、クリエイターの思想・良心の自由を一方的に否定することは適当ではないと考えられるためである。また、このような状況でアバターに関する財産権の一部を否定する観点についても、社会全体の利益には結びつかないとも考える。本稿ではこの利益の衝突とでもいえる問題の解決策として、広く国民に対してアバターを自ら作るための技能を習得できるような教育機会の提供と、その手段の提供を保障するという方法を提案する。利用者側が自らアバターを創作できないために他者から購入せざるを得ないという状況こそが根本的な課題なのであるからして、利用者が自らアバターを制作できる状況を国が保障できれば先の問題は解決されると考えられるためである。アバターを自ら作ることができる技能を得られる機会と手段が国民に保障されれば、アバターの売買における私的自治の尊重に対する正当性がより担保され、結果としてクリエイターによる創作文化や経済活動の発展にも寄与するものと考えられる。
著者
福井 健策
出版者
総務省情報通信政策研究所
雑誌
情報通信政策研究 (ISSN:24336254)
巻号頁・発行日
vol.5, no.1, pp.131-144, 2021-11-30 (Released:2021-12-10)

故人を人工知能(AI)やヒト型ロボット(アンドロイド)技術で蘇らせようという試みが止まらない。古くはバッハ風の曲を自動作曲した1980年代のプログラム「エミー」から、レンブラント、手塚治虫、ビートルズのAI、更にアンドロイドや3D映像で蘇った夏目漱石、美空ひばりまで。こうした故人の再生は、あるいは仏壇や遺影の姿を変え、あるいはスター達やカリスマ的な経営者・指導者の「バーチャル延命」など、単なるビジネスチャンスを超えて、我々の生活や死生観をも変えて行く潜在力を有している。法的には、こうした「故人の再生」はそのタイプによって肖像権、パブリシティ権、著作権などの処理を必要とする。現在の法ルールや通説に従えば、ある程度までの再生は権利処理不要でおこなえると解釈できそうだが、現実には少なくとも遺族の同意のもとに進められるケースが大半だろう。しかし、例えばAI美空ひばりが「冒涜だ」といった批判を招くなど、(遺族の了承の有無に関わらず)人々は故人の再生に、倫理的・感情的な違和感を抱くことも少なくない。それは通常のアンドロイドでも見られる「不気味の谷」の問題を超えて(あるいは根本において同じ原因を抱えつつ)、恐らく「死者をよみがえらせる」という行為そのものの突きつける重大な問いかけであろう。では、故人の再生はどのような準則に従って行われるべきか。世界的なAI・ロボット開発をめぐる議論の中で取り上げられることは少ないが、もうその議論を始めるべき時が来ているように思われる。
著者
若江 雅子 森 亮二 吉井 英樹
出版者
総務省情報通信政策研究所
雑誌
情報通信政策研究 (ISSN:24336254)
巻号頁・発行日
vol.2, no.2, pp.27-47, 2019-03-20 (Released:2019-04-03)
参考文献数
4

インターネット広告の重要性が増している。その広告費(媒体費+制作費)は2007年の6,003億円から2017年には1兆5,094億円に増え、新聞広告の5,147億円の3倍、テレビメディアの1兆9,478億円にも迫る勢いである。その強みは、ウェブの利用履歴から利用者一人ひとりの趣味嗜好・性別・年齢・居住地などに関する情報を取得し、それに沿った広告を表示できることにあるだろう。興味関心連動型などと呼ばれるこうした広告は、かつてはAmazonや楽天のようなECサイトが、自社ネットワークにアクセスした顧客から利用履歴を直接取得して、その顧客の閲覧画面に広告を表示する形で行われていたが、近年は、利用履歴を顧客から直接取得しなくても同様の広告を掲載することが可能になっている。それは、クッキーや広告IDなどブラウザや端末の識別子に紐付いた利用履歴が、各種プラットフォームを通じて流通しているためである。 個人情報保護法は、個人情報を第三者に提供する場合、原則として本人の同意を義務づけている。しかし、クッキーや広告IDなどのブラウザや端末の識別子に紐付いた情報は、それ単体では個人識別性がないとして、個人情報としての規制を受けない。このため、利用者の同意を得ないまま、第三者に提供することが可能であり、実際に、広告事業者の間で広範にやり取りされているのが現状である。だが、これらの情報は、提供先が保有する情報と突合された場合に個人情報に変わり得る性質のものである。では、提供元では個人識別性を有さない情報が、第三者に提供され、その結果、提供先で個人識別性を有する情報となった場合、第三者提供の規制を受けるのだろうか。こうした問題については、必ずしも明確な整理がなされていないのが実情である。 本論文は、ウェブサイト利用者の使用するブラウザや端末の識別子に紐付いた情報が、利用者が提供を想定していない事業者に取得され、事業者が保有する他の情報と突合された結果、個人情報となる現状について検証し、こうした情報の流通について現行の個人情報保護法により規制が可能かどうか検討を試みるものである。
著者
大屋 雄裕
出版者
総務省情報通信政策研究所
雑誌
情報通信政策研究 (ISSN:24336254)
巻号頁・発行日
vol.5, no.1, pp.1-14, 2021-11-30 (Released:2021-12-10)
参考文献数
22

我が国が今後実現すべき社会像として位置付けられているSociety5.0について、その中核をなすサイバー空間とフィジカル空間(物理空間)の融合という概念を中心に検討する。まず、現在までに存在すると想定されている工業社会(Society 3.0)・情報社会(Society 4.0)それぞれの性質について、物理空間におけるモノの生産・流通の効率化とモノへの化体を経ない純粋な情報財流通の実現と要約できることを指摘する。その上で、現在の社会ではモノと情報の空間が分断されていること、両者が緊密に結び付くことを阻害している人間という結節点に注目し、IoT・AI・ロボティクスといったICT技術を活用することによりその問題を解消して、自己決定的な行為主体でなく観測の客体としての人間が重要な位置を占める「人格なき統治」を実現するところにその中心的な意義があると指摘する。また、そのような形で社会のスマート化を進めることが資源利用の効率化を通じたSDGsの実現に貢献すること、ICT利活用により主体としての人の動作や接触に依存せず社会機能が維持できるwith/afterコロナ時代のレジリエントな社会構築につながり得ることを主張する。その一方、嘘・手加減・不服従といった一見ネガティブに捉えられる要素が、法を通じて行為主体たる人間の行動をコーディネートすることを意図してきた従来の統治においては一定の正当性を担い、人間的な価値の実現に貢献するものと位置付けられてきたことを踏まえ、「人格なき統治」が社会内部における規律訓練や法規範の自動的な実現・執行までを対象とする場合にはそのような要素を利活用する可能性が消滅すること、だからこそSociety 5.0において人間的価値・人間中心主義が強調されざるを得ないという論理的関係にあることを指摘する。
著者
佐々木 勉
出版者
総務省情報通信政策研究所
雑誌
情報通信政策研究 (ISSN:24336254)
巻号頁・発行日
vol.5, no.1, pp.167-198, 2021-07-21 (Released:2021-12-10)
参考文献数
68

現代の情報通信経済は、GAFAやBATHといったオンライン・プラットフォームにより牽引されている。そうしたオンライン・プラットフォームについて政府がどのように関与していくかは、長年の課題だった。2020年12月、欧州連合は、電気通信分野における支配的事業者規制を範としたデジタル市場法案を発表した。本稿は、欧州連合のアプローチを取り上げ、米国のアプローチを補足する。まず欧州連合のデジタル市場法案に至る背景として、これまでの競争法に基づく反トラスト調査の経緯、そしてオンライン・プラットフォーム市場で起きている問題点、さらにオンライン・プラットフォーム市場の経済的特性を整理する。そして同法案の内容について、支配的事業者に相当する「ゲートキーパー」とは何か、どのような基準で選定し、どのように規制するか、またその規制のためにどのような執行ツールを設けているのか、そして義務等の不履行に対してどのような罰則を科すのかを探る。欧州連合のデジタル市場法案発表から半年たった2021年6月、米国も下院司法委員会の議論を踏まえ、議員立法によるオンライン・プラットフォーム規制5法案が発表された。欧州連合の法案の特徴を明確化するため、本稿後半では、米国の法案を取り上げて対比させる。欧州連合でも米国でも、まだ法案段階である。すなわち、今回取り上げる法律内容は最終的な条文ではない。しかし、本稿は、こうしたオンライン・プラットフォーム分野における新しい規制アプローチが提案され、新たな時代に踏み込もうとしている現状を明らかにすることで、我が国の政策作り、研究あるいは企業戦略に資すことを目指す。
著者
栄藤 稔
出版者
総務省情報通信政策研究所
雑誌
情報通信政策研究 (ISSN:24336254)
巻号頁・発行日
vol.7, no.1, pp.25-51, 2023-11-20 (Released:2023-12-28)
参考文献数
51

生成AIの技術進化が2022年から急激に加速し、ユーザーを取り込んだ新たなコンテンツ経済圏が形成されようとしている。2014年に発明されたGAN(生成的敵対ネットワーク)という技術により、人が区別できないほど精巧な画像が自動生成されるようになった。さらに、2016年、データを高度に抽象化する深層学習技術、トランスフォーマーが登場した。これは「データを与えさえすれば機械が自動学習する」という教師なし学習の大きなブレークスルーとなった。そして2022年、ChatGPTに代表されるコンテンツを自動生成する技術が登場し、多様なメディアを対象として急速に進化しようとしている。深層学習の進化、音声や画像認識の実用化、そしてこれらの技術組み合わせることで、従来人間が行っていた文章の執筆、絵の描画、楽曲の制作、動画の撮影や編集といったクリエイティブな作業がAIによって置き換えられる時代が到来した。コンテンツ制作の主体がプロのクリエーターから一般の人々へと移行する可能性が出てきた。従来のクリエーター中心の視点から、ユーザー中心の視点へのコンテンツ経済圏のシフトが予見される。AIが作成したコンテンツをAIGC(AI Generated Content)と呼ぶ。それがどのような経済圏を作るかを議論したい。脚本の生成や俳優の演技のデジタル複製・変更が簡単に行えるようになり、これが脚本家や俳優の役割や権利への影響をもたらすことが予想される。このような変化は、クリエーターとして知られる脚本家、アニメーター、俳優などの様々な分野の専門家たちの生態系に大きな変動を引き起こす可能性がある。日本には、ポケモンに代表されるキャラクターコンテンツを中心とした世界的に成功を収めているメディアフランチャイズ事業や、ユーザー主導でのコンテンツの流通を特徴とするコミュニケーションマーケットなどの独自の文化が存在する。その代表例として初音ミクを取り上げる。デジタル技術の進化、ユーザーの積極的な参加、ファンの熱狂、そして柔軟な著作権管理を組み合わせたビジネスモデルが、日本において生成AIを効果的にビジネスに取り入れるための良い土壌を形成している。今後、ソーシャルメディアと生成AIの組み合わせによって、ユーザー生成コンテンツ(UGC)がAIGCと一体化し、世界的に広がっていくことが期待される。一方で、生成AIの技術の利用には、著作権法の問題や倫理的な課題など、様々な問題が伴う。特に、人間の感性や独自性を持つコンテンツの生成に関しては、AIとのバランスをどのように取るかが重要となる。生成AI技術と人間のクリエーターが対立するのではなく、互いに共存し、新しい形のコンテンツを共に生み出すことが、今後のコンテンツ産業の発展の鍵となる。
著者
山本 龍彦
出版者
総務省情報通信政策研究所
雑誌
情報通信政策研究 (ISSN:24336254)
巻号頁・発行日
vol.3, no.1, pp.25-45, 2019-11-29 (Released:2019-12-23)

EUのGDPR(一般データ保護規則)は、データ保護に関連した様々な権利を保障している。そして、こうした権利の侵害があった場合には、高い制裁金が科されることでも知られる。そうすると、一見、GDPRは、厳格なペナルティをもって権利侵害行為ないし違反行為を直接統制する法令であるように感じられる。ところが、実際上、権利の具体的な内実や範囲はいまだ確定的ではなく、また権利侵害行為ないし違反行為があっても、これを外部から発見することは非常に困難であるという問題を抱えている。GDPRは、かかる法的不確定性と執行困難性の問題を前提に、事業者自らが行動規範等の策定を通じて不確定性の隙間を埋めたり、データ保護影響評価(DPIA)やアルゴリズム監査といった内部統制システムを整備したりして、想定される違反行為等を未然に防ぐガバナンス体制を構築することを、かかる体制構築の努力と制裁金の免除・軽減とを結び付けることで(明示的なインセンティブ設計)実効的に促しているように思われる。本稿は、プロファイリングに関連するGDPRの諸権利、とりわけ、重要事項についてプロファイリング等の結果のみに依拠して決定されない権利(22条)、「説明を受ける権利」(15条)をめぐる解釈論に照準して、上述のようなGDPRの傾向、すなわち、行為ベースの規律(行為統制型規律)からガナバンス・ベースの規律(構造統制型規律)への焦点変動について若干の分析を加えるものである。本稿は、先行して同様の焦点変動が起きた(雇用に関する)反差別法の実践などにも視点を向け、法的不確定性と執行困難性を抱える法領域では「構造統制型規律」が一定程度有効であること、したがって、これらの問題が前景化するであろうAIネットワーク社会において、かかる規律モデルが中心的な法的アプローチとなる可能性についても言及を加える。
著者
渡部 俊也 平井 祐理
出版者
総務省情報通信政策研究所
雑誌
情報通信政策研究 (ISSN:24336254)
巻号頁・発行日
vol.4, no.1, pp.19-31, 2020-12-01 (Released:2021-01-07)
参考文献数
7

データ政策を検討するうえで、基礎となるのが、データの価値をどうとらえるのか、どのようなデータに経済的な価値があるのかという考え方である。一般的にデジタルデータを多量に保有しているからといって、そのデータから利益を生み出せるとは限らず、多くの条件が整って初めて企業の利益や競争力につながり、産業競争力に結び付く。その要件を踏まえたデータの保護やデータ利活用のインセンティブシステムを設計することがデータ政策として重要となる。本稿ではそのような観点から、データについての経済的価値に着目して、質問票調査に基づく実証分析による検討結果を示し、あわせて具体的な事例として、機械学習に提供されるアノテーションデータにおける価値について考察を加えた。これらの結果をもとにデータの法的保護の在り方について検討した。
著者
湯淺 墾道
出版者
総務省情報通信政策研究所
雑誌
情報通信政策研究 (ISSN:24336254)
巻号頁・発行日
vol.2, no.1, pp.73-90, 2018-12-28 (Released:2019-04-03)

個人情報やプライバシーのような個人の権利利益、企業の知的財産や営業秘密その他の経済的利益に係わる情報、地方公共団体や政府等の一般に情報公開することができない情報、安全保障や外交に関係する秘密情報その他、一般にサイバー攻撃によって窃取の対象となるとされる情報は、不正アクセス禁止法、個人情報保護法、プライバシー保護法制、営業秘密に関する法律その他によって保護されている。しかし民主主義の基礎となっている理念、原理、制度の存立がサイバー攻撃やサイバー空間の悪意をもった利活用によって脅かされる恐れがあり、それにどのように法的対処することが可能であるかという点の議論は、活発とは言い難い。さらに、人工知能(AI)に関する各種技術の急速な実用化によって、人工知能がインターネットを介して民主主義を支える各種の制度に「介入」する危険性も、現実化している。そこで本稿では、特に民主主義を支える選挙に焦点を当て、選挙へのサイバー攻撃とサイバー空間の悪意をもった利活用の段階について先行研究の紹介と段階の整理を行う。次に、政府がどのように対応するべきかについて、アメリカとEUの例を参照する。アメリカ政府は、外交的対抗、経済的対抗、技術的対抗という3つの対抗手段を講じている。もっとも、外交官追放等の外交的手段や口座凍結等による制裁では不十分であるとして、プロ・アクティブ、アクティブ・サイバー・ディフェンスのような積極的な技術的対抗手段の実行を主張する議論も存在する。また国土安全保障省は、選挙インフラを重要インフラの一つとして指定した。EUは、選挙へのサイバー攻撃が2016年アメリカ大統領選挙において顕在化した後、選挙をサイバーセキュリティの重要な政策領域として位置づけるようになった。フェイクニュース対策は、デジタル単一市場創設という政策領域の一分野として位置づけられ、SNSを利用した世論誘導については表現の自由という基本的人権の侵害であると捉えられている。2018年1月にはフェイクニュース及び虚偽情報流布に関する有識者会合が設置され、4月に公表された最終報告書では「多元的な対応」が提案された。EUは特に世論を誘導する情報を媒介するプラットフォーマーに焦点を当てており、2018年7月までに共通の行動規範を策定して遵守することを求めた。これらを参照して、日本において理念・原理・制度を守るためのサイバーセキュリティ法制のあり方とその限界についての検討を試みることにしたい。
著者
武田 英明
出版者
総務省情報通信政策研究所
雑誌
情報通信政策研究 (ISSN:24336254)
巻号頁・発行日
vol.5, no.1, pp.113-129, 2021-11-30 (Released:2021-12-10)
参考文献数
41

本稿では、高度情報化社会における人のあり方として分人型社会システムを提案し、議論を行った。個人(individual)を分割不可分な一つの存在とみなすのではなく、個別の関係性によって生じる人の部分的な存在として分人(dividual)を導入し、この分人が社会を構成すると考えるのが分人型社会システムである。まず、分人という概念の出自について、文化人類学、作家平野啓一郎、心理学・社会学、哲学者ドゥルーズにおける分人のあり方を紹介する。このような分人を巡る議論の中から、本稿では、特にプラットフォーム/制度に紐づいた存在を分人と定義する。このような形で分人を定義することで、社会の活力の増大、個人の新たな幸福への機会創出、デジタル技術と融合した社会の発展が期待される。ただ、このような分人に基づいた社会、分人型社会システムの実現には多くの課題がある。これをレッシグの4つの規制の枠組みで分析した。分人で構成される分人間社会ではアーキテクチャの安定性や内部のルールと実社会の法律との関係性が課題になる。分人を前提とした実社会では、分人の社会的認知や分人の法的位置付けが課題となる。こういった課題を克服し分人型社会システムを構築することによって、人々がSociety 5.0に代表される高度な情報化社会において十二分に活躍できるようになる。
著者
大屋 雄裕
出版者
総務省情報通信政策研究所
雑誌
情報通信政策研究 (ISSN:24336254)
巻号頁・発行日
vol.2, no.2, pp.15-26, 2019-03-20 (Released:2019-04-03)
被引用文献数
2

決済サービスに関する利用実績や学歴・財産などの属性によって個々人の持つ信用力を評価し、スコアとして表示する「個人信用スコア」については、中国において普及し、日本でもサービス展開が試みられていることから、注目が集まっている。本稿はその特徴を確認したうえで個々の事業者による対応の基礎として用いられる場合にはむしろ同等のものを同様に扱うという正義の原則にかない、反差別的なものとして評価できると判断する一方、その範囲を逸脱して懸念される状況について検討を加え、その最大の問題として国家が統一的な「社会信用システム」へと成長させる場合を挙げる。また、セバスチャン・ハイルマンによる「デジタル・レーニン主義」概念を紹介し、その性格が近代社会の基本原理に抵触することを指摘したうえで、個別事業者・国家のそれぞれが個人信用スコアなどのビッグデータ活用を試みる際に規範的に求められる対応について一定の見解を示している。
著者
栗田 昌裕
出版者
総務省情報通信政策研究所
雑誌
情報通信政策研究 (ISSN:24336254)
巻号頁・発行日
vol.5, no.1, pp.69-96, 2021-11-30 (Released:2021-12-10)

著作権法は、著作物の流通をコントロールする権利として、頒布権(同法26条)、譲渡権(同法26条の2)及び貸与権(同法26条の3)を認めている。ただし、一方では商品の自由な流通を確保する必要があり、他方では著作者には第一譲渡に際して代償を確保する機会が保障されていれば十分であるため、著作物の原作品又は複製物の適法な第一譲渡があれば譲渡権は消尽し、その後の譲渡には権利を行使できないものとされている(同法26条の2第1項)。同様に、判例は「頒布権のうち譲渡する権利」についても解釈によって消尽を認めている。ところが、消尽は、「原作品」又は「複製物」という有体物の適法な第一譲渡を要件としているため、文言を素直に読む限りでは、情報の送受信によって提供されるデジタルコンテンツには適用の余地がないように思われる。しかし、複製物と同等の対価を支払ってデジタルコンテンツの永続的な私的利用の許諾を得たにもかかわらず、その再販売が認められないのは不当であるとして、この場合にも消尽を認めるべきとの主張がある。これをデジタル消尽という。欧州司法裁判所は、適用されるEU指令が異なることなどから、コンピュータプログラムについては限定的にデジタル消尽を認める判断を下しながら(UsedSoft事件)、電子書籍についてはこれを否定した(Tom Kabinet事件)。また、両先決裁定を受けて、ドイツ法では、デジタル消尽の一般化の適否が論じられるとともに、仮にこれを認めても権利者はプラットフォームのアーキテクチャの設計と利用許諾契約によってその適用を回避できることが指摘され、デジタルコンテンツを提供するプラットフォーム事業者とエンドユーザーとの法律関係の規律へと議論は展開しつつある。この両者の法律関係が契約法、消費者法及び競争法による規制を受けることはもちろんであるが、著作者、利用者及び公共の利益を調整するという著作権法の役割も重要であるとして、一部では、エンドユーザーの法的地位を役権(制限人役権)に相当する物権的権利と位置づけるなどの多様な視角からの検討が行われている。そこで、本稿では、デジタルコンテンツの流通形態を整理して現行法の解決を示したうえで、欧州司法裁判所の両先決裁定とこれを受けたドイツ法の展開を紹介し、日本法への示唆を得るとともに、将来に向けての検討の方向性を提示する。
著者
田中 辰雄
出版者
総務省情報通信政策研究所
雑誌
情報通信政策研究 (ISSN:24336254)
巻号頁・発行日
vol.3, no.2, pp.127-150, 2020-03-30 (Released:2020-03-31)
参考文献数
11

漫画村事件は、漫画の海賊版対策の難しさを浮き彫りにした。対策として提起されたサイトブロッキングも静止画ダウンロード違法化も導入が見送られており、有効な対策は打たれていない。しかし、経済的に見るとまったく別の対策を考えることができる。それは海賊版が行っているサービスを権利者が自ら行い収益をあげる方法である。音楽におけるSpotifyのように漫画版での定額配信サービスが成功すれば、権利者もユーザも利益を得ることができる。本稿の目的は、漫画でもこのような合法化された定額配信サービスがビジネスとして成り立つかどうかを、漫画読者へのコンジョイント分析を行って検討することである。推定されたモデル分析によれば、総売り上げを減少させること無く、場合によっては増大させながら定額配信を実施することは可能との結果が得られた。これは定額配信によって漫画読者のすそ野が広がるためである。定額配信を始めると、出版社の懸念するとおり、これまで紙・電子で購入していた人の漫画購入額は半減する。しかし、その代わりにこれまで漫画をあまり購入していなかった人が定額配信なら漫画を見ようとしはじめ、この収入増加が、既存読者からの売上減少を十分に補うのである。言い換えれば補完効果が代替効果を上回る。現在漫画に支出していない人が本当に定額配信にお金を払うかどうかは不確実で留保がつくが、ビジネスとして引き合う潜在的な可能性があることは重要な発見である。ただし、定額配信サービスの成功のためには出版社を超えてどの漫画でも読める必要があり、現在のように出版社単位のサービスでは市場拡大は限られるだろう。
著者
萩田 紀博
出版者
総務省情報通信政策研究所
雑誌
情報通信政策研究 (ISSN:24336254)
巻号頁・発行日
vol.6, no.1, pp.61-74, 2022-12-22 (Released:2022-12-28)
参考文献数
19

2050年までに身体・脳・空間・時間の制約から解放された社会を実現するムーンショット目標1の研究開発が進められている。少子高齢化による労働生産性を向上するためや、災害などに強靭な生産性の維持、非効率ではあるが、安全・安心でゆとりのある生活が可能な未来社会を実現するために、実空間と仮想空間の両方をうまく使いこなすことができるサイバネティック・アバター(CA)と呼ぶアバターやロボットを研究開発する。仮想空間のCGアバターだけではなく、実空間のロボットやアバターのCAを遠隔操作することよって、人が身体的・認知・知覚能力を拡張・強化する。現在、一人の遠隔操作者が1体のロボットやアバターを動かすことが主流であるが、ムーンショット目標1では、遠隔操作者一人で複数体のCAを動かすことや、複数人の遠隔操作者で1体のCAを動かすことに着目する。このCAによる人間の能力拡張や強化が社会に受け入れられれば、誰もが社会活動に参画できるようになり、多様性を尊重するインクルーシブな社会の実現と経済の活性化に貢献できる。そのために、能力拡張・強化によって生まれる新たな格差を解消する技術課題や倫理、法制度などに関する制度課題も解決していく必要がある。複数体のCAを遠隔操作するためのコア技術の開発だけでなく、それが生体に及ぼす影響などの利用者の立場に立った研究開発も重要になる。セキュリティ対策では、CAのなりすまし・乗っ取り・技能模倣などに対処していける安全・安心を確保するための研究開発・制度課題がある。遠隔操作で、ジッタ(信号の時間的ずれや揺らぎ)や通信遅延・不通が起きた場合でも信頼性を確保するための研究開発・制度課題もある。メタバースの動向を見ても、一人1体のアバターを操作することが主流であるが、仮想空間に対して、まだ合意されたメタバースの定義はなく、現実的には、ヘッドマウントディスプレイを被る場合のメリットとデメリット(不快感や酔いなど)との妥協点が明確になっていないために、標準化の方向性が決まっていない。CAの開発でも、社会的、政治的、組織的な要因を考慮して、国際的な社会合意システムを形成し、多くの潜在利用者に事前に体験して制度的課題を解決していく「場」の形成が必要である。このような点を踏まえて、本解説では、ムーンショット目標1で開発中のCAにおける実・仮想空間CA基盤を概説し、将来の仮想空間の役割について議論する。
著者
三友 仁志
出版者
総務省情報通信政策研究所
雑誌
情報通信政策研究 (ISSN:24336254)
巻号頁・発行日
vol.5, no.1, pp.15-31, 2021-11-30 (Released:2021-12-10)
参考文献数
20

2020年6月19日に提供が開始されたわが国の新型コロナウイルス接触確認アプリ(COCOA)は、陽性者との接触を利用者に通知することにより、利用者の行動変容を促し、感染症対策の一端を担うことが期待された。プライバシーに配慮するため、GoogleとAppleが開発したAPI(アプリ相互のやりとりに必要な接続仕様)を採用し、スマートフォンのBluetooth機能を利用して個人情報を収集しない形で接触確認する仕組みが採用された。多くのスマートフォン利用者がアプリをダウンロードすることにより、感染拡大の防止に貢献するという社会的メリットを政府は強調した。しかし、実際には2021年9月半ば時点で、延べ3千万ダウンロードにとどまっており、陽性登録率に関しては全陽性者の2.3%に過ぎない。本稿では、新型コロナウイルス接触確認アプリCOCOAに関して、①厚生労働省が発表するデータに基づき、普及の状況とその要因解明の可能性について分析し、②中国の接触確認アプリ「健康コード」および韓国の感染者移動経路管理と比較するとともに、③2021年3月に独自に研究室で実施したCOCOAに関するアンケート調査に基づき、COCOAのダウンロードが感染の拡大状況に感応的でないこと、および信用の欠如がアプリの導入や陽性登録に大きな影響を与えている実態を把握する。社会的便益を強調しても、導入のインセンティブとはならず、個人がアプリから知覚する便益は低く、期待される社会的便益の形成とは大きく乖離していることが効果の発現を妨げていると言える。デジタル技術の活用の恩恵を社会が受けるためには、技術だけでなく、社会にどのように浸透させるかに関する戦略が不可欠であることをCOCOAは示唆している。
著者
中川 裕志
出版者
総務省情報通信政策研究所
雑誌
情報通信政策研究 (ISSN:24336254)
巻号頁・発行日
vol.3, no.2, pp.1-24, 2020-03-30 (Released:2020-03-31)
参考文献数
20
被引用文献数
1

シンギュラリティによって人間と同じような知的能力を持つAIが出現し、人間への脅威になりかねないという言説が流布した。これによって、AIにも倫理を守らせようという機運が高まったという状況もあってか、2016年ころからAI倫理指針の作成と公開が盛んになった。本論文では、2017年から2019年にかけて国内外で公開された多数のAI倫理指針のうち、影響力の大きな主要な指針に関して、AI制御、人権、公平性、非差別、透明性、アカウンタビリティ、トラスト、悪用、誤用、プライバシー、AIエージェント、安全性、SDGs、教育、独占禁止・協調、政策、軍事利用、法律的位置づけ、幸福などの倫理的テーマを各AI倫理指針がどのように扱ってきたかをまとめた。種々のAI倫理指針の公開の時間順序と合わせてみれば、AI倫理の内容の変遷を探ることができ、同時にAI技術、AI応用システムの開発を行うにあたって留意すべき点が明らかになる。また、これらの指針が誰を対象に起草されているか、すなわち名宛人を考察することによって、AI倫理指針を作成した組織の意図が見えてくる。次に、AI倫理指針のうちIEEE EAD ver2、1eで提案された個人データの収集、管理、保護をおこなう代理ソフトウェア、すなわちパーソナルAIエージェントの概念設計について述べる。これは、データ主体本人の個人データとその利用条件の記述されたデータベースであるので、これをデータ主体の死後に残されたディジタル遺産の管理に適用する場合の検討課題について述べた。
著者
黒政 敦史
出版者
総務省情報通信政策研究所
雑誌
情報通信政策研究 (ISSN:24336254)
巻号頁・発行日
vol.3, no.2, pp.171-194, 2020-03-30 (Released:2020-03-31)

令和元年6月14日「世界最先端デジタル国家創造宣言・官民データ活用推進基本計画」が公表された。個人の社会生活の中に深くデジタル技術、ネットワーク技術が入り込んだデジタル社会において、社会課題の解決にはデータの利活用が重要な役割を果たすことが示されている。データ利活用のためにデータ流通が必要であり、データ流通政策においてデータの類型と規律整備が重要な役割を担っている。データ流通環境整備検討会において、データは、①個人情報を含むデータ、②匿名加工されたデータ及び③個人に関わらないデータの3つに大別している。匿名加工されたデータは、元の個人データの有用性を高いレベルで維持しながら、個人の権利利益を守ることができるデータ類型と期待されていた。民間においては平成29年個人情報保護法の改正により「匿名加工情報」が導入され、事業者が一定の条件の下で個人情報を基準に基づいて加工すると本人同意不要の第三者提供や目的外利用が行えるようになった。国の機関や独立行政法人等の公的部門においても「非識別加工情報」が導入されたが官から民へのデータ提供手段の一つとしてスモールスタートという必要最低限の規律を整備し、地方公共団体において非識別加工情報の導入は平成29年度5団体にとどまっている。現状、匿名加工データの制度は民間事業者がパーソナルデータの収集、データ流通、集約、加工、第三者提供を行う一連の利活用を念頭に整備されている。一方、公的部門における匿名加工データの利活用制度の整理は棚上げされた状況にあり、民間事業者と公的部門の間で匿名加工情報を共有、利活用するケースにおいて課題整理と対応策のコンセンサス形成が重要と考える。特に国立大学や研究機関などが民間事業者との共同研究や共同事業のため民間事業者から匿名加工情報を受け取った場合の取扱と、公的部門内部における取扱、さらに民間事業者への提供までの整理検討が必要と考える。本稿では、民間事業者における匿名加工情報および非識別加工情報の利活用制度を確認し、公的部門における匿名加工情報の取扱について課題整理を行う。
著者
浜田 純一
出版者
総務省情報通信政策研究所
雑誌
情報通信政策研究 (ISSN:24336254)
巻号頁・発行日
vol.6, no.2, pp.1-13, 2023-03-27 (Released:2023-03-29)

新しい法学分野である情報法について、その厳密な内包外延を「情報」の概念からただちに導き出すことは難しい。むしろ、今日、情報法の教科書等で扱われるテーマとして共通了解され、定着してきている内容を通覧することから、情報法のイメージを浮かび上がらせることができる。情報法の基礎となる理念は、情報の自由ないし情報流通の自由であり、また論争的ではあるが、「情報に対する権利」である。「情報に対する権利」は戦略的な概念であり、ユニバーサル・サービスの充実や情報環境の形成における個人の主体的・能動的な関与を促す役割を果たしうる。 情報法で扱われている内容を通覧して見えてくるのは、第一に、情報の「タフ&ナイーブ」という特性であり、この性質は、倫理や自主規制あるいはアーキテクチャ論などの規律手法に親和的である。第二は、「自律」という理念であり、それは、個人情報の利活用等の場面で留意すべき視点を浮き彫りにするとともに、情報秩序が自律を前提として機能すること、また情報法が自律を支える基盤となるべきことを意識化させる。第三は、急速な情報化に対応する「スピード」であり、それが、情報をめぐる法と政策の近接性や学際的研究への要請を高めている。情報法はなお発展途上の「フロンティア」であり、新しい情報技術や情報環境がもたらす課題への法的応答を絶えず迫られる中で、自由と規制という枠組みだけでなく統治構造論的な視点も含めて、柔軟さと想像力を備えた研究の発展が期待される。情報法の定義や基本理念、規律の手法などをめぐる議論はなお将来に開かれている。
著者
井部 千夫美
出版者
総務省情報通信政策研究所
雑誌
情報通信政策研究 (ISSN:24336254)
巻号頁・発行日
vol.3, no.1, pp.91-106, 2019-11-29 (Released:2019-12-23)
参考文献数
37

本稿は、米国における、クローズド・キャプション方式の字幕(closed caption)及び画面解説(video description)を主体とする、視聴覚障害者等向け放送の現状と課題について、視聴者層、字幕・画面解説の制作方法、関連制度、最近の字幕・画面解説の付与状況の順に説明し、字幕・画面解説を制作する際に生成されたテキストの活用事例として、盲ろう者への対応とメディア・モニタリング・サービスを取り上げて論じる。そして、わが国への示唆として、字幕付与と画面解説付与の格差による、視覚障害者と聴覚障害者との間における情報アクセシビリティの格差を是正するための対策及び盲ろう者への対応について検討を進める必要があり、わが国でメディア・モニタリング・サービスと同様の新しいビジネスを導入する場合に直面する著作権法上の問題については、米国のような訴訟ではなく、業界団体等による検討などを通じて形成するソフトローのアプローチの方が適切であると結論する。
著者
大橋 弘 中村 豪
出版者
総務省情報通信政策研究所
雑誌
情報通信政策研究 (ISSN:24336254)
巻号頁・発行日
vol.4, no.1, pp.33-46, 2020-12-01 (Released:2021-01-07)
参考文献数
16

近年、欧米では企業のマークアップ、すなわち限界費用に対する価格の水準が上昇し続けている。これに対して日本企業のマークアップには、目立った上昇が見られない。欧米におけるマークアップの特徴として、特にマークアップの高い企業がさらにマークアップを高め、かつ市場シェアを拡大していることがある。そしてこのような傾向の源泉としては、データ資産を有効に活用する企業の存在が指摘できる。データ資産の活用は、他社との差別化を可能にし、より顧客の嗜好に合う製品・サービスを提供しながら、マークアップを高めるとともに市場シェアの拡大にも寄与する姿が見て取れる。顧客との取引データなどのデータ資産がこれによってさらに蓄積され、更なる活用を通じて一段とマークアップの上昇がもたらされていることになる。わが国における企業のマークアップが欧米企業と大きく異なる傾向をもつのは、このようなデータ資産の活用が有効になされていないためではないか、という問題意識のもとに、日本企業におけるデータ資産とマークアップの関係を定量的に分析する。データ資産の保有状況や活用状況については、総務省情報通信政策研究所が実施した「データの活用に関する調査」によって得られた2018年度の状況に関するデータを用い、マークアップについては財務データを用いて推計した値を用いた。分析対象となる企業には、製造業企業、非製造業企業の双方が含まれる。分析の結果、データ資産の保有量はマークアップと相関を持たず、日本企業においてはデータ資産がマークアップの上昇につなげられていないことが明らかになった。データの利用頻度が高い企業の場合は、相対的にはデータ資産とマークアップの相関が強まるものの、有意とは言い難い。また、データの処理方法としてAIなど高度なものを用いているか否かにかかわらず、同様にデータ資産とマークアップの相関は見られないという結果となっている。その一方で、マークアップの代わりにTFPについて分析したところ、データ資産を多く保有する企業では、TFP水準が有意に高い傾向が見られた。以上の分析より、日本企業は、保有するデータ資産を事業の効率化やコストダウンなど、生産性の向上のためには活用できているが、他社と差別化された製品・サービスを提供し、収益性を高めることにはつなげられていないのが現状であるといえる。