著者
小股 憲明
出版者
京都大学人文科学研究所
雑誌
人文学報 (ISSN:04490274)
巻号頁・発行日
no.73, pp.p201-241, 1994-01

英文目次誤植修正済. (原文) An Lese Magesty Affair in 1898 : The Speech of Republic by the Minister for Education Ozaki Yukio
著者
山室 信一
出版者
京都大學人文科學研究所
雑誌
人文学報 (ISSN:04490274)
巻号頁・発行日
no.101, pp.63-80, 2011

1895年から1945年の敗戦に至るまでの日本は, 日本列島弧だけによって成立していたわけではない。それは本国といくっかの植民地をそれぞれに異なった法域として結合するという国制を採ることによって形成されていったが, そこでは権利と義務が差異化されることで統合が図られていった。こうした日本帝国の特質を明確化するために, 国民帝国という概念を提起する。国民帝国という概念には, 第1に国民国家と植民地帝国という二つの次元があり, それが一体化されたものであること, しかしながら, 第2にまさにそうした異なった二つの次元から成り立っているという理由において, 国民帝国は複雑に絡み合った法的状態にならざるをえず, そのために国民国家としても植民地帝国としてもそれぞれが矛盾し, 拮抗する事態から逃れられなかった事実の諸相を摘出した。その考察を通じて, 総体としての国民帝国・日本の歴史的特質の一面を明らかにする。The Meiji state's experience of forming a nation state affected its possession of colonies and also the changes that accompanied the Meiji state's becoming a colonial empire. In this paper, I will employ the concept of nation—empire for the purpose of clarifying the character of Japanese total empire. To do so, I wish first to emphasize that the concept of nation—empire has two dimensions, for it is meant to incorporate both the nation state and the colonial empire. But my second point is that for precisely that reason, it contains tendencies that contradict the nation—empire itself.
著者
岩熊 幸男
出版者
京都大学人文科学研究所
雑誌
人文学報 (ISSN:04490274)
巻号頁・発行日
no.60, pp.p105-160, 1986-03
著者
高階 絵里加
出版者
京都大學人文科學研究所
雑誌
人文学報 (ISSN:04490274)
巻号頁・発行日
no.100, pp.13-32, 2011

現在,自然科学の分野においては,可視的な身体的特徴にもとづく人間の分類に大きな疑問が投げかけられている。いっぽうで,一般社会においては,とりわけ肌の色の違いをもとにした「白色・黄色・黒色」の三分類がひとつの典型的な人種カテゴライズの方法として根強く定着している。本小論では,視覚的伝統における人種の三区分の一つの例として,<東方三博士の礼拝〉の図像をとりあげる。〈東方三博士の礼拝〉は,西洋美術の中で最も数多く絵画や彫刻に制作され,親しまれている図像のひとつであるが,造形美術において「肌の色による人間の三分類」が典型的にあらわれる例でもある。その背景には「異邦人を含む全人類を包括する普遍的宗教としてのユダヤ=キリスト教」の思想が存在し,とくに肌の色の描き分けによって三人の博土が人類の三つの民族を表すという美術上の表現は十四世紀から十五世紀にかけてまず北ヨーロッパにおいて,ついでイタリアや他の国々で定着する。とくに十五世紀には三人の中の一人が黒人主として描かれる例が増えはじめ,西洋社会において一般にネガティブな価値を与えられてきた「黒い肌」が<東方三博士>においては<高貴な異邦人>の象徴となっている点は興味深い。ここから近代的「人種」概念以前の時代の異邦人表現としての<東方三博士の礼拝>図像の特徴を考える。The categorization of race by visible distinctions is approached with skepticism by scholars in the field of natural sciences, However, society generally and stereotypically categorizes race into three different skin colours- white, yellow and black- and this view is still quite widespread, This paper describes and analyzes the Adoration of The Three Magi, a subject very frequently represented in Western paintings and sculptures, as typical examples of such visual representation that clearly emphasize the different skin colours of the three subjects, According to the Judeo- Christian universalist tradition, the three magi represent all people- races- on earth, including the Gentiles, During the fourteenth and fifteenth centuries, the three magi were a common expression used to symbolize all mankind, first in northern Europe, then later in Italy and other countries, In the fifteenth century, one of the magi was represented as a black prince. Although the colour black and black skin have been given negative connotations in the European tradition, the black prince in the Adoration of The Three Magi is symbolized as a noble Gentile, If the race conception is seen as essentially modern, the Adoration of The Three Magi then represents the expression of the various world races in the pre- modern era.
著者
岡部 卓
出版者
東京都立大学人文学部
雑誌
人文学報 (ISSN:03868729)
巻号頁・発行日
no.339, pp.69-94, 2003-03

ホームレス問題を社会的排除の典型として捉えることができる。われわれは社会福祉法における地域福祉計画を推進しながら、新しい住民概念によって支援システムを構築し、ホームレス状態にある人々を社会的に包摂していく必要がある。小稿では、2002年に実施した全国調査の結果を紹介するとともに、ホームレス支援に向けての基本的な考え方、そして地域福祉の推進役である社会福祉協議会が関わっていく上での視点・アプローチを検討し、今後の方向性を提示する。
著者
北村 直子
出版者
京都大學人文科學研究所
雑誌
人文学報 (ISSN:04490274)
巻号頁・発行日
no.103, pp.101-126, 2013

本稿では,「リアリズム」と呼ぶものの最低限の必要条件を,その換喩的性格,とりわけ作品の舞台 (作中世界,テクストの指示対象世界) の設定のしかたに求め,それが物語読解の本来的傾向によるものであることについて論じる。まず (小説の) 「リアリズム」という用語は,「物語の情報にたいする読者の期待を現実世界との地続き感として形成する言葉の振る舞い」といったん規定しうる。作中世界が「われわれの世界というより大きな世界のなかに明確に連続的に根を下ろすこと」 (クリストファー・ナッシュ) がリアリズム小説の必須条件なのである。そのさい,作中世界を現実世界につなぎ止めるのは,テクストに明記された既存 (現実) の固有名の機能である。このように考えるならば,リアリズム小説の作中世界の設定は一種の約束事として記述することができる。現実世界と作中世界とは「全体」と「部分」という換喩的な関係にあり,この関係を読者が認めることによって「換喩契約」が成立する。また物語論でいう「物語価値性」の観点から,この「換喩契約」が物語読解の本来的傾向に則ったものであることも指摘できる。小説においては,ほんとうにありそうなことだと思わせることが,その物語を語る理由となることがある。同じ性質のできごとでも,それが現実世界とかけ離れたお伽話世界の住人の身に起こるより,リアリズム小説の登場人物の身に起こったほうが身近であり,物語る理由がより強化される。実際,19世紀以降の読者が,社交界,暗黒街,貧困社会といった特定の社会環境 (milieu) の記述としての物語価値を小説に対して期待してきたのである。リアリズム小説ではまた,テクストの構成原理自体も換喩的傾向を持つ。ロマン・ヤコブソン,エーリヒ・アウエルバッハ,ロラン・バルトらが強調したその原理もまた,現実世界と作中世界との換喩的関係を強化している。本稿ではリアリズム小説のこの二重の換喩性をめぐるものである。Quelles sont les conditions n?cessaires de ce que l'on appelle le "r?alisme" du roman? Dans notre article, nous proposons de les d?finir ? partir de son caract?re m?tonymique, que nous appliquons surtout aux propri?t?s du monde auquel se rapporte le texte fictif. Ce caract?re m?tonymique d?termine le mode de lecture du r?cit. Le "r?alisme" romanesque pourra d?s lors ?tre d?fini comme une conduite verbale qui mod?le l'attente du lecteur sur une sensation de contigu?t? du monde fictif et du monde r?el. Dans le roman r?aliste, le monde fictif "s'enracine [...] dans un plus grand monde qui est le n?tre" (Christopher Nash). Tel est le sch?ma de la relation m?tonymique entre les deux mondes, op?r?e en particulier par le fonctionnement des noms propres r?els dans le texte de fiction. Cet appariement des mondes dessine une relation pars pro toto, et le lecteur, en y consentant, noue un "pacte m?tonymique" avec le texte. Ce pacte r?pond aussi ? la nature de la lecture du r?cit en g?n?ral. Du point de vue de la dicibilit? ( tellability ), un ?v?nement est plus vraisemblable quand il arrive ? un personnage du roman r?aliste qu'? un personnage d'un conte de f?e. Notre article traite aussi de la tendance m?tonymique de la composition textuelle du roman r?aliste, dans la lign?e des analyses de Roman Jakobson, Erich Auerbach et Roland Barthes.
著者
福家 崇洋
出版者
京都大學人文科學研究所
雑誌
人文学報 (ISSN:04490274)
巻号頁・発行日
no.104, pp.167-206, 2013

本論文は,1950年前後における京都民主戦線の軌跡を再検討した。京都民主戦線は敗戦後の日本で「革新」的な首長を次々に誕生させた統一戦線として知られている。本稿では,京都民主戦線を一地域の事象に限定せず,海外公文書所蔵資料を用いながら日本共産党の動きや国外共産党との関係まで視野に入れて捉えなおしている。1章は東アジア共産圏の構築を中国共産党の台頭と「極東コミンフォルム」構想に焦点をあてて論じた。2章は東アジア共産主義運動の再編にともなう中ソ両共産党から日本共産党への影響を明らかにした。具体的には日本共産党とソ連共産党の水面下の交渉と「コミンフォルム批判」にいたる経緯である。3,4章は京都民主戦線の軌跡を京都市長選から府知事選まで追いかけつつ,民主戦線勝利の背景や,日本共産党の民主民族戦線の変化 (「植民地 (日本)」「民族」の解放や「愛国」の強調) とその京都民主戦線への影響を明らかにした。市長,府知事の当選という京都民主戦線の成功は,従事者たちの意図とは別に,路線変更後の日本共産党の功績として位置付けられていった。5章は4章における日本共産党の民主民族戦線変化の要因をソ中両共産党の影響に探り,日本に後方基地攪乱の働きを求めるソ中両共産党からの指示を海外公文書館所蔵資料から跡づけている。6章は「志賀意見書」の波紋や国外共産党からの不信と警告,パージの影響を論じながら,日本共産党がしだいに党内部の亀裂を深めていく様を論じた。最後の7章では改めて参院選挙における京都民主戦線の動きに着目し,日本共産党の民主「民族」路線と急進化の影響がついにはイデオロギー対立による京都民主戦線の分裂にまでいたる過程を明らかにした。This paper describes the track of Kyoto Democratic Front (KDF) around 1950, and reconsiders the meanings of KDF by using materials which teach us the new aspects of the communist movement in Japan and the relationships between JCP and other Communist parties. Chapter 1 describes the organization of the Communist bloc in East Asia with a focus on the concept to create 'Far Eastern Cominform'. Chapter 2 explains some of the influences that CCP and CPSU have had on JCP as part of the reorganization of Communist movements in East Asia. Chapter 3 and 4 is dealing with the trace of KDF from the Kyoto mayoral election to its gubernatorial one. The reason KDF won, the shift in JCP policy on National Democratic Front and the way it affected KDF are illustrated here. It is suggested in chapter 5 that the shift in JCP policy was due to the influence of CCP and CPSU, which directed JCP to disturb American rear base. Chapter 6 shows how and why a rift within JCP was widen. In chapter 7, it can be also concluded by an analysis of KDF's campaign in the Upper House election that the shift in JCP policy to 'National' Democratic Front and to radicalism created an ideological conflict and KDFwas finally disunited.
著者
鈴木 栄樹
出版者
京都大學人文科學研究所
雑誌
人文学報 (ISSN:04490274)
巻号頁・発行日
no.104, pp.1-36, 2013

幕末安政期に,日本海側の敦賀と琵琶湖北部の塩津など3カ村との間に通船路の開鑿と道路の整備とからなる事業 (以下,湖北通線路開鑿事業) が計画,実施された。極秘裡に進められたこの湖北通船路開鑿事業についての従来の研究は,主として「井伊家史料」中の「堀割一件」史料にもとづいて,次のような通説を作りあげてきた。それは,(1) この事業が,表面上「京都御備」を理由にしてはいるものの,実際は,小浜藩主で元京都所司代の酒井忠義が敦賀 (敦賀藩は小浜藩の支藩) の繁栄を意図したものであるとみなし,様々な点で自藩に不利になるとしてあくまでその阻止を企てながらも果たしえなかった彦根藩・井伊直弼側との対立構図を描き,(2) これを安政の大獄の前史として位置づけるというものである。しかしながら,この通説 (1) については,小浜藩側の関連史料をほとんど欠き,その実態があいまいであり,通説 (2) についても,彦根藩・井伊直弼側と対立した酒井忠義が,通船路完成の翌安政5年,大老に就任した井伊直弼のもとで京都所司代に再任され,安政の大獄の指揮をとったことと整合性をなさない。本稿では,「井伊家史料」を読みなおすとともに,新たな史料に基づいて次のことを明らかにした。すなわち,従来の研究が彦根藩・井伊直弼側の誤解・邪推に囚われたものであること,通船路開鑿事業が,内陸部に位置する京都の米穀運送の便を改善することで,米価高に苦しむことの多い京都の賑恤と繁栄を図るとともに,その公式の理由どおり,当時の対外的な危機のもとでの「京都御備 (米)」を目的とした国防的な意味をもつものであり,朝廷側の意向を受けたものであるとした。また,それを計画・実施した真の主体が,嘉永5年に西町奉行に就任した浅野長祚とすでに天保期に通船路事業を構想した元京都町奉行与力平塚飄斎であり,中央では老中阿部正弘と勘定奉行川路聖謨らが,当時の朝幕関係が重要視されるなかで,彦根藩側からの妨害を警戒しつつその事業を推進したことも明らかにした。さらに,彦根藩・井伊直弼側の誤解・邪推の背景として,通船路事業が彦根藩の財政的窮迫からする危機感を刺激したこと,嘉永7年に命じられた京都守護についての過剰な自負心,それにともなう在京陣屋地問題,所司代や町奉行ほか他の諸藩も含めた京都警衛問題などがあり,そうしたなかで小浜藩・酒井忠義側への疑心暗鬼が強められたが,徐々に真相を理解するに至ったとした。