著者
小泉 武栄 青柳 章一
出版者
学術雑誌目次速報データベース由来
雑誌
地理学評論. Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.66, no.5, pp.269-286, 1993
被引用文献数
8

わが国の高山地域には,化石周氷河斜面と呼ばれる岩塊斜面や礫斜面が広く分布する.化石周氷河斜面における岩屑の供給期を明らかにするために,北アルプス薬師岳西面の石英斑岩地域の岩屑斜面を調査地に選び,岩屑表面に生じた風化皮膜の厚さを測定した.その結果,主稜線から斜面の下方に向かって,風化皮膜の厚さを異にする,次の4種類の斜面堆積物と1つの氷河性堆積物を確認することができた.A:風化皮膜をもたない岩屑.分布は狭く,稜線沿いの一部に限られる.B:平均0.8mmの厚さの風化皮膜をもつローブ構成礫.これは東南尾根の一部にのみ分布する.C:西側斜面を広く覆う,平均2.4mmの厚さの風化皮膜をもつ粗大な岩塊群.稜線から海抜2,750m付近までは斜面の大半を覆う. D:平均4.0-44mmの厚さの風化皮膜をもつ人頭大の亜円礫.これはCの岩塊群に覆われなかった斜面上の窪みと斜面の下方にのみ分布する. E:平均7.8mmの厚さの風化皮膜をもつ,モレーンの丘の構成礫.平滑斜面末端の海抜2,600m付近に分布する.<br> 次に風化皮膜の厚さから岩屑の供給された年代を推定するための基準値の設定を目的として,稜線の東側にある金作谷カール内の氷河堆積物の風化皮膜を調べた.ここにはおよそ2万年前の最終氷期最盛期頃に形成されたと考えられるM字形モレーンと,4-5万年前の最終氷期前半の亜氷期に堆積したと考えられる古期モレーンとがあり,風化皮膜の厚さはそれぞれ4.6mmと8.0mmであった.またこれらとは別にプロテーラスランパートも認められ,その構成礫の風化皮膜の厚さは2.6mmであった.このうちモレーンから得られた2つの値を基準にして風化皮膜の成長曲線を描き,それをもとに西側斜面の堆積物の供給された年代を推定すると,古い順に,Eは4-5万年前,Dは1.8万-1.9万年前,Cはおよそ1万年前,そしてBはおよそ3,000年前となった.またAは現在ないし現在にごく近い時期と考えられる.この年代と堆積物の性質から考えると,Eは最終氷期前半の氷河堆積物,Dは最終氷期最盛期頃の周氷河性の斜面堆積物かアブレージョンティル,Cは晩氷期(おそらく新ドリアス期頃)の周氷河性の凍結破砕礫,Bはネオグラシエーション期の凍結破砕礫とみることができる.またAは現在またはごく近い過去の凍結破砕礫であろう.<br> このように化石周氷河斜面における岩屑の供給期は一回だけでなく,最終氷期以降少なくとも3回はあり,主要な岩屑供給期は寒冷な時期に一致していることが明らかになった.またカール内のプロテーラスランパートも晩氷期に形成された可能性が大きい.
著者
浅井 辰郎
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論. Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.70, no.9, pp.553-554, 1997-09
被引用文献数
1
著者
前杢 英明
出版者
学術雑誌目次速報データベース由来
雑誌
地理学評論. Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.61, pp.747-769, 1988
被引用文献数
5

プレート境界に沿って発生する巨大地震に伴う隆起地域として知られる室戸半島において,石灰質遺骸,海成段丘,離水波食地形を指標として,完新世における海水準の復元を試みた.これらの旧海水準指標は,垂直的に数10cm~数mの間隔を持った間欠的な分布を示し,I~VIの6つの旧海水準(レベル)が識別された.各レベルに対応する旧海水準指標は,<sup>14</sup>C年代から,それぞれ1:6,000~5,000y.B.P,,II:4,000~2,700y.B.P., III:2,600~2,200y. B. P., IV:2,000~1,100y.B.P.,V:1,000~800y.B.P., IV:700~200yB.P.に形成されたことが判った.認められた海水準の不連続的変化から,間欠的な地震隆起 (event 6~event 1)の存在を推定し,各eventについて隆起量の分布を復元したところ,内陸活断層の変位と重合した複雑なパターンを示す場合があることが明らかになった.本地域では,室戸岬における1回の地震による残留隆起量が0.2~0.3m程度の南海道地震(1946年,M=8.1)タイプの地震隆起が累積するような地殻変動が推定されてきたが,完新世においてはそのような地震隆起の累積はみられず,地震1回の残留隆起量がより大きな(最大数m)地震変位の累積が認められた.
著者
大庭 正八
出版者
学術雑誌目次速報データベース由来
雑誌
地理学評論. Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.67, no.12, pp.833-857, 1994-12
被引用文献数
1 1

1886年から1889年にかけての東海道鉄道(現JR東海道本線)建設のとき,静岡県内の宿場町や農漁村では鉄道反対運動があったと伝えられるが,それは鉄道忌避伝説と称すべきもので,県内ではむしろ鉄道線路と停車場の誘致運動の方が盛んであった.鉄道に対する真の運動と称すべきものは,農業用排水,地域交通路の確保,治水,用地買収等の関係から提起された工事改善要求運動であった.<br> 東海道鉄道は日本の東西を貫く幹線として建設されたもので,その線路は,1890年第1回帝国議会召集までの期間内に,限られた予算内で完成させることが求められた.したがって線路の選定は,いちいち住民の忌避iや誘致について配慮することはなく,地形的に建設しやすく,あるいは勾配が緩やかで列車運転に適したルートが選定された.住民の反対のために線路が曲げられるようなことはほとんどなかったと考えてよい.しかし,停車場は,誘致運動のあった旧城下町・宿場町・港町や地の利を得た場所に多く設置された.
著者
河野 敬一
出版者
学術雑誌目次速報データベース由来
雑誌
地理学評論. Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.63, no.1, pp.1-28, 1990
被引用文献数
1 5

本研究は,動態的中心地モデルの理論化という課題に対するアプローチとして,明治前期から第二次世界大戦直後までの長野盆地の中心地システムの変容過程を明らかにすることを目的とした.中心地とそめ機能を抽出するために商業サービス業,行政機能,交通・流通機能,人口規模,工業を指標に設定した。これらの指標を用いて,相対的中心性指数流の算出,行政機関等の所在の得点化によって中心地の把握を行なった.また,明治前期から第二次世界大戦直後までの間に3つの復元時点を設定し,各時点における中心地の規模,機能,分布,補完領域の画定を行なった.これらをもとに中心地システムを復元した.その結果,長野,中野という複数の一次中心地をもつ中心地システムが,.大正期には,長野という優勢な一次中心地を頂点とするシステムに統合され,第二次世界大戦後までに,一次中心地長野への機能の集中に伴って,二次中心地以下の階層構造が不明瞭になっていくという,中心地システムの変容過程が明らかになった.
著者
野上 道男
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論. Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.72, no.1, pp.23-29, 1999-01-01
被引用文献数
17

北海道を除く日本列島全域について,50m-DEMから250mメッシュごとの地形特性値(高度,険しさ,凸斜面率)を計算し,それと250m解像度の地質データをクロス集計して,地質と地形特性の関係を明らかにした.地形特性値は,地形を作る地質の時代にっれて完新世から新第三紀へと変化するが,その傾向は古第三紀で中断する.このことは,現在の地形を作る隆起運動が古第三紀直後に始まり現在まで続いていることを意味する.<br> 中生代・古生代の地層を刻んで形成されている現在の山地地形の地形特性は地層の時代との相関が薄い.このことは低地に堆積した状態を初期条件として,それが隆起しっっ谷が刻まれることで山地地形が形成されるという地形発達史を考えるとき,初期条件の影響を受けるステージがすでに過ぎていることを意味しているので,日本列島の山地地形は理論的には地層の侵食されやすさ(相対的な岩石特性)と隆起速度で決まる定常状態に近づいているか,すでに達していると解釈される.
著者
鈴木 毅彦
出版者
学術雑誌目次速報データベース由来
雑誌
地理学評論. Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.73, no.1, pp.1-25, 2000
被引用文献数
15 14

飛騨山脈南西部の貝塩給源火道から噴出した貝塩上宝テフラ (KMT) は,大規模火砕流堆積物と中部~東北南部を覆った降下テフラからなる大規模テフラである.本稿ではその特性・分布・年代を示し,噴出前後に形成された地形面の編年・古地理について論じた.KMTの認定においては,黒雲母・石英・高ウラン濃度ジルコンの存在,火山ガラス・チタン磁鉄鉱の化学組成を指標とした.従来の放射年代値と房総半島上総層群中での層位から,KMTは海洋酸素同位体ステージ (MIS) 17.3~15.2に降下し,その年代は0.58~0.69Maの間と判断された. KMTは関東の狭山面・阿須山面・喜連川丘陵上位面,松本盆地の梨ノ木礫層堆積面形成後まもなく降下した.これら地形面はMIS17~16に形成されたと推定され,当時は扇状地面を広く発達させる地形形成環境があったとみられる.また, KMT噴出時,飛騨山脈中軸部がすでにかなりの高度を有していた可能性を指摘し,阿武隈山地に発達する小起伏面群の形成年代の上限を示した.
著者
束村 康文
出版者
学術雑誌目次速報データベース由来
雑誌
地理学評論. Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.63, no.9, pp.577-592, 1990
被引用文献数
2

本研究では小氷期末の19世紀前半をとりあげて,東アジアの夏季の寒帯前線の出現位置と出現頻度を復元し,当時の乾湿分布との関係を議論した.寒帯前線位置の復元は,19世紀前半の毎日の天気分布図(風,寒暖の記録を含む)について類似している現在の天気分布図を捜し出し,それに対応した現在の総観天気図中の寒帯前線位置を採用するという方法をとった.6月から9月まで,寒帯前線帯の位置の推移を調べた結果,冷涼な年代である1825~1840年はそれ以前の1815~1824年に比べて,盛夏期へ入る際の前線帯の北上の時期が遅れていた.また,8月にも前線の南下が数度あり,9月においては寒帯前線が南偏することが多かった.これらの寒帯前線によって,東アジアの湿潤域は,1825~1840年には華中と日本に出現することが多かった.
著者
小田 宏信
出版者
学術雑誌目次速報データベース由来
雑誌
地理学評論. Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.70, no.9, pp.555-576, 1997
参考文献数
59
被引用文献数
3

ME(マイクロエレクトロニクス)技術革新が中小企業にもたらした影響として,再集中化が進行したとする説と大都市工業の地位が低下したとする説とが提起されている.こうした見解の矛盾を止揚すべく,本研究は,技術革新下における大都市機械工業の変容の実態を京浜地域のプラスチック金型製造業を事例にして解明したものである.その結果,技術革新が経営体の階層分化とそれに応じた立地対応を惹起し,そのもとで連関構造も再編されるという一貫した機構が明ちかになった. ME化の受容の形態には資金力や熟練技'能の蓄積状況に応じて違いがある.資金力の大きな業者(資本集約型)はその内部経済性を高め立地分散が顕著であるのに対し,熟練技術者に恵まれた業者(技能集約型)は既存集積地域に留まりそこでの外部経済を活用した経営を継続した.一方,この二つの経営基盤がともに弱い中間的階層の業者群(中間型)は,ある程度のME機器と外部経済を活用し,既存集積地の外延部において日本工業の多品種小量生産化に対応した生産を行うようになった.かくして集積地は外延的に拡大し,その中での階層的な連関秩序・集積構造のもと,既存集積地と外延部で異なった技術体系・地域的連関構造が生じている.本研究から指摘できることは, ME技術革新がマーシャル流の「産業地域」への再集中をもたらしたわけではなく,むしろ,集積を基調としつつも階層的・重層的な連関秩序を内包したより広域化した中小企業ネットワークを作り出したということである.
著者
山本 健兒
出版者
学術雑誌目次速報データベース由来
雑誌
地理学評論. Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.70, no.3, pp.131-155, 1997

本稿の目的は,内藤 (1996) とSen and Goldberg (1994) の主張を,さまざまな文献に照らし合せて再検討し,移民問題研究のための基礎的視角を提示することにある.両者に共通する主張は,差別されるがゆえに在独トルコ人の間でイスラム主義が広がる,というものである.しかし,イスラム諸組織の性格把握と差別の内容について,無視しえない差が両者の間に認められる.本稿では,イスラム諸組織の多様性と性格の不透明性を示すとともに,在独トルコ人に占めるイスラム諸組織参加者の比率を推計した.さらに,差別がイスラム主義への傾斜をもたらすという論理に,より踏み込んだ議論を展開している内藤 (1996) の論拠を検討した.また, Sen and Goldberg (1994) は国籍が移民問題の鍵になるとみているので,在独トルコ人のドイツ国籍取得に関する動向も分析した.以上の検討から明らかなことは,在独トルコ人社会の中に多元性が認められる,ということである.他方,ドイツ社会も多元的である.それゆえ,ドイツ人と在独トルコ人との関係を分析する際には,二つの多元性に注意する必要がある.
著者
内藤 正典
出版者
学術雑誌目次速報データベース由来
雑誌
地理学評論. Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.70, no.11, pp.749-766, 1997-11
被引用文献数
1

本稿は山本健見による筆者の著書への批判に反論することを通じて,多民族・多文化の共生をめぐる諸問題に対する研究視角を検討したものである.冷戦体制の崩壊とともに,イスラムとイスラム社会を共産主義に代わる新たな脅威とする言説が西欧諸国に蔓延している.しかし,多くのムスリム移民が定住している西ヨーロッパ諸国において,この言説は多文化の共生を危機に陥れる危険をはらんでいる.宗教や民族の相違が直ちに対立や紛争をもたらすとする言説の問題点とは何であるのか.移民自身からの異議申立ては何を争点としているのか.異文化との共存をめぐるマスメディアの功罪とは何か.そして,移民によって国家の基本原理が問われていることをどのように評価すべきか.本稿では,ドイツにおけるトルコ人移民の問題を通して,これらの課題を検討する際に必要な視角を具体的に提示した.
著者
遠藤 匡俊
出版者
学術雑誌目次速報データベース由来
雑誌
地理学評論. Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.67, no.2, pp.79-100, 1994
被引用文献数
6

漁携・狩猟・採集生活をしていたアイヌが和人の影響を受けるようになった段階で,家の構成員が流動的に変化していた現象が確認されている.しかし,家の構成員が流動的に変化する原因とメカニズムは不明であった.天保5 (1834) ~明治4 (1871) 年の高島アイヌでは,多くの家が高島場所内にとどまっていたが,家単位の居住者を追跡した結果,個人の家間移動が激しく,家の構成員は流動的に変化していた.家間移動回数を比較すると,家構成員が流動的に変化していた高島・紋別場所では2回以上の移動者が多く,家構成員が固定的であった静内場所と樺太南西部ではほとんどが1回であった.すなわち,家構成員の流動性はおもに2回以上の移動者によって惹き起こされていた.高島アイヌで個人の家間移動が激しく生じたおもな原因は,高い死亡率と離婚である.とくに配偶者との死別・離別によって,親子・兄弟姉妹の居住する家へ移動したり,再婚のたあに他家へ移動するために2回以上の移動が生じ,家構成員は流動的に変化していた.家構成員の流動性は,必ずしも狩猟・採集という生業形態や遊動性とはかかわりなく生じていた.
著者
久保 純子
出版者
学術雑誌目次速報データベース由来
雑誌
地理学評論. Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.61, pp.25-48, 1988
被引用文献数
4

南関東の相模野台地・武蔵野台地に分布する谷の地形・地質を比較検討し,これらの谷の形成過程について考察した.<br> 相模野・武蔵野をはじめとする関東平野の台地には,台地上に厚い風成テフラをのせるものが多い.これらの台地では現在までの数万年の間,テフラの問けつ的な降下と,台地に流域をもつような小さい川の侵食・運搬作用が同時に進行していたと考えられる.このような堆積(テフラの降下)と侵食・運搬作用(谷の成長)の積分の結果が現在の相模野・武蔵野台地の谷地形であること,すなわち,礫層を堆積させた過去の大河川の名残川が降下テフラを流し去ることによって谷を形成したことを,相模野および武蔵野台地の各時代の面を「刻む」谷の地形・地質を比較することにより導き,谷の形成過程を説明した.