著者
山本 健兒
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.82, no.1, pp.1-25, 2009-01-01 (Released:2011-05-12)
参考文献数
49
被引用文献数
2

ドイツでは,グローバリゼーションの進展に伴って都市内の社会的空間的分極化が激化してきたといわれている.本稿は,その実態をドイツのドルトムント市を事例に検証することを目的とする.この都市は分極化を克服するための政策が積極的に実施されてきたところである.分極化は社会的排除という概念と密接に関わっている.これは移民・貧困・失業などの具体的に計測し得る指標の特定地区への集中的出現として把握できる.分析の結果,ドルトムント市内には社会的排除の現象が如実に現れている場所としてノルトシュタットをはじめ,いくつか確認できる.しかし,グローバリゼーションの進展とともにそれが激化してきたと簡単に言えるわけではない.むしろ,激化の側面と緩和の側面が同時進行してきた.ガストアルバイターだけというよりもむしろ,東欧・ロシアからの移民が多いところや,これも含めて移民の多様性が顕著な地区で激化の側面がみられる.
著者
山本 健兒
出版者
法政大学
雑誌
経済志林 (ISSN:00229741)
巻号頁・発行日
vol.72, no.4, pp.87-180, 2005-03-07

The purpose of this paper is to compare Munich and Berlin within the framework of Manuel Castell's theoretical thinking on space of flows and space of places. It is said that intermetropolitan competition for international business location has become severer and polarization as its byproduct is more and more apparent within the urban space under the globalization. These phenomena correspond to the concepts of space of flows and space of places. The most important spatial unit in the globalized space of flows is a metropolis as a node of information flows, capital flows, material flows, and flows of human beings. It is decision-making of corporations and governments that determines the quantity and characteristics of these flows. In the space of flows, metropolises gradually become to lose their own specificity, and they become to be stratified. Nevertheless, each metropolis continues to have differenciated and diversified places within itself, so that we can consider it a space of places, all of which show their own specificity respectively. Therefore, a metropolis can show its own specific feature even under the pressure of power of space of flows. As well as a number of European metropolises, both Munich and Berlin are the second important metropolises following London and Paris within the space of flows in the European scale. This is illustrated in the internet connections, media industry, innovative capability, flight passengers, location of international trade fairs, location of headquarters of big corporations, and evaluation as business location by big multinational corporations. Especially Munich is remarkable as a node of flows in the European scale and it exceeds Berlin in this sense, although it is not the capital of the nation state. The present author does not deal with all places in the both metropolises, but focuses on a problem district respectively. These problem districts are characterized with poverty and its related phenomena such as concentrations of unemployment, households of one parent and his/her children, migrant minorities and so on. That means that a new problem under globalization appears as some form of exclusion in the problem districts. Their locations and characteristics are, however, not the same between Berlin and Munich. Even within a same metroplis, there are various problem districts. In Berlin, most of them appear in the inner city, which were constructed in the late 19th century as a mixed district of dwellings, factories and commercial functions. The typical case is Kreuzberg, especially the so-called SO 36 district and the quarter around Kottbusser Tor. On the other hand, the phenomena in Munich are more apparent at the outer districts than at the inner city. A large number of the so-called social dwellings were developed on a large scale after World War II in the Munich outskirts. But there is also a problem district in the inner city of Munich, Schwanthalerhöhe, the construction history of which resembles Kreuzberg, and Berlin also has a problem district in the outskirts, where a large estate of high-rising apartment buildings were constructed in the 1970s and the 1980s under the regime of socialist government of German Democratic Republic. All the problem districts have their own characteristics respectively. Therefore, we can find variety of places within each metropolis, even if we focus only on the problem districts. The city authority, various non-profit organizations and people in the problem districts have tried to renovate the physical conditions and revitalize the social atmosphere in the problem districts both in Munich and Berlin. It is worthy of mention that citizens' participation including migrant minorities without full citizenship are considered important and practiced in the both metropolises. In the 1980s and the 1990s, careful renovation was promoted in Kreuzberg. And in 1999, the so-called quarter management was launched in 15 quarters in Berlin in the framework of the cooperative task between the federal government and the Land government. This project is supported by EU. The quarter around Kottbusser Tor in Kreuzberg is one of them. On the other hand, the so-called careful renovation has been continued in Schwanthalerhöhe of Munich since the 1970s. In the both cases, maintenance of intra-district variety in some senses and participation of the local people in the project is taken into account as key factors for the regeneration and revitalization of the problem districts and quarters. In this point, we can see important characteristics of European urban society. Nevertheless, Munich seems to be more successful also in the revitalization of the problem district than Berlin. The present author does not clarify the reason for it in this paper. He does not also discuss results and problems of the quarter management in Berlin. In order to conduct the research further, it should be important to shed light on the place identity of the local people. We should ask if it is possible for different groups in a locale to feel common identity or sense of belonging to a place. We cannot be optimistic, if we face the situation of the quarter around Kottbusser Tor.
著者
山本 健兒 熊谷 圭知 栗原 尚子 竹内 啓一 寺阪 昭信 山田 晴通
出版者
法政大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2002

欧州の大都市自治体はEUROCITIESを通じてEUに都市政策を推進させる行動や、相互の経験交流を進めてきた。これを受けて、EUも当初、文化遺産の保全や環境問題に焦点をあてる都市政策を、社会的排除、失業、移民の統合、経済的活力などを重視する都市政策を1990年代半ば以降推進している。EU主要都市によるグローバリゼーションとEU統合への文化的対応に関して2つの論点が浮かび上がる。第1は移民マイノリティの生活実態とこれに対するホスト社会の対応、第2は都市の建造環境の整備保全という論点である。第1については、オランダへのモルッカ移民の統合、スペインへの移民のラテンアメリカ化、同じドイツ都市といえどもベルリンとミュンヘンでは移民比率の高い街区の様相に大きな違いがあることが明らかとなった。移民とホスト社会との間で対立が激しいというわけではなく、移民たちはドイツ都市を故郷と認識する傾向にある。しかし、移民は失業などでより厳しい立場にある。また中国を含む世界各地からの移民がパリ、ローマ、バルセロナでも可視的存在となっている。第2の論点について、イタリアでは都市政府の政権交代が建造環境の変化に大きく影響すること、フランスでは文化遺産としての建造物の保全に中央政府の力がより大きく働くことが判明した。ロンドンの影におかれやすいイギリスのその他の主要都市は、欧州文化首都として指定を受けることによって大陸部のEU主要都市との競争に対応しようしている。2つの論点のいずれに主眼をおこうとも、都市住民あるいは訪問外国人に対して都市の物理的な構成は大きな意味を持つ。欧州各国主要都市の動向を総括するならば、外的圧力に対する文化的対応は政治的対応とならざるを得ず、中央政府の力が強いフランスと地方政府の力が強いドイツを両極として、各都市を位置づけうる。その際に鍵をなすのは、参加と自治のありようである。
著者
山本 健兒
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2011, pp.14, 2011

1.はじめに本報告の目的は,1990年代初め以降,長期的衰退傾向にあるわが国陶磁器地場産業の中で,有数の産地である有田においてどのような取り組みがなされてきたかを描き,その取り組みが結果としてより小規模な産地の自己主張を,したがって有田焼産地の分解傾向を明らかにすることにある.そのための主たる研究方法は,産地にある各種組合の理事長または専務理事,有力企業の経営者またはマネージャ,公的機関の陶磁器産業支援担当者への詳細インタビューである.これは2008年9月以降,特に2009年8月から2010年7月にかけて行った.その数は,12企業,8つの産地組合(卸団地,工業,商工,直売,波佐見,大川内,三川内,大有田),2つの公設試,1つの教育機関,佐賀県庁を含む4つの自治体である.2.有田産地の地理的構成有田焼産地は佐賀県有田町よりも広い範囲の分業関係から構成されている.これは例えば下平尾(1973)を初めとする成長時代の有田焼産地に関する諸研究から明らかである.これら先行研究に基づいてその概要を描けば次のようになる.豊臣秀吉の朝鮮侵略を契機として,九州北西部の諸大名は陶工たちを朝鮮半島から連れてきて,陶磁器業を各領内に移植した.その結果,日本の産業近代化以前に,佐賀県有田町に相当する範囲だけでなく,長崎県波佐見町,佐世保市三川内地区にも陶磁器産地が形成された.佐賀県内でも伊万里市大川内地区、武雄市山内町や嬉野市吉田地区に小産地が形成されていた.これらの産地はもともと独自の産地名をもつ製品を生産していたが,第二次世界大戦以降の有田焼の隆盛に伴って,その製造販売に関わる分業関係に組み込まれるようになった.特に生地成形は波佐見町の零細企業が担当し,これを各産地の窯元が焼成するという分業が発達したし,絵付けに特化する零細企業も有田町や波佐見町に多数立地した.旅館や割烹に有田焼を販売する商社は有田町に多数存在するようになったが,デパートなどに卸す比較的大規模な商社は波佐見町で発達した.また近代化以降,すべての小産地で製造される陶磁器の原料は天草陶石となったが,これを陶土に加工するのは主として塩田町(現嬉野市)の業者である.したがって,有田焼産地は実態として佐賀県と長崎県にまたがって形成されるようになった.3.衰退時代のイノベーション形成の試み有田焼生産が1990年代初め以降衰退しつつある理由は,陶磁器への需要低下にある.これをもたらした原因として外国からの安価な陶磁器の輸入もあるが,それ以上に日本人の生活スタイルの変化と旅館や割烹などの低迷による業務用和食器需要の減退が影響している.しかし,日本国内の他の陶磁器産地に比べて有田焼産地には,衰退傾向に対して相対的に踏みとどまる側面もある.それにはイノベーションが寄与している.そのイノベーションには,個別窯元企業あるいは産地問屋をプロモータとする新製品開発もあるが,新製品考案の知的交流の仕組みとこれに関連する流通経路の革新も,産地の維持に貢献している.産地の各種組合の弱体化の一方で,有田焼産地の中にあるより小規模な産地単位でツーリズムと結合しようとする動きもまた,従来の流通経路を破壊し革新するという意味でイノベーションの一つに数えられる.有田町では陶磁器産業で「肥前は一つ」という運動が成長時代末期に展開した.また衰退時代には有田町だけでの産地ブランド運動が起こるというように紆余曲折があったが,現在は有田焼という名称とは別に,伊万里市大川内地区の鍋島焼,長崎県波佐見町の波佐見焼,佐世保市三川内地区の三川内焼を前面に出す動きが顕著になりつつある.大川内では1960年代の洪水被災の後、1980年前後から開始された長期にわたる景観整備と結びついて,ツーリズムと結合させる産地振興が進んだ.波佐見町では,産地ブランドというよりもむしろ,独自の企業ブランドを確立した窯元による東京の消費者との直接的結びつきや,東京に本拠を置くプレミアム商品等開発企業との提携で従来の有田焼や波佐見焼のイメージとは全く異なる新商品開発生産に従事する企業などが,いずれも波佐見町中尾地区の景観と結びついてツーリズムの振興につながっている.三川内でも,産地組合が従来の機能を停止してツーリズムへと走りつつある.4.おわりに上に見た有田焼産地でのイノベーションのための試みは,各小産地の商品を小産地名で再生・復権あるいは普及させようとする動きへとつながっている.したがってかつての有田焼産地は,幕藩時代に形成された小産地へと分解する傾向にあるといえる.今後,有田焼産地は縮小を余儀なくされるであろうが,各小産地でのイノベーションへの努力によって,小産地は,あるいは企業単独でのブランドを確立した企業は存続する可能性が高い.
著者
山本 健兒
出版者
学術雑誌目次速報データベース由来
雑誌
地理学評論. Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.70, no.12, pp.775-797, 1997-12-01
参考文献数
33
被引用文献数
1

ドイツの中で,デュースブルクは,外国人の空間的セグリゲーション度が高い都市の一つに属する.この都市の中でアルト・ブルックハウゼンは,外国人とりわけトルコ人の集中度がひときわ高い街区である.本稿の目的は,このような街区形成の要因を,都市計画の失敗に求め,外国人集中の初期過程を復元することにある.責任ある主体による街区の将来像が提示されないまま,街区取壊しへの不安が, 1970年代前半に住民の間に広まった.そのため,住宅家屋所有者は住宅の質の維持のための投資を怠るようになった.不在家主の中には,老朽家屋を外国人労働者用の寄宿寮として利用した場合もある.この街区最大の住宅所有者たる企業も,住民によって投機的とみられるような賃貸行動をとった.そのため,スラム化が進行していた街区で外国人ゲットー化が進行した.街区のこのような変容は,地域に特有の権力構造のもとでの主体間の社会的相互作用によって帰結したものである.もちろん,より大きな社会経済構造がそれに関与していた.
著者
山本 健兒
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.70, no.3, pp.131-155, 1997-03-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
41
被引用文献数
1

本稿の目的は,内藤 (1996) とSen and Goldberg (1994) の主張を,さまざまな文献に照らし合せて再検討し,移民問題研究のための基礎的視角を提示することにある.両者に共通する主張は,差別されるがゆえに在独トルコ人の間でイスラム主義が広がる,というものである.しかし,イスラム諸組織の性格把握と差別の内容について,無視しえない差が両者の間に認められる.本稿では,イスラム諸組織の多様性と性格の不透明性を示すとともに,在独トルコ人に占めるイスラム諸組織参加者の比率を推計した.さらに,差別がイスラム主義への傾斜をもたらすという論理に,より踏み込んだ議論を展開している内藤 (1996) の論拠を検討した.また, Sen and Goldberg (1994) は国籍が移民問題の鍵になるとみているので,在独トルコ人のドイツ国籍取得に関する動向も分析した.以上の検討から明らかなことは,在独トルコ人社会の中に多元性が認められる,ということである.他方,ドイツ社会も多元的である.それゆえ,ドイツ人と在独トルコ人との関係を分析する際には,二つの多元性に注意する必要がある.
著者
山本 健兒
出版者
法政大学
雑誌
経済志林 (ISSN:00229741)
巻号頁・発行日
vol.69, no.4, pp.271-302, 2002-03-28
被引用文献数
3

The chief aim of this paper is a reexamination, within a Japanese context, of the "learning region" concept. Since the mid l990s, this concept has often been employed in the economic geography of the Western World, where it generally focuses upon industrial clusters of high-technology small and medium-sized enterprises (SMEs) under the pressure of economic globalization. However, the same concept can also be applied to the middle-tech and low-tech manufacturing industries in the l970s. A concrete instance is aptly provided by the Suwa-Okaya district of Nagano Prefecture in Japan. In this region, after World War II, precision machine industry was developed, followed in the l970s by micro-electronics industry for office instruments; together, both SMEs and larger corporations learned technologies and skills of NC (numerically controlled) machines with and from each other. The Precision Technology Research Institute of Nagano Prefecture played an important role for the establishment of the NC Technology Research Association, in which over fifty corporations took part; more than half of them were based in the Suwa-Okaya district. Through the activities of the association, participants could obtain knowledge of NC machines. At first, the skills accumulated in individual firms as tacit knowledge, which, in the course of association activities, was transformed to codified knowledge. With the collaboration of a machine manufacturer located outside the district, one of the participating SMEs contributed to innovations of NC lathe technology. In l982, due to diffusion and skill development among SMEs in Nagano Prefecture, the association was dissolved. But the same year saw the birth of its successor: a new association, which continues its activity today. The sustainability of the Suwa-Okaya district as an industrial cluster can, at least in part, be attributed to the network of local corporations.
著者
高木 彰彦 遠城 明雄 荒山 正彦 島津 俊之 中島 弘二 山野 正彦 源 昌久 山本 健児 熊谷 圭知 水内 俊雄 久武 哲也 山野 正彦 源 昌久 山本 健兒 熊谷 圭知 水内 俊雄 内田 忠賢 堤 研二 山崎 孝史 大城 直樹 福田 珠己 今里 悟之 加藤 政洋 神田 孝治 野澤 秀樹 森 正人 柴田 陽一
出版者
九州大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2006

公共空間と場所アイデンティティの再編について、地理思想史、理論的研究、経験的研究の観点から検討を行った。研究成果として、『空間・社会・地理思想』10(2006)、『空間・社会・地理思想』11(2007)、『空間・社会・地理思想』12(2008)を毎年刊行したほか、英文報告書として『Reorganization of public spaces and identity of place in the time of globalization : Japanese contribution to the history of geographical thought(10)』(2009)を刊行した。
著者
山本 健兒
出版者
学術雑誌目次速報データベース由来
雑誌
地理学評論. Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.70, no.3, pp.131-155, 1997

本稿の目的は,内藤 (1996) とSen and Goldberg (1994) の主張を,さまざまな文献に照らし合せて再検討し,移民問題研究のための基礎的視角を提示することにある.両者に共通する主張は,差別されるがゆえに在独トルコ人の間でイスラム主義が広がる,というものである.しかし,イスラム諸組織の性格把握と差別の内容について,無視しえない差が両者の間に認められる.本稿では,イスラム諸組織の多様性と性格の不透明性を示すとともに,在独トルコ人に占めるイスラム諸組織参加者の比率を推計した.さらに,差別がイスラム主義への傾斜をもたらすという論理に,より踏み込んだ議論を展開している内藤 (1996) の論拠を検討した.また, Sen and Goldberg (1994) は国籍が移民問題の鍵になるとみているので,在独トルコ人のドイツ国籍取得に関する動向も分析した.以上の検討から明らかなことは,在独トルコ人社会の中に多元性が認められる,ということである.他方,ドイツ社会も多元的である.それゆえ,ドイツ人と在独トルコ人との関係を分析する際には,二つの多元性に注意する必要がある.
著者
山本 健兒
出版者
経済地理学会
雑誌
経済地理学年報 (ISSN:00045683)
巻号頁・発行日
vol.51, no.3, pp.275-277, 2005-09-30
著者
石川 義孝 宮澤 仁 竹ノ下 弘久 中谷 友樹 西原 純 千葉 立也 神谷 浩夫 杜 国慶 山本 健兒 高畑 幸 竹下 修子 片岡 博美 花岡 和聖 是川 夕
出版者
京都大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2009

わが国在住の外国人による人口減少国日本への具体的貢献の方法や程度は、彼らの国籍、在留資格などに応じて多様であるうえ、国内での地域差も大きい。しかも、外国人は多岐にわたる職業に従事しており、現代日本に対する彼らの貢献は必ずしも顕著とは言えない。また、外国人女性や国際結婚カップル女性による出生率は、日本人女性の出生率と同程度か、より低い水準にある。一部の地方自治体による地道な支援施策が注目される一方、国による社会統合策は不十分であり前進が望まれる。