著者
小泉 武栄
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2010年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.68, 2010 (Released:2010-11-22)

1 はじめに 上関という町がある。山口県東部の瀬戸内海に浮かぶ長島の東端にできた漁業の町で、名前はいうまでもなく下関に対置されるものである。長島は、すぐ西にある祝島などとともに、周防灘と伊予灘を分ける防予諸島を構成しており、付近の海は魚の宝庫として知られている。一帯は瀬戸内海国立公園に含まれ、風光明媚なところでもある。 2 原発の建設計画が 20年あまり前、長島の西のはずれの田の浦という入り江付近に原子力発電所を建設するという計画が持ち上がった。建設主体は中国電力である。過疎に悩む町当局は、莫大な交付金を目当てに建設に賛成したが、漁業への悪影響、原発事故の恐れ、優れた自然と景観の破壊、などを危惧した住民たちが、激しい反対運動を展開している。現時点で中電は反対を押し切って工事を始めたが、日本生態学会などが再三にわたって建設反対を表明している。 演者は現地の住民に依頼されて、田の浦付近の地質・地形と自然の調査に赴いたのだが、天然記念物クラスのすばらしい自然がよく残っていることに驚かされた。 3 みごとな地質の接点と貫入したアプライト 田の浦付近の地質は、領家帯の結晶片岩という、銀色をした層状のきれいな岩石からなる。これは2億年ほど前に堆積した砂岩・泥岩の互層が、地下深くに押し込められて変成岩になったものである。その後、この岩は花崗岩の貫入などによって押し上げられ、地表に現れたが、田の浦付近の海岸では、結晶片岩とそれを押し上げた花崗岩の接触部が至るところでみられる。両者の接点が観察できるところはきわめて珍しく、地質学の巡検地として最適である。 また田の浦の南にあるダイノコシと呼ばれる半島付近には、切り立った海食崖が発達している。この崖では、基盤岩の中に白や黄土色の筋が縦横に走って、特異な地質景観を示す。この筋は、岩が地下深くにあった頃、割れ目にマグマが貫入してきて固まったもので、アプライトと呼ばれている。筋は幅数cmから数10cm、とくに大きいものでは1m余りに達し、実にみごとなものである。岩場にはビャクシンがしがみつくように生えている。これも珍しい海岸植物で、学術的な価値が高い。 4 山と海のつながり 田の浦付近では、手つかずの自然がよく残っていることも魅力的である。田の浦の背後は海抜100m前後の山になっているが、ここでは多少の雨では沢に水が流れないという。基盤の結晶片岩に割れ目が多く入り、風化が進んで表層に厚い土層ができているため、雨水はほとんどが浸透し、地下水になってしまうのである。この地下水は、海岸の岩場の下部などで染み出しているのが観察できるが、一部の地下水は浅海底の砂地や礫地を通って、田の浦の砂浜海岸から数10m離れた海底に湧き出している。 おもしろいことにこの湧水のある浅海底では、日本海にのみ分布する珍しい海藻が発見されている。地下水を通じての山と海のつながりが、このようなきわめて珍しい海藻の分布を生み出したわけである。 瀬戸内海の島々には、かつてこうした豊かな自然が至るところにあったに違いない。開発によってその多くは消滅してしまったとみられるが、田の浦では原発の計画が持ち上がったために、自然の調査が進み、思わぬ発見につながった。怪我の功名といえよう。 5 危険な原発予定地 風化物質はいつか崩れる。海岸では、背後の山から崩れてきた土砂の堆積が各地でみられる。1954年には豪雨に耐え切れず、沢という沢が崩壊し、海岸に大量の土砂をもたらした。その様子は1974年撮影の空中写真によく写っており、崩壊や堆積の痕跡は現在でも認めることができる。 このように原発予定地は、上からは崩壊の危険があり、下からは豪雨時に浸透した地下水が施設を持ち上げて破壊する恐れがある。さらに基盤の結晶片岩は、固い岩ではあるが、無数の割れ目が入り、脆弱なものに変化している。田の浦の入り江は、岩盤が相対的に弱いために、侵食されて入り江になったわけで、地盤は決していいとはいえない。 またここは地震の観測強化地区にも含まれており、まさにマイナス面のオンパレートである。仮の話だが、ここでチェルノブイリクラスの大事故が起きたとすれば、瀬戸内海全域が人の住めない場所になってしまう。原発事故に関しては、日本列島はこれまで余りにも悪運が強く、ぎりぎりのところで壊滅的な被害を免れてきた。しかしいつまでもそうはいかないということを考えるべきである。 6 まとめ 田の浦での原発の建設は断念し、天然記念物クラスのすばらしい自然を生かした自然観察の場として生かすのが、賢明というものであろう。
著者
原田 経子 小泉 武栄
出版者
学術雑誌目次速報データベース由来
雑誌
季刊地理学 (ISSN:09167889)
巻号頁・発行日
vol.49, no.1, pp.1-14, 1997
参考文献数
25
被引用文献数
3 1

平標山 (1983. 7m) の山頂から東に伸びる尾根には, パッチ状の裸地が多数分布し, 階段状構造土によく似た段々を形づくる。本研究ではパッチ状裸地の成因とその拡大速度を知るために, 裸地の北側の縁にある高さ20cm程度の小崖に測定棒を埋設し, 崖の後退速度を計測した。<br>小崖の後退速度は平均して年に1.8cmであった。この値は Perez (1992) がベネズエラの高山から報告した0.69cm/年の3倍近い。小崖での侵食量は5~7月頃最大となるが, これは春先, 凍土が融解することによって礫が緩み, 土壌や植物の根も霜柱などによってほぐされたところに, 強い南風が吹くことによって生じている。小崖の上部は植物の根が土壌を固定していひさしるため, 侵食されにくく, 基部の方が先に削られる。その結果小崖上部は庇となって突き出るが, それはやがて崩落し, 侵食されて消滅する。<br>わが国の高山によくみられるパッチ状裸地には, その向きから北西の季節風によって形成されたと考えられるものが多い。しかし平標山の場合は春と秋の強い南風が侵食の主因になっており, この点が非常に特徴的である。
著者
小泉 武栄 伊東 敦子
出版者
日本地形学連合
雑誌
地形 = Transactions, Japanese Geomorphological Union (ISSN:03891755)
巻号頁・発行日
vol.32, no.1, pp.1-14, 2011-01-25
参考文献数
14

The Tamagawa Josui Canal was excavated in the early Edo period to conduct city water from the Tama River to Edo. In this canal there is a conspicuous asymmetry in slope morphology between both banks. That is, the left bank has steep cliff while the right bank has gradual slope with short cliff on upper part of the bank. To elucidate the cause and the forming process of the asymmetrical slope morphology, we investigated geomorphic surface process on each bank. During January 11th to December 24th in 2003, we set up traps on each bank and weighed monthly the volume of debris fallen down from upper part of the slopes. According to longitudinal measurement of debris volume, failure of soil surface occurs throughout the year on the slope of the both banks, though total amount of debris production on the left bank were twice as high as that on the right bank. Amount of debris in winter season was 9.7 times higher than in summer season. Especially from January to March, debris was intensively produced on the right bank. Debris production was evident to be induced by needle ice. Geomorphic surface processes on the north-facing right bank are as follows. In winter season, frost columns are formed on the surface of Kanto Loam (volcanic ash sediment) under low soil temperature and high soil moisture. A few days later, when needle ice melt, small grains are left on the surface of Kanto Loam. Grains are eventually carried down by the rainfall or winds to lower part of the slope. As a result, cliffs on upper part of the bank retreat and gentle slopes of the lower part expand. On the south-facing left bank, debris production is little throughout the year. On this bank, cliffs are so dried up in winter because of rich sunshine that needle ice don't arise even air temperature fell down under the freezing point. Instead, many cracks arise lengthways and blocks of soil fall down in occasion of heavy rain. In this way, the cliff retreats with its vertical shape. The Tamagawa Josui Canal is supposed to have maintained its original form when it had been brimmed with water, from the construction time till 1965 when water flow stopped by the disuse because of completion of filtration plant. After water flow was stopped and canal became to be dried up, asymmetry of the trench profile has been formed.
著者
小泉 武栄
出版者
公益社団法人 東京地学協会
雑誌
地学雑誌 (ISSN:0022135X)
巻号頁・発行日
vol.120, no.5, pp.761-774, 2011-10-25 (Released:2012-01-17)
参考文献数
20
被引用文献数
4 6 6

A geopark involves not only a geological heritage but also geographical and ecological elements. Therefore, subjects related to geotourism are not only landforms and geology, but also ecosystems, including vegetation and animal communities, and human landscapes, such as terraced rice paddies and grasslands created by human activity. Because geotourism covers a broad range of elements, from geo- and ecosystems to human activities, it is expected that the further development of related activities will be supported and approved by an increasing number of people. In this manuscript, I introduce some examples of geo-ecotourism as a special type of geotourism, including: vegetation at the summit area of Mount Hakusan, vegetation in a landslide scar on Mount Bandaisan, and the habitat of Dicentra peregrine on Mount Yatsugatake. These were all very popular with the participants of excursions I conducted. Geotours also promote regional development because they benefit residents economically by employing local workers and travel-related businesses, and encourage consumption of local services and products by visitors. A pressing issue concerning geotourism in Japan is the development of human resources such as tour guides. A geotour needs an excellent guide with a riveting interpretation. There are, however, few of such guides and there is a need to rapidly foster more. As a model for fostering guides, I introduce my “Intensive course on the natural history of mountains,” which interprets the natural history of mountains based on geo-ecology. In the long term, however, it is necessary to introduce natural history education into the school system and improve the quality of nature programs broadcast on TV. Many participants of geotours are middle aged and older, and tend to be energetic and slow to age. This may be because the tour participants are required to do physical activity and to use their common sense. Based on this perspective, a geopark approach must gain in importance within social and lifelong education.
著者
目代 邦康 小泉 武栄
出版者
東北地理学会
雑誌
季刊地理学 (ISSN:09167889)
巻号頁・発行日
vol.59, no.4, pp.205-213, 2007 (Released:2010-04-30)
参考文献数
20
被引用文献数
1

佐渡島大佐渡山地稜線周辺には, 裸地, 草地が, 標高800~1,000mの尾根にパッチ状に分布している。そこでは, ブナの偏形樹が見られ, 氷期の遺存種であるイブキジャコウソウ, タカネマツムシソウなどの高山植物が生育している。裸地, 草地は, 北西―南東方向に伸びる谷の延長線上の, 北東―南西あるいは南北にのびる尾根にのみ分布している。そこでは, 冬季の季節風が, 谷沿いを吹き抜けて稜線を吹き越す場所である。強風は, 冬季には積雪を吹き払い, さらに地表付近の細粒物質も除去する。そのため, 高木, 低木の定着, 生育が困難となっている。このような環境のため, 局地的に高山帯と同様の景観が作り出されている。
著者
小泉 武栄
出版者
一般社団法人 日本生態学会
雑誌
日本生態学会誌 (ISSN:00215007)
巻号頁・発行日
vol.24, no.2, pp.78-91, 1974
被引用文献数
11

In der alpinen Stufe der japanischen Hochgebirge kommen die alpinen Vegetation, Strukturboden, Blockfelder und Schneeboden zusammen vor, trotzdem sie eigentlich in differenzierten Hohenstufen entstehen muβten. Dadurch wird das Bild der Naturlandschaft in seiner Deutung kompliziert. Der Verfasser untersuchte die Koexistenz der einzelnen Vegetationsgesellschaften mit den Strukturboden. Diese Koexistenz-Wettbewerb-Verhaltnisse wurden mit den klimatischen und lokaiklimatischen Bedingungen verglichen. Der Untersuchungsbereich liegt in der alpinen Stufe des Kisokomagatake (2,956m u.d.M.) in den Japanischen Zentralalpen.
著者
小泉 武栄
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2010, pp.68, 2010

1 はじめに<br> 上関という町がある。山口県東部の瀬戸内海に浮かぶ長島の東端にできた漁業の町で、名前はいうまでもなく下関に対置されるものである。長島は、すぐ西にある祝島などとともに、周防灘と伊予灘を分ける防予諸島を構成しており、付近の海は魚の宝庫として知られている。一帯は瀬戸内海国立公園に含まれ、風光明媚なところでもある。<br><br>2 原発の建設計画が<br> 20年あまり前、長島の西のはずれの田の浦という入り江付近に原子力発電所を建設するという計画が持ち上がった。建設主体は中国電力である。過疎に悩む町当局は、莫大な交付金を目当てに建設に賛成したが、漁業への悪影響、原発事故の恐れ、優れた自然と景観の破壊、などを危惧した住民たちが、激しい反対運動を展開している。現時点で中電は反対を押し切って工事を始めたが、日本生態学会などが再三にわたって建設反対を表明している。<br> 演者は現地の住民に依頼されて、田の浦付近の地質・地形と自然の調査に赴いたのだが、天然記念物クラスのすばらしい自然がよく残っていることに驚かされた。<br><br>3 みごとな地質の接点と貫入したアプライト<br> 田の浦付近の地質は、領家帯の結晶片岩という、銀色をした層状のきれいな岩石からなる。これは2億年ほど前に堆積した砂岩・泥岩の互層が、地下深くに押し込められて変成岩になったものである。その後、この岩は花崗岩の貫入などによって押し上げられ、地表に現れたが、田の浦付近の海岸では、結晶片岩とそれを押し上げた花崗岩の接触部が至るところでみられる。両者の接点が観察できるところはきわめて珍しく、地質学の巡検地として最適である。<br> また田の浦の南にあるダイノコシと呼ばれる半島付近には、切り立った海食崖が発達している。この崖では、基盤岩の中に白や黄土色の筋が縦横に走って、特異な地質景観を示す。この筋は、岩が地下深くにあった頃、割れ目にマグマが貫入してきて固まったもので、アプライトと呼ばれている。筋は幅数cmから数10cm、とくに大きいものでは1m余りに達し、実にみごとなものである。岩場にはビャクシンがしがみつくように生えている。これも珍しい海岸植物で、学術的な価値が高い。<br><br>4 山と海のつながり<br> 田の浦付近では、手つかずの自然がよく残っていることも魅力的である。田の浦の背後は海抜100m前後の山になっているが、ここでは多少の雨では沢に水が流れないという。基盤の結晶片岩に割れ目が多く入り、風化が進んで表層に厚い土層ができているため、雨水はほとんどが浸透し、地下水になってしまうのである。この地下水は、海岸の岩場の下部などで染み出しているのが観察できるが、一部の地下水は浅海底の砂地や礫地を通って、田の浦の砂浜海岸から数10m離れた海底に湧き出している。<br> おもしろいことにこの湧水のある浅海底では、日本海にのみ分布する珍しい海藻が発見されている。地下水を通じての山と海のつながりが、このようなきわめて珍しい海藻の分布を生み出したわけである。<br> 瀬戸内海の島々には、かつてこうした豊かな自然が至るところにあったに違いない。開発によってその多くは消滅してしまったとみられるが、田の浦では原発の計画が持ち上がったために、自然の調査が進み、思わぬ発見につながった。怪我の功名といえよう。<br><br>5 危険な原発予定地<br> 風化物質はいつか崩れる。海岸では、背後の山から崩れてきた土砂の堆積が各地でみられる。1954年には豪雨に耐え切れず、沢という沢が崩壊し、海岸に大量の土砂をもたらした。その様子は1974年撮影の空中写真によく写っており、崩壊や堆積の痕跡は現在でも認めることができる。<br> このように原発予定地は、上からは崩壊の危険があり、下からは豪雨時に浸透した地下水が施設を持ち上げて破壊する恐れがある。さらに基盤の結晶片岩は、固い岩ではあるが、無数の割れ目が入り、脆弱なものに変化している。田の浦の入り江は、岩盤が相対的に弱いために、侵食されて入り江になったわけで、地盤は決していいとはいえない。<br>またここは地震の観測強化地区にも含まれており、まさにマイナス面のオンパレートである。仮の話だが、ここでチェルノブイリクラスの大事故が起きたとすれば、瀬戸内海全域が人の住めない場所になってしまう。原発事故に関しては、日本列島はこれまで余りにも悪運が強く、ぎりぎりのところで壊滅的な被害を免れてきた。しかしいつまでもそうはいかないということを考えるべきである。<br><br>6 まとめ<br>田の浦での原発の建設は断念し、天然記念物クラスのすばらしい自然を生かした自然観察の場として生かすのが、賢明というものであろう。
著者
小泉 武栄
出版者
Tokyo Geographical Society
雑誌
地学雑誌 (ISSN:0022135X)
巻号頁・発行日
vol.98, no.1, pp.73-81, 1989-02-25 (Released:2009-11-12)
参考文献数
7
著者
小泉 武栄 青柳 章一
出版者
学術雑誌目次速報データベース由来
雑誌
地理学評論. Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.66, no.5, pp.269-286, 1993
被引用文献数
8

わが国の高山地域には,化石周氷河斜面と呼ばれる岩塊斜面や礫斜面が広く分布する.化石周氷河斜面における岩屑の供給期を明らかにするために,北アルプス薬師岳西面の石英斑岩地域の岩屑斜面を調査地に選び,岩屑表面に生じた風化皮膜の厚さを測定した.その結果,主稜線から斜面の下方に向かって,風化皮膜の厚さを異にする,次の4種類の斜面堆積物と1つの氷河性堆積物を確認することができた.A:風化皮膜をもたない岩屑.分布は狭く,稜線沿いの一部に限られる.B:平均0.8mmの厚さの風化皮膜をもつローブ構成礫.これは東南尾根の一部にのみ分布する.C:西側斜面を広く覆う,平均2.4mmの厚さの風化皮膜をもつ粗大な岩塊群.稜線から海抜2,750m付近までは斜面の大半を覆う. D:平均4.0-44mmの厚さの風化皮膜をもつ人頭大の亜円礫.これはCの岩塊群に覆われなかった斜面上の窪みと斜面の下方にのみ分布する. E:平均7.8mmの厚さの風化皮膜をもつ,モレーンの丘の構成礫.平滑斜面末端の海抜2,600m付近に分布する.<br> 次に風化皮膜の厚さから岩屑の供給された年代を推定するための基準値の設定を目的として,稜線の東側にある金作谷カール内の氷河堆積物の風化皮膜を調べた.ここにはおよそ2万年前の最終氷期最盛期頃に形成されたと考えられるM字形モレーンと,4-5万年前の最終氷期前半の亜氷期に堆積したと考えられる古期モレーンとがあり,風化皮膜の厚さはそれぞれ4.6mmと8.0mmであった.またこれらとは別にプロテーラスランパートも認められ,その構成礫の風化皮膜の厚さは2.6mmであった.このうちモレーンから得られた2つの値を基準にして風化皮膜の成長曲線を描き,それをもとに西側斜面の堆積物の供給された年代を推定すると,古い順に,Eは4-5万年前,Dは1.8万-1.9万年前,Cはおよそ1万年前,そしてBはおよそ3,000年前となった.またAは現在ないし現在にごく近い時期と考えられる.この年代と堆積物の性質から考えると,Eは最終氷期前半の氷河堆積物,Dは最終氷期最盛期頃の周氷河性の斜面堆積物かアブレージョンティル,Cは晩氷期(おそらく新ドリアス期頃)の周氷河性の凍結破砕礫,Bはネオグラシエーション期の凍結破砕礫とみることができる.またAは現在またはごく近い過去の凍結破砕礫であろう.<br> このように化石周氷河斜面における岩屑の供給期は一回だけでなく,最終氷期以降少なくとも3回はあり,主要な岩屑供給期は寒冷な時期に一致していることが明らかになった.またカール内のプロテーラスランパートも晩氷期に形成された可能性が大きい.