著者
久保田 貢
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.84, no.2, pp.130-142, 2017

<p> 主権者とは国民主権の原理を採用する憲法によって定義づけられる。しかし教育現場は憲法と「断絶」し、主権者教育の歴史も忘れられている。永井憲一は主権者教育権論を提起した。主権者教育論は、他にも1950年代後半から日教組周辺の議論の中でみられ、歴教協などで深められる。いま国家が主権者教育の推進を図るが、これは新たな排除をもたらす。文化的自治のルートの回復と、教育現場の当事者たちによる、より直接的な協議の場の構築が課題となる。</p>
著者
西本 健吾
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.87, no.3, pp.342-353, 2020

<p>本稿は、共同体を存立要件としつつもそこに埋没することのない個人を、教育はいかに見いだすことができるのかという課題を背景に、ブラック・マウンテン・カレッジ初代学長のJ. A. ライスの教育思想を取りあげる。とりわけ、ライスの共同体を手段とした個人の目的化という主張に着目する。その際、J. デューイの思想を介することで、ブラック・マウンテン・カレッジの特徴のひとつである芸術教育が、共同体と個人の相克の突破口となることが明らかになるだろう。</p>
著者
朴木 佳緒留
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.64, no.3, pp.309-316, 1997-09-30 (Released:2007-12-27)

小論の目的はジェンダー・エクィティの視点から教育における価値多様化を考えることにある。ジェンダーは1960年代半ばから始まった第2波フェミニズムより生まれた概念であるが、今日では一般には、社会的、文化的につくられた性別と理解されている。日本は世界の中でも特にジェンダー・バイアスが激しい国である。例えば、男性は収入労働時間が長く、家事労働時間は短い。女性はパートタイムの仕事に就く人が多く、家事労働時間は長い。また、女子一般労働者の平均賃金は男子一般労働者の約60%であり、その格差は先進国中で最大である。ところが、多くの女性は低賃金と不安定雇用にもかかわらず、フルタイムよりもパートタイムの仕事を好む。その理由は「企業中心社会」(日本的経営)と性別役割分業をもとにした日本的な男女の愛情関係にあると思われる。また、ジェンダー・バイアスは家庭教育、学校教育を通して再生産される。したがって、ジェンダー・エクィティをめざす教育では、以下の3点が重要となる。1.女性の労働権をリアルに学ぶ 2.日本的な男女の愛情関係を見直す 3.親、教師、その他の大人たちがジェンダー・センシティブになる 確かに、今日の社会では女性の生活は多様化しているが、それは根強い性別役割分業体制のもとでの分化であり、必ずしも多様化とはいいがたいと考える。
著者
坂野 慎二
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.77, no.2, pp.171-182, 2010

学校体系そのものに定型を見いだすのは困難である。義務教育では教育内容は普通教育を中心とするが、職業教育を含めている国もある。教育内容をどの程度共通にするのかという立場も異なる。通学区域の撤廃等、より幅広い学校の選択が可能となりつつある。こうした流れは義務教育においても同様である。学校選択、学校内のコース制、あるいは教科毎に習熟度別等による学習の効率化と国家及び社会の形成者としての育成を可能とする学校制度の構築が求められる。
著者
中村 高康
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.79, no.2, pp.194-204, 2012-06-30 (Released:2018-04-04)

90年代以降の大学入学者選抜制度を取り巻く環境変化の中で最も基本的なことは、大学進学率の上昇に伴う長期的な入学者層の変化である。しかし、こうした入学者層の変化に対応した入試多様化・軽量化現象に対しては、これを批判的に見て学力重視の改革を唱える議論と、これを時代の趨勢と見て社会変動の兆候ととらえる議論とがある。いずれにも共通するのは現代を転機ととらえる思考であるが、その思考自体を相対化する必要がある。
著者
濱中 淳子
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.87, no.2, pp.190-202, 2020

<p> 今般の大学入試改革は、新体制に切り替わる直前に「英語民間試験導入」と「国語・数学の記述式問題導入」が見送られるなど、迷走状態にある。なぜ、このような状態に陥ったのか。今回の改革の特徴は、教育測定や教育社会学、英文学者や言語学者等の研究者が危うさを訴えているなかで進められた点に求められるが、本稿では、推進派の問題とともに、研究者が何を主張してきたのかについても踏み込みながら、迷走の背景を描写した。</p>
著者
福島 賢二
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.77, no.1, pp.1-14, 2010-03-31 (Released:2017-11-28)
被引用文献数
3

これまで教育における平等の議論は、「標準」と「異なっている(差異)」という理由で不利な扱いを受けてきた人への補償主義的な資源分配に基づいてなされてきた。しかしながら、こうした分配的正義は、既存の社会・文化と親和的な価値を再生産するというアポリアを抱えている。本稿では、マーサ・ミノウの「関係性」アプローチと竹内章郎の「共同性」論を対象として、分配的正義に内在する支配的価値の再生産構造とそこからの脱却的視座を得ることを目的とする。この検討を通じて、分配的正義が人々の「差異」を本質的・帰属的なものと同定していたことが明らかとなるだろう。これは、「差異」が社会的に構築されたものであるという視角から分配的正義を鍛え直す必要性を示唆するものである。
著者
杉下 奈美
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.74, no.4, pp.554-566, 2007

コミュニカティブ・アプローチは1970年代以降、外国語教育における主流の教授法となっている。しかし近年、コミュニケーション能力を過度に重視する姿勢への懸念も高まっており、言語能力の捉え方についての再考が求められる。本稿では、このアプローチの理論的基盤となったデル・ハイムズによる「コミュニカティブ・コンピテンス」の概念を再検討し、外国語教育研究に包摂される思潮を考察した。その結果、従来の研究ではこの概念が学習者の能力としてではなく、学習の結果獲得すべき目標として捉えられてきたことが分かった。一方ハイムズにおいては、他者の発話を咀嚼しながら変容し続ける言語の能力に着目する概念であった。以上の考察を踏まえ外国語教育研究において、学習者がもつ能力に基づいて言語活動および文法教育の捉え方を再考すること、言語能力における文法的知識と社会的言語使用との関係を連続的に捉えることの必要性を提起した。