著者
高田 衛
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.49, no.9, pp.54-55, 2000-09-10 (Released:2017-08-01)
著者
佐藤 泉
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.56, no.11, pp.35-44, 2007-11-10 (Released:2017-08-01)

一九五〇年代末、九州の炭鉱地帯で展開された「サークル村」の文化運動は、それ以前の自然発生的な民衆文化運動を自覚的に思想化した点で重要である。本稿は、この運動をリードした詩人・谷川雁のサークル論をとりあげて、共同体としてのサークルと集団的な創作主体がどのように論理化されたかを考察する。日本の戦後思想の布置において、「村」「共同体」は個人の自由を拘束する悪しき結束であり、克服すべき前近代のシンボルとして語られてきた。しかし、五〇年代後半になって、個人の確立を掲げる戦後思想の有効性は薄れていた。経済および社会の構造再編が進むなかで、社会運動と労働運動が急速に力を失っていったためである。個人の確立に変えて、共同体の再構築が必要だと判断した谷川は、新たな連帯の思想を実践する場として文化サークルの運動に注目していた。民衆は潜在的なエネルギーを秘めている。しかし革新政党や労働組合は、民衆の力や欲望を適切に代表していない。そのため、しばしば民衆の力は、ファシズム的な表象によって奪われる。民衆の力を誰がどのように表象するかが重要な問題である。そこで、谷川は、民衆が自らを表象し、それによって自己を再想像する場として文化運動を活性化する必要があると考えた。谷川は、文化運動の場を「村」と呼び、創作の主体を個人ではなく集団としたが、そのためには戦後思想としての近代主義、個人主義の言説と対決する必要があった。この時期の谷川の言語活動によって語り変えられた「共同体」は、伝統的な共同体の権威主義、閉鎖性を克服することに成功しており、そのため、コミュニティの再構築が課題となった現在、多くの手がかりを与えるものとなっている。
著者
塩崎 文雄
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.55, no.4, pp.70-71, 2006
著者
黄 智暉
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.53, no.3, pp.58-67, 2004-03-10 (Released:2017-08-01)

馬琴初期の黄表紙『大雑書抜草縁組』と、中・後期の読本『美濃旧衣八丈綺談』・『近世説美少年録』との間に、易卦あるいは五行の原理による趣向の継受が見られ、いずれも『美少年録』において集大成されている。これらの易学的趣向は、馬琴の作品とその粉本の白話小説との大きな違いであると共に、作者ならではの因果応報・勧善懲悪の思想と対になる形で、小説世界における事物運行の法則性をいっそう強化した装置でもある。
著者
菊地 庸介
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.51, no.3, pp.41-51, 2002-03-10 (Released:2017-08-01)

本稿では、近世から明治初期にかけての講釈を見る直接的な資料として講釈の台本(そのうち点取り本)に注目した。点取り本は演者が講釈の要所要所を記し、符号を多用することが大きな特徴である。さらに、点取り本『義士銘々伝』の種となった実録を特定し、実録から講釈へという、変化を分析した。これらのことを通じ、文字によって表現されていたメディアが声によるメディアへと変換される一例の様相を考察した。
著者
鈴木 醇爾
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.40, no.8, pp.44-56, 1991

この文章では、益田勝実さんが、高校国語教科書の編集者としてすごした三〇年の歩みをたどっている。総合国語時代から、現代国語時代、その前後一〇年ずつと、三時期にわけて、益田さんが発掘したすぐれた教材を紹介すると共に、その教材群がどのような国語科教育を生みだすかにも言及した。戦後の文学教育の中で、最もすぐれた達成であると論者は考えている。
著者
加藤 典洋
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.44, no.4, pp.36-46, 1995

<文学として読む>とはどういうことか。自分の経験に即し、二つのことを述べます。それがどういうことか、またそのことの中に、文学のどういう問題が現れているか。これまでわたしがやってきた仕事を振り返ると、わたしは批評と自分の接点をこの<文学として読む>ところに見出してきたといえそうです。はじめの本『アメリカの影』はいわば国際政治学の問題「無条件降伏の思想」を文学として考える、というものだったし、第四の本『日本風景論』はこの<文学として読む>をさまざまな文化・歴史・社会の現象を「意味抜き」する<風景化>という概念のもとに方法化したうえで、それを実践したものでした。また、最近出した第七の本『日本という身体』は、それをある手がかりをテコに、極端化して試みた日本近代の記述を<文学として読む>企てだったと、いえなくもないからです。ここからもわかるようにわたしにとって文学でないさまざまなものを<文学として読む>とは、まずこれを門外漢、何者でもないものとして、白紙還元して考える、自分にも、あるエポケー(一時的判断停止)を施し、バカになってことに当たる、という方法論を意味しています。これが批評の起点となったのは、『アメリカの影』を書いた時の話になりますが、まず「無条件降伏論争」というものがあった。わたしにはここに問題とされている「無条件降伏」が、中途半端な、文学的な政治解釈の一例を出ていないものと感じられました。先入観を持たない門外漢が第一次資料に当たり、"はじめの疑問"だけを手がかりにことに当たったらどうなるか。いったんこれを国際政治学の問題として徹底して考える、中途半端な「文学」をこうして消毒する。カエサルのものをいったんカエサルに「差し戻す」、その時こちらは門外漢の位置に下落する、それで結構、それがわたしの考えたことでした。またその"はじめの疑問"とは、なぜ急に「無条件降伏」などという不思議な感触を持つ政策思想がアメリカ合衆国から出てきたのか、何か西洋近代とは異質な感触が、この思想にはある、という直観だったとは、本に書いた通りです。次に、こういうことが文学観としてどういう問題をはらんでいるか、ということがあります。ボルヘスが「私は誰か[何者か](somebody else)の文体でではなく、誰でも(anybody else)の文体で書かれた本を書くだろう」と言っていますが、わたしは、文学には二つがあると思う。something elseとしての文学と、ここにいうanything elseとしての文学と。ボードレールが言ったのもsomeではないany-"anywhere out of the world"-ではなかったでしょうか。では、something elseとしての文学とはどういうものか。筒井康隆氏が最近、断筆宣言をしましたが、その時、人間には悪が必要だといって、文学は悪だ、という意味の言い方をしました。それが文学を特権化した言い方ではないか、と批判を呼びましたが、ここに現れているのが「何者か」としての文学、something elseとしての文学です。しかし文学というのは不思議で、荒野でしか育たない、それは温室に入れられ、何かの理由になったり根拠にされるととたんに枯れる。そういう意味でも、それは「悪」の花です。<文学として読む>。その意味は、ある問題をanybody elseとして読む、ということ。その時文学は、何者か、という特権、限定、自己同定からはずれた「誰でも」の存在です。これを単なる技法、狭義の方法などとみなさないことが肝心だろうと思うのです。
著者
兵藤 裕己
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.38, no.2, pp.28-39, 1989

近世の職人仲間でむすばれた講のひとつに、太子講がある。おもに大工・左官などの建築関係の職人によっておこなわれるが、それは、中世の各種職人、「道々の者」たちに担われた聖徳太子信仰のなごりといえるものである。その具体的な原型は、中世の修験・山伏の徒に率いられたタイシの徒にあるだろうか。また、律僧の太子堂に結縁した各種職人や賎民、あるいは、聖徳太子像をまつる一向宗寺内に結集した手工業者や行商人たちも、中世における太子講衆の原像である。たとえば、近世の木地屋が、木地職プロパーにおいて管理・統制される背景には、社会的分業を身分として固定化させる幕府の支配政策があったろう。諸国木地屋のあいだに、小椋谷の『惟喬親王縁起』が(太子信仰を駆逐するかたちで)流布した過程とは、要するに、中世的な「諸職諸道」が分断・解体される過程であり、それは、近世権力による一向宗寺内-そのイデオロギー的中核となった太子講衆-の解体という政治史的事件とも表裏する問題であった。
著者
渡辺 秀夫
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.32, no.5, pp.16-26, 1983

In the middle of the tenth century Tosa Diary came out as the pioneer workof the diary literature, that was quite free from the form of a diary which hadbeen a mere document. Aquestion arizes how it was possible for Tosa Diary tobe able to establish new literary work apart from other traditional diaries. I discuss the methodological characteristics of the diary literature of Heian Periodand its restricted expressions asa prose literature, in terms of the various possibilities in the Chinese character diaries in which the root of the diary literaturehas existed.
著者
寺島 珠雄
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.19, no.6, pp.35-36, 1970
著者
今関 敏子
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.39, no.4, pp.1-11, 1990

定家所伝本『金槐和歌集』は、"叫び"と"崩壊"の緊張の上に、危ういバランスの保たれた世界を構築している。その作品世界の完結が、自己崩壊と表裏一体であったところに、実朝の悲劇性があり、作品の結晶度の高さはある。以上の点を、配列構成、象徴表現、危うい存在基盤を生きた実朝の内的時間から論述する。
著者
田中 貴子
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.39, no.5, pp.63-76, 1990

吉祥天は奈良時代から人口に膾炙した存在だが、これと並ぶもう一人の天女である弁才天とは姉妹の如き関係と見倣されてきた。弁才天はまた、『法花経』の竜女とも習合し、中世には竜女を中心とした水界の女神達の習合のネットワークが現出する。これらは《女性性》を付与されており、その性的側面と両義性を強調される。今回は、こうした竜女の姉妹神の伝承を分析することで、女性神が何故女身をとらねばならなかったかという問題について考察した。