著者
山元 隆春
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.47, no.3, pp.1-9, 1998

本論文においては、「学び」(学習)という出来事が成り立つために果たす文学の役割を考察し、国語教育において<文学にできること>を求める手がかりを探った。ルイーズ・ローゼンブラットの読みの理論を中心に、小森陽一・佐藤学・紅野謙介・田中実・デヴィッド・ブライヒ及び認知科学における構成主義理論を検討しつつ、主に教室において読みの<出来事>性を喚起する誘因をテクストの呼びかけの中に探る必要性を論じた。
著者
猪股 ときわ
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.58, no.6, pp.2-11, 2009

「乞食者詠」の一首目は、一首の歌表現を通して人と動物、動物と植物の境界を溶解し、死を生へ、殺すことを殺されることへ、祝福されることをされることへと転換しながら、根源的な生のエネルギーの磁場を開こうとする。「はやし」の語に代表されるその表現の特徴は、祝福をすることが痛みを述べることである、とする『万葉集』巻一六の題詞・左注の捉え方に即応しているだろう。
著者
田中 單之
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.37, no.5, pp.55-64, 1988

全十場から成るこの戯曲には、九場までと、第十場との間に、作品としての断層がある。そのため、第十場を不要、蛇足と考える立場と、しかし、にもかかわらず第十場を絶対必要と考える立場とが、研究者の間にある。筆者は後者の立場に立ち、前者の立論の誤り、もしくはあいまい性を指摘し、合わせて第十場の意味を論じた。
著者
金井 景子
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.32, no.10, pp.57-66, 1983-10-10 (Released:2017-08-01)

I made an attempt to pursue the significance of the problem of the "unemployed", which the literature in the beginning of Showa Era was motivated upon, by taking examples from the literary works around 1930's focussing upon the unemployed proletariats as a motive. Yokomitsu Riichi tried to go further than "Neo-sensationalism School" by writing Shanghai. Kawabata Yasunari wrote Asakusa Kurenaidan. The works of Shimomura Chiaki made the "Rumpen (the unemployed) literature" popular in the literary world. Hotta Shoichi's Slave Fair also concerns the problem.
著者
喜谷 暢史
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.62, no.3, pp.2-14, 2013

<p>謎を引き受ける、謎を手放さない。こと村上春樹に対峙する場合、「作品は謎を回収していない」という紋切り型の批判に逃げ込まず、読み手は対象の不完全さを指摘する以前に、自らが捉えたものの精度を高めることに腐心すべきであろう。</p><p>『風の歌を聴け』の場合、多くの先行論は「この話は一九七〇年八月八日に始まり、一八日後、つまり同じ年の八月二六日に終る」という規定に縛られ、小説全体というよりも一九日間という〈物語〉に拘束されている。それは登場人物についても同じで、「僕」と「鼠」と「小指のない女」という表層のトライアングルに隠れた「三番目に寝た女の子」、「リスト」でいうなれば「得たもの」よりも、むしろ「最後まで書き通すことはできなかった」「失ったもの」に囚われなければならない。巧みな〈物語〉の搦め手から逃れることができれば、春樹作品は謎を隠蔽しているというより、ときに「説明的」ですらある。</p><p>偽作家ハートフィールドという派手な「嘘」と、「何も書けやしない」とこぼした「鼠」が拙いながらも「僕」の誕生日(クリスマスイブ)に送りつける小説と、この回想自体を構造化することが、〈物語〉から〈小説〉への解放(「象」が平原に放たれる)に繋がる。</p><p>タイトルの「風」とは、「鼠」の語る理想の小説論の中にある言葉である。それは「蟬や蛙や蜘蛛や風、みんなが一体になって宇宙を流れていく」というもので、この「風」は謎や空白というよりも、それらを全て包んだ虚無や虚空と呼ぶべきものである。春樹の文学は宇宙に吹く「風」という「虚空=void」(了解不能性)にはじめから対峙しており、本作を問題にするのは、膨大な作品群を読み説くための基点としたいがためである。</p>
著者
藤木 直実
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.54, no.1, pp.25-37, 2005

「テクスチュアル・ハラスメント」-女性に対するテクスト上の性的いやがらせ-のケース・スタディとして森しげの例を取り上げる。彼女の被った<暴力>は、以下の三つに分節することができる。(1)鴎外「半日」における「奥さん」の造型およびその波紋 (2)しげの創作活動をめぐる批評言語 (3)鴎外がしげのテクストに施した「校閲」。本論では主として二点目、すなわち、批評史が遂行的にひとりの女性作家を抹消するに至る過程を再審する。
著者
網谷 厚子
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.39, no.5, pp.24-31, 1990

『竹取物語』の作者が読み得るだけの漢籍を読み、当時の現実もふまえ「仏の御石の鉢」がガラス製であるとイメージし、そこから「石つくり」の名を考えついたこと。また、大伴のみゆきの大納言がかぐや姫のために用意した家は、奈良時代から平安時代にかけてあり得るものであったこと。「羽衣」は中国においても「天上的」なるものの象徴であり、『竹取物語』の作者の独創とは言い難く、「天の羽衣」は「尼の羽衣」でもあったのではないかということ。以上三点について論じてみた。
著者
鈴木 健一
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.60, no.10, pp.2-11, 2011-10-10 (Released:2017-05-19)

江戸詩歌史を構想するに際しては、上限を一六世紀初めまで遡らせ、下限を一九世紀末まで引き下げることも十分検討に価しよう。また、最も重要な結節点は一八世紀中頃から後半にかけてにあると考えられる。つまり、江戸詩歌は上品で優雅な作品に加えて俗の要素が拡張する前半期と、日常性が台頭し、口語化、大衆化の促進する後半期に分けられるのである。そのような中、ジャンルの越境も相俟って、和漢や雅俗の区別が曖昧になり、渾然一体となったところに、近代となって新たな対立軸の洋が生まれてくる。
著者
増田 修
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.29, no.4, pp.29-38, 1980-04-10 (Released:2017-08-01)

It has been said that "A Lemon" is a difficult work for teaching in class, because there are some students who never have the same sensibility as author's and they cannot understand the story. But this view depends upon the author's sensibility too much. We should analyze the structure and words of the story in detail. The fist words "a mysterious and ominous soul" have an important meaning, and the whole structure of the story is related to the relevancy between those words and a daydream of a bomb in Maruzen. This point of view is significant for both comprehention of the story and teaching in class.
著者
清水 章雄
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.60, no.5, pp.10-18, 2011

<p>日本神話は、始原の時を雑霊(ぞうりょう)の活動する世界として表現した。「さばへなす」は呪力を持つ蝿(はえ)の意味で、始原世界を表す定型句である。蝿は最初の死者イザナミに集(たか)った黄泉国(よみのくに)の蛆(うじ)が変身したものである。「さばへなす」は、愛によって親を苦しめる「子ども」、皇子(みこ)の死に動揺する「舎人(とねり)」にも冠(かん)せられた。また「さば海人(あま)」は異言語を話す異人を言う諺(ことわざ)であった。雑霊の表現の特質が集合・雑音(ざつおん)・無名であることを、本論は明らかにした。</p>
著者
大原 祐治
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.51, no.1, pp.29-37, 2002-01-10 (Released:2017-08-01)

<歴史認識>をめぐって議論の喧しい今日、<歴史小説>というジャンルについて考察する端緒として、本論では、従来<歴史小説>という観点からは評価されることの少ない芥川龍之介のいわゆる<歴史物>の中で、異彩を放つかに見える「糸女覚え書」を取り上げた。徳富蘇峰『近世日本国民史』という、学士院恩賜賞を授与され、売れ行き好調な同時代におけるスタンダードな<国民の歴史>に対し、芥川のテクストが持つ批評性を確認する。

1 0 0 0 言語の錯乱

著者
楜沢 健
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.63, no.11, pp.23-33, 2014

<p>一九二六年に刊行がはじまった「円本」は、「標準語=文学」とみなす日本語規範の見本となった。以後、「正しい」「美しい」日本語の名のもとに、「文学」の序列と差別、検閲と言葉狩り、言語の矯正と調教が猛威をふるう。労働者や農民や女性や異民族の「汚い」「間違った」日本語を記述することから出発したプロレタリア文学は、標準語の序列や矯正や調教に抗い、その規範に錯乱をもたらす、反日本語、反標準語、反文学、反国語の運動にほかならなかった。本論では、プロレタリア文学における日本語批判の諸相に光をあてた。</p>