著者
渡部 直己
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.43, no.3, pp.35-45, 1994

小説における「描写」は、近代日本文学の表象技術史上のいわば最大の輸入品であり、近代小説の問題の過半はその「描写」の質の変遷と共にあったといってよい。とりわけ、その長さのはらむ逆説、すなわち描写量と反比例してみずからの再現機能に不意の変容を余儀なくされる対物描写は、リアリズムの一種原理的な不可能性を暴きたてるきわめて両義的な要素である。描写の長さが不可避的にはらみこむこの変容は主に、(1)叙述(ナレーション)と虚構(フィクション)の両軸上における時間性の齟齬(2)虚構空間の混濁(3)再現から産出性への萌芽として見出されるが、本発表においてはまず、泉鏡花『式部小路』の一節をもとに右三点を明らかにしながら、描写という危険な要素の持つ複雑な性格を押さえたうえで、現代の小説家たちの描写の在り方を、具体例とともに検討する。そこでは、現在の若い作家のうち、島田雅彦、小林恭二、高橋源一郎といった男性作家が描写の両義性に対し比較的過敏であるゆえに、描写抜きのテクストを志向するという一方の現象と、鷺沢萌、山田詠美、小川洋子といった女性作家における描写志向とその質とを対照させたい。そのことによって、描写という歴史的産物に対する、批評的逃避と反動的追従の現状を指摘し、同時に、現代の文学風土の<電通>的性格を検証する。引用例は、鷺沢萌「川べりの道」、山田詠美「ベットタイムアイズ」、小川洋子「ドミトリイ」、日野啓三「牧師館」など。
著者
中村 哲也
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.52, no.8, pp.66-73, 2003

あらゆるスポーツや勝負事と同様、文学を価値付け、これを文化的営為として成り立たせている大きな要因に、「倫理」がある。それは、サルトルがカント哲学に基づき提起した「自由」と「呼びかけとしての文学」の問題系にかかわっている。本稿は、この問題系を踏まえながら、これまでの主要な文学教育論議を検討し、文学と教育との関係を、とりわけ「倫理」の観点から取り上げ、論じている。
著者
諏訪 春雄
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学
巻号頁・発行日
vol.35, no.2, pp.75-84, 1986

文学における虚構を同時代の意識的思索と無意識試行の両面から追った。前者は『三体詩』にはじまる虚実論を、後者は本歌、本説、本文、本意、世界などを考察の対象としたが、帰一するところは典拠の問題となる。典拠は虚構のパターン化であり、作り手と受け手が一体となって想像世界に遊ぶことである。この伝統尊重の可塑的な関係を共犯と呼ぶなら、これと対比される個我尊重の自己完結的な関係は侵犯と呼ぶことができる。
著者
山﨑 正純
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.60, no.8, pp.2-12, 2011-08-10 (Released:2017-05-19)

読書行為の本質は文脈形成行為である。そして文脈を形成する行為こそ、もっともプライベイトな私秘的領域において文学作品を私物化し、一体化をなし遂げる行為である。だがその一方で読書行為は、読者を取り巻く不可解な世界の説明行為に転化することで、文学作品の価値を再生産することができる。すなわち、読書という私的行為は公的領域による権威付けの誘惑と脅威とに同時にさらされることで持続可能な行為である。私的領域と公的領域とのこうした共犯性は、家父長制の下に置かれた女性の自己表現にもみられるが、同時に公私領域の再編成の可能性を示唆するテキストとして位置づけることも可能である。
著者
村上 克尚
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.59, no.11, pp.27-36, 2010-11-10 (Released:2017-08-01)

本稿は、竹内好の国民文学論に対する武田泰淳の位置を、『風媒花』の分析を通じて確定する試みである。国民文学論は、朝鮮戦争を糧とした経済成長への抵抗運動として規定できるが、「国民」や「民族」といった概念を用いたことで、新たな抑圧への可能性を残す。これに対して、『風媒花』は、外部・内部に複数的な差異を探し求め、それらを介した緩やかな連帯のあり方を風媒花の形象で示した。それは、文学作品と読者のあり方への深い洞察から生まれたヴィジョンだと考えられる。
著者
中山 弘明
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学
巻号頁・発行日
vol.50, no.2, pp.34-44, 2001

第一次大戦は「海の彼方」の出来事として、日本の言説に関しては等閑視されがちだ。しかしそれは<経済>のレベルで確実に日本を巻き込み、危機的状況を現出させた。本稿は所謂「米騒動」の時代に焦点を当て、当時詠まれた多くの短歌を調査、検討した。特に「東京日日新聞」に連載された安成二郎の歌々を、危機の時代の「落首」として考察してみた。こうした作業を通じて、<文学>と<経済>がリンクしつつ発動させる力学を析出した。
著者
中沢 弥
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.50, no.11, pp.11-19, 2001

小山内薫・山田耕筰・石井漠の三人が中心となって結成された実験的な劇団<新劇場>は、演劇の改革を標榜するとともに「舞踊詩」という新しいジャンルを提唱した。この舞踊詩のたどった過程は、大劇場と小劇場、高級な劇と民衆のための劇といった区分やそれらの間の争闘をも無力化する。また、震災後に始まるラジオ放送は、集団としての観客ではなくて、多数の個人としての聴取者を生み出すことになる。こうした芸術ジャンルの変容や受容形態の多様化を考えるための原点の一つとして、<新劇場>の活動をとらえ直す必要がある。
著者
田口 ランディ
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.61, no.4, pp.20-30, 2012

<p>今年は3月に日本のみならず、海外にも影響を与えるような大災害、大事故がありました。しかしながら、私自身の心情を正直に語れば、3・11以前と以降とで自分の創作になにかしら変化があったとは思えないのです。このことは、私自身をとまどわせました。なぜなら多くの人が震災・原発事故を境に「ものの見方が変わった」と述べていたからです。この価値観の変化は「起こっている」のか。それとも「起こされている」のか。緻密に制度化された社会は3・11以前となんら変わらずに続いています。皆が従来の秩序を尊び、自分たちの組織内の狹い常識にのっとって、予定調和で社会生活を続けています。ことさらに書き言葉に携わる人間はたいへん保守的です(言語は書き言葉が登場すると変化しなくなります)。それゆえ、書き言葉への反逆は時々起こり、書き言葉をどう解体するかが多くの近代作家の創作課題でありました。でも、近年、作家は(私も含めて)自らの言葉を解体する力を失っているように思えます。いったい「ものの見方が変わる」とはどういうことでしょうか? これは何百年もの間、文学のテーマであり続けた認識の問題ですのに、今やなんの含みもない陳腐なフレーズと化しているのです。「ことば」はリアルが立ち上がる場所です。人間は「ことば」で構造的に世界を作り上げ錯覚して生きています。ですから「ことば」による解体が可能であったのです。そして「ことば」に新たな意味を与えていくのは、作家、詩人の役割でもありました。ですが、もはや作家や詩人という職業も、ご用○○として扱われ、その表現や存在にオリジナリティなど求められていないというのが実感です。そのような中で、いかに「リアル(違和)」を探りつつ、こだわりつつ言葉を解体するか。現代の状況を踏まえながら考察したいと思っています。</p>
著者
牧野 和夫
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学
巻号頁・発行日
vol.50, no.7, pp.21-28, 2001

法華山寺関係周辺の日本僧が宋朝一切経の補刻事業に与かり、その時期も、一二三四年以降、一二四四年以前という約十年に限定できることは、ほぼ確実となってきた。淳祐二年(一二四二)から淳祐五年(一二四五)、この前後に東禅寺版の補刻事業に奔走していた中国の勧進僧道永の存在が金沢文庫蔵宋版一切経の調査で既に知られる。東禅寺前知蔵の道永が、同時期の日本僧の補刻事業への捨財援助を承知していない筈はなく、中国側の道永の一切経補刻の勧縁慕財の活動は緊密に法華山寺慶政等の捨財慕縁の「営為」と結び付いていたことは確実となる。東寺蔵一切経の補刻捨財刊語の最も新しい年記は、甲辰(一二四五)年で、西山法華山寺慶政による重要な聞書、書陵部蔵『漂到琉球国記』一巻が成立した年であり、「甲辰」の年は西山法華山寺関係の僧侶に係る捨財補刻が入港先の「福州」で進行していたのである。法華山寺の慶政の住房に於いて成立した『漂到琉球国記』は、積極的にこの補刻事業版一切経舶載事業の促す副産物として読み解くべきであろう。更に、琉球に関する「知識」の流入を、延慶本『平家物語』に探る。
著者
高岸 輝
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.58, no.7, pp.41-48, 2009-07-10 (Released:2017-08-01)

本稿は、室町時代の土佐派絵師が制作した絵巻のなかに描かれた「風景」の描写の変遷を追う。十五世紀前半の土佐行広は、実際にスケッチを行うことなく既存のイメージを貼り合せて風景を編集するのに対し、十五世紀末の土佐光信は、絵巻の舞台となる山をスケッチしている。さらに十六世紀中葉の土佐光茂は、環境のなかに自ら身をおいて遠近の風景を自在に描いており、ここに近世的な視覚の成立をみることができる。
著者
菅野 覚明
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.43, no.7, pp.31-39, 1994-07-10

本居宣長は、政道と和歌を分断することによって、新しい和歌観をうちたてた。逆にさかのぼっていえば、宣長以前、特に中世においては、むしろ政道と和歌の一体性こそが歌の捉え方の基本であった。この一体性を、論理としても、実際の表現活動としても、最もよく体現した代表者として世阿弥を挙げることができる。本稿は、歌論をそのまま曲の主題とした謡曲『高砂』をとりあげ、治世と和歌の連動性の具体相を分析したものである。
著者
菅野 覚明
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.43, no.7, pp.31-39, 1994

本居宣長は、政道と和歌を分断することによって、新しい和歌観をうちたてた。逆にさかのぼっていえば、宣長以前、特に中世においては、むしろ政道と和歌の一体性こそが歌の捉え方の基本であった。この一体性を、論理としても、実際の表現活動としても、最もよく体現した代表者として世阿弥を挙げることができる。本稿は、歌論をそのまま曲の主題とした謡曲『高砂』をとりあげ、治世と和歌の連動性の具体相を分析したものである。