著者
美留町 義雄
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.90, pp.17-31, 2014-05-15 (Released:2017-06-01)

「うたかたの記」は、画家を主人公とした芸術家小説である。ゆえに従来の研究では、西洋絵画史に関わる分析が積極的に為されてきた。だがその多くは、主人公のモデルである原田直次郎と森鴎外との交流をめぐって考察が進められており、鴎外自身が直面したドイツ美術界の動向と「うたかたの記」の関係については、依然として論究の余地が残されている。本論では、鴎外が滞在していた時期、ミュンヘンではまさにモダニズム芸術の勃興期にあたっていた点に着目し、官学派(アカデミー)が支配していた美術界の構造が大きく揺らぎ始めていた事実を論究する。若き鴎外を取り巻くこうした状況を明らかにしたうえで、あらためて「うたかたの記」を捉え直すと、アカデミーから離れようとする登場人物の動きが視界に入ってくる。その行先は「スタルンベルヒ」湖畔である。当時、実際にこの地では若き画家たちが結集し、新たな絵画表現を模索していた。本論は、こうした美術・文化史的な動性の中において、この小説を再検証する試みである。
著者
山田 桃子
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.101, pp.171-186, 2019-11-15 (Released:2020-11-15)

内田百閒と言えば、『百鬼園随筆』(一九三三)により人気を博し昭和初期の「随筆」ブームを牽引した作家として語られるが、その戦前期の充分な検討が行われているとは言えない。実は、『百鬼園随筆』の刊行以前、百閒のテクストは「随筆」に限らない雑多な文章群をめぐる問題に関わっていた。また、刊行によって「百鬼園」の名が「随筆の代名詞」となって以降も、百閒のテクストはジャンルの分類を攪乱するものとして現れている。そのため本稿では、ジャンルの歴史性をふまえながら、『百鬼園随筆』刊行前後の時期を中心に、百閒のテクストの問題を検討した。百閒のテクストは、文学領域をめぐる変動と関わり、ジャンルの境界線を攪乱させるものとして現れている。
著者
飯島 洋
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.94, pp.92-106, 2016-05-15 (Released:2017-05-15)

人間関係における疎外感から精神を病んだ女性の物語として読まれてきた「世界の終り」を、万物照応・二重人・北方志向・現実批評などのボードレール受容や、同時代表象との関連を軸に解釈する。まず、主人公・多美は家族の問題で精神の問題を抱えたのではなく、生来、現実の世界を否定する存在として作品世界に投げ出されたのであり、その世界観が外界と照応して滅びの光景が現出していることを確認する。そしてその世界観は死と統合された静謐な生が現実世界では許されないというものであることを論証する。さらに、多美の個人的な悲劇が、原爆表象と内面的時間に基づいた語りの二重化作用という機構によって、現代の人間存在の問題へと普遍化されていることを検証した。
著者
佐藤 泉
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.98, pp.29-43, 2018

<p>夏目漱石は、西洋的近代性の影響下で進行した日本の近代化の中に、歴史の進歩ではなく、歴史の喪失を見出した。その言説は、「日本と西洋」「東洋と西洋」といった地理的な道具立てと、そこから引き出される権力関係を含意するという意味において地政学的な枠組みを備えるものだった。本稿では、まず、漱石の言葉をひとつの源泉とする日本の近代という主題がどのように形成され、歴史の中で変容していったのかを考察し、その限界を明らかにする。同時に、現在の問題意識の中に、この主題を再利用することができないかを展望する。</p>
著者
永井 聖剛
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.102, pp.23-38, 2020

<p>明治二十年代に新しい日本の主導者として注目された「青年」は、明治三十年代後半、青年心理学という科学的言説によって、不安定で危険な世代として意味変容を余儀なくされた。時代は彼らに「修養」すなわち自(みずか)ら己(おのれ)を律し、身を立てることを求めた。修養ブームの到来である。またこれは同時に、すでに青年期を終えた者、すなわち〈中年〉の誕生をも意味していた。本稿は、自然主義文学の担い手を〈中年〉と定位し、彼らの「おのずから・あるがまま=自然」を受け容れる思考が修養的な激励とは対極的な、いわば同時代における対抗言説とでも呼ぶべきものを形成していたことを跡づけたものである。〈中年の恋〉を描いた「蒲団」以降の自然主義文学は、〈中年〉的な思考様式によって織りなされていたのである。</p>
著者
永井 聖剛
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.93, pp.1-15, 2015

<p>山田美妙『白玉蘭(別名壮士)』(明二四)は、保安条例下の壮士の言説に焦点を当てた言文一致小説である。本稿では、この小説に見られる政治/小説/講談などのジャンル横断的な様相を、漢文脈/「だ」調/「です」調の異種混交体として描き出してみたい。こうすることで、「だ/です」という二分法の中で捉えるよりも、より連続的かつ多面的に美妙の文体的試行の歴史性を照射しえると考えるからである。</p><p>この着眼は、「です」調で綴られるテクストが、「です」という文末詞のみによっては統括され得ないことをも導き出してくれる。「です」調では三人称内的焦点化を用いた小説文体が構築できない。つまり、美妙の言文一致は「です」抜きには語れないが、その小説は「です」を抛棄することによってしか語ることができないのである。</p>
著者
田部 知季
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.99, pp.33-48, 2018

<p>本稿では、従来看過されてきた短詩形文学と日露戦争の関わりを、井上剣花坊と河東碧梧桐の動向に即して検証した。剣花坊の川柳革新は『日本』の「新題柳樽」欄を舞台に展開し、戦争の時流に乗って躍進する。その中で彼は既存の「文学」に欠ける「滑稽趣味」を拠り所に、川柳というジャンルを「興国的文学」として価値づけた。一方、戦時下の俳壇では国威発揚を企図した「武装俳句」が試みられるも、実作上の成果を得られずにいた。他方、従軍の計画が頓挫した碧梧桐は、安易に俳句を戦争と結びつけることなく、自立的な「文学」としての俳句像を堅持した。彼はそうした反動の延長線上で全国行脚へ乗り出し、新傾向俳句を鼓吹することとなる。</p>