著者
河野 龍也
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.98, pp.162-177, 2018

<p>佐藤春夫がデビュー前に油絵制作に励んでいたことは、その後の文学活動にどのような影響を残したのか。春夫が好んだ「後期印象派」は、本来客観的であるべき写実の概念を、主観の領域にまで拡大したもので、それによって生じた混乱をテーマに春夫は最初の小説「円光」を書いた。また「田園の憂鬱」にも、対象の〈意志〉を描くという「後期印象派」理論の過剰な視覚表現が見られ、それが文学的感性との間に葛藤を生み出す構造を指摘することができる。芸術ジャンルごとに異なる感性の相違は、その後の春夫が創作で追求する一貫したテーマであり、その由来はデビュー期の絵画体験にあったと考えられる。</p>
著者
有元 伸子
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.88, pp.33-48, 2013

Okada Michiyo (later Nagayo Michiyo) is a female writer who is known to have been used by Tayama Katai as a model for the young female live-in student the protagonist novelist secretly falls in love with in Futon. This article examines the obscure works she wrote before she married Nagayo Shizuo, as well as the letters exchanged between Katai and her until just after the publication of Futon. The result of this investigation reveals how the male mentor (Katai) and the female student (Okada) fought over the literary treatment of Michiyo's romantic affair. After Michiyo became romantically involved with Nagayo, her parents forced her to leave Tokyo and return home to Hiroshima. She then wrote fictionalized versions of her relationship with Nagayo, and used some parts of Katai's letters in her stories. Elsewhere in his letters, Katai was critical of Michiyo's subjective narrative. While he forbade her to continue fictionalizing her own affair, Katai himself used her affair in writing Futon. This leads us to consider this famous novel a work of sexual harassment : Katai robbed Michiyo of the authorship of her own story, and meticulously concealed her identity as a woman capable of exerting literary authorship over her own affair.

1 0 0 0 資料と方法

著者
谷川 恵一
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.101, pp.1-15, 2019

<p>文学を含む明治以降の文化資料の網羅的な収集が開始されたのは一九二三年の関東大震災前後からである。集められた明治初期の資料は、価値のない作品として文学史が周縁に押しやってきたものが大部分であり、当時刊行が始まった大規模な文学全集にもほとんど収められることがなかった。こうした膨大な資料と向き合ったのは、明治文学史ではなく、二〇世紀前後に文献学という訳語とともに移入されたphilologyであった。三木清は、文学史研究の基礎に文献学を据えたが、文献学と文学史とはけっきょく別々の道を進んでいくことになった。</p>
著者
瀬崎 圭二
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.98, pp.44-58, 2018-05-15 (Released:2019-05-15)

J・ボードリヤール『消費社会の神話と構造』の邦訳を契機として、一九八〇年代の日本には言説としての消費社会論が広まり、システムとしての消費社会が形成されていった。当時の夏目漱石のテクストの受容もそのような状況と無関係ではなく、角川文庫版漱石作品の表紙カバーとして採用されていたわたせせいぞうのイラストや、森田芳光監督による「それから」の映画化にも消費の力学を認めることができる。しかし、映画「それから」のアダプテーションには、女性表象やイメージ・ショットなどの点において原作の〈死後の生〉を見出すことができ、消費され得ない何ものかが表象されているとも言える。
著者
安 智史
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.93, pp.46-61, 2015

<p>丸山薫(まるやまかおる)は、戦前から戦時下にかけて堀辰雄、三好達治とともに第二次『四季』を主宰したにもかかわらず、四季派の異色詩人と評価されることが多い。しかし、宇宙論的SF短編やシュルレアリストの主張するオブジェ、あるいは〝工場萌え〟の先駆といえる側面をふくむ、薫テクストの無機物への感性は、狭義の詩派の枠組みを超える詩史的な感性の同時代性と、戦前から戦後をつなぐ表現の展開の結束点に位置する側面を有している。研究史上見落とされがちであったその特質を、稲垣足穂、萩原朔太郎、立原道造、中原中也および、無機的風景詩の先駆者とされる小野十三郎や、瀧口修造、山中散生(ちるう)らシュルレアリストとの、同時代性と影響関係を中心に解明した。</p>
著者
大川内 夏樹
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.93, pp.16-31, 2015-11-15 (Released:2016-11-15)

北園克衛の初期の代表作である「記号説」には、映画のモンタージュを思わせる簡潔な言葉の羅列、あるいは語句や言い回しの反復といった特徴的な表現が見られる。これらの表現は、北園が強い関心を寄せていたモホリ=ナギの「大都市のダイナミズム」の受容を通して生み出されたものだと考えられる。また「記号説」と「大都市のダイナミズム」との間には、作品中に都市的な建築物のイメージを用いているという共通点もある。このような建築物のイメージに注目することで、これまでの研究ではしばしば〈意味〉の無い〈抽象画〉のような詩とされてきた「記号説」を、都市を描いた詩として捉え直す可能性が見えてくる。
著者
坂 堅太
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.87, pp.81-95, 2012-11-15 (Released:2017-06-01)

This paper explains Abe Kebo's motives for writing "Henkei no kiroku," focusing on a variety of representations of the dead during the Second World War. First, it introduces his ideas from around the same period about the recording of facts, and analyzes "the dead" as an allegorical signifier. This leads to the conclusion that Abe was not so much trying to depict the War itself as the linguistic environment surrounding the representations of the dead. It also suggests that the corpses of the Chinese people depicted in the story invalidate the narrative inside Japan that held that Japanese are the war victims. The analysis shows that Abe wrote "Henkei no kiroku" as a criticism of the Japanese discussion of war responsibility.
著者
片野 智子
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.99, pp.64-79, 2018

<p>本稿では、『聖少女』における「ぼく」とその姉、未紀とその父による二つの近親相姦を比較することで、少女が実の父への近親相姦的欲望を諦めることで父に似た別の男性と結婚するという、女性のエディプス・コンプレックスの克服を無批判に描いているかに見えるこの作品が、実はマゾヒストたる未紀が自らの求める苦痛=快楽のために父への近親愛や近親相姦の禁止という〈法〉さえも利用するラディカルな物語であることを明らかにした。更に、未紀は苦痛=快楽を得るために「ぼく」との結婚をマゾヒズム的な契約関係へすり替えもする。そうした未紀のマゾヒズムは、近親相姦の禁止という〈法〉が実は父権的な家族を維持するためのシステムにすぎないことを暴くと共に、男性中心的な快楽のありようや結婚という制度を内側から解体していく契機を孕んでいることを示した。</p>