著者
片野 智子
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.97, pp.49-64, 2017-11-15 (Released:2018-11-15)

ジュディス・バトラーによれば、主体ならびに身体・性とは権力が産出する構築物であるという。それ自体は確かに正しいが、そこで看過されているのは、妊娠・出産する女性の物質的な身体――〈妊む身体〉である。そこで本稿は倉橋由美子の『暗い旅』と初期短編における〈妊む身体〉の不随意性に着目し、それを見失うことなく権力に抵抗するあり方を提示した。まず初期短編を通して〈妊む身体〉をめぐって構築される男/女=主体/客体という権力構造を分析している。その上で『暗い旅』の考察に入り、匿名の語り手から呼びかけられることで主人公の「あなた」が女という性を否応なく引き受けさせられるも、〈妊む身体〉の不随意性を足がかりに、女の性を演ずる行為に転換する過程を論じた。更に、こうした「あなた」の演技性が主体を撹乱すると同時に、主体を根拠としない権力への抵抗にもなり得ることを明らかにした。
著者
田部 知季
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.96, pp.1-16, 2017-05-15 (Released:2018-05-15)

本稿では、明治三十年前後の虚子俳論を日清戦後という時代相の中に布置し直し、その曲折の実態を明らかにした。当初俳句を叙景詩と定位していた虚子は、「大文学」待望論が加熱する日清戦後文壇の中、次第に人事句や時間句を支持し始める。そうした複雑な表現内容の追求は、定型を逸脱した「新調」を招来するが、虚子はその背後で俳句形式からの「蝉脱」をも提唱していた。当時の虚子は俳句を「理想詩」として擁立することに挫折した反面、自立化が進む新派俳壇において指導的な地位を確立していく。虚子が明治三十年中頃に至って定型へと回帰していくのも、そうした彼を取り巻く状況の変化に起因すると考えられる。以上の動向を描出することで、俳句というジャンルの通時的な実体性を批判的に問い直す、俳句言説史の一端を提示した。
著者
武内 佳代
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.91, pp.143-158, 2014

田辺聖子の短篇「ジョゼと虎と魚たち」(一九八四)を取り上げ、主人公の女性障害者ジョゼのニーズのあり方について、障害学とジェンダー研究の観点から改めて分析を行った。それにより、結末で死と等価物として映し出されるジョゼの「幸福」にディスアビリティとジェンダーによって拘束された彼女のニーズの閉塞状況を読み解き、それが一九八〇年代の女性障害者の多くに課せられた閉塞状況そのものであることを指摘した。その上で、さらにそのように読み取ることそれ自体に、現代リベラリズムに抗する読者によるケアの倫理/読みの倫理の契機を見出し、文学テクストの表象分析とケアの倫理との接続を試みた。
著者
高橋 重美
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.88, pp.49-64, 2013-05-15 (Released:2017-06-01)

Towards the end of the first decade of the twentieth century, Tayama Katai wrote modern poetry themed on young girls, to be carried each month on the first page of the magazine, Shojo sekai, a publication for young girls, from September 9, 1909 to February1, 1910. This paper examines all forty-two poems that appeared in Shojo sekai in order to understand why Katai employed the Romantic rhetoric that he did, and why it was employed in a young girls' magazine. This is discussed in the context of the coexistence of both Romantic and Naturalistic approaches in Katai's other writings during the same period. The intent is to help explicate the process by which "girls' sexuality" was constructed (to use a term that came into critical favor in the last two decades). This includes an examination of the term "Romanticism" itself as used by Katai to typify the outlook of young girls.
著者
川崎 公平
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.91, pp.111-126, 2014-11-15 (Released:2017-06-01)

本稿は、山川方夫の小説群に通底する「恐怖」の主題について考察するものである。山川の作品において恐怖は、距離の秩序の崩壊とそれによる感覚の惑乱によって特徴づけられるものであり、「人間」と「もの」、「生」と「死」が様々なかたちで二重化する局面において現れるものである。そして、その恐怖のモデルとなっているのは、映画や写真などのイメージを前にしたときの鮮烈な感覚体験である。様々な他者との関係を恐怖とともに描く山川の小説は、そうしたイメージ的体験を、現実の人間関係へと移植することによって形成される。以上のような分析を通して本稿は、イメージ的体験や感覚的恐怖との関係が、山川のあらゆる小説を貫く中心主題であることを明らかにする。
著者
植田 理子
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学
巻号頁・発行日
vol.96, pp.17-32, 2017

<p>泉鏡花最初の戯曲「深沙大王」は、明治三七年九月本郷座での新派合同劇のために書き下ろされた。鏡花の小説「水鶏の里」をもとにした「深沙大王」は、社に物の怪の集う「ふるやしろ」を物語の中心に据える。鏡花は小説の内容を踏まえた「ふるやしろ」と新たに設けた男女の物語をつなぐ人物として、伝助という悪役の造型に力を注いでいる。クライマックスで洪水の幻に追われ狂乱する伝助の姿は、俳優の演技を想定したと考えられ、また小説では語り伝えられていた洪水の瞬間が、「深沙大王」では因果関係とともに明示される。これらの表現は、現実の空間で物語を展開する演劇の創作を通して獲得されたのではないか。</p>
著者
瀬崎 圭二
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.93, pp.122-136, 2015

<p>安部公房の脚本による「目撃者」は、一九六四年一一月二七日に放送されたテレビドラマである。このドラマは姫島に起こった実際の集団暴行致死事件を素材としており、この事件は当時のメディアで「西部劇」や「映画」になぞらえられていた。ドラマは、事件を再現表象するドキュメンタリー・ドラマの制作そのものを描いており、そのような方法を採ることで、関係者による事件の隠蔽を批評する立場に立つと共に、事件の再現表象の困難を伝え、さらには映像による再現表象そのものを問いかけようとするのである。このような方法を採用した「目撃者」は当時も高く評価されていたが、ドキュメンタリー番組が定着していった当時の状況を相対化する表現としても評価できよう。</p>