- 著者
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森川 敏育
- 出版者
- 桜花学園大学
- 雑誌
- 桜花学園大学人文学部研究紀要 (ISSN:13495607)
- 巻号頁・発行日
- vol.10, pp.151-169, 2008-03-31
- 被引用文献数
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有馬,下呂と並び日本三名泉といわれる草津温泉は,高温で強酸性泉であるが故に,古くから薬湯としての効果が高く,かつて不治の病といわれたハンセン病患者が治療のために多く集まった。現代の不治の病「がん」患者が,秋田県の八幡平山麓にある玉川温泉に,一縷の望みを掛けて全国から集まってくるのに似ている。草津温泉は,明治2年(1869)の大火災以降,旅館業界に世代交代が起り,それまでハンセン病患者と一般湯治客が混在していた温泉街で,ハンセン病患者を分離させようとする動きが起り始めた。そして世界的にも例をみない,ハンセン病患者による自治集落「湯之沢」が誕生した。しかし,この動きこそが戦後の高原観光都市化へと発展し,湯治場温泉から広域観光の基地とスポーツ,音楽の観光温泉地へと脱皮するプロローグとなった。草津温泉が,過去の歴史的時代にハンセン病とどのようにかかわりを持ちながら今日に至ったかを,観光地理学的に明らかにしたい。