著者
菅原 道夫
出版者
日本比較生理生化学会
雑誌
比較生理生化学 (ISSN:09163786)
巻号頁・発行日
vol.30, no.1, pp.11-17, 2013-03-01 (Released:2013-04-02)
参考文献数
26
被引用文献数
1

キンリョウヘン(Cymbidium floribundum)の花に,ニホンミツバチ(Apis cerana japonica)の働きバチだけでなく,オバチも女王バチもさらには分蜂群や逃亡群までもが誘引されることが知られている。この誘引物質が,3-hydroxyoctanoic acid(3-HOAA)と10-hydroxy-(E)-2-decenoic acid(10-HDA)の混合物であることを明らかにすることができた。ニホンミツバチは,大顎腺に3-HOAAと10-HDAを持っていると報告されている。まだ確証はないが,この混合物は集合フェロモンとして機能していると思われる。これらは混合物としてはじめて機能し,単独では誘引力がない。キンリョウヘンは,ハチの大顎腺から分泌されるフェロモンを擬態しニホンミツバチを誘引していると考えている。 これまで,日本では,ニホンミツバチを使った伝統的な養蜂において,分蜂群を捕獲するためにキンリョウヘンが利用されてきた。この誘引物質の発見は,キンリョウヘンの代わりになる分蜂群を捕獲するルアーの作成に道を開く。さらに,これらの成分に ニホンミツバチと同様に誘引される22)トウヨウミツバチ(A. carina)の他の亜種を使った東南アジアにおける伝統的な養蜂の技術革新に貢献できると思われる。加えて,ジャワからのトウヨウミツバチの侵入がセイヨウミツバチ(A. mellifera)による養蜂の脅威となっているオーストラリアにおいて,トウヨウミツバチの効果的な捕獲法の開発を可能にするであろう。
著者
長谷川 英一
出版者
日本比較生理生化学会
雑誌
比較生理生化学 (ISSN:09163786)
巻号頁・発行日
vol.25, no.4, pp.156-164, 2008 (Released:2009-07-09)
参考文献数
44

一生のうちに,川と海の間を往き来する魚を通し回遊魚(Diadromous fish)という。そのような魚種としてウナギ,アユ,サケ(シロサケ),ヨシノボリなどが挙げられる11)。淡水と海水という塩分濃度が著しく異なる水域を彼らは何故回遊するのであろうか。それを支える生体内でのメカニズムについては,内分泌系(ホルモン)や感覚神経系(嗅覚)の関与が解明されている30)。このようなメカニズムがこれらの魚に備わったのは,環境適応による種遺伝子の保存という進化論がその答えを与えてくれるであろう。 ダーウィンが「種の起源」を著し,生物の進化論が世に広まったのは1859年のことである。それからほぼ1世紀が経過した1958年に Wald43)は視覚の機序を司る化学物質である視物質(Visual pigment)からみた脊椎動物の進化を発表した。 生物はその進化とともに光を効率よく利用するために視覚器を発達させてきた。視覚は明暗と色彩に関わる感覚であり,また,これに基づく空間知覚にあずかる機能を持ち,生存のために重要な役割を担っている。視覚は網膜内にある光受容細胞である視細胞中の視物質が先ず光化学変化を起こすことに始まる。本稿ではこの重要な化学物質である視物質とその光化学変化量を制御する役割の網膜運動反応(retinomotor movement)7),そして視運動反応(optomotor reaction)26)を利用した行動生理学的実験などを紹介し,通し回遊魚の視覚のメカニズムとその資源生物学的意味について考える。
著者
八木 光晴 及川 信
出版者
日本比較生理生化学会
雑誌
比較生理生化学 (ISSN:09163786)
巻号頁・発行日
vol.25, no.2, pp.68-72, 2008 (Released:2008-05-22)
参考文献数
38
被引用文献数
6 4

Body size is one of the most important axes to understand a large biodiversity. An amazing diversity in body mass of lives ranges over about 21 orders of magnitude, from a tiny bacteria such as Mycoplasma weighing 10-13g to a giant Sequoia tree weighing 109g. As a consequence of this variation, nearly all the structures and functions of organisms are constrained with body size, from the molecular, cellular and whole-organism levels to the ecological and evolutionary dynamics. These relationships are well described by the allometric equation. In this note, we introduce backgrounds to focus on some important correlates and consequences of body size, in particular on energy metabolism at the level of individual organism. Metabolism of an individual organism reflects the energy and material transformations that are used for both the maintenance of existing structure and the production of new biomass. Although body size is a primary determinant for metabolic rates, metabolism-body size relationships, in particular within species, i.e., the ontogenetic changes of metabolism with growth have not been well established in many species. The metabolic scaling in biology still keeps an intriguing and enduring problems.
著者
井上 武
出版者
日本比較生理生化学会
雑誌
比較生理生化学 (ISSN:09163786)
巻号頁・発行日
vol.36, no.3, pp.166-174, 2019-12-20 (Released:2020-01-10)
参考文献数
54

動物は,外部からの刺激がない環境でも不規則に運動することがある。この自発的に起こるゆらぎは,環境応答行動や指向性運動の正確さを妨げると考えられてきたため,その役割はあまり注目されてこなかった。しかし近年,プラナリアなどを用いた解析から自発的な運動が動物行動の適応性に重要であることが明らかになった。プラナリアは,感覚器官を介して感知した様々な環境情報を脳に集約することで適切な応答行動をとる。例えば,光刺激を頭部にある左右1対の眼で受容し,受け取った信号を脳に送って処理することで光から逃避する行動を示す。プラナリアの光応答行動を制御する機構はすでに十分明らかにされていると考えられていたが,近年,不規則に頭部を左右に振る自発振動が光の方向を正確に認識して効率的に逃避するために不可欠であることが明らかになった。また,自発振動の角度はプラナリアの眼の傾きの角度と相関していたことから,自発振動は眼の形態と密接な関係があることも分かった。さらに,自発振動は落ち葉や石の窪地に隠れるための行動にも必要であるだけでなく,その角度は光応答行動と隠れ行動の両方にとって最適な角度になっていることも明らかになった。これまでノイズと考えられていた自発的に起こる不規則な運動は,従来考えられてきた以上に,動物行動の適応性や効率のために巧みに調節されていることが見えてきた。
著者
北條 賢
出版者
日本比較生理生化学会
雑誌
比較生理生化学 (ISSN:09163786)
巻号頁・発行日
vol.33, no.2, pp.60-67, 2016-07-01 (Released:2016-07-27)
参考文献数
63
被引用文献数
1

生物はなぜ他個体に協力的な振る舞いを示すのか?この疑問は生物学の大きな命題の一つとして長年議論されている。相利共生は個体が互いに利益を与え合う生物種間の協力的な関係であり,関係を持つ個体同士が栄養や防衛,繁殖といった商品やサービスを交換し合う。しかしながら,相利共生には潜在的な利害対立が存在し,理論的には対価を支払わずに相手のサービスを搾取する「裏切り」が個体にとっての最大の利益をもたらす。そのため各個体は,パートナーの潜在能力・相手から受け取った直接的な利益・相手の過去の振る舞い・自らの社会的状況といった様々な要因に応じて,協力行動をとるか否かの意思決定を柔軟に下す必要がある。近年,送粉共生・防衛共生・掃除共生において,協力行動の生理的メカニズムに着目した研究が進み,神経修飾物質・神経ホルモンを介した協力行動の可塑性や連動性の一端が明らかにされつつある。今後,生態学的に妥当な条件下で協力行動が制御される生理学的メカニズムを明らかにしていくことで,相利共生を始めとする生物の協力行動の総合的な理解が深まることが期待される。
著者
小島 慧一 柳川 正隆 山下 高廣
出版者
日本比較生理生化学会
雑誌
比較生理生化学 (ISSN:09163786)
巻号頁・発行日
vol.39, no.3, pp.122-131, 2022-12-07 (Released:2022-12-21)
参考文献数
34

ヒトを含む多くの脊椎動物は,明所では色を識別できるものの,暗がりでは色を識別できない。これは,明所で働く視細胞・錐体を複数種類持つ一方で,暗がりで働く視細胞・桿体を1種類しか持たないことに起因する。しかし,多くの種が夜行性であるカエルやヤモリは,「暗がりで色を識別できる」特殊な能力を持つことが古くより知られていた。これは,カエルには通常の桿体に加えて特殊なもう1つの桿体(緑桿体)が存在し,また,夜行性ヤモリには3種類の桿体が存在することに起因すると考えられていた。そして通常,桿体には光受容タンパク質・ロドプシンが含まれるが,カエルの緑桿体や夜行性ヤモリの桿体にはロドプシンは含まれず,本来は錐体の中で明所での視覚を担う錐体視物質が含まれる。しかし,錐体視物質に比べてロドプシンは,光がない時の熱活性化頻度を低下させることで暗がりでの視覚に貢献しているため,「桿体に含まれる錐体視物質は暗がりでの視覚に利用できるのか?」という課題があった。そこで私たちの研究グループは,独自に開発した生化学的解析法を駆使することで,カエルと夜行性ヤモリの錐体視物質が,ロドプシンのように熱活性化頻度を低下させていることを明らかにした。カエルと夜行性ヤモリは,収斂進化によってロドプシン様の性質を持つ特別な錐体視物質を生み出したことで,夜にカラーで周囲の状況を認識することが可能となり,自身の生活に役立てていると考えられる。
著者
市之瀬 敏晴 山方 恒宏
出版者
日本比較生理生化学会
雑誌
比較生理生化学 (ISSN:09163786)
巻号頁・発行日
vol.34, no.4, pp.108-115, 2017-12-28 (Released:2018-01-17)
参考文献数
60

ドーパミンは睡眠,学習や求愛行動など,動物のさまざまな行動を制御する。中脳ドーパミンニューロンは,報酬刺激に対する一過的なバースト発火を生理学的特徴とするが,その多くは,外界からの刺激がない状態でも内因的な神経活動を示すことが知られている。先行研究により,このドーパミンニューロンの「自発活動」は,学習などの脳機能に重要な役割を果たすことが分かってきた。しかし,行動との因果関係やその作用メカニズムについては,未だ不明な点が多い。近年,モデル生物であるキイロショウジョウバエDrosophila melanogasterの脳内においてもドーパミンニューロンが自発的な活動を示すことが分かってきた。最新の生理学的手法,および遺伝学的アプローチにより,ショウジョウバエの行動および内的状態がこの自発活動に反映されており,その変化は個体レベルの行動に直接的に影響することが明らかとなりつつある。さらに自発活動の制御に関わる分子やドーパミンニューロンの局所回路も同定されつつある。本総説では,ショウジョウバエを中心とした最新の知見をまとめ,ドーパミンニューロンの自発活動が動物の行動制御において果たす意義について考察したい。
著者
小泉 修
出版者
日本比較生理生化学会
雑誌
比較生理生化学 (ISSN:09163786)
巻号頁・発行日
vol.16, no.4, pp.278-287, 1999-12-31 (Released:2011-03-14)
参考文献数
33
被引用文献数
3
著者
後藤 彩子
出版者
日本比較生理生化学会
雑誌
比較生理生化学 (ISSN:09163786)
巻号頁・発行日
vol.35, no.3, pp.150-157, 2018-12-25 (Released:2019-01-21)
参考文献数
50

社会性膜翅目昆虫(アリ,ハチ)では,女王は羽化後まもない時期にしか交尾しないため,この時に受け取った精子を体内の受精嚢という袋状の構造の中に寿命が続く限り貯蔵する。アリ科の多くの種の女王の寿命は10年以上と,昆虫としては例外的に長いため,精子貯蔵期間も極端に長い。他のハチ類と比較して,アリ科の受精嚢は非常に巨大で構造も特殊であることから,精子貯蔵に重要な機能をもっていると予想できる。女王アリの受精嚢内に貯蔵されている精子は不動化されていることから,精子は代謝が抑えられ,休眠状態を保っていると考えられる。貯蔵後5年経過した精子でも,受精嚢の外に出すとべん毛運動をはじめることから,核が収納されている頭部のみならず尾部に到るまで,女王は精子の機能を損なうことなく貯蔵していると言える。アリの精子形態は他の種と大きな差は見られないものの,酸化されにくさなどの細胞学的な性質は全くの不明であるため,今後の研究が進むことを期待している。また,受精嚢で高発現している遺伝子も特定されており,精子貯蔵に関与すると予想していた抗酸化酵素や受精嚢内環境に影響するイオンや糖のトランスポーターをコードする遺伝子のほか,具体的な機能は不明だが,発現量が極めて多い遺伝子も見つかった。今後はこれらの分子がどのように精子の生理状態や生存に影響するかを明らかにする必要がある。
著者
山下 茂樹
出版者
日本比較生理生化学会
雑誌
比較生理生化学 (ISSN:09163786)
巻号頁・発行日
vol.12, no.1, pp.25-32, 1995-03-15 (Released:2011-03-14)
参考文献数
44
著者
橘木 修志 河村 悟
出版者
日本比較生理生化学会
雑誌
比較生理生化学 (ISSN:09163786)
巻号頁・発行日
vol.34, no.3, pp.70-79, 2017-09-21 (Released:2017-10-06)
参考文献数
48
被引用文献数
1

脊椎動物の網膜には桿体と錐体の2種類の視細胞が存在する。いずれも光を検出して神経情報に変換する働きをしている細胞であり,互いによく似ている細胞である。その一方,光に対する応答の仕方には2つの点で大きな違いがある。一つめの違いは光に対する感度の違いである。光に対する感度は錐体よりも桿体のほうが著しく高い。このため,我々は暗いところで桿体を使って物を見ることが出来る。もう一つの違いは応答の持続時間の違いである。同じ光刺激に対して,錐体は桿体より短く応答する。このため,錐体が働く明るい光環境下では,より高い時間分解能で光刺激の変化を見ることが出来る。応答の異なる2種類の視細胞を使い分けることにより,我々は様々な光環境で物を見ている。ところが,桿体と錐体の応答の違いがどのような分子メカニズムで決まっているのかについては長らく不明であった。著者らは魚類のコイの網膜から精製した桿体と錐体を材料として,その違いの生じる分子メカニズムを研究している。本稿では著者らの成果を中心に,これまでにわかってきたことを紹介したい。
著者
酒井 正樹
出版者
日本比較生理生化学会
雑誌
比較生理生化学 (ISSN:09163786)
巻号頁・発行日
vol.29, no.4, pp.243-261, 2012-12-20 (Released:2013-01-22)
参考文献数
19

今回はシナプス伝達をとりあげる。シナプスとは,簡単に言うとニューロンとニューロン,あるいはニューロンと筋細胞や腺細胞とのつなぎ目のことであり,シナプス伝達とは,つなぎ目を越える信号の受け渡しである。これまで,本シリーズ3回の講義を受けた学生にとって,シナプス伝達はとくにむずかしいとは思われない。事象の説明には,活動電位伝導のときのようなモデルや比喩は必要なさそうである。それに高校で生物を学んでおれば,細胞や蛋白質の一般知識が役に立つ。たとえば,シナプス小胞からの伝達物質の放出は,ホルモン分泌で見られる小胞や膜状嚢の開口放出として,また伝達物質が受容体に結合してイオンチャネルが開く機構は,低分子物質と酵素の結合で生じるアロステリックな反応として理解できる。 とはいえ,シナプス伝達のしくみを,個々の実験事実にもとづいて理解しようとするとそれほど容易ではない。まず,第1に実験材料がある。材料にはそれぞれに特徴があり,結果も異なってくる。第2に実験条件がある。シナプスの研究においては,しばしば伝達を減弱させたり,増強させたりする処置がとられる。そのことをよく知っておかねばならない。第3に伝達にかかる時間がある。シナプスでは,きめて短時間に一連の事象が進行するが,それぞれの反応には開始とピークと終了がある。第4に記録部位の問題がある。シナプスで発生した電位は,ニューロンのどこで記録するかによって,その大きさや時間的変化の様子が大きく異なってくる。このことも知っておく必要がある。第5には伝達物質と受容体である。これらは複雑かつ多様であり,正しく覚えておくことはむずかしい。いきおい学ぶ側も教える側も材料や条件は脇へ置いて,結果だけを単純な模式図ですましてしまう。そうすると,シナプスは,たんなるニューロンとニューロンの接続部分で,シナプス伝達は信号の中継にすぎなくなってしまう。しかし,シナプスは,信号の連絡と同時に統合の場であり,学習・記憶の要であり,毒物・薬物の作用部位であり,精神疾患や遺伝病とも深く関わっている。だから,シナプスは正しく理解しておかねばならない。では,講義をはじめよう。
著者
勝又 綾子 Jules Silverman Coby Schal
出版者
日本比較生理生化学会
雑誌
比較生理生化学 (ISSN:09163786)
巻号頁・発行日
vol.31, no.4, pp.220-230, 2014-12-25 (Released:2015-01-19)
参考文献数
66
被引用文献数
4

チャバネゴキブリの駆除には糖で甘味づけした毒餌が用いられる。しかし毒餌によって急激な淘汰圧を受けた地域では, 毒餌を食べない個体群が出現する。私たちは, これらのゴキブリが摂食促進物質として毒餌に使われるグルコースを忌避することを示し, また, 強い淘汰圧下で出現した「グルコース忌避」という適応的食物選択行動が, 味受容細胞の感受性の変異によることを, 電気生理学的手法で明らかにした。グルコースを好む野生系統(WT型)は, 他の生物種と同様に, 口器にある甘味物質感受性の味受容細胞でグルコースを受容する。しかしグルコース忌避系統(GA型)では苦味物質を感受する味受容細胞がグルコース感受性を示す。つまりGA型のゴキブリは, グルコースを甘味ではなく苦味として判断していると考えられる。また, グルコースと誘導体を用いた構造活性相関試験によって, GA型の苦味受容細胞に発現している味覚受容体の構造が, グルコースと結合するように変異している可能性があることがわかった。急激な環境変化に伴い生物個体群が適応的食物選択行動を新しく出現させる時, 味受容細胞の感受性の遺伝多型が重要な役割を果たしていると考えられる。
著者
鈴木 惠雅 宮本 武典
出版者
日本比較生理生化学会
雑誌
比較生理生化学 (ISSN:09163786)
巻号頁・発行日
vol.32, no.2, pp.76-82, 2015-06-10 (Released:2015-06-22)
参考文献数
47

本来,我々にとって最も日常的な食べ物の好き嫌いは生得的に決まっている。しかし,新奇の味を摂取後,内臓不調により不快に感じると,その味を忌避するようになる(味覚嫌悪学習)。この時に獲得する記憶を味覚嫌悪記憶という。一方で,嫌悪記憶を獲得した味も, 内臓不調を伴わず快と感じれば嫌悪記憶を読み出せなくなり,その味を再び好むようになる(消去学習)。この時に獲得する記憶を消去記憶という。我々は,マウスを用いた行動実験によって,性成熟を促す雄性ホルモン(アンドロゲン)の一つであるテストステロンが,味覚嫌悪学習後の消去記憶の保持機構に著しい影響を及ぼすことを明らかにしてきた。その結果,消去記憶の保持機構の成熟は,消去に関連する脳部位(扁桃体,前頭前野腹内側部)が,性成熟前と性成熟後の2段階でテストステロンに曝露されることが必要であり,特に,性成熟前の高くはないが一過性のテストステロン曝露が非常に重要であることが示唆された。近年,行動の発現を調節する中枢神経系への性ホルモンの作用に注目した研究が数多く報告されている。本稿では,性成熟の視点から,味覚嫌悪学習後の消去記憶保持機構の成熟に対するテストステロンの役割について,主として我々の研究成果を通して解説する。