著者
岩永 雅也
出版者
日本高等教育学会
雑誌
高等教育研究 (ISSN:24342343)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.65-84, 1999-05-23 (Released:2019-05-13)
参考文献数
13

The university has long been regarded as an institution for exclusively training the elite. For the several hundred years since the network of modern universities was completed during the 15 th century in the West, universities have, in fact, produced the social elite, and they have done so in an exclusive manner. After the end of the Second World War, however, sophisticated industrial restructuring and the “massification”of society have led to massification of higher education in almost all advanced nations. In a “massified”society, universities transform themselves into massive and massified systems, prompted by greater numbers of students, diversification, and division into increasingly smaller units, but in the process they lower educational standards and the students’intellectual quality. In recent years, rapid advances in telecommunications and information technology have made institutions of higher learning almost universally accessible. The “universalization”of the university is progressing, along with corresponding changes in the organization and quality of higher education, just as the universities underwent transformation with their “massification”before the 1990s. Training of the elite by the university has been particularly affected by the social phenomena of massification and universalization. Even massified and universalized universities continue to produce the social elite, for lack of bettersuited institutions. Elite candidates, however, are only a small fraction of the entire student population. Moreover, the boundary between ordinary students and “elite candidates”is now blurred. Special educational agendas for a handful of elite students have disappeared, at least from the undergraduate curriculum. If society needs an elite population, where and how will such people be trained? One of the answers lies in “gifted and talented education.” This concept itself goes against the “equal and universal education”meted out according to the students’calendar age, but it is a first step towards achieving a flexible university education system. This concept is different from the conventional “elite”education in that it does not aim at producing a cluster of social elite, but encourages its eventual production by not stopping advanced education of the ablest. This kind of ability-based education has yet to develop methodology and must still overcome many social barriers. It is definitely not an easy course, but for many universities aggressive promotion of this type of education is the only practical course, given the current universalized education system and assuming universities do not want to revert to the elite education system of the past.
著者
田中 秀明
出版者
日本高等教育学会
雑誌
高等教育研究 (ISSN:24342343)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.147-170, 2018-05-25 (Released:2019-05-25)
参考文献数
33

2017年,政府は「人づくり革命」を政策アジェンダとして掲げ,保育・教育の無償化に2兆円を投じることを決めた.人的投資の充実は,現代の福祉国家における喫緊の課題となっているが,日本における教育無償化を巡る議論では,教育の問題点や解決策などについてデータに基づく分析が乏しい.本稿では,年金や医療等の社会保障の問題を分析するとともに,教育財政と公的支援のあり方を議論する.教育は福祉国家のあり方に関係するからである.保険制度に過度に依存した日本の社会保障を改革し,人的投資に資源を振り向けることができるかが,少子高齢化を乗り切るための鍵である.ただし,教育への公的資金の投入には逆進性などの問題があるため,慎重な制度設計と高等教育全般にわたる改革と戦略が必要である.
著者
天野 智水
出版者
日本高等教育学会
雑誌
高等教育研究 (ISSN:24342343)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.151-170, 2015-05-30 (Released:2019-05-13)
参考文献数
15

本稿は国立大学教員の昇給と勤勉手当制度を取り上げ,主として部局長および学科等の長を対象とした質問紙調査の方法により,その決定方法と基準に関する実態と,組織長たちの問題意識を探った.その結果,全体として昇給・勤勉手当は教員の活動・業績を幅広く,地域貢献を除いて概ね等しく反映させて決定されていたこと,および,その決定に際しては教員集団による審議や,学科等の基礎組織の長が与える影響は小さく,部局長の判断がはるかに大きな影響を及ぼすという実態が明らかになった.また,問題意識の分析からは,部局ではなく学科等レベルに相対評価を持ち込むことは,業績主義にとって重大な問題となりうることがうかがえた.こうした結果を踏まえ,教員給与制度の現状とあり方について考察を行った.
著者
絹川 正吉
出版者
日本高等教育学会
雑誌
高等教育研究 (ISSN:24342343)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.7-27, 2005-04-30 (Released:2019-05-13)
参考文献数
9

大学学部(学士課程)卒業者に対して与えられる「学士学位」は,いかにして同定されるか,という問題を,リベラルアーツ教育を基軸にして論評する.「学士学位」を同定するための法的根拠は,大学設置基準である.しかし,同法令の内容は,学部(学士課程)のシステムに限定されていて,学部(学士課程)の教育内容にまでは及んでいないから,同法令を「学士学位」の同定根拠にすることは,ほとんど意味がない.そこで,さらに大学基準協会の「学士課程基準」および大学審議会答申「21世紀の大学像」(1998年)の提示する学士課程像とAALE(The American Academy for Liberal Education)のリベラルアーツ教育基準を比較検討することにより,「学士学位」を同定する基準について論ずる.
著者
中世古 貴彦
出版者
日本高等教育学会
雑誌
高等教育研究 (ISSN:24342343)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.195-212, 2018-05-25 (Released:2019-05-25)
参考文献数
41

本稿は,近年深刻な財政難に苦しむカリフォルニア州の高等教育における公立研究大学と州議会との対立に注目し,機能別分化政策的な解釈,大学理事会と政府との葛藤を直視しない立場,政策転換自体が必要とする観点からは見出し難い,同州のモデルが含意する大学の自律性の現代的な意義を検討する.財政難の中で州民への背信ともとれる行動をとったカリフォルニア大学に対し,州議会は統制強化を試みた.だが,公的使命の遵守を求めた公権力の介入は,大学が公的使命を果たすことを一層困難にしようとしていた.こうした対立を乗り越え,旗艦州立大学が卓越性追求を維持しつつ社会的使命を果たし続けるためには,政治的独立性に裏打ちされた真正な自律性が極めて重要であったことが明らかとなった.
著者
吉田 香奈
出版者
日本高等教育学会
雑誌
高等教育研究 (ISSN:24342343)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.161-179, 2012-05-30 (Released:2019-05-13)
参考文献数
48

本稿では,アメリカ連邦政府が実施する学生ローンの延滞・債務不履行問題を検討し,その抑制策の特徴として以下の点を指摘した.すなわち,(1)債務不履行者の多い大学に対し連邦学生支援の利用資格を停止・剥奪するペナルティを実施していること,(2)破産者への学生ローン返還免責の禁止等,日本にはない厳しい回収制度が存在すること,(3)段階型・延長型・所得連動型返還といった返還方法の多様化が図られていること,である.これらの取り組みにより債務不履行率は大幅に減少しており,一定の成果が得られている.ただし,(3)については「返したくても返せない者」をより一層困難な状況に追い込んでおり,セーフティネットの面からみて問題視されている.以上を踏まえ,最後に日本への示唆として3点を述べた.
著者
中村 高康
出版者
日本高等教育学会
雑誌
高等教育研究 (ISSN:24342343)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.47-61, 2011-05-30 (Released:2019-05-13)
参考文献数
23

「高大接続」といえば通常は「教育接続」であるが,高校生の視点から見れば「地域」の観点も接続問題にからんでくる重要なトピックとなりうる.そのことを示すために,本稿では,高校生を対象とするインタビュー・データを用いて,まず最初に,現代の進路多様校の高校生たちには「狭小ローカリズム」が作動していることを示す.続いて,このインタビュー結果を裏付ける量的データを示す.最後に,構造方程式モデルを用いて進学とローカリズムの因果の方向性を検討する.以上の結果から,大学進学率の上昇は若者たちのローカリズムを変容させる可能性があり,「教育接続」の議論の背後で進行するこうした社会変容の可能性を意識しておくことも重要であることを示す.
著者
山内 乾史 南部 広孝
出版者
日本高等教育学会
雑誌
高等教育研究 (ISSN:24342343)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.9-25, 2013-05-30 (Released:2019-05-13)
参考文献数
19

本稿は,比較教育研究の観点から見た高等教育研究の状況について検討することを目的としている.もともと高等教育は国境を越える性格を有していることから,わが国の高等教育研究において比較という研究手法は当初から意識されてきた.日本高等教育学会と日本比較教育学会の学会誌掲載論文の比較では,対象地域の広がりの点で違いはあるものの,どちらも「合わせ鏡」的研究が多く,近年「トランスナショナル研究」の増加が見られるという共通の傾向が確認された.また,年次大会における研究発表題目の分析からは,両学会ともに大学教育の内実に関わる研究が限定的であることが浮かび上がった.互換可能性を高める改革の要請やトランスナショナル高等教育の新たな展開などが強まっている現在,比較という手法はますます重要性を増すと考えられる.
著者
小方 直幸
出版者
日本高等教育学会
雑誌
高等教育研究 (ISSN:24342343)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.171-190, 2015-05-30 (Released:2019-05-13)
参考文献数
15

本稿は,2012年から2013年にかけ策定された,国立大学改革プランを取り上げ,教員養成分野のミッションの再定義に着目することで,現代における政府と大学の自治の関係を,以下の3つの視点から問い直すことを目的としている.第1は,文科省と政府との関係で,文科省が,なぜ教員養成分野の改革に本腰を入れる必要に迫られたか,まずは概観する.第2は,文科省と教員養成大学・学部との関係で,事例考察を通して,政府と大学の自治を考察する上で鍵となる,両者の具体的やり取りを明らかにする.第3は,高等教育局内部の関係で,所掌の異なるアクターの改革行動を析出し,それが実際の改革に及ぼす影響について考察する.
著者
福留(宮村) 留理子
出版者
日本高等教育学会
雑誌
高等教育研究 (ISSN:24342343)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.157-176, 2004-04-30 (Released:2019-05-13)
参考文献数
32
被引用文献数
2

The role of administrative staff in universities is currently an important issue for higher education in Japan. Since the late 1990s it has been the subject of frequent discussion, often concerning practical issues regarding administrative staff and/or university administration and proposals to resolve them. However, there remain some important issues concerning administrative staff which have not yet been clearly discussed. What are the actual roles of administrative staff? What kinds of abilities are required of them? In this article, the discussion regarding administrative staff in Japanese universities is reviewed. The article then draws clear conclusions based upon empirical data. Data was gathered through the conduct of a questionnaire survey. The survey was distributed to chief administrative officers of all four year private universities in Japan. The article refers to two points. Firstly, what kinds of abilities are required of administrative staff, and how may administrative staff be trained in these abilities? Secondly, it is argued that administrative staff should become more integrated in university decision making. At this point in time however, how do they get involved in these activities and to what extent? The following conclusions may be drawn from the survey :1. In terms of required abilities there are many differences between roles.2. In-house training is commonly used to develop staff abilities. However, in house training does not address the required abilities identified in one above. Therefore, there should be a re-consideration of what in-house training is required and whether another means to develop required abilities should be provided.3. In many universities, administrative staff can get involved in the process of decision making to some degree, but it is still thought that the degree of staff participation is not enough. The participation of administrative staff in university decision making is still under development.
著者
小林 雅之
出版者
日本高等教育学会
雑誌
高等教育研究 (ISSN:24342343)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.115-134, 2012-05-30 (Released:2019-05-13)
参考文献数
51

本稿の目的は,教育費の負担をめぐる政策の動向とりわけ授業料・奨学金をめぐる政策について,各国の動向と,それに関する研究および関連する実証研究をレビューし,政策的インプリケーションを得ることにある.日本では,子どもの教育は親に責任があり,親が学費を負担するのが当然という根強い意識がある.しかし,翻って海外に目を転じると,教育費を誰が負担するかは非常に大きな問題となっている.最大の問題は,公的負担から私的負担,さらに親負担から子(学生本人)負担への移行である.本稿ではこの視点から,学生への経済的支援が,給付型奨学金から貸与型奨学金(ローン)に移行していること,しかし,ローン負担やローン回避問題が発生し,再び給付型奨学金の重要性が高まっていることを各国の事例から明らかにする.
著者
大森 不二雄
出版者
日本高等教育学会
雑誌
高等教育研究 (ISSN:13440063)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.9-30, 2014

<p> 本稿は,大学教育改革の鍵概念となっている「教学マネジメント」及び「内部質保証」に関し,大学経営と質保証の両面で先行した英国の政策と実態に関する分析・考察から,日本にとっての含意を得ることを目的としている.</p><p> 大学教育に関する日本の政策言説は,全学的な教学マネジメントや大学ガバナンスの内部質保証にとっての有効性に,素朴なまでに信を置いている.しかし,英国の大学における教学マネジメントを含む内部質保証システムの整備の考察からは,経営機能の強化は,質保証の実質化の必要条件であっても,十分条件ではない可能性が示唆される.また,質保証の取組がコンプライアンスにとどまり,教授・学習過程にインパクトをもたらすに至っていない,との批判的分析は,質保証の一筋縄ではいかない複雑性と困難を表す.</p>
著者
吉田 文
出版者
日本高等教育学会
雑誌
高等教育研究 (ISSN:13440063)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.71-93, 2005

<p> 本稿は,アメリカの学士課程カリキュラムの構造と機能を,日本との比較の視点で検討することを目的とする.アメリカでは,先行するliberaleducation に専門教育が導入されたという歴史的な経緯があるために,学士課程教育の理念はliberal education に,実態は専門教育に傾斜という関係が,組織構造上の矛盾として存在し,その延長上でカリキュラム改革は繰り返されてきた.日本にあるもの・ないもの,アメリカにあるもの・ないものという2軸で日米を比較すると,両者ともカリキュラムの編成形態は類似しているが,日本にはアメリカのliberal education の理念はなく,アメリカには一般教育と専門教育の教員組織を別にしていたという日本の形態はなく,編成されたカリキュラムの背後にあるものが異なっていることが明らかになった.</p>
著者
吉田 文
出版者
日本高等教育学会
雑誌
高等教育研究 (ISSN:13440063)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.11-37, 2018

<p> 学生の多様化という問題が,どのように認識されどのように論じられたか,1960年代と2000年代の日本を対象に,各種の審議会の答申をもとに,イギリスとの対比で検討した.日本では,学生のメリトクラティックな選抜という観点が強く,高等教育の拡大は,能力のない学生の増加とみなされ,学生層の多様化に関しては否定的な見解が主流である.他方で,イギリスでは,1960年代以来,高等教育の拡大は,不利な背景をもつ学生層への教育の機会の提供として捉えられ,それの実現に向けての施策がとられてきた.こうした差異が生じる理由は,議論の前提としての社会的公正という理念の受容,教育拡大を社会的効用と関連して考える観点,教育拡大の結果を示す高等教育研究の蓄積によるといってよいだろう.</p>
著者
中井 俊樹
出版者
日本高等教育学会
雑誌
高等教育研究 (ISSN:24342343)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.95-112, 2014-05-30 (Released:2019-05-13)
参考文献数
24

全学的な教学マネジメントが政策的に推進される中で職員の役割の重要性が指摘されている.しかし,職員の担う具体的な役割については明確にされているとは言えない.本稿では,教務の熟達者と考えられる職員の実践の手法を収集する過程で得られた知見をもとに次の3点が明らかにされた.第一に,熟達者の教務に対する捉え方は一定の共通点をもつが個別に違いも見られた.第二に,教務の熟達者は実践の場面でさまざまな観点から状況判断をしていることが明らかにされた.その状況判断の方法は7つに分類することができた.第三に,職員はマネジメントの推進を担っていくべきだという教務の熟達者も見られたがまだ少数であり,教学マネジメントと直接関連がある内容が教務においてあまり重要であると考えられていないことが明らかにされた.
著者
大多和 直樹
出版者
日本高等教育学会
雑誌
高等教育研究 (ISSN:24342343)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.87-106, 2016-05-30 (Released:2019-05-13)
参考文献数
27

本稿は,大学改革において形成的評価による課題の共有と議論を活性化のために学生調査をどう活用できるのかについて考察するものである. ここでは,まず①学生調査の視角の特長とその意義について確認し,②近年行われた具体的な調査に言及しながら学生調査の最も定番的なI-E-Oモデル(カレッジインパクト理論)の特質を把握しつつ,分析のインパクトを高めるべくI-E-Oモデルを微修正することを試みた(Ⅲ章). 次に③現代の大学改革を捉え返す具体例として,どのような分析がありうるのかについて大学における主体的な学びを題材にしながら考える(Ⅳ章)とともに,④補足的に個別機関の調査おける分析の限界の克服を可能とする大規模調査やベンチマークの意義と動向についてみていく作業を行った(Ⅴ章).
著者
藤原 将人
出版者
日本高等教育学会
雑誌
高等教育研究 (ISSN:24342343)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.219-238, 2017-07-31 (Released:2019-05-13)
参考文献数
25

本稿では,戦後日本の適格認定の成立と実施の過程と背景を,当時の私立大学の活動―とくに「関西四大学」に焦点をあてて明らかにしながら,適格認定が個々の私立大学の活動や教育研究にどのような影響や変化をもたらしたのか,その具体的な様相を確認することにより,同制度が大学にもった意味を解明する.まず,適格認定の成立と実施の経緯をたどり,いかに大学がそれに関わっていたのかを整理する.次に適格認定の実施をめぐる関西四大学の活動とその背景を動態的に素描する.さらにそうした適格認定や各大学の活動を,当時の私立大学がもった背景とその後の政策動向のなかに位置づけて,最後に私立大学にとって適格認定はいかなる意味をもったのかを考察する.
著者
小方 直幸
出版者
日本高等教育学会
雑誌
高等教育研究 (ISSN:24342343)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.221-242, 2013-05-30 (Released:2019-05-13)
参考文献数
15

本稿は,国立大学の教育系大学・学部に着目し,その中長期的な改革動向を,ケース・スタディを通して考察したものである.教員採用動向に着目して,教員養成改革の特異なケースを客観的に抽出した後,定量・定性的双方の手法を用いて,カリキュラムや教育実践という狭義の教育改革を越えて,入試や就職支援を包摂する広義の教育改革を対象に,教員採用向上をめぐる改革と成果の因果関係,並びに改革を可能にしたメカニズムの析出を行った.さらに,モノグラフから一般的な枠組の抽出を試み,他の教育系大学・学部の改革を検証する際にも援用が可能な分析枠組を仮説的に提示した.
著者
武内 清
出版者
日本高等教育学会
雑誌
高等教育研究 (ISSN:24342343)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.7-23, 2008-05-26 (Released:2019-05-13)
参考文献数
57
被引用文献数
2

学生や学生文化の特質に関する実証的データをもとに大学教育の議論を展開する必要がある. 大学の組織・集団,カリキュラムや教育活動及び大学外の活動が,個々の学生の知識や技術の獲得,そしてキャリア形成や価値観を形づくっている.また,学生の性別,出身階層,親の教育期待,学生の入学以前の特性(成績,アスピレーション,価値観等),そして学生の動機や態度によっても,大学生の社会化(socialization)や大学教育の効果は違ってくる. 最近の傾向として大学の授業は学生に対する影響を強めている.同時に,多くの学生達は,今でも大学4年間を自分の時間を自分の好きなことに自由に使い,自己を試すモラトリアム期間と位置づけたいと思っている.また,学生達はさまざまなことが体験できる「コミュニティとしての大学」も求めている. 現代の学生は生徒化し素直な傾向があり,大学や教師の教育や支援次第で,どのようにも変りうる可能性を有している.同時に,大学生の自主性の形成も大学教育の目的である. 学生が,自分のライフコースの中で,大学時代をどのように位置づけているのか.個人的な側面と,社会的経済的な側面の両面に渡って,学生の実態と学生文化に関する実証的なデータを積み重ねて,大学教育の政策に生かしていく必要がある.
著者
山下 仁司
出版者
日本高等教育学会
雑誌
高等教育研究 (ISSN:24342343)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.87-106, 2011-05-30 (Released:2019-05-13)
参考文献数
10

高大接続,特に大学生の学力低下と,それに伴う学力担保措置のありかたについて,公開データと共に,未公開のベネッセ教育研究開発センターが行った調査結果に基づいて考察する.同センターでは,高校生とその保護者に対する進学に関する意識調査,全国の高校進路指導部の教員に対する進路指導と大学改革に関するアンケートを行った.本論文では,それらの結果をもとに,近年のユニバーサル化に伴って大学生の学力低下が起きている問題の真のありかを検討するとともに,問題解決のために高大接続テストなどの学力担保措置に求められる適切な方法や形式について,示唆を試みた.