- 著者
-
天野 郁夫
- 出版者
- 日本高等教育学会
- 雑誌
- 高等教育研究 (ISSN:24342343)
- 巻号頁・発行日
- vol.20, pp.157-176, 2017-07-31 (Released:2019-05-13)
- 参考文献数
- 13
この度日本高等教育学会から,学会創立20周年行事の一環として学会設立当時の状況や設立の背景や学会の現状について,初代学会会長として一文を寄稿するような依頼があった.学会設立の事情を語るには,高等教育研究の制度化の源流に遡って見ていく必要がある. 私が高等教育研究に関心を持ったのは,1960年代の初め,東京大学大学院の教育社会学専攻に在籍していた頃からである.当時,高等教育研究は,細々とやられていたにすぎなかった. 学会創設以前の高等教育研究に大きな役割を果たしたのは,大学史研究会,IDE文献研究会,広島大学・大学教育研究センター(現高等教育研究開発センター)などである.特に1972年のセンターの創設は,エポックメイキングな出来事であった. その後,マス化の進展とともに顕在化し始めた,高等教育の新しい政策課題に対応するため,文部省は国立教育研究所に高等教育研究室を置いたほか,大学入試センター(1976),放送教育開発センター(1978),学位授与機構(1991),国立学校財務センター(1992)など,次々に大学関連のサービスセンターを開設し,そこに調査研究関連の部局を置いた.さらに国立大学に大学教育関連のセンターが順次設置され,私立セクターでも,同様のセンターを設ける大学が現れ始めた.また1980年代の後半になると,玉川大学出版部が高等教育関連の本を,積極的に刊行し始めた. 東京大学教育学部にようやくわが国最初の「高等教育論講座」の新設が認められたのは1992年,私が初代の教授に就任した. このように高等教育学会の創設に至る,私が体験してきた高等教育研究の流れと時代状況の変化をたどってみると,1990年代半ばという時代が,その機が熟したというべきか,様々な条件と環境が,学会の設置に向けて整い始めた時代であったことがわかる. 1997年9月には東京大学で発会式を迎えることになった.私たちからみれば新世代の高等教育研究者たちの熱意と努力の賜物である.教育社会学の関係者が多いとはいえ,多様な専門分野から理事が選出され,他の教育関連諸学との関係が深まった.高等教育研究者の集まる「アゴラ(広場)」の出現である. その後,2010年から11年にかけての『リーディングス 日本の高等教育』の刊行は時代の「激流」に巻き込まれ,「あわただしく」対応を迫られてきた高等教育研究に対する「批判的反省と学問的な問い直し」の試みという点で,重要な意味を持っている. 今世紀に入ってからの新自由主義的な政策誘導の高等教育改革という高等教育研究を取り巻く状況の激変は,研究者に期待される専門性の内容が大きく変化し,その幅が著しく拡大したことを示唆している.改革は具体的な実践の問題になった.そのことが例えば学会の年次大会における研究発表の,また会員の出身専門分野のどのような変化をもたらしているのか.20周年を迎えた学会が,「批判的自省」を踏まえた「さらなる発展と飛躍」をはかるためにも,改めて検証する必要があるだろう.教育社会学以外のどのような学問的・理論的よりどころをもとに知識と理解を深めていくのか,学会は今それを問われているといってよい. 世代交替の進んだ学会が主導的に,研究の新しいフロンティアを切り開いていくことを期待している.