著者
太田 勇
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.58, no.2, pp.115-129, 1985-12-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
39
被引用文献数
1 1

シンガポールの今日の経済繁栄は,全国民の英語化政策に象徴される強力な国民統合への努力に負うところが大きい.政府関係者はもちろん,ほとんどすべてのシンガポール人学者が,この政策を高く評価している.しかしその反面,独立後20年間に強行された華語系人への抑圧は語られず,現在の政治的安定と物的生活の向上にのみ注意が払われがちである.ここへ至るまでに,英語系エリート主導の人民行動党政府が,いかに華語教育を衰退させたか,いかにアジア系公用語の地位を低下させたかがもっと重視されてよい。筆者はこの観点から,シンガポールの経済繁栄は多数派の華語華人の文化的敗北をもたらし,華語の社会的機能を少数派言語のマレー,タミル両語並みに低めたことに言及した。 また,英語国化をとげつつあるが,シンガポール独自の文化的特色を反映させた言語の土着化には賛成が少なく,イギリス英語至上の思想が指導者層に一般化している.彼らにとっては,国際的に通用する英語こそが習得に価いするのであり,局地的にしか使われない型の英語は異端なのである.それは,国の経済規模が小さく,政治的には国際情勢の影響を大きく受ける小島国が,もっとも効率よく自言語を発展させる智恵の表れでもあろう.かくして,シンガポールはその経済発展の基盤と,将来の言語文化の方向とを,植民地時代の遺産継承の形で確立している.
著者
谷内 達
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.57, no.2, pp.111-123, 1984-10-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
20
被引用文献数
1

日本の主要都市の発達を鉄道網と関連させて概観するために, 1880年-1980年を6期に分け,各期における上位100都市の相対的地位の変化を構造的および空間的に比較検討した。すなわち都市人口および鉄道旅客収入額を指標に用いて,順位規模曲線および順位相関係数により構造的変化を検討し,順位・成長率による区分を加えた都市分布図により空間的変化を検討した。 現在の都市システムの構造的・空間的特徴および交通網の骨格は1908年当時のものと大差なく,基本的には1880年,さらには1868年以前にまでさかのぼることができる。 1880年以来の都市の発達は,都市システムの新規生成というよりも,既存の都市システムの再調整過程であった。 1880年以来の主要な変化は,大都市集中の進行と太平洋岸の縦貫線沿線諸都市の成長であった。 1908年以前には変化が比較的大きかったのに対して1908年以後は安定的で,すでに成立しつつあった大都市・縦貫線優位の傾向がさらに強まった。 1908年以前の変動は鉄道網の骨格形成期でもあったが,鉄道網の拡張と新規路線沿いの諸都市の成長との間に明白な対応関係を空間的に見出すことは困難である。むしろ鉄道網は大都市・縦貫線優位の傾向をさらに助長したと言える。三大都市圏の成長の鈍化,広域中心都市の成長,高速道路・新幹線・航空の発達などを含めて最近および近い将来の動向を考察する際にも,大都市・縦貫線の定義の若干の拡張によって,基本的な傾向は変わらないと考えることができよう。
著者
氷見山 幸夫
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.57, no.2, pp.124-134, 1984-10-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
11

任意の事象の分布に対して格子系(grid system)を測定や表現の基準として用いる場合,可変単位の問題 (modifiable unit problem) として知られる一群の問題に遭遇する。これらは格子単位 (unit cell) の大きさや形に関するものと,格子系をかぶせる際の位置に関するものに大別されるが,このうち後者に対する取り組みはこれまで遅れていた。空間単位としての格子系の利用が一般化している今日,これを単に経験的判断により処理するのではなく,統計学的に検討することが急がれている。そこで,格子系の位置に関わる諸々の問題を「格子変位の問題」 (problem of the shifted grid) と呼ぶことにし,体系的解明をはかってゆきたい。今回はその一つとして,格子図 (grid map) のパターンに内在する不確定性の問題を取り上げる。 ある単一の事象の分布を,2種の格子単位からなる格子図で表現する場合を想定する。ここで,事象の見出される格子単位を正の格子単位,残りを負の格子単位とする。この正の格子単位の分布のパターンが,格子系の置き方によって変化する度合いをそのパターンの不確定性の指標とし,簡単な事例について検討する。 いま格子図上に,縦方向に勉個,横方向にn個の,正の格子単位m×n個からなる箱型コロニー・があるとする。このパターンが格子系を横方向に半格子長ずらすときに変化しない確率をP (m, n, p) とする。ただし,ここでpは,考えている格子系のそれぞれの格子単位を横に2等分した半格子単位のうち,正のものの比率(密北海道教育大学地理学教室度)である。このように,半格子変位の場合,変位後のパターンを決定するには,格子単位のレベルよりも詳細な,半格子単位のレベルでの正,負の情報が必要である。そこで正の半格子単位の分布として,ランダム分布を想定すると, P (m, n, p) は次のように表わされることが明らかとなった。 P (m, n, p)=2(1-p)m+2{(1-p)/(2-p)nfn}m=2(1-p)2m+2/(2-p)mn(fn)m ここでf1=1, f2=1, f3==1+p-p2, f4=1+3p-4p2+p3, f5=1+6p-9p2+3p3, ……である。しかしfnの一般形の導出には至らなかった。 上の式の意味するところを明らかにするため,まず最も単純なm=1, n=1の場合を考えてみると, P (m=1, n=1, p)=2(1-p)4/(2-p)である。すなわち,周囲を負の格子単位で囲まれた1個の孤立した正の格子単位が存在するとき,そのパターンが格子系の半格子変位により変化しない確率は2(1-p)4/(2-p)である。これはp→Oの極限で1であるが, p=0.5で0.083, p→1の極限で0というように, 0<p<1で単調かつ急速に減少する。つまりこの最も単純なパターンの場合, pが非常に小さいならば,そのパターンの不確定性は0%近くまで下がるものの,通常はかなり高いことがわかる。同様にして,m,nが増大すればP (m, n, p) は急速に小さくなること,そして一般にpが大きくなれば, P (m, n, p) が小さくなることが,はじめの式から導かれる。 以上のことから,格子単位の大きさの程度のパターンの不確定性が問題となるような場合には,格子図の使用は不適当であると結論される。なおここでは正の半格子単位の分布をランダムと仮定したが,種々のタイプの分布について同様の考察を行なうならば,分布の状況に対応して格子系の選択をすることに関して,より正確な判断をすることができるよう.になることが期待される。
著者
河名 俊男 Paolo A. PIRAZZOLI
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.57, no.2, pp.135-141, 1984-10-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
17
被引用文献数
4 5

琉球列島の宮古諸島に分布するノッチおよびビーチロックの調査により,現海面が完新世の最高海水準を示すとの結論を得た。ノッチの後退点高度は潮間帯に位置し,ビーチロックは潮間帯あるいは,ほぼ潮間帯ビーチロックを示す。潮間帯ビーチロックの2ヵ所から, 425±70 y. B. P., 1520±60 y. B. P. (Loc. 13) および2120±75 y. B. P. (Loc. 31) の年代値が得られた。以上のビーチロックおよびノッチの諸特徴より,宮古諸島における後期完新世の海面は少なくとも2100年前より現在まで,現海面にほぼ近い位置に存在していたと推察される。上記の海面変動は,琉球列島の他の主軸諸島に見られる後期完新世の高海水準を示す海面変動と対照的である。以上の対照性は,後期完新世に宮古諸島が他の主軸諸島と異質の地殻変動地域であった可能性を示唆する。
著者
土屋 巌
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.57, no.2, pp.142-153, 1984-10-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
13
被引用文献数
3 3

世界氷河台帳作成計画のためのIASH (国際水文科学協議会)の分類 (UNESCO/IASH, 1970) とMÜLLERほか (1977) によるその改訂版を参照して,筆者はさきになだれを含まずに,異常に大量の降雪と吹きだまり雪とによって形成される亜高山帯のニッチ氷河を,山岳氷河の一型式として提案し,“鳥海山型氷河”と名付けた(土屋, 1978 a, 1978 b)。 1972年-1981年の問,この型の氷河のひとつで“貝形小氷河”と命名したものについて,毎年野外調査を実施し,その特色を解明した。 貝形小氷河は,いわゆる気候的雪線よりも2,000mにど低い,海抜約1,400m高度に形成されるが,拡大期には約0.04km2の大きさになり,また2~3年のうちにごく小さな氷体に縮小することがある。この氷河の存在場所の積雪深算定値の最大は45m以上であった。消耗量が大きく,暖かい大雨の際には毎時1。4cmの厚さ減少が観測された。氷河氷の形成は非常に早く,この氷河上の残雪の密度は,最初の消耗季節の終り頃までのわずかな期間に,ほとんど氷河氷の段階にまで増加する。 貝形小氷河の流動現象は一定でなく,蓄積年後の消耗年である1975年や1979年の場合にはかなり早い流動を示した。日本の他の地域に見られるいくつかの多年性残雪(氷体を内在する)では,さらに小規模で貝形小氷河と同様のものもあるが,明白な流動現象はまだ報告されていない。 ニュージーランドのWhakapapanui氷河は,貝形小氷河とほぼ同じ規模の小さな氷河であるが,両者の比較により,気候的雪線のはるか下方で形成され,降雪季節の卓越風が偏西風であり,風下斜面に存在して低緯度に面し,主滴養源は吹きだまり雪であって,氷河質量の年々変動が大きいなどの共通の性質のあることがわかった。
著者
山川 修治
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.57, no.2, pp.154-165, 1984-10-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
37
被引用文献数
6 6

日本とその周辺地域 (Fig.1) における寒冷前線の地域的・季節的特性を,主として赤道140°E上にある静止気象衛星 (GMS) からの可視画像を用いることによって,明らかにしていくことが本稿の目的である。当該地域において特筆すべき異常気象が発生しなかった, 1979年4月から1980年3月までを研究対象とした。 まず,日本を含む広域で,寒冷前線とそのほかの前線,およびスコールライン(同一気団内で発生する線状の積雲群であり,前線と関連するものに限定している)について調査した。いずれも雲画像からの判読で,雲系と前線の関係 (Fig. 2) を基本にしている。日本付近を通過する寒冷前線は4月,9月,10月に最も多くなる。1-2月の寒冷前線は,一年間で最南域の20°一25°N付近に位置することが多く,時にはフィリピン諸島近海,つまり10°N,125°E周辺の熱帯性雲塊が発生しやすい地域まで南下する。梅雨季初期(5月)の前線は,平均して22°-23°Nにあり,冬季よりむしろ定常的位置にあるといえる。また,秋季のスコールラインは,その方向性に特徴がみられる(Fig.3)。 次に,雲系ダイヤグラムを128°Nと140°Eに沿う2つの南北断面で作成した(Figs.4, 5, 6)。これは,GMSの毎日03GMT(12JST)の画視画像によるもので,各断面の経線を中心とする経度2°の地帯における雲の有無に基づく。日々雲系がどのように消長し移動しているかを調べ,24時間ごとの画像では追跡しきれない小規模の雲系については,3時間ごとの画像も参考にして,二次元空間分布を時間一空間分布に置き換えた。雲系を層状雲とセル状雲に識別するとともに,雲の輝度にも配慮して,図示した。1月の寒冷前線性雲バンドは,128°Eでは12°一20°N付近まで,140°Eでは15°-25°N付近まで南下し,前者の方が南偏しやすいことが確かめられた。しかし,25°-40°Nの緯度帯に関する限り,128°Eより140°Eにおいて発達しやすく,このことは,雲バンドの細かいシャープな形態からも,850mb面気温の南北勾配からも推定される。
著者
吉野 正敏
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.57, no.2, pp.166-182, 1984-10-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
22
被引用文献数
2 3

海南島における気候と農業について,最近の中国における文献と1984年1~2月の筆者の予察研究旅行の結果とによって記述した。まず,総観気候学的背景を前線帯・雲量分布・850 mb面における流線・霧分布などによって示した。 850 mb面における南西の風と,北東の風,台風が重要な役割を果たすこと,また気温・降水量・雨季と乾季の長さなどを気候記録によって示した。何大章による気候区分を紹介し,その8気候地域を示した。次に,海南島の農業について,その気候条件を考慮しつつ,特にゴム・米・茶について,詳しく述べた。ゴムについては5地域に区分し,各々について寒害と風害に注目した。ゴム栽培の高距限界は島の北部では300~350m,南部では500mである。米作のうち特に興味あるのは,最近の雑種交配種子の栽培である。それらは中国各地から農民や試験者が島の南部にやってきて栽培される。冬に成長し,3月中・下旬に出穂・開花し, 4月中・下旬に成熟する。そして,とれた種子を中国の各地に持って帰り,そこで通常の栽培期間に栽培するものである。 最後に,台風による被害と,寒害について記述し,特に,その分類基準を紹介した。また,近年の早稲と晩稲の栽培の問題,ゴムの栽培における寒害の問題は,海南島の熱帯作物栽培の今後の発展に特に重要な課題なので詳しく述べ,気候条件の研究が急務であることを指摘した。
著者
水津 一朗
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.57, no.1, pp.1-21, 1984-04-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
43
被引用文献数
3 1

景観の各レベルの分節には,〈素材∈形態素⊂構成要素〉,〈構成要素⊂景観の部分〉の関係がみられる.「地域」とは,かかる関係をもつ景観の各分節を地と図とするとともに,各分節を改変し,再編成する身体的行動の軌跡が,重層する場所のまとまりと考えられる.そこでまず,景観を生地とする「地域」にひそむ言語との構造的対応が明らかにされる. さて日本には古来,一種の時空連続体としての「間」の考え方があった.「間」は,空間と時間とともに,さらにそこにおかれた事物相互の間柄をも含む流動的な概念である.さまざまな行動が,具象的な形をとって「間」の中に現実化すると考えられた.したがって,日本に特有の形態素群で構成された景観の各分節を地と図とする行動 (parole) を規定してきた伝統的なコード(langue) の中には,「間」に独特の構造を付与するものがあると推定される. 本稿の目的は,日本における歴史地理学研究の成果を踏まえて,そのコードの存在を検証し,かつそれらの特性を比較地理学的に解明するとともに,それらがユークリッド空間を包む位相空間と対応する側面のあることを探り,さらに具体的に,景観の形態発生を位相数学の分岐理論に即して説明することである.あわせて,「地域」一般のトポロジカルな深層構造の一端をも明らかにしたい.
著者
田辺 裕
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.57, no.1, pp.22-42, 1984-04-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
28
被引用文献数
1 1

日本における市町村の境界は,近代的市町村制度が成立する以前から存在していたことを前提としている.したがって,いわゆる境界紛争は既存の境界が不分明になっているから起ることとなり,その解決は原則として確認行為によって求められるのであって,創設行為によることはない.しかし現実には,特に近年における工業化にともなう埋立地の拡大によって,既存の境界自体の確認はきわめて困難になってきている.本稿では,大牟田市と荒尾市との埋立地における紛争を,先行境界・追認境界・上置境界の三つの観点から双方の主張を分析することによって,解決する糸口を見出すとともに,日本の行政領域や境界の考え方の特質を明かにすることを試みた.先行境界については,武家諸法度にさかのぼって漁業法にも規定された漁場の占有権の水上境界が,三井砿山などの埋立によって消滅しながらも,なお現在に残っていることを,歴史的にあとずけ,また両市の主張の根拠ともなっている地図類を推計学的に考察し,追認境界については,現地調査によって実質的な両市の支配圏をもとめて,現実に存在する境界と両市の主張線とを対比した.上置境界については,水上境界の一般形態である等距離線(向い線)の特殊形態である地上境界の末端としての海岸線における垂線(隣り線)を幾何学的に求めて,これと両主張線とを比較した.このようにして得た地理学的境界は大牟田市に有利なものとなったが,そのことによって,むしろ両市の妥協を見ることが出来た.両市の理事者の政治的判断を評価するとともに,地理学の一つの応用事例としても,興味深い結論となった.
著者
阿部 和俊
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.57, no.1, pp.43-67, 1984-04-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
5
被引用文献数
14 16

本稿の目的はわが国の主要都市における本社,支所機能について,歴史的経緯をふまえつつ現況を中心に述べることにある.考察した結果は,以下の通りである. まず第一に,都市におけるこの機能の集積をみると, 1907年にはかつての6大都市(東京,大阪,名古屋,横浜,京都,神戸)に多くの集積がみられ,さらに地方の都市にも相当数の本社の存在が認められた.しかし,次第に地方都市の本社は減少し,かわって大都市,とくに東京の本社が増加し続ける.この傾向は基本的に現在も変わっていない. 横浜,京都,神戸における集積は1935年以降,とくに戦後になってあまり伸びず,逆に1935年に成長の兆しをみせ始めていた地方の中心的な都市での集積が急激に伸長し, 1960年以後完全に逆転した.また,新潟,静岡,千葉,金沢,富山,岡山といった地方都市での増加も著しい.第1表からみてもこの傾向は今後続くであろう.しかし,東京,大阪,名古屋では1980年においては,対象企業数が増加しなかったためか,その集積は停滞気味であった。地方の中心的な都市がわずかとはいえ増加していることと対照的で,今後これがどのように推移するかを注目したい. これら本社,支所の業種を検討すると,初期においては鉄鋼諸機械,化学・ゴム・窯業部門は少なかったが, 1935年を境にこの部門は増加する.とくに, 1960年以後はこの傾向が一層強まる.とりわけ鉄鋼諸機械の支所は1935年から増加し始め,第二次大戦後は最も重要な業種となった.その集積は当初,東京,大阪,名古屋の三大都市に多くみられたが,次第に地方の中心的な都市においても増加してきている.建設業の本社,支所が戦後に増加するのも注目しておきたい.もっとも,支所の延べ数においては,金融・保険がその性格上圧倒的に多い.横浜,京都,神戸と上述の新潟以下の諸都市では,これら機能の集積が多い割に鉄鋼諸機械などの支所が少ないことも重要である. 戦後を対象に本社機能の動向をみると,東京の重要性がますます高くなっていることが指摘できる.とりわけ大阪系企業においては,商社にみられるように発祥の地である大阪よりも東京の機能を強化するようになってきており,この点における大阪の衰退傾向が感じられる.大阪が西日本の中心的地位を保ち続けうるか,あるいはもう一ランク下位階層の広域中心的性格の方をより強めていくのかが,今後大いに注目されるところである.
著者
小野 有五
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.57, no.1, pp.87-100, 1984-04-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
58
被引用文献数
38 51

氷河・周氷河地形にもとついて最終氷期の日本列島の古気候の復元を行なった.日本列島の山岳氷河の消長を支配しているのは夏の気温と冬の降水(降雪量)である.海水準変化にともなう日本海の古環境の変化により,最終氷期の降雪量は大きく変動した.日本の山岳氷河は,対馬暖流が日本海に流入していた:最終氷期前半の亜氷期(約60,000~40,000年B. P.) に最も拡大した.これに対して後半の亜氷期(約30,000~10,000年B. P.) には,対馬暖流の流入が海面低下によって阻止されたために降雪量が著しく減少し,氷河の拡がりは小さかった.夏の気温低下量は,現在と氷期の雪線高度の違いから推定した.夏の降水:量が大きく減少したことは,中部日本から北海道にかけて顕著な谷の埋積が生じたことによって証拠づけられる.夏の降水量の減少,夏の気温低下は,ともにポーラー・7ロントの南下を示している.最終氷期の2つの亜氷期におけるポーラー・フロントの位置,永久凍土の分布,海氷の南限,風系などを図示した.冬の気温,年平均気温については化石周氷河現象から復元を行なった.日本海側山地と太平洋側山地での降雪量の違いについては,経線方向にとった雪線高度の分布図から,最終氷期を通じて両地域に降雪量の大きな差があったことを論じた.
著者
米倉 二郎
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.57, no.2, pp.101-110, 1984-10-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
18

方格状町割はインダス都市で,またこれとあまり遅れない時期に黄河都市でも始まったようである。当初は両地ともに並存する2つの町区からなっていた。インダス都市では西側が城区で東側が下町であった。モエンジョ・ダロはその最盛期を示している。発掘された街路の新たな解釈から著者は,その町割を約180メートル平方を単位方格とする碁盤割とし,さらに下町区では約40メートル (120モエンジョ・ダロ フィート)平方の16の小区画に分けられたであろうと推定した。 黄河都市はインダス都市との形態の類似だけでなく,古代中国の尺度がハラッパの腕尺,モエンジョ・ダロの足尺と同系統のものと見なされるので,方格状町割はこの両地で密接な関係のもとに始まったとすることができよう。方1里(約400メートル平方)を基礎方格とする中国の都制は商代に始まったとして鄭州商城の町割を推定した。 インダス都市の方格状町割はスタニスラウスキイが述べたように西してオリエントからギリシヤ,ローマ,さらにヨーロッパ全域から新大陸へと伝播した。他方それはインド文明の中に受継がれ,シルパシャストラの中に理想化して記述された。それに従う方格状町割は南インドを主とする南アジア各地で見られる。北インドではイスラム文化の影響で影が薄くなった。 黄河都市の方格状町割は周礼に記載された。その理想が実現されたのは北魏洛陽城以降であったが,都市計画の理念としてただに中国のみならず朝鮮,ベトナム,日本における都市計画に影響を与えた。例えば,わが平安京(京都)は南北9.5里,東西8里(当時の日本の里は古代中国の里よりすこし伸びて545メートルほどであった)の方格状町割であり,方1里の基礎方格である坊はさらに16個の小区画である町(120メートル平方)に分けられていた。
著者
村田 昌彦
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.60, no.2, pp.179-194, 1987
被引用文献数
5

古日記中の天候記録を利用して,歴史時代(東京では1710年から1895年まで,大阪では1714年から1895年まで)の梅雨入りと梅雨明けを復元した.観測時代(1896年から1980年まで)の梅雨入りと梅雨明けと復元データを結合して,その長期変動傾向を検討した結果,以下のことが明らかになった.<br> (1)梅雨明けと梅雨の継続日数には強い正の相関,梅雨入りと梅雨明けには弱い負の相関がみられた.<br> (2)長期変動傾向として,1770年頃,1810年頃,1860年頃,1920年頃が梅雨明けが早く継続日数が短い期間,1740年頃,1780年頃,1830年頃,1870年頃,1950年頃が,梅雨明けが遅く継続日数が長い期間として挙げられる.また,周期性を調べた結果,梅雨明けと継続日数およそ60年の長周期の存在が確認された.<br> (3)梅雨入り,梅雨明け,梅雨の継続日数には,小氷期とその後の時代とで,大きな差がみられない.<br> (4)梅雨明けが遅い年に,東北地方で冷夏が発生しやすいことが,歴史時代から観測時代を通じて成り立っており,天明,天保,慶応・明治の各凶作の時代に,特に梅雨明けが遅かったことが分かった.
著者
斎藤 功 菅野 峰明
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.63, no.1, pp.48-59, 1990
被引用文献数
4

武蔵蔵野台地の既存の集落の辺境に開かれた新田集落は,平地林の落ち葉等を活用し,耕種農業,ついで近郊農業を行ってきた。このような地域に新しい主要道路が開通することによって,農家は都市化への急速な対応を迫られるようになった。本稿では小平・田無・東久留米市の境界地帯を事例として,新青梅街道の開通により農民が都市化へいかなる対応をしたかを解明した。<br> 農民の都市化への対応は,一般に通勤兼業が先行する。しかし,農地に執着する農民が,農地を道路や不動産業者に販売した場合,その代金は自宅の新築改築および広い敷地にアパートや貸家を建てて家作経営を行うものが多かった。ついで道路に沿う農地に対しては,道路関連産業の要請により,農地を販売するのではなく賃貸する者も現れた。賃貸の農地は,新車・中古自動車展示場やレストラン,資材置場や倉庫および流通センター等に活用された。<br> 農地を活用した自営的な兼業としては,ゴルフ練習場などのスポージ施設経営が群を抜き,この狭い地域に6つのゴルフ練習場が設立され,わが国最大のゴルフ練習場集中地区となった。ゴルフ練習場ではバッティングセンターやテニスコートぽかりでなく,顧客のためにレストランやゴルフショップを併設する場合が多い。専門度の高いスポーツ施設経営者は,農業経営から離れ産業資本家に脱皮したといえる。<br> 地価の高騰は,一般のサラリーマンに一戸建の家の購入を困難にさせているが,農家が賃貸マンションを建てたりしているので,人口密度は高くなる。しかも,自家用車の所有率が高いため,駐車場需要が高いので駐車場を経営している農家も多い。このように農家では,アパート・マンション・貸家等の家作経営や農地の賃貸など,何らかの農外収入を得ている。しかし,残存した農地では,スーパーマーケットと契約して野菜類を栽培したり,直売している。
著者
阿部 和俊
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.63, no.1, pp.17-24, 1990
被引用文献数
3

本稿の目的は,日本の首都東京を経済的中枢管理機能という高次都市機能の分析を通して,日本におけるその地位を検討することである。<br> 都市機能の観点からみると,現在の東京を特色づけているのは何よりも大企業本社の集中である。本稿では,日本の民間大企業と日本における外資系企業の本社立地の分析を通して,首都東京の姿を浮き彫りにすることを目的とする。<br> 我が国においては,民間企業本社の東京集中は著しい。しかし,東京への本社集中はとりたてて最近の現象ではない。それは早い時期からみられたのであり,今でもそれが強まりつつ継続している状態であると言えよう。そのことは当然の結果として,日本第2位の都市たる大阪の東京に対する相対的地位低下という事態を招いた。しかも,その傾向は今後しばらくの間は続くことが予想された。<br> 外資系企業本社の立地動向をみると,日本の企業以上に東京への集中は激しく,東京と他都市との差は大きなものであった。