著者
望月 恒子 諫早 勇一 中村 唯史 岩本 和久 宮川 絹代 井澗 裕 イコンニコヴァ E.A. 越野 剛 塚田 力
出版者
北海道大学大学院文学研究科
巻号頁・発行日
2010-03-31

平成21-24年度科学研究費補助金 基盤研究(B)(課題番号:21320061)研究成果報告書
著者
風間 伸次郎
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
サハリンの言語世界 : 北大文学研究科公開シンポジウム報告書
巻号頁・発行日
pp.127-144, 2009-03-08

北大文学研究科北方研究教育センター公開シンポジウム「サハリンの言語世界」. 平成20年9月6日. 札幌市
著者
村崎 恭子
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
サハリンの言語世界 : 北大文学研究科公開シンポジウム報告書
巻号頁・発行日
pp.71-84, 2009-03-08

北大文学研究科北方研究教育センター公開シンポジウム「サハリンの言語世界」. 平成20年9月6日. 札幌市
著者
田村 将人
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
サハリンの言語世界 : 北大文学研究科公開シンポジウム報告書
巻号頁・発行日
pp.145-155, 2009-03-08

Tasuke YAMAMOTO (1904-1993), a Hokkaido Ainu man who was born in Kushiro, made a trip to two Sakhalin Ainu's villages (Niitoi and Shirahama) in 1936-1937. He then recorded vocabulary of the Sakhalin dialect of Ainu and oral-history about chiefs. His notes were donated to the Municipal Library of Kushiro in Hokkaido.
著者
新田 志穂
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
北方言語研究 (ISSN:21857121)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.191-203, 2015-03-20

This paper analyzes -lIK, a productive suffix in Modern Uyghur. In the literature, -lIK has been treated from morphological or syntactic perspectives. The present paper examines both of these two aspects of -lIK. Particularly, I point out that while words suffixed with -lIK are registered in the lexicon as such, the verbal stem to which -lIK attaches can still preserve its syntactic function.
著者
де Сент-Экзюпери Антуанэ Бибикова Елена А. Яамада Ёсико Цумагари Тосиро
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
ツングース言語文化論集
巻号頁・発行日
vol.61, pp.2-183, 2016-01-15

サン・テグジュペリ著; ノーラ・ガリ ロシア語訳; エレーナ・A・ビビコワ ウイルタ語訳; 山田祥子編集, 津曲敏郎監修, 星の王子さま : ウイルタ語・ロシア語対訳版 = НУЧӢКЭ ПРИНСИ = Маленький принц : На уильтинском языке. 北海道大学大学院文学研究科, 2016, 183p, (ツングース言語文化論集 = Исследования по Тунгусоведению, 61).
著者
遠山 景広
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
北海道大学大学院文学研究科研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
no.13, pp.417-436, 2013

社会的共通資本は,主に産業基盤を中心として考察の対象となり,中でも社会インフラの整備は経済的な理由を優先して進められてきた。社会的共通資本が注目された高度成長期には,社会インフラの整備は国民の生活と経済力という2つの意味から全体社会を向上させるとされ目標の1つに挙げられていた。個人の生活の充実は,産業への寄与と結びつけられた上で全体社会へと還元されると見做されたため,議論には主に経済的な視点が反映されてきたのである。1950~1960年代の社会的共通資本の配分は高度成長期の特性を表し,産業基盤に8割,生活基盤に2割と振り分けられており,産業基盤の偏重傾向を示すものとされる。現代では,社会的共通資本に期待される役割は生活基盤に重点が移行している。生活基盤としての側面については,1970年代の都市化に対しシビル・ミニマムとして議論され,生活権という観点から個々の生活における最低限が論じられた。今日は,育児や介護の社会化など個々の生活を考慮した,社会的共通資本の提供段階に目を向ける必要性が高まっている。しかし,これまでの議論は主に制度の設定や資本の設置による経済学的な意義や効率についての指摘にとどまり,利用段階での提供者と利用者に観点を移した議論はまだ少ない。これは,高度成長期には社会的共通資本の設置が不十分で,どのような視点から資本整備を進めることができるか,いわば設置の正当化に焦点が残っていたことも影響している。しかし,現代の社会的共通資本に求められるのは,個人の利用を前提として個々の社会的行為が関与する機能から政策を評価する段階にあると考えられる。本稿では,社会的共通資本を産業基盤と生活基盤の2面から検討し,生活基盤における新たな人間関係を形成する機能を考察する。
著者
趙 熠瑋
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.339-358, 2013-12-20

荻生徂徠は江戸幕府最盛期に伊藤仁齋と竝される古學派の儒學者である。荻生徂徠については、これまで多くの研究が積み重ねられてきた。特に、丸山眞男の『日本政治思想史研究』は後の徂徠研究に多大な影響を與えた。丸山氏は徂徠の近代性を強調し、「朱子學的思惟式とその解體」、「徂徠學の政治性」、「徂徠學における公私の分裂」などを論點として捉えた。ほかに、平石直昭、子安宣邦、吉川幸次郎の各氏も々な角度から徂徠の反朱子學という點を論じた。しかし、吉川幸次郎氏が「徂徠學案」に示したように、徂徠の學術も人生も一定不變ではなく、幾つかの段階を踏んで所謂徂徠學が形成された。1714年、徂徠49歳の頃、『園隨筆』が刊行され、1717年、『辨名』、『辨道』、『學則』が刊行された。1718年、53歳の頃、徂徠の「四書」注釋の集大成作『論語徴』が完成した。これまでの研究によれば、徂徠は基本的に朱子學を批判する立場で自らの儒學論を展開した。果たして徂徠の學術人生は終始變わらなかったのであろうか。それとも、時期によって徂徠の考えにも變化があるのであろうか。本稿では、執筆時期を異にする徂徠の著作の吟味を通じて、徂徠學の中心的概念と思われる「道」について、時間經過を辿って證した。その結果、徂徠の反朱子學的な學説に變化の過程があったことが判明した。
著者
チェスパ マリアンナ
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
北海道大学大学院文学研究科研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
no.13, pp.205-223, 2013

本稿は,イタリア語における過去時制に属する近過去形と遠過去形の相関 関係を明らかにすることを目的としている。伝統的な説明によると,過去時 制である近過去形と遠過去形のあいだには相違点がなく,その使い分けが話 者による選択であるとされている。つまり,話者の視点によって遠過去形が 近過去形の代わりに,あるいは近過去形が遠過去形の代わりに用いることが できるとされている。これは話者にとってその事象が過去の一時点であるな ら話者は遠過去形で描写するのに対し,その事象の効果が現在まで持続する なら近過去形で描写するという区別である。しかし,様々な原因が影響を与 えているため,その「置き換え」が不可能である場合も多く,また両方の時 制が可能であるが解釈が同じではないという場合もある。これはおそらくそ れらの2つの時制の本質の制限に関するものである。本稿はいつその「置き 換え」が可能であるか,いつ不可能であるかまたなぜ制限があるかというこ とに関して述べるものである。分析の結果,遠過去形における用法は幅が狭 いのに対し,近過去形における用法は非常に幅が広いということが明らかに なった。よって,近過去形と遠過去形の区別が重要な点であり,これに基づ いて時制の一致のルールを見直すこともできる。
著者
張 捷
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
北海道大学大学院文学研究科研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
no.12, pp.267-287, 2012

山鹿素行(一六二二~一六八五)は,江戸時代初期の儒学者,兵学者であ り,山鹿流兵法の開祖,古学派の先駆けである。『孫子諺義』を含む『七書諺 義』は,素行の兵学思想が最も円熟した時期の著作である。本稿では,『孫子 諺義』を中心資料として,素行後期の兵学思想に考察を加えた。 『孫子』の日本伝来については,『日本書記』や『三国史記』に基づいて, 四〇八年以前に大陸から朝鮮半島へ伝わり,五二七年以前に朝鮮半島から日 本へ伝わったという新たな仮説を提出した。『孫子』の版本には,『魏武帝注 孫子』と『十一家注孫子』との二系統に分けられるが,『孫子諺義』では,『魏 武帝注孫子』すなわち『武経七書』系統を利用した可能性が高い。素行は, 訓をもって字句ごとに極めて詳細に注釈し,他学者の見解も列挙し,一定 の融通性を示している。『孫子諺義』の執筆期間は一ヶ月未満であるにもかか わらず,大量の資料を引用し詳しく解説していることから,素行の博覧強記 ぶりが伺える。素行の兵学思想は,「詭道」と「五事」の「道」についての解 釈から見える。同じ「道」の字であるが,意味・内容が異なっており,混同 しやすく,長い間兵学は儒学的観点から異端視された。素行は「詭」を奇, 権,変と解釈し,「詭道」を合戦する際に敵が予想できない勝利を制する手段 としている。素行の「士道論」,即ち武士の職分には『孫子』の「五事」の「道」 の影響が見える。武士は君主と農工商の三民との架け橋であり,忠を尽くす ことや,三民を教化することなどによって上下の心を一つにする。素行は, 伝統的な奉公の忠誠心に,儒教の人倫を実践する主張と,兵学の管理の方策 に加えて,新たな職分論を提出した。『孫子諺義』を完成した時期は,素行が 中国の文化から離脱しようと主張した時期であるが,漢文化の影響が色濃く 残っているので,晩年の著作を見ると,素行は漢文化から完全に離脱するこ とはできなかったと言える。