著者
周 菲菲
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
北海道大学大学院文学研究科研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
no.13, pp.111-135, 2013

この論文は,観光研究におけるアクター・ネットワーク論的なアプローチ の必然性と可能性を探求する。まず,従来の観光研究における全体論的な視 点の欠如とモノについての考察の不足といった問題点を指摘する。観光地対 観光者という二分法や,イメージ論のような表象分析の枠では,観光実践の 複雑性を十分に研究することができない。ここで,関係の生成変化に注目し, 人やモノ等の断片的な諸要素を,諸関係を構成する対称的なアクターと見て, それらのアクターが織り成すネットワークの動態の過程を把握するアク ター・ネットワーク論に注目する。そして,観光におけるモノの物質性と場 所の多元性の存在を論証し,観光者のような特定のアクターが観光ネット ワークの中で他のアクター(地域イメージ,モノ等)を翻訳し,自らの実践 に導く様相を,先行研究に基づいてまとめる。さらに,中国人の北海道観光 を例として,アクター・ネットワーク論に基づき,個的実践の共有化の過程 と,地域イメージのブラックボックス化の過程をまとめた。最後に,観光研 究へのアクター・ネットワーク論的アプローチを,地域の複数性を提示する 研究として提示してみた。
著者
井川 重乃
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
北海道大学大学院文学研究科研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
no.12, pp.17-33, 2012

本稿では「フラクタル」三部作と称される北野武監督作品『TAKESHIS'』(二〇〇五年)、『監督・ばんざい!』(二〇〇七年)、『アキレスと亀』(二〇〇八年)を取り上げる。本三部作は映画制作、映画監督とは何かという北野武の自己言及的な側面が強く出た映画だろう。三作に共通したこれらの問題を確認し、北野武映画の系譜にどのような意味を持つのかを考察していく。その手段として監督と主演を兼任するビートたけし/北野武の身体に着目する。『TAKESHIS'』『監督・ばんざい!』で「自写」が映し出されるとき、それらは自傷的かつ「死」のイメージを持つ。それを「自写のマゾヒズム」と定義する。また『アキレスと亀』では、「自写」とともに映画内で使用される絵画、主に自画像が同じく「自写」として同様のイメージと、さらに狂気を展開するものとして検討したい。映画ではビートたけし/北野武を<合わせ鏡>で映し出し、あるいは人形化することで、身体を<像>として増殖させていく。「フラクタル」構造のように、あるいは循環小数にあらわれる循環節のように無限可能性を前提として<像> は無限に増殖している。このような<像>の一部分が、映画全体を示している構造を<換喩的>なイメージの羅列と言い換えることができるだろう。例えるなら『TAKESHIS'』の宣伝ポスターのような、一つ一つの顔が集まってビートたけしの顔を作るコラージュのようでもある。この<換喩的>なイメージは「フラクタル」=無限に繰返されていたが、三作目『アキレスと亀』において、その無限可能性の否定が描かれている。『アキレスと亀』のラストシーンで「アキレスは亀に追いついた」とテロップが表示されるとき、ゼノンのパラドクスの解消と共に、その理論の根底でもある無限可能性も否定されているのではないか。ビートたけし/北野武の身体を用いた<像>の<換喩的>なイメージは、無限増殖を止める。「自写のマゾヒズム」とその狂気の終焉を、北野武映画の転換点として評価したい。
著者
アルトゥン ウグル
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
北海道大学大学院文学研究科研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
no.12, pp.67-84, 2012

日本は19世紀後半の開国以後,資本主義社会の一部となっていく過程において,活発な情報収集活動が行われた。その一つとして当時のオスマン帝国を訪れた記録も残されている。彼らが当時書いた自身の日記や紀行,新聞記事,そして手紙でのやり取り等は今も数多く現存しており,これらが日本におけるトルコに関する知識の基盤となったと推測される。よって,これらの資料は日本とトルコの関係を検討する上で重要になると考えられる。1911年にイスタンブールに留学に来た小林哲之助はトルコの政治的,軍事的,外交上の事情を新聞や外務省にレポートを送るなどの形で伝え,日本に於いてトルコに関する情報を創造する先行者の一人であった。小林が集めた情報は当時のトルコの事情をあらゆる場面で取り上げる上でかなり重要だと思われる。外務省職員であった小林哲之助は,本国より奨学金を得てトルコに留学した。彼は留学生という身分ながら,トルコ国内でその周辺諸国である東ヨーロッパやバルカン半島の事情をレポートし,これらの情報は大阪朝日新聞の鳥居素川と連絡を密にとりあった。鳥居素川の協力の下それらの情報を「ガラタ塔より」という書籍にてまとめている。その中には,小林哲之助がトルコに留学している間に勃発した伊土戦争,バルカン戦争や第一次世界大戦についての内容が詳細に記されており,当時の東ヨーロッパやバルカン半島の様子を知る為にも貴重な資料だと言える。本論文は二章で成り立てて,第一章では第一次世界大戦の前の日本とトルコの陥った状況や国際社会での一付けを考察する。こうやって歴史的背景を構成しながら両国の世界システムにどのような影響を与えて,どういった役割を果たしているかは論じる。また,第二章では小林のトルコに関する観察を取り上げるとともに伊土戦争から第一次世界大戦に至たるまでの時期を検討する。小林が書き残した書籍「ガラタ塔より」,外務省のレポートや論文等を基に日本の外交官が見るトルコのイメージと,このイメージの伝え方や伝達手段,トルコに於ける小林の情報ネットワークに触れながら,小林の活動の目的や,日本のトルコ観に与えた影響を取り上げる。
著者
姜 銓鎬
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
北海道大学大学院文学研究科研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
no.13, pp.1-15, 2013

林芙美子(一九〇三〜一九五一)の『放浪記』は、一九三〇年に初版が発刊されて以来、一九三九年の改訂版を経て二〇一二年の復元版に至るまで、数多くの版本が存在する作品である。ところで、戦後の版本は、おおよそ改訂版を版本としており、最近発刊された版本の中では、初版を底本としているものが多い。つまり、数多くの『放浪記』の中で、この二種類の版本は一番重要な底本になっているのである。改造社から出た『放浪記』は、整理されていない野性味を持つ作品として認識されている。一方、新潮社から出た『放浪記|決定版|』(改訂版)は、構成的な部分において、一層整理された形態になっている。こういう特徴は、それぞれの版本を比較することで確認することができる。しかし、今までの『放浪記』研究は、作品の成立において出版社の変更ということを看過し、これについて論じる研究も登場していない。そこで本論では一九三〇年の改造社版『放浪記』及び一九三九年の新潮社版『放浪記|決定版|』を中心として、その成立過程をまとめながら、出版社の変更の原因と理由について考察しようとする。また、先行研究で改訂版を初版より低く評価する傾向に注目し、そのような批判意見について再考する。改訂版に対する批判意見として共通するのは、『放浪記』のステレオタイプ化した「ルンペン文学」というイメージを放棄していない点である。しかし、これこそ『放浪記』に対する批判を払拭しようとした芙美子の意思とは正反対の意見であり、改訂版の意義を完全に無視することになる。
著者
大谷 伸治
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.1-16, 2011-12-26

本稿は、昭和戦前期に国民精神文化研究所で「日本政治学」の確立に従事した藤澤親雄の思想について論じるものである。 これまでの藤澤を取り上げた研究は、藤澤=独善的な日本主義者という固定観念が強いあまりに、藤澤の言説をいくつか 引用するだけで、自由を否定する単純な反近代・反動復古主義者と評価してきた。 しかし、藤澤は主観的には、個人の価値や民主主義等の西欧近代的なものを根本的に否定したことはなく、自由主義・個 人主義が果たした歴史的意義を認め、その良さを残しながら、危機を乗り越える新しい原理を日本の国体に見出し、それを体系化しようとしていた。また、それはすべてが日本主義的・民族主義的に論じられたわけではなく、西洋諸思想との関連を有しており、「道」「産霊」といった日本的・東洋的な用語を冠していながらも、その目的意識や内容は、彼が批判した矢部貞治の衆民政論と非常に類似していた。すなわち、藤澤と矢部のデモクラシーに対する見方は根本的に違ったが、自由主義・個人主義を克服し、あらゆる対立矛盾を統合する天皇を中心とした民族共同体の構築を目指すという構造的な面において、両者は一致していた。 したがって、藤澤の「日本政治学」は、単にファシズム体制を正当化するために唱えられたとするのは正確ではなく、当 時さかんに叫ばれた近代の危機に対する政治学的な処方箋の一つであり、彼の意図に反し、当時の日本における代表的な政治学者の一人である矢部貞治の西欧的なデモクラシー論と親和性をもつものであった。 また、藤澤が、天皇機関説のみならず、天皇主権説をも否定していたことや、天皇からの恩恵的な権利だとはいえ、「臣民に食を保証する権利」という生存権に類するような権利を認めるべきだと考えていたことも興味深い事実であった。 しかし一方で、天皇の権威に服することで日本人はすべて自由であり、天皇にまつろはぬ者には強制力を行使してもかま わないと、国体・天皇に対してあまりに盲目的であった点において、藤澤の「日本政治学」はやはり問題であった。
著者
井上 裕子
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
北海道大学大学院文学研究科研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
no.10, pp.219-233, 2010

1945年から1949年の台湾を舞台にした映画『悲情城市』では,史実を伝える文字画面や筆談の文字,また複数の言語によるセリフ,手紙や日記体のナレーション,ラジオ放送の音声など,豊かな手法で物語が語られている。そしてこのすべて言語にかかわる手法は視覚による文字と聴覚による音声に分けることができ,映画のなかの文字と音声の言語はそれぞれ対称的に配置され,その機能と効果を果たし,物語内容を語っている。さらにこれらの言語は,物語とともに,台湾という空間における一時の歴史的時間をも語っていることが分かる。そして,この映画のその視覚的な文字と聴覚的な音声に着目し,それらを分析・考察して浮かび上がってくるのは,情報伝達における音声言語の未全であり,一方での文字言語の十全である。映画をみるに当たって,私たちは音声で映像を補うよりは字幕を頼りにする。音声情報に十分な注意を払わずに,視覚情報に重きを置く。これはやはり,映画における音声の映像への従属を示すのだろうか。しかし,『悲情城市』では聞こえる音声が情報伝達の未全を示す一方,聞こえない音声である「沈黙」がそれを補うように伝達の十全を表わしている。音声には多くの情報が隠されており,文字は映像に組み込まれることで,映像の力に勝るとも劣らない機能を発揮する。つまりそれは,音声と映像の豊かな統合であり,そこに映画の構造における映像と音声というものを考察する一つの機会ととらえることができる。この作品では,視覚の文字,聴覚の音声が映画の構造のなかでそれぞれ対等の機能と効果を果たし,映画のなかの物語と映画の背景と,そして媒体としての映画そのものを作り上げているのである。
著者
喬旦 加布
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
北海道大学大学院文学研究科研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
no.12, pp.103-136, 2012

チベット人地域のうち,本稿ではチベット高原東北のアムド
著者
池田 誠
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.17-36, 2011-12-26

本稿では、ジョン・ロールズの博士論文「倫理的知識の基盤の研究」(一九五〇)を考察し、若きロールズが『正義論』(1971/99 rev.ed.)の著者へと成長していく軌跡を辿る。そこで私は、ロールズの博士論文と、この博論の「ダイジェスト」とされる彼の翌一九五一年の処女論文「倫理学における決定手続きの概要」との間の共通点と相違点に焦点を当てる。 まず、第一の共通点として、両論文は法学や科学哲学における「議論の理論」を参考に、当時の倫理学における懐疑的風 潮への反論として理性的な倫理学的探求の可能性を擁護することを主題としている。また第二の共通点として、両論文のうちにはすでにのちに「反省的均衡」と呼ばれる反基礎づけ主義的な方法論が確立され展開されている。しかもそこでは、『正義論』にみられる功利主義と(多元的)直観主義に代わる新たな規範倫理学理論を立てることへの意欲も見られる。 一方、両論文の間の相違は三つある。第一の相違点は、ロールズが実際に自らの提示する理性的な倫理学的探求の実例を 素描してみせる際に解明と正当化の題材とする道徳判断の種類である。博士論文のロールズは「(i)よい性格に関する 道徳判断」の解明を図るが、「概要」論文の彼は「(ii)正しい・正義にかなう行為に関する道徳判断」の解明を試みている。これに伴い、第二の相違点として、それぞれの論文でロールズが提示する道徳判断の解明原理(道徳原理)も異なっている。第三の相違点として、博士論文では、「概要」論文には登場しない「形式的正当化」と「実質的正当化」という二種類の正当化方法が登場する。 この相違点にもとづき、私は、博士論文のロールズは早くも彼の倫理学方法論を確立する一方、その実例の提示である規 範倫理学理論においてはいまだ発展途上であり、以降、彼はより包括的な規範倫理学理論の確立をめざし、彼なりの「反照的均衡」のプロセスを幾度も重ねて「概要」『正義論』へと歩みを進めていったと主張する。
著者
山越 康裕
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
北方言語研究 (ISSN:21857121)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.281-317, 2015-03-20

The Khorchin Mongolian text described here is a collection of basic sentences that were provided by Mr. Chog(Chi. Chaoke), a native Khorchin speaker born in Mankhan village, Khüree banner, Tongliao city, Inner Mongolia. Khorchin Mongolian, which is one of the main dialects of Mongolian, is spoken primarily in Tongliao city and Xin'an league in Inner Mongolia. It is well known that the Khorchin dialect has been heavily influenced by Chinese. In order to collect the sentences, I used the questionnaire "Translation of daily conversation" that the research group for the ongolic Languages of Inner Mongolia University prepared in the 1980s. This collection of Khorchin Mongolian sentences is expected to contribute not only to the descriptive study of this dialect, but also to the comparative study of Mongolic languages.
著者
姜 銓鎬
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
研究論集 = Research Journal of Graduate Students of Letters (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.1-15, 2013-12-20

林芙美子(一九〇三〜一九五一)の『放浪記』は、一九三〇年に初版が発刊されて以来、一九三九年の改訂版を経て二〇 一二年の復元版に至るまで、数多くの版本が存在する作品である。ところで、戦後の版本は、おおよそ改訂版を版本として おり、最近発刊された版本の中では、初版を底本としているものが多い。つまり、数多くの『放浪記』の中で、この二種類 の版本は一番重要な底本になっているのである。 改造社から出た『放浪記』は、整理されていない野性味を持つ作品として認識されている。一方、新潮社から出た『放浪 記|決定版|』(改訂版)は、構成的な部分において、一層整理された形態になっている。こういう特徴は、それぞれの版本 を比較することで確認することができる。 しかし、今までの『放浪記』研究は、作品の成立において出版社の変更ということを看過し、これについて論じる研究も 登場していない。そこで本論では一九三〇年の改造社版『放浪記』及び一九三九年の新潮社版『放浪記|決定版|』を中心 として、その成立過程をまとめながら、出版社の変更の原因と理由について考察しようとする。また、先行研究で改訂版を 初版より低く評価する傾向に注目し、そのような批判意見について再考する。改訂版に対する批判意見として共通するのは、 『放浪記』のステレオタイプ化した「ルンペン文学」というイメージを放棄していない点である。しかし、これこそ『放浪記』 に対する批判を払拭しようとした芙美子の意思とは正反対の意見であり、改訂版の意義を完全に無視することになる。
著者
池田 誠
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
北海道大学大学院文学研究科研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
no.10, pp.21-33, 2010

本稿では、ジョン・ロールズの『正義論』における功利主義批判のキーワード「人格の区分の重視(taking the distinction between persons seriously)」について考察する。ロールズによれば、功利主義やそれが提案する道徳原理である功利原理は現実の人々の「人格の区分」を重視しない。この批判は、功利主義は全体の功利の最大化のためなら平等や公正な分配を無視した政策でさえ支持するという政策・制度レベルの批判ではない。むしろこれは、功利主義は功利原理の各人への「正当化」および正当化理由のあり方に対し無頓着であるという、道徳理論・方法論レベルの批判である。ロールズによれば、功利主義は人格を、「不偏の観察者」という想像上の管理者によって快い経験や満足を配分されるのを待つ単なる平等な「容器」のようなものとみなす。だがロールズによれば、われわれの常識道徳は、人格を、自らに影響を与える行為・制度に対し、自らの観点から納得の行く正当化理由の提示を請求する権利を持つものとみなしている。この各人の独自の観点や正当化理由への請求権を認めること、これこそが「人格の区分」を重視することにほかならない。以上の事柄を『正義論』での記述に即してまとめたのち、私は、アンソニー・ラディンによるこの批判の分析・論点整理(Laden 2004)に依拠し、ロールズ自身に向けられてきた「人格の区分の軽視」批判が、ロールズ正義論の全体を把握し損ね、近視眼的に眺めてしまうがゆえの誤りであることを示すとともに、ロールズの「人格の区分」批判の論点が功利主義の根底に潜む「非民主的」性格にあったことを明らかにする。その後、結論として、ラディンの分析に対する私なりの考えと異論を述べるとともに、ロールズ正義論が現代倫理学において持つ意義について触れたい。
著者
北郷 彩
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
北海道大学大学院文学研究科研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
no.13, pp.1-23, 2013

『トピカ』A 巻においてアリストテレスは,推論を用いた対話形式の議論を弁証術的推論として方法化することを試みている。本稿の狙いは,「共有見解」や「検証吟味」等のキーワードによってアリストテレス独自の仕方で特徴づけられる弁証術的推論が,そもそもいかなる技術として構想されているかを,各々の概念の分析を通じて考察することである。弁証術的推論は,共有見解を前提命題とする推論であることにおいて,他の種類の推論すなわち論証や詭弁的推論等から区別される。共有見解は多数の人によってそう思われることどもという仕方で,例えば厳密に真として確立された知識とは異なる次元で特徴づけられる。この特徴の故に弁証術的推論は,一つには特定の諸原理によって基礎づけられていない命題を扱うことができ,推論一般の規定に従って挙げられる推論の種類に幅を持たせている。もう一つには,弁証術的推論においては肯定と否定の命題対の双方が推論の前提命題の候補となることができ,その各々の推論の導く結果を検討することが可能である。これらの特徴の故に,命題の検証吟味という弁証術に固有の役割が実現する。すなわち,諸学問領域における原理は,その領域の第一のものであるが故に,領域の内部から検討を与えることが不可能であるが,共有見解に基づく弁証術的推論を用いるならばそうした個々の原理に属さない共有見解からそれらの原理について検討を加えることが可能となる。そうした検証吟味の方法化は,具体的には命題の確立と覆しの方法化によって実現が試みられる。命題の確立と覆しを論拠づける諸観点はトポスと呼ばれ,プレディカビリアと呼ばれる文-下位構成要素と,カテゴリーの分類の各々の特徴を基礎として構成されている。これらが成立条件を満たしているか否かを検討することによって,命題が適切に確立されているか,或いは覆されるべきかの検討が可能となる。
著者
矢板 晋
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.433-455, 2012-12-26

外国人子弟が日本の教育に関する場面において不利益を被る,すなわち周 辺化(marginalize)するのはなぜか。この点について,栃木県真岡市に着目 し,ラベリング論,言語コード論,文化的再生産論,社会関係資本論による アプローチを試みた。 データは,筆者が2010年8~9月に栃木県真岡市で行った調査に基づく。 調査対象は真岡市内の市立小学校2校,市立中学校1校,教育委員会,真岡 市国際交流協会(MIA),NPO団体2つである。調査方法は学校の日本語教 室やNPO主催の地域日本語教室での参与観察,各担当教員やNPO団体の代 表者,教育委員会,国際交流協会に対する構造化面接調査と半構造化面接調 査である。 同調査によると,外国人子弟の周辺化には以下の4つの要因が考えられる。 第一に,積極的ラベリングと消極的ラベリング,つまり,外国人に対する偏 見と「日本人と同様」に扱うラベリングである。第二に,児童生徒の限定コー ドとしての日本語の不習得と教師の使用言語の無差別性である。外国人子弟 が日本において普段の生活に必要な限定コードを習得できていない点や,教 師が授業で用いる言語に限定コードや精密コードを区別していない点が確認 された。第三に,「接触」「適応」「継続」の各段階における必須要素の欠如で ある。外国人子弟が日本の教育現場に定着するには,まず学校と「接触」し, 次に学校生活に「適応」,最後に「継続」して学校に通い続けるという3段階 が存在する。その各段階でアイデンティティや言語資本,社会関係資本が不 足する現状がある。第四に,外国人子弟の教育をめぐる社会関係資本の「限 定」「陥没」「拒絶」である。すなわち,社会関係資本が日本人同士あるいは 外国人コミュニティ内に「限定」して存在する場合,またはうまく外国人が 日本人と接触できたとして,その日本人どうしの関係が「陥没」している場 合,さらに外国人側がホスト社会との関係を「拒絶」する場合が確認された。 2012年8月下旬に再度真岡市を訪問した際には,「接触」段階における社会 関係資本の「陥没」の改善が見られた。今後もこうした社会・文化的側面か らの解決が重要となるだろう。
著者
Marianna Cespa
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.169-187, 2012-12-26

本稿は現代日本語とイタリア語の時制の相違点や共通点に関して論じるも のである。言うまでもなく,言語が異なると文法も異なるため,用語法が厳 密な部分とそうではない部分があるように見えるが,どの言語もあらゆる言 語に翻訳することが可能であり,それらの言語間の異なる時制形式を説明す ることも可能であるということが本稿の前提である。本稿ではかなり相違が あると思われているイタリア語と日本語の時制形式とその関係について述べ ながら,2つの言語をどのような視点からどう一般化して捉え,どのような 諸手段で表現しているか,またこのような言語的時間の本質がどのように有 機的に発話行為に繫がっているかに関しても考えていく。 本稿で取りあげるのはイタリア語と日本語の現在時制と過去時制の本質と その用法であり,特に複文における用法である。日本語に時制はないという 立場と日本語の時制は曖昧であるという立場をとる学者がいるが,本稿では 日本語にも時制があると考える。従来の様々な外国語教育研究の結果による と日本語を母国語とする学生にとってはイタリア語の時制が複雑であるのに 対し,イタリア語を母国語とする学生にとっては日本語の時制が曖昧のよう である。おそらく,イタリア語には日本語にない時制の一致のルールがある からだと考えられる。このルールによるとイタリア語は主節の動詞が過去形 のとき,従属節の動詞はその影響を受ける。一方,日本語ではこのような時 制の一致の制限はないが,動詞が動作動詞か状態動詞かによって,その文の 時制(またはアスペクト)を決める上での力関係が違ってくる。 次に,イタリア語の過去時制に属する近過去と遠過去の相関関係について 述べる。その際には,例文を挙げながら,それらの時制の「代用」の一般的 な傾向が適切かどうかに関しても考えていく。
著者
高橋 希衣
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.181-204, 2013-12-20

Aus der Sicht der Beschreibung und Erklarung von Universalit at und Sprachspezifit at werden zur Zeit sehr aktiv Forschungen betrieben,sprachtypologisch nicht verwandte Sprachen kontrastiv zu untersuchen. Jedoch muss man feststellen, dass sich die Forschungen in der deutsch-japanischen kontrastiven Phonetik und Phonologie nicht entsprechend dynamisch entwickeln wie der allgemeine Trend; dies betrifft besonders die noch immer uneinheitlichen phonetisch-phonologischen Kana-Aussprachebezeichnungen in deutschjapanischen Worterbuchern, die anstatt unter Verwendung des IPA (Internationales Phonetisches Alphabet) haufig mit alteren und unnaturlichen phonetischen Notationen dargestellt werden. Im vorliegenden Beitrag wird ein neues System fur die phonetischphonologische Beschreibung von Kana-Aussprachebezeichnungen fur deutsche Laute vorgeschlagen. Als grundlegendes Prinzip wird bei der Systematisierung der Kana-Aussprachebezeichnungen die Treue zu den originalen Lauten des Deutschen verfolgt. Dar uber hinaus soll diachronisch berucksichtigt werden, dass als ein Teil der deutschen Sprache auch die praktizierten und akzeptierten Formen der Standardaussprache einem standigen Wandel unterliegen.